2023.10.1「同労者ピレモンへ ピレモン8-12」

この手紙は、パウロの個人的な手紙です。個人的な手紙がどうして聖書の一部になるのか疑問が生じるかもしれません。しかし、この手紙の内容は、パウロとピレモンの関係が、神さまが私たちに願っていることを表しているように思えます。たとえば、主にある兄弟姉妹を面倒見なければならないとき、「どうして私が」と文句を言うかもしれません。でも、神さまからたくさんの恩恵を受けているので、断ることが出来ない場合もあります。ピレモンもパウロに「無理―」と断ることもできたかもしれません。

1.逃亡者オネシモ

オネシモはピレモンの奴隷でありました。しかし、主人のものを盗み、フルギア地方からローマに逃亡しました。大都会に逃げるなら見つかる可能性は低くなります。しかし、オネシモはひょんなことから、獄中のパウロから伝道されて、イエス様を信じたようです。使徒28章の終わりの部分に書いてありますが、その頃のパウロは自由が与えれており、人々と会うことができました。パウロが「獄中で生んだオネシモ」と言っているのは、霊の子どもであるということです。オネシモはパウロに仕える者になり、「私にとってとても役に立つ者となっています」と紹介しています。でも、当時、奴隷が主人のもとから脱走することは重罪にあたります。パウロはそのまま彼をかくまっていても良かったのですが、それも罪になるでしょう。この箇所を見ていると、ルカ15章の放蕩息子の物語を連想させます。彼の場合は財産を使い果たし、豚飼いになって、父のもとに帰ります。オネシモは主人の許から逃亡したけれど、本当の自由がなかったのでしょう。パウロと出会って、父なる神さまを知り、本当の平安を見出したのではないでしょうか?この手紙は、パウロがオネシモの主人であるピレモンに、オネシモを送り返すために書かれたものです。

不思議なことに、オネシモという名前は「役に立つ」ということばとダブっています。ギリシャ語のオネスモスは「有益な、役に立つ」という意味です。そして、それは奴隷に多い名前であるということです。当時の奴隷は、家畜よりは少しましかもしれませんが、主人の財産でした。ですから、主人が命じることを何でもする必要がありました。でも、奴隷にも得手不得手があるので、力仕事はできても、商売とか経営の手腕がない人がいます。福音書を見ると、タラントを預けられた人たちも奴隷です。もとから奴隷の人もいますが、戦争で敗れたので奴隷になる人もいました。ですから、教養のある人は、主人の子どもたちの家庭教師になりました。ローマ社会はこのような奴隷たちによって支えられていたと考えても過言ではありません。オネシモは主人から何かを盗んで、逃亡したのですから奴隷としては失格であり、重罪に当たります。もしかしたら、殺されても文句を言えないでしょう。しかし、オネシモはパウロの勧めで回心して、人が変わりました。彼は神さまの栄光を現したいと願い、パウロ先生に仕える者となったのでしょう。つまり、彼の能力が開花し、人格的にも良い実を結びました。ですから、オネシモはその名前のごとく「役に立つ者となった」のです。

私はこの箇所を読んで、札幌の三橋萬利(かずとし)牧師のことを思い出しました。先生は青森県の生まれですが、3歳のとき小児麻痺のため、両足と右手の機能を失いました。3歳の子供を残して、母親が病気でなくなり、その後継母が彼を自分の子どものように育ててくれました。小学校へ行けなかったので自分で新聞や事典を読んで勉強しました。お父さんの口癖は「お前は役にたたないからなー」でした。戦争中はお国のために出兵したり、工場で働いているのに自分が何も役に立たず、申し訳ない気持ちがいっぱいだったそうです。21歳の時、友人が聖書を貸してくれ、その時、日本人の持つ神観と違って驚いたそうです。そして、自分が神さまから造られた存在だと知りました。教会で洗礼を受け、兄弟姉妹と共に路傍伝道に出かけました。夏はリヤカーから、冬はそりの中から証をし、みことばを伝えました。周りの反対を押し切り、27歳のとき幸子夫人と結婚しました。彼女は看護学生1年生で、まだ19歳でした。お父さんから勘当されました。その後、軽井沢の神学校で学び、卒業後は函館で開拓伝道を始めました。萬利先生がリヤカーに乗り、幸子さんがそのリヤカーに自転車をくくって伝道しました。その後、宣教師が牧会していた札幌の教会を任されました。函館では40名位集まっていたのに、札幌ではたった2人からスタートしなければなりませんでした。しかし、神さまは三橋先生ご夫妻を豊かに祝福してくださり、結婚30周年目、札幌に移ってきて20年目、会員数が200名の教会になりました。教会を牧会しながらも、幸子夫人に背負われて、国内、国外で幅広い伝道活動を行いました。

私はこのメッセージの例話のために、簡単な気持ちで、三橋萬利(かずとし)先生のことを話そうと思いました。でも、それでは失礼なので『北国に駆ける愛』という先生ご夫妻の本を購入してお読みして、「簡単な気持ち」を悔い改めました。三橋先生は障害者の1級の方であり、お父さんが言うように「役に立たない」と思われても仕方がありません。でも、神さまが先生と共におられるということがその本を読んではっきり分かりました。明日、食べる物がないというとき、だれかがお金を送ってくれました。生活費を稼がなければならないとき、日本語学校の先生に招かれました。最大の恵みは体の丈夫な幸子夫人が与えられたことです。三橋先生をリヤカーに乗せて走り、おんぶして運び、生活の世話をします。駅のホームで男性をおんぶしている夫人を見て、周りの人たちは驚きました。背負われている自分も恥ずかしいと何度も思いました。でも、そのような二人を神さまは用いて下さったのです。言い方を変えると、神さまが「役に立つ者」にしてくださったのです。三橋先生ご自身のおことばです。「まったく歩けない者を世界のあちこちに出かけさせ、友人たちの中で一番あわれな者で、結婚の可能性など全くなさそうな者に結婚の一番手としての道を開いて下さるなど、本当に神さまは驚くべきお方です。」

 私は三橋先生がご不自由な体で辛い思いをいっぱい体験したから、弱さの中にいる人のことが理解できたのだと思います。しかし、三橋先生の説教では「古い自分に死になさい」というのが多かったようです。つまり、同情心だけではなく、「自我に死んで、キリストに生きる」という信仰が必要です。神さまから「役に立つ者」として用いられる秘訣はそこにあるのかもしれません。

2.同労者ピレモン

では、パウロとピレモンの関係とはどのようなものなのでしょうか?ピレモン1-2「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ」という挨拶文があります。ピレモンは奴隷を雇えるほど裕福な人であり、自らの家を解放して教会にしていました。パウロは彼を同労者と呼んでいますので、パウロを通して信仰に導かれ、キリストの働き人になっていたと思われます。姉妹アッピアはピレモンの妻です。アルキポという名前はコロサイ4章に出てきます。コロサイ4:17「アルキポに、『主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」と言ってください。」彼はコロサイ教会の伝道者あるいは牧師かもしれません。ピレモンとアッピアの息子ではなかという説もあります。パウロは使徒なので、ピレモンに「オネシモを赦してやれよ」と上から目線で言えたはずです。しかし、パウロはとても低姿勢でピレモンにお願いしています。まず、挨拶の部分では「キリスト・イエスの囚人パウロ」として紹介しており、使徒という職名を出していません。17節「ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。」パウロは使徒としてではなく、仲間の者としてオネシモのことをお願いしています。

パウロはオネシモのことを弁護しながら、重ねてお願いし、むしろ懇願しています。8-14「ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。」パウロはピレモンのところに、オネシモを送り返そうとしていますが、ピレモンの同意なしにはしたくないと言っています。そして、「オネシモはローマで救われ、今度は奴隷以上の者、愛する兄弟として取り戻すことができますよ」と訴えています。パウロは放蕩息子を取り戻した父親のような感じがします。ルカ15章では、兄は喜んで弟を迎えることができませんでした。では、ピレモンはどうなのでしょうか?

パウロのように困っている人を助けて、間に立って、お世話をするというのは並大抵なことではありません。私も亀有教会に赴任したころは若かったので体当たり的な牧師でした。もう、30年も昔のことなので、時効だと思いますのでお話します。旧会堂の時ですが、朝起きたら会堂に寝ている人がいました。酒に酔った人が会堂の戸を破って、寝ていたのです。青年会がちょうど福島の断食祈祷院に行くところだったので、彼を車に乗せて連れていきました。彼のアルコール中毒が治ると思ったからです。私たちは3日で終わり、彼に切符を買って預けて、「もう少し、ここで修行するように」と帰って来ました。ところが、数日後、断食祈祷院を抜け出して、帰りの切符をお金に換えて、お酒を飲んだということが、かなり後から分かりました。彼が亀有に来て、無銭飲食をしたとき、お金を出してあげたこともあります。それでも止まず、刑務所に入ってしまい、彼に差し入れをしてあげたこともあります。私はその頃、「アルコール中毒がどれくらい大変なのか」という知識がなかったので、断食すれば治ると考えていました。また、脳梗塞で障害がある男性を会堂に住まわせ、そこから社会復帰できるようにお手伝いしてあげたことがあります。彼は南極観測船『しらせ』の船長だと言っていました。後から洗礼も受け、教会員に俳句を教えてくれました。でも、ある日、突然いなくなました。後から、彼が『しらせ』の船長だということは真っ赤な嘘だと分かりました。また、家内が三番目の子ども(聖矢)を日赤で出産したときのことです。隣のベッドに同じ日に出産した女性がいました。彼女は救急車で運ばれて、産院で赤ちゃんを産み、身元知れずの人でした。もちろん、赤ちゃんのお父さんも不明です。退院後、その親子が生活できるように区と相談して助けてあげました。親子はアパートに住み、子どもも保育園に行けるほどになりました。洗礼も受け、教会員と親しく交わっていました。ところが、ある日、突然、子どもを保育園に置き去りにしていなくなりました。不思議な事に、新会堂ができてから、そういう人がぴったりと来なくなりました。裏切られたという思いだけが残りました。

それに比べるとパウロは偉いと思います。パウロは「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」(ガラテヤ6:9第三班版)。パウロは一人の奴隷のために頭を下げています。そして、とりなしています。パウロはこれまで、「川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会って」きました(Ⅱコリント11:26)。人間不信になっても良いでしょう。なのに「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです」と懇願しています。でも、オネシモは本当に名前のごとく「役に立つ」人になったのでしょうか?ある伝承によれば、「ピレモンにとってもパウロにとっても、役に立つ者」となったオネシモは、その後エペソ教会の監督になりました。そして宣教のために走り回った両足を砕かれて殉教するまで、彼は主のためにオネシモであり続けたと言います。パウロは彼のために真実を尽くしました。オネシモはそれに答える人になりました。私たちも「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」というみことばを信じて、善い行いを蒔き続けて行きたいと思います。

3.贖いの姿パウロ

 パウロは罪を贖うイエス様の姿と似ています。ピレモン18-19「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。この手紙は私パウロの自筆です。私がそれを支払います──あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。──」新聖書注解で、尾山令仁師がこのように解説しています。「この手紙ほど、キリスト者の愛が如実に示されている書はほかに見当たらない。これは、キリストの愛を体験させられた人の模範とも言うべきものである。特に本論の第三点、つまりここに至って、身代わりの弁償をしようということが出て来るや、私たちは、イエス・キリストが私たちの身代わりとして十字架に私たちの罪の贖いをしてくださったことをほうふつとさせられる、個人的な用件のために書き始めた1つの短い手紙の中に、これほど深く、また高い贖罪の身近な例証がまたとあろうか。オネシモを返すから、私の名において受け入れてくれと頼んだパウロは、負債いっさいは自分が引き受けるからと付け加える。実に贖罪の1つのたとえともいうべき事件である。

 と、そのように解説しておられました。私は心のどこかに「報われないと嫌だなー」という気持ちがあります。年を取れば取るほど、疑いぽくなるのは自然なのでしょうか?また、心理学やカウンセリングを勉強すればするほど、「人は簡単には変わらない」と思ってしまうのでしょうか?そうすると、助けの手を伸ばすということがおっくうになります。しかし、本当に善を行なうというのは、見返りを求めないのではないでしょうか?イエス・キリストは「多くの人が信じないだろう」ということを知っておられたのに、十字架で自らの命を捨てたのではないでしょうか?神学的にいろんな考えがありますが、キリストは全人類の罪の代価のために死なれました。つまり、罪の代価は人が信じる、信じないに関係なく支払われているのです。だから、パウロはⅡコリント6章で「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください」と言っているのです。これは、言い換えると「キリストの十字架の贖いを無駄にしないでください」という私たちへのお願いです。パウロはキリストの十字架の贖いに応えるべく、「負債があるなら私が返すから」とオネシモを助けています。このことから考えると、人を助けたり、親切にするというのは、見返りを求めないということではないかと思います。

マタイ25章には小さな者にしたことは私にしたことであると書かれています。祝福を受け、御国を受け継いだ人たちというのはどういう人たちだったでしょうか?マタイ25:37「すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』」彼らは全く、自覚しないで行っていました。そこがすばらしいのです。私たちはすでに神さまからあり余るものをいただいています。本来なら滅びて当然だったのに、永遠のいのち、永遠の御国をいただいています。そればかりか、この地上でも豊かに祝福を受け、いろんな困難からも救い出されました。そういうことを考えると、「いろんな物を与えたけど、損はしていないなー」と思います。報いを期待するのは意地汚いと思われるかもしれません。でも、それが人間です。「人間だもの」。でも、神さまから既にたくさんのものを受けているということが分かったときに、人からの報いはどうでも良いと思うようになります。そして、「神さまからの報いもあればあったで嬉しいし、なければなくても良いじゃないか」と思うようになります。ヨブは「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう」と言いました。パウロは「あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(Ⅰコリント4:7)と言っています。ケチになるのは肉の性質で仕方がないかもしれませんが、「ああ、全部神さまからいただいたものなんだなー」と恵みを数える必要があります。そうすれば、この地上での足し引き、損したとか得したとかどうでも良くなります。

私たちが地上において何か良いことをしたとか、困っている人を助けたということは、私たちが受けたキリストの贖いと比べたらなら微々たるものです。イエス・キリストは返礼を求めて、十字架に命を投げ出したわけではないからです。問題は、私たちがそのことを腹の底から信じているかどうかです。私などは何度も裏切られたので、「もう人助けはこりごりだ」みたいな所が正直あります。これまでの悪いことを忘れて、良いことをしようという情熱が失われていました。しかし、ピレモンへの手紙を学んで、「それで良いのか?」思わされます。Ⅰコリント13:5「人がした悪を心に留めず(人のした悪を思わず)」と書いてあります。ギリシャ語の直訳は「愛は人のした悪を帳簿に記入しない」という意味です。パウロは、「ピレモンの負債については言わないから、オネシモの負債についても言わないでほしい。私がオネシモの負債を償うから」と言うのです。使徒パウロは、一奴隷のために、一身を投げ出しています。師のために弟子が一身を投げ出すことはあるでしょう。しかし師がその弟子のために、しかも、もとは奴隷であった者のために一身を投げ出すところに神の愛があります。この愛は一体、どこから来るのでしょう?主イエス・キリストが、まず私たちの身代わりとしていのちを投げ出されたからです。

私はこのピレモン書にこのようなキリストの贖いが示されているとは分かりませんでした。「こんな私的な手紙が何故、聖書に加えられるのだろうか?」と疑問にさえ思っていました。そうではなく、キリストの愛を体験したパウロが同じ愛をもってオネシモを救い、そしてピレモンにとりなしている書物です。いわば福音を体験した人の福音書です。私たちも神の愛を一方的に受けた存在です。ガラテヤ6:9「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」。がっかりするときはありますが、このみことばを思い出して、善い行いを蒔き続けて行きたいと思います。