2023.9.17「パウロの辞世の句 Ⅱテモテ4:6-8」

パウロはローマの獄中に捕えられましたが、その後、2年間くらい釈放されたようです。しかし、再び捕えられ、今度は地下牢に閉じ込められたと思われます。紀元後64年ローマの大火がありました。伝説によると、ネロ皇帝がキリスト者のせいにして、翌年、パウロをみせしめに殺したようです。テモテ第二の手紙は、パウロが殉教する直前の手紙です。ですから、「パウロの辞世の句」と言えるでしょう。

1.使徒としてのパウロ

冒頭のあいさつが、「神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから」(Ⅱテモテ1:1)となっています。パウロの手紙のほとんどは、自分を「使徒」として紹介しています。第一のポイントは、使徒としてのパウロはどのような人物なのか、またどのようなことをしたのか学びたいと思います。パウロは自分のことをピリピ3章でこのように紹介しています。ピリピ3:5-6「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。」これは、パウロがユダヤ人に対してあえて誇っている箇所です。主の弟子たちを迫害するためにダマスコに向かう途中、復活の主がパウロに現れました。パウロは地に倒れ、イエス様のお声を聞きました。そして、アナニアを通して召命が告げられました。パウロはイエス様の直接の弟子ではありません。ですから、コリントの教会の人たちの中には彼を使徒として認めない人たちがいました。でも、パウロは彼らにこう言っています。Ⅰコリント15:8-10「そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。」そうです。パウロは復活の主から直接、使徒として召された人物です。ペテロはおもにユダヤ人に、パウロは異邦人に遣わされました。使徒の働きを見るとわかりますが、小アジア、ヨーロッパへと3回の伝道旅行を行ないました。最後は囚人としてローマに渡りました。そして、旅先から、獄中から、たくさんの手紙を書きました。教会や個人に宛てられたものですが、残っている13の手紙は新約聖書になりました。

では、使徒というのはどのようなことをするのでしょうか?使徒の任務とは何なのでしょうか?使徒はギリシャ語でアポストルで「派遣された者、使者、司令官」という意味があります。本来は十二使徒のことですが、巡回して福音を宣べ伝える使徒のことでもありました。パウロはキリストから直接選ばれた使徒であり、異邦人の宣教だけではなく、キリスト教の神学的な土台を築くためにも召されました。では、パウロはその知識をどこで得ることができたのでしょうか?パウロはペテロや他の使徒たちから受けていません。ガラテヤ1:12「私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」さらに、そのことを裏付けるようなパウロの体験がⅡコリント12章に記されています。

Ⅱコリント12:4「彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。」12:4「その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました」と述べていますが、これはパウロのことです。もし、新約聖書に福音書だけしかなければ、神学的に大変、貧しいものになるでしょう。その後、起るキリスト教の異端に対処できなかったでしょう。パウロはガマリエルの門下生として学んだだけではなく、キリスト様から直接、啓示を受けることができました。ですから、今の私たちに深淵で豊かなキリスト教の神学的知識を与えてくれます。神学校で学ぶ、キリスト論、救済論、聖霊論、教会論、終末論のほとんどは、パウロの書簡から学ぶことができます。ある牧師たちは「パウロ先生!」とイエス様の次に慕っています。私も人間の中で最も尊敬する人物は、使徒パウロです。彼は外見的にはあまり良くなかったようです。石打ちを受け、顔面、とくに目を損傷していたようです。あるいは何らかの病気をもっていたかもしれません。でも、キリストに対する愛と情熱、失われた魂に対する愛と情熱はナンバー・ワンと言えるでしょう。

 パウロは使徒だけではなく他の賜物もあったようです。1章11節には「この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました」と書かれています。つまり、パウロは今日で言う、伝道者、教師、そして牧師の賜物もあったということです。エペソ4章には「使徒、預言者、伝道者、牧師、教師」という教職者の賜物が記されています。これらはキリストの賜物であり、使徒職のパウロとは違います。それでも、パウロの特徴を捉えています。使徒パウロは新しい地に宣教に行って、教会を設立します。そのとき、重要なことを教え、牧師や長老を任命して、自分は新しい地にまた伝道に行きます。手の平の五本の指でたとえると使徒の賜物は親指です。人差し指は預言者、続いて伝道者、牧師、教師と続きます。面白いことに、親指はどの指とも結び合うことができます。他の指同士は結構難しいです。つまり、使徒は万能であり、何でもできるということです。でも、牧師と違って、使徒は1つの教会でじっとしておられず、新しい教会を開拓したくなります。使徒は神さまの設計図を知ることができます。また、預言者は教会が設計図通りやっているかどうか判断するコンサルタントです。現代の教会は使徒と預言者を認めようとしません。牧師が1つの地方教会を任せられ何でもやることになっています。しかし、新約聖書を見ると使徒は81回登場しますが、牧師はたった1回だけです。もちろん現代は十二使徒やパウロのような肩書きを持つ使徒はいません。しかし、賜物としての使徒や預言者は存在します。彼らを教会から排除し、牧師だけが牧会をするなら設計図とコンサルタントなしの「神の教会」を建てることになります。

 パウロは自分が使徒であっただけではなく、使徒とはこのような神の働きを担っているという見本を後の教会に教えてくれます。また、聖書の使徒たちが教会の教えの土台になっていることに敬意を払い、教会は真理の柱である、使徒たちの教えに従う必要があります。

2.苦しみを受けているパウロ

 Ⅱテモテ1:11-12「この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。

そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。」パウロは十二使徒たちよりも、かなり後に召されました。しかし、最も労苦し、困難や迫害を受けた使徒と言えるでしょう。使徒はすばらしい神さまの名誉職ですが、パウロのような苦しみを受けなければならないとなると尻込みしてしまいます。この手紙はローマの獄中から書かれています。伝統的には、ピリピ、エペソ、コロサイ、ピレモン、そしてこの第一と第二テモテと言われています。これまで、小アジア、ヨーロッパと3回も伝道して数多くの教会を設立しました。そして、最後は囚人としてローマに渡ることになりました。最初は比較的自由が与えられたと思いますが、後半は薄暗い地下牢でした。ある説によると、トイレもなく排水溝が脇に流れていたということです。「神の使徒が、そのようなひどい扱いを受けて良いのだろうか?」と思ってしまいます。しかし、パウロ自身はこう述べています。コロサイ1:24「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」この箇所は、解釈することが難しいと言われています。普通に読むと、「キリストの苦しみが足りなかったので、使徒であるパウロが足りない苦しみを補足している」みたいに理解してしまいます。聖書的に言うと、キリストの十字架での贖いにおける苦しみは全うされました。イエス様は「完了した」とおっしゃったからです。そして、私たち人間は、キリストの贖罪のために足すことも引くこともできません。これは父なる神と御子イエスの間で完成された贖いのみわざだからです。しかし、パウロはここで「キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところ」と言っています。イエス様は人類の贖いのために苦しみ死なれましたが、教会の設立には関わっていません。そういう意味で、パウロは十字架の贖いのためではなく、教会の設立のために苦しみを受けているということです。

 パウロはローマに行く前ですが、自分が受けた苦しみについて詳細に述べている箇所があります。Ⅱコリント11:23-28「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、 日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。」パウロは召命を受けた時、アナニアを通して「私の名のためにどんなに苦しまなければならないかを示す」と言われたことがあります。しかし、まさかこれほどの苦しみを受けるとは思ってもみなかったのではないでしょうか?パウロは肉体にとげが与えられていたようですが、それが何かということが議論されています。ある人は癲癇、ある人はマラリヤではないかと言っています。しかし、奥山実師は、それは病気ではなく、ルステラ(リステラ)で受けた石打ちの後遺症ではないかと言っています。使徒14:19「ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。」とあります。パウロは翌日、立ち上がりデルベへと向かいました。当時の石打ちというのは、心臓をめがけて大きな石を投げるそうです。その石は顔面にも当たるそうです。ユダヤ人たちは「パウロが死んだ」と思ったのですから、よっぽどの重症を受けたことでしょう。おそらく、内におられるキリストの復活の力で立ち上がることができました。でも、顔面、とくに目に後遺症となる傷を受けたのではないでしょうか?その証拠として、ガラテヤ4章にこのようなことが記されています。ガラテヤ4:14,15「そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり嫌悪したりせず、かえって、私を神の御使いであるかのように、キリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました。それなのに、あなたがたの幸いは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのために証ししますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出して私に与えようとさえしたのです。」パウロは手紙を書きましたが、それらのほとんどは代筆であって、最後の挨拶だけパウロが書いているからです。

 パウロはテモテにこのように感謝しています。Ⅱテモテ3:11-12「また、アンティオキア、イコニオン、リステラで私に降りかかった迫害や苦難に、よくついて来てくれました。私はそのような迫害に耐えました。そして、主はそのすべてから私を救い出してくださいました。キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」このことばは、私たちへの慰めのことばでもあります。私たちは「パウロは使徒だから特別、大きな苦しみを受けるのだ」と思ってしまいます。キリストのそもべパウロが受けた苦しみは確かに特別ですが、私たちにも適用できることがあります。それは、パウロに対してであったように、主は迫害や苦難から私たちを救い出してくださるという保証と約束があります。あれほどたくさんの苦しみや迫害を受けてもなお、パウロは伝道し続けることができたのは、主が共におられたからです。もう1つは、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けるということです。この世は神に敵対しているサタン的な世界です。妥協して、ごまかして生きるなら迫害は少ないかもしれません。しかし、キリストの御名を隠さないで、敬虔に生きようとすれば迫害を受けるということです。言い換えると、迫害はまともなクリスチャンであることの「しるし」だということです。神の相続人であるならば、キリストの苦難をともに受けるのが当然であると覚悟しましょう。

3.パウロの最終的なゴール

 Ⅱテモテ4:6-8「私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」このことばこそが、パウロの辞世の句と言えるでしょう。パウロは自分の死期が近づていることをはっきりと述べています。しかも、その死は単なる死ではなく、「注ぎのささげ物である」と理解しています。「注ぎのささげ物」とは、どういう意味か調べました。「注ぎの供え物と訳されている語は、神へのささげ物を祭壇に注ぐという意味である。パウロは、たとい注ぎのささげ物の酒を注ぐように、自分の血を注いでも、それは神の栄光のための犠牲的な死であり、教会に仕えるものであるからその犠牲を喜ぶと言っている。パウロは、生命を奪われるということより、自分から生命を犠牲にするという自覚に生きている」と解説してありました。ピリピ2章では「たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。」(ピリピ2:17)と、パウロはむしろ、そのことを喜んでいます。ということは、パウロは首を切られて死ぬとき、自分を喜んでささげたということです。以前、「パウロ」という映画を見たことがあります。くぼんだ台木の上に自分の首を差し出しているシーンがありました。本来なら、「私は死刑にあたる罪は犯していない」と言えたはずです。パウロはローマ皇帝に逆らうよりも、むしろ神への生贄となって祭壇に血を注ぎました。イエス様は全人類のための贖いの死でした。しかし、パウロの場合はキリストのからだなる教会のための殉教の死でした。この先、数えきれないキリスト者がローマの迫害によって殉教することになります。ローマは人々は殉教を恐れてキリスト教徒はいなくなると思いました。ところが、殉教すればするほど、キリスト者が増えていきました。教会の教父であるテルトリアヌスは「殉教者の血は教会の種である」と言いました。

 このところに、パウロが目指したものは何かが記されています。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」パウロにとって最終的なゴールは義の栄冠でした。ピリピ人への手紙にも同じようなことが書かれていますが、まだ、その時は途中でした。ピリピ3:14「キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」以前は、目指していましたが、いよいよ義の栄冠が目の前に見えてきました。私たちはオリンピックや世界大会の競技を見ることがあります。ゴール地点にはテープが張られています。そこを競技者たちが最後の力を振り絞って走ります。その時は、隣の人がどうなのか見ていると遅くなるでしょう。脇目も振らず自分が目指すゴールだけを見て、全力で走ります。パウロはこのところで「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」とはっきり言いきっています。英語の聖書は、“I have finished the race, I have kept the faith.”完了形になっています。パウロは最後まで走り通した人、finishi wellです。聖書では最後まで走り通した人は全体の3割程度であり、それはアメリカの牧師も同じくらいの率だそうです。パウロが知っている人たちで、脇道に逸れた人、あるいは最後まで走り通せなかった人がいるのでしょうか?Ⅱテモテを見ますと、そういう人物がかなりいたようであり、パウロの心の痛みでもありました。Ⅱテモテ2:17-18「その人たちの話は悪性の腫れもののように広がります。彼らの中に、ヒメナイとピレトがいます。彼らは真理から外れてしまい、復活はすでに起こったと言って、ある人たちの信仰をくつがえしています。」彼らは不敬虔になり、真理から外れてしまいました。Ⅱテモテ3:8「たぶらかしている者たちは、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らっており、知性の腐った、信仰の失格者です。」彼らは信仰の失格者と言われています。Ⅱテモテ4:10「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。」他の人たちはともかく、デマスは今の世を愛し、パウロを見捨ててどこかに行きました。Ⅱテモテ4:14-15「銅細工人のアレクサンドロが私をひどく苦しめました。その行いに応じて、主が彼に報いられます。あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。」アレクサンドロはパウロを積極的に苦しめた人物です。彼らは信仰の道から逸れた人たちであり、パウロの心の痛みであったと思われます。

もちろん、パウロにとって、テモテやオネシポロ、マルコ、ルカのような支援者がいました。最後の挨拶のところを見ると、ユプロ、プデス、リノス、クラウディア、他の兄弟たちもいたようです。彼らは、最後までパウロと共にいた人たちです。こういうことを考えますと、鉄人パウロのように思えますが、寂しい思いをしていたこともあったことは確かです。パウロは義の栄冠を受けるために走り通しました。では、私たちは、その義の栄冠をいただくことができるのでしょうか?Ⅱテモテ4:7-8「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」ここには、パウロだけではなく、「主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです」と言われています。この意味は、「世の終わりに来られるイエス・キリストを慕い求めているか?」ということです。私たちは神さまから与えられたゴールを最後まで走り通すべきです。同時に、世の終わりに来られるイエス様を慕い求めて生活するということです。でも、イエス様が、私たちが生きているうちに来るか、その後なのか誰も分かりません。私たちは主とお会いするチャンスが2回あります。パウロのように死んでから主とお会いするか、それとも生きているうちに再臨の主とお会いするかのどちらかです。どちらにしても、主に会う備えが必要です。今晩、心臓が止まって主とお会いしても良いように、あるいは、今晩、再臨の主が来られて天に引き上げられても良いように備えましょう。