◆聖書箇所: エレミヤ書33章(聖書引用:新改訳2017)
- 本日の中心聖句
<エレミヤ33:1-3 >
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33:1
エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。
33:2
「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
33:3
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
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エレミヤ書の29章から33章にかけては、エレミヤ書の中心的なメッセージが語られている心臓部分とも言える、とても重要な箇所です。本日の箇所33章は、その総括ともいえる御言葉が記されています。
時代は、ユダ王国最後の王ゼデキヤの治世です。
ゼデキヤ王は、バビロン王ネブカドネツァルによって支配されていた傀儡王(かいらいおう)でした。
ところがゼデキヤは、王になって9年目にバビロンに反逆しました。
強国バビロンに敵うわけもなく、ユダはたちまち不利な状況に陥りました。
エルサレムはネブカドネツァルの軍勢に包囲されてしまい、陥落寸前でした。
この時預言者エレミヤは、ゼデキヤ王によって、王の宮殿にある監視の庭に監禁されていました。
ここは牢獄よりも、安全で自由だったようです。
ゼデキヤ王がエレミヤに一目置いていたことがよく解ります。
ゼデキヤ王は幾度もエレミヤの預言について問いただしましたが、エレミヤは、
「主はこう仰せられる。この町はバビロンの王の手に渡す。」
「ゼデキヤをバビロンに連れて行く」
「カルデヤ人(バビロンから来た民族)には勝てない」
と、厳しい預言を繰り返しました。
そして、前回のエレミヤ31章ではついに、『新しい契約』について預言しました。
エレミヤ31:31-34で語られている。『新しい契約』とは、
Ⅰ.「心の内側に書き記される」
Ⅱ.「個人的に主を知るようになる」
Ⅲ.「罪からの完全な赦しが行われる」
というものでした。
これら3つを成就されておられるのは、イエス様です。
エレミヤ書にイエス様の御名が記されていなくとも、そのことは明らかです。
次の32章では、アナトテにあるエレミヤの叔父さんの畑を買い戻し、捕囚されても、この土地を買い戻したように、あなたがたは再びエルサレムに戻って来れる、ということを象徴的に預言しました。
そして本日の箇所、33章です。
◆理解を超えた計画
①理解を超えた計画とは
3節で、「理解を超えた大いなること」と主が語られています。
これは、口語訳では「隠されていること」と訳されています。
英語のNKJV(ニュー・キング・ジェームズ・バージョン)訳では、「mighty things」。
TEV(トゥディズ・イングリッシュ・バージョン)訳では、「marvelous thing」と訳されています。
この「理解を超えた大いなること」、「marvelous thing」とは、全イスラエルの回復です。
<エレミヤ33:7>
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「わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。」
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と主は言われます。そしてその回復は、ダビデの王国を継ぐ子孫、つまりメシア(救世主)であるイエス様に
よって成就されると語られています。
なぜ主は、主に背いて自分勝手に生きる彼らを回復させ、救おうとなされるのでしょうか。
これは、主の愛と憐みでしかありません。
そして、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデとの契約でもあります。主は契約を守られる御方です。
そして主は、創造主なる御方です。
<エレミヤ33:2>
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「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
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その御方が、<エレミヤ33:3> 『わたしを呼べ。』 と言われています。
主に呼び求める者には、素晴らしいグッドニュースが語られるのです。
しかし主から遠く離れてしまったユダの民たちには、『わたしを呼べ。』 という主の声が聞こえません。
彼らには、バビロニア王国という強大な国に飲み込まれていく、不安と恐怖があるだけです。
明日をどう生きようかという心配があるだけです。
主が、<エレミヤ33:3>
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『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
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と言われているのに、聞こえないし呼べないのです。
ユダ王国のその後の歴史を見ていきましょう。
エレミヤの預言通り、エルサレムは陥落し、バビロン捕囚はありました。
そして、預言通り70年の後に民たちはエルサレムに帰還しました。
第二神殿も建てて、再び繁栄を求めましたが、ダビデやソロモンの時代のようには回復しませんでした。
イスラエルの民たちは、「ユダヤ人」と呼ばれるようになり、預言者もいつの間にかいなくなりました。
その後ユダヤ人たちは、ゲリラ戦で戦いながら、モーセの律法を守ろうとしました。
400年の歳月が流れ、ユダヤ人たちはローマの統治下におかれました。
そして救い主イエス様がお生まれになり、成長され、<マルコ1:15 >『時が満ち、神の国が近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい。』 と言われ、いよいよ十字架への道を歩まれました。
そして、十字架の贖いが完成され、異邦人にも恵みが与えられるようになりました。
しかし未だイエス様の再臨はなく、神の国は完成せず、全イスラエルの回復もまだです。
エレミヤの預言を聞いたユダの民たちからすれば、イエス様がお生まれになるまで約500年。
現代に至っては、2500年以上も先の話です。
ユダの民たちに、「うん。2500年経ったけど、その日はまだだよ!だから待ち望んでいるよ!」
と教えたら、いったいどうなったでしょうか。
おそらく、笑って信じなかったでしょう。
実に気の遠くなる年月、壮大なスケールの話です。
主のご計画への道は、主の時間で刻まれています。
私たちが生きている間に、イエス様の再臨があるかどうかもわかりません。
それでも、信仰が脈々を受け継がれているのは、どういうことでしょうか。
それは、主が唯一まことの神、創造主なる神、約束を守られる神、真実の神だからです。
イエス様は全世界の希望だと、そう確信しているからです。
パウロも言っています。<ローマ10:11-13>
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10:11
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
10:12
ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
10:13
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
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エレミヤを通して、『わたしを呼べ』 と主は言われました。
主に信頼して、主の御名を呼び求めましょう。
そして、イエス様の再臨の日を、期待して待ち望みましょう!
◆理解を超えた計画
②今をどう生きるか
私たちが生きているうちに、イエス様が再臨されて神の国が完成するといいのですが・・・
そればかりはわかりません。
ですから私たちは、『今をどう生きるか』 ということを考える必要があります。
無意識に罪に陥ってしまうこともありますし、生きていれば、辛いことがたくさんあります。
特に、心が折れてしまうような悲惨な出来事、脅威、人間関係のストレスを乗り越えて回復するには、どうすれば良いでしょうか。
よく一般的に言われる回復の方法は、
①時間薬・・・時間が薬となって、いつか傷が癒され回復するという方法。
②投薬治療・・・カウンセリングなどを受けながら、投薬を受けるという方法。
③心理療法・・・物理的、化学的療法ではない心理的な方法。
③の心理療法のひとつに、『レジリエンスの向上』 があります。
『レジリエンス』 とは、苦しい状況になった時の精神的治癒力のことです。
人は、重大なストレスを抱えて調子を崩したとしても、自力で回復していく復元力があるというのです。
レジリエンスは、『困難をしなやかに乗り越え回復する力』 です。
重大なストレスの具体例をあげると、
- 家族をはじめとする人間関係の問題
- 重大な健康問題
- 職場や学校でのストレス
- 経済的なストレス
などがあげられます。
レジリエンスの向上は、最近、企業などでも注目されています。
社員が抱えるストレスを減らし、心身の健康の高め、目標達成力を向上させるために、レジリエンスを高めるようにしているようです。
アメリカ心理学会(APA)では、以下の、『レジリエンスを築く10の方法』 を提唱しています。
1.親戚や友人らと良好な関係を維持する。(ひとりではない。支えてくれる人がいる。)
2.危機やストレスに満ちた出来事でも、それを耐え難い問題として見ないようにする。(無理だと考えない。)
3.変化を生活上の一部分として受け入れる。(そんな時もあると受け入れる。)
4.現実的な目標を立て、それに向かって進む。
5.不利な状況であっても、決断し行動する。
6.自己発見の機会を探す。(何事も勉強なると考える。)
7.自信を深める。(私は大丈夫。)
8.物事の捉え方についての展望を持つこと。
9.希望的な見通しを維持し、良いことを期待し、希望を視覚化する。
10.心と体を大事にし、定期的に運動し、自分に必要なことや自分の気持ちに注意を払う。
(リラックスして楽しめることをする。)
これらの中で、自分に合った方法でレジリエンスを高めていくことが重要であると考えられています。
私は、これらの項目すべてに、『イエス様と共に』 を付け加えることをお勧めします。
なぜなら、イエス様がすべての答えを持っておられるからです。
イエス様の公生涯で起きた様々な出来事は、困難の連続でした、
その困難に対するイエス様の知恵ある御言葉、愛に満ち溢れた行い、力ある御業・・・
実に、困難をしなやかに乗り越え回復されて、その上、周りの人々に恵みをくださっています。
『今をどう生きるか』 ということは、クリスチャンにとっては、『主とどう関わっていくか』 に尽きると思います。
パウロも言っています。<Ⅰコリント1:18>
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十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
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イエス様を救い主として受け入れることは、世の人々から見ると愚かに見えるかもしれません。
しかし、信仰をもつ者にとっては、神の力、生きる力となります。
<へブル13:8>『イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがない』 御方です!
◆理解を超えた計画
③敵を愛するということ
とは言え、イエス様と共にトライ&エラーを繰り返しながら、練られて成長していく過程には、なかなかの苦しみが伴います。『クリスチャンらしさ』 というのは、どういう状態のことを言うのでしょうか。
<ヨハネの手紙第Ⅰ5:3>
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神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。
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神の命令の中でも、最も重要な戒めと言われるのは、イエス様が語られたこの御言葉です。
<マタイ22:37-39>
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『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』
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この二つの戒めは、本当になかなか守れません。
守れないからこそ、主は敢えて信仰者に与えられているとも言えると思います。
私は日々、聖書の御言葉から恵みと励ましをいただいています。
しかし実のところ、聖書の御言葉に苦しめられることもあります。
特に、イエス様が語られたこの御言葉です。
<ルカ6:32-33>
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6:32
自分を愛してくれる者たちを愛したとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。
罪人たちでも、自分を愛してくれる者たちを愛しています。
6:33
自分に良いことをしてくれる者たちに良いことをしたとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。
罪人たちでも同じことをしています。
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そして、ルカ6:35 『しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。』 と言われます。
自分を愛してくれない人、自分に酷い事をする人を、許すどころか、更に『愛しなさい』 と言われます。
『自分の敵を愛する』 ということが、どんなに難しい事かと苦しくなります。
先ほど、<ヨハネの手紙第Ⅰ5:3>で、『神の命令は重荷とはなりません。』 と書かれていました。
しかし私の周りを見ると、そうではない感じがします。
敵を愛することを実行しようとして、心が壊れてしまったクリスチャンをたくさん知っています。
神学校で共に学んで牧師になった友人が、頑張りすぎて鬱になり、ある朝起き上がれなくなって退職してしまいました。そうなった友人は、ひとりやふたりではありません。
神様のために人生を捧げる決意をした人たちが、その働きを取り上げられるのです。
何かが間違っています。主はこのようなことを望まれてはおられないはずです。
しかし、『敵を愛しなさい』 は、イエス様からの命令です。
これは私にとっては、永遠の課題ですが、あるセミナーに参加した時に講師からこう言われました。
「『敵を愛する』 というのは、心というよりも、むしろ行為で示すものです。神の教えに矛盾しているようですが、たとえ心が伴っていなくても、まずは愛のアクションを起こせば良いのです。もちろん、心が伴えばそれに越したことはありませんが。」
私はそれを聞いて、「ああ。主は人間の愛に完璧を求めてはおられないんだな。」と気づき、随分と楽になりました。そして、『クリスチャンらしさ』 とは、『自分の弱さを認める』 ということではないかと思いました。
人は、不完全で弱い。
だからこそ、完全である主の御前では、正直に丸裸になって自分をさらけ出し、ひれ伏すのです。
敵を愛する難しさに苦しんでいる時も、主の大きな愛と御手の中にあることを忘れないようにしたいですね。
<Ⅰヨハネ5:4-5>
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5:4
神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5:5
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
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エレミヤが預言した、「その日」、イエス様の再臨、理解を超えた計画が、いつ来るのかはわかりません。
しかしその日が来ることを信じて、自分の弱さを認め、主に信頼し、世に打ち勝ち、勝利を得ましょう!
主の栄光のために!