2023.4.30「新しい契約 エレミヤ書31:31-34」

◆聖書箇所: エレミヤ書31章(聖書引用:新改訳2017)

 

  • 本日の中心聖句 

 

<エレミヤ31:31-34 >

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31:31

見よ、その時代が来る──主のことば──。

そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。

31:32

その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──主のことば──。

31:33

これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。

わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

31:34

彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。

彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──。

わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

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エレミヤ書の29章から33章にかけては、エレミヤ書の中心的なメッセージが語られている心臓部分とも言える、とても重要な箇所です。

 

前回のエレミヤ30章で、主はユダの民たちだけではなく、預言者エレミヤの時代から100年以上も前に滅びた北イスラエルにも回復を与えると語られていました。

 

そこには 『メシア預言』、つまり、イエス様に関する預言も含まれていましたが、31章ではさらにイエス様の存在が明らかにされます。

 

エレミヤが預言する、『新しい契約』について理解を深め、神の御心を知り、恵みをいただきましょう。

 

◆新しい契約

①新しい契約とは

 

主はエレミヤを通して、イスラエルの家とユダの家が回復するために、『新しい契約』を結ぶと語られます。

『新しい契約』とはヘブライ語で、בְּרִית חֲדָשָׁה(ベリート・ハダーシャー)と言いますが、これは旧約聖書にはエレミヤ書にしか出てこない言葉です。

 

<エレミヤ31:31-32>

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31:31

見よ、その時代が来る──主のことば──。

そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。

31:32

その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──主のことば──。

*************

 

主は、『新しい契約』について、「メシア(救い主)が現れます」とか、「モーセのような仲保者が来ます」といったような具体的なことは語られていません。

 

ただ、『新しい契約』がどのようなものなのかという、「道しるべ」のようなことだけを語られています。

今日の聖書箇所からは、「3つの道しるべ」が読み取れます。

 

まず1つ目。

  • 『新しい契約』とは、「Ⅰ.私たちの心の内側に書き記される」ということです。

 

<エレミヤ31:33 >

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これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。

わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

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つまり、モーセの律法のように代々語り伝えられ、守るようにと外側から命じられるようなものではなく、もっと内側から、心に書き記されるものであるのだと語られます。

 

そして、2つ目。

  • 『新しい契約』とは、「Ⅱ.個人的に主を知るようになる」ということです。

 

<エレミヤ31:34> 前半

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彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。

彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──。

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それまでのように、隣人や兄弟たちから教わって主を知るのではありません。

『新しい契約』では、もっと直接的に、個人的に、主を知るようになるというのです。

しかも、「身分の低い者から高い者まで」知るようになるというのです。

 

そして3つ目。

  • 『新しい契約』は、「罪からの完全な赦し」が行われます。

 

<エレミヤ31:34> 後半

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わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

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主は、「彼らの罪を思い起こさない」、つまり私たちの罪を完全に忘れてくださると言ってくださっています。

このように主が、『新しい契約』で示された3つの道しるべは・・・

 

Ⅰ.「心の内側に書き記される」

Ⅱ.「個人的に主を知るようになる」

Ⅲ.「罪からの完全な赦しが行われる」

 

ということになります。

新約時代にいる私たちは、これら3つを成就されておられるのは、イエス様だということを知っています。

エレミヤ書にイエス様の御名が記されていなくとも、そのことは明らかです。

 

イエス様は、聖霊を通して私たちの心の内に語ってくださり、個人的な関りをもってくださり、十字架の贖いによって、完全な罪の赦しを与えてくださいました。

 

私たちは、『新しい契約』という、恵みの時代を生きています。

その恵みは、異邦人である私たちもイエス様によって接ぎ木されて味わうことができます。

ひとり子であるイエス様を与えてくださった父なる神様に感謝して、『新しい契約』、恵みの時代を共に歩んで行きましょう。

 

◆新しい契約

②スーパーヒーローと願いを共にする

 

聖書は『神と人との契約の書』です。

聖書は、旧い契約の旧約聖書、新しい契約の新約聖書に分けられていますが、旧約聖書の契約は、もう終わってしまった旧い契約だというわけではありません。

 

旧約聖書を土台として、新約聖書がありますので、旧約聖書の契約や預言で未だ成就していないことは、新約聖書の時代にも引き継がれています。

 

『新しい契約』であるイエス様は、救い主としてこの地上に来られましたが、父なる神が強く望んでおられる、イスラエルの家とユダの家が回復するということは、まだ成就していません。

 

31章の初めからずっと、主はイスラエルとユダの回復のヴィジョン(幻)を語っています。

 

<エレミヤ31:12-14>

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31:12

彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、主が与える良きものに、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の子、牛の子に喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

31:13

そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも、ともに楽しむ。

「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。

31:14

祭司のたましいを髄で潤す。わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。──主のことば。」

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主は、散らされたイスラエルとユダの民たちが、シオンの丘、つまりエルサレムに戻って来ると語られます。

そして、彼らの悲しみを喜びに変え、憂いを慰め、楽しませます。

彼らは喜び歌い、踊って楽しみ、恵みに満ち足ります。

これが、父なる神の大きな望みです。

現在世界中に散らされているイスラエルの民が、エルサレムに集結するというのです。

ダビデ王の時代に主を一日中賛美していた時のような、「ダビデの幕屋の回復」を主は望んでおられます。

 

このヴィジョンの実現は、イエス様の願いでもあります。

イエス様が教えてくださった、『主の祈り』の中で、『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。(新改訳2017)』という箇所があります。

 

『主のみこころ』とは何でしょうか。

まず、大きな意味としては、神の国が到来し、イスラエルとユダの家が回復するということです。

そしてその中に、私たちの日々の歩みに関する主のみこころが含まれています。

 

私たちはついつい、後者の日々の歩みに関することで必死になって、主のみこころを求めがちです。

目に前に置かれている山積みの問題、決断を迫られている事柄、そのようなことにばかり目を向けてしまいます。

 

しかしイエス様は前者の、神の国の到来、イスラエルとユダの家が回復することを強く望んでおられます。

それが、『新しい契約』の完全な成就となるからです。

 

とはいえ、私たちは異邦人ですし、ユダヤ人とは日常的な関りがありませんから、散らされたイスラエルとユダの民がエルサレムに集まり回復されるということについては、正直ピンと来ない部分があります。

 

以前イスラエル旅行に行った時に、ユダヤ教色が強くて、イエス様を感じる場所が少ないのに驚きました。

エルサレムには、ゴールデンゲートという門がありますが、今は閉じられています。

ユダヤ人たちは、メシア(救世主)がこの門からやって来て、その時この門は開き、全く新しい門に変わると信じています。

 

それを聞いて、「ああ、やっぱりユダヤ人たちは、イエス様をメシア(救世主)だとは認めていないんだな・・。」と、改めて残念に思いました。

 

しかし、イエス様もユダヤ人としてお生まれになったし、それには父なる神様の深いご計画があるはずです。とにかくイエス様は、死に打ち勝って、私たちに永遠のいのちを与えてくださったスーパーヒーローです。

イエス様が御父と共にユダヤ人の回復を望まれるならば、共に願い、従っていくのが私たちの務めです。

 

ヒーローと言えば思い出すエピソードがあります。

みなさんは、『ONE PIECE (ワンピース)』という、超人気少年漫画をご存知でしょうか。

もうかれこれ25年くらい連載されていて、まだ完結していないという長寿漫画です。

 

その漫画の主人公ルフィーは海賊で、海賊船の船長です。

彼は実に自由奔放で、「海賊王に俺はなる!」という夢を持って、攻撃してくる敵と戦い、仲間たちと冒険していきます。

 

ルフィーは海賊ですが、虐げられている人たちを助けたりして、無意識にヒーロー的なことしています。

しかしルフィーは、「ヒーローは大好きだけど、なるのはイヤだ!!」と言います。

 

その理由は、「例えば肉があるだろ!!海賊は肉で宴(うたげ)をやるけど、ヒーローは肉を人に分け与える奴の事だ!!おれは肉を食いてェ!!」ということだそうです。

ルフィーの活力源は、とにかく肉なんです。

ルフィーは、瀕死の重傷を負っていても、肉を食べるとなぜか復活します。

 

人に肉を分け与えるのは、絶対に嫌だというルフィーには、強力な9人のクルー(乗組員)、仲間がいます。

彼らは各部門のエキスパートで、行き当たりばったりの船長ルフィーを支えていますが、彼らとルフィーには絶対的な信頼関係があります。

 

ルフィーの魅力は、「海賊王に俺はなる!」という明確なゴールがあり、倒されても倒されても不屈の精神で敵に挑み続けること、そして仲間を心底信頼して大切にするところにあります。

 

漫画の世界ではありますが、ルフィーと一緒に冒険している仲間たちを羨ましく思う時もあります。

本人は嫌がっていますが、ルフィーはやっぱりヒーローなんだと思います。

 

9人のクルーたちは、それぞれ自分の人生の目標がありますが、ルフィーを海賊王にするために、命がけで戦っています。

 

彼らは自分自身が海賊王になりたいわけではありません。

ルフィーに惚れ込んで、彼と共にいることを誇りに思っているからついて行くのです。

いつの日か、海賊王になったルフィーの姿を見たいから、ゴール目指して戦っているのです。

 

私たちは、スーパーヒーローであるイエス様と共に船に乗っているクルーだとも言えます。

私たちを友だと言ってくださるイエス様を愛し、贖いに感謝し、誇りに思っているからついて行っています。

私たちは、いつの日か、イエス様がこの地に再び来られる、『再臨の日』を見たいと願っています。

 

その時、本当にどんなことが起こるのでしょうか。

イエス様の姿を見た私たちは、歓喜の声をあげ続けることでしょう。

その聖なる姿に、立っていられないかもしれません。

 

ですから、たとえイスラエルとユダの家が回復することについてピンと来なかったとしても、みこころが成されるように祈りましょう。

 

<1ペテロ1:3 >

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私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。

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私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださった主に感謝し、イエス様に絶対的な信頼をおいて、イエス様の目指すゴールに向かって共に歩みましょう。

 

◆新しい契約

③霊的戦いに勝ち、リバイバルに備える

 

ところがこの地には、神の国の到来を阻止しようとする者たちがいます。

神に敵対する者たちです。

キリスト教の歴史を見てみると、神の業が現れてリバイバルが起こったあとに、必ずと言ってよいほど、サタンが攻撃を仕掛けてきます。

パウロの時代から、そのようなことは繰り返し起こっています。

<エペソ6:12>

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私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

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リバイバルが起こって人が大勢集まると、同時に闇の力が働きます。

権力、支配力、財力を得たリーダーたちは、闇の力にまんまと陥れられ、闇落ちしていきます。

人々は、激しい論争による分裂を起こし、どんどん過激になって、宗教戦争などが起こってきました。

 

聖書の学び会で、最近メガチャーチについて学びましたが、牧師や影響力のある人に対するサタンの誘惑は、教会が大きくなるほど激しく、実に巧妙になっていきます。

 

パワハラ、セクハラ、金銭問題、不動産問題、いつの時代も同じです。

本当に気をつけていないと、その渦に巻き込まれます。

 

総会資料の巻頭言にも書きましたが、アズベリー大学でリバイバルが起こったように、亀有教会にもリバイバルが必ず起こると私は信じています。

 

私たちは、神の国が到来するまでに、何人の人を救いに導けるでしょうか。

サタンの誘惑に負けることなく、兄弟姉妹でキリストの身体となって、それぞれの働きができるでしょうか。

 

<エペソ6:13-18>

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6:13

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

6:14

そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

6:15

足には平和の福音の備えをはきなさい。

6:16

これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。

6:17

救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

6:18

あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

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いつの時も、このみことばを忘れず実行していきたいと願います。

 

エレミヤを通して主が語られた、『新しい契約』であるイエス様に信頼し、イエス様の目指すゴール、「主のみこころが成されるように」と祈りましょう。

 

やがて来るリバイバルの備えをし、神の国の到来を共に待ち望みましょう。