2022.7.31「偽預言者ハナンヤ エレミヤ書26-28章」

前回メッセージを担当した時は、コロナが落ち着いてきて、マスクも屋外なら外していいよーと言ったムードでしたが、今はまた感染爆発で大変なことになっていますね。

誰が感染してもおかしくない状況です。

お互いを気遣いながら、みんなでこの難局を乗り越えていきましょう。

 

本日はエレミヤ28章です。

主のみことばを取り次ぐ預言者が、偽りの預言を語ったという話です。

 

このことから、『嘘、偽り』について人間の本質を交えて考えていきたいと思います。

28章は26章から話が続いています。まず26章を見ていきましょう。

 

◆偽預言者ハナンヤ

①預言者は命がけ

 

まず26章では、ヨシヤ王が死んで、息子エホヤキムが王となっていた時代に、預言者エレミヤが殺されそうになった出来事が記されています。

 

エレミヤは主に言われた通り、エルサレムにある主の宮の庭に立って、宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に滅びの預言をしました。

 

「この宮がシロのようになる」・・シロはエルサレムの前に神の箱が置いてあった宮の場所です。

「この町エルサレムは廃墟となる」

 

主は、バビロン王ネブカドネツァルを通して、ユダの民を70年間バビロンに捕囚させることを決められました。

 

エレミヤが滅びの預言を語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて、「あなたは必ず死ななければならない。」「この者は死刑に当たる。」と言いました。

 

しかしエレミヤはひるむことなく、「私を殺すなら、あなたがたは罪のない者の血の報いを受ける」と力強く語りました。

 

すると集まっていたユダの首長たちと民全体は恐れて、祭司や預言者たちに、「この人は死刑に当たらない。彼は私たちの神、主の名によって、私たちに語ったのだから。」と言いました。

 

その時、幾人かの長老が立ち上がり、この時代から100年ほど前のヒゼキヤ王の時代の話をしました。

 

ユダの王ヒゼキヤとは、ユダ王国を繫栄させた偉大な王のひとりでした。

しかし彼は、主の怒りにふれる罪を犯しました。

 

その時預言者ミカは、「エルサレムは廃墟となる。(ミカ3:12)」と、主の怒りとさばきのことばを語りました。

それを聞いたヒゼキヤ王もユダの民も、主を恐れて主に願ったので、主はわざわいを思い直されました。

彼らは預言者ミカを殺すようなことはしませんでした。

 

エレミヤの預言を聞いた長老たちは、そのことを想い起こして語り、エレミヤをかばいました。

 

ここにはふたつのグループの構図があります。

ひとつは、①祭司・エレミヤに敵対する預言者たちのグループ。

もう一つは、②町の首長・長老・民たちのグループです。

 

エレミヤに対して完全に敵意をもっていたのは、①祭司・預言者たちのグループでした。

彼らは主の宮に関わることで利益を得ていたので、エレミヤの預言の通りになると不都合だったからです。

 

一方、②町の首長・長老・民たちのグループは、宮との利害関係がないので、多少客観的に物事を見ることが出来ました。

 

26章にはエレミヤ、ミカの他にも、ウリヤという預言者が出てきます。

この人もエレミヤと同じく、主の名によって、エレミヤのことばと全く同じように預言していました。

 

この預言者ウリヤもエレミヤのように殺されそうになったので、エジプトに逃げました。

しかしエホヤキム王によって捕らえられ、ユダに連れ戻されて処刑されました。

 

エレミヤにも危機が迫りましたが、シャファンの子のアヒカムと言う人がエレミヤをかばって助けました。

アヒカムの父シャファンは、ヨシヤ王が律法の書を発見した時の書記官でした。

 

アヒカムの息子ゲダルヤも、エレミヤを守りましたが、後に殺されています。(エレミヤ40-41章)

彼らは、エレミヤの預言が正しいことを確信していました。

 

このように、主の名によって語る預言者は、常に命がけでした。

そして、その預言者を守ろうとする正しい者たちも、命がけでした。

 

エレミヤは、この後のエルサレム陥落前に無理やりエジプトに連れて行かれたようですが、おそらくそのままエジプトで最期を迎えたと思われます。

 

あんまりハッピーな感じはしませんが、主からの使命を忠実に全うした人々は、御国では、きっと大いに祝福を受けていると信じます。

 

旧約聖書にも新約聖書にも、迫害を受けて苦難の人生を歩み、殉教している人がたくさん出てきます。

 

彼らは聖書を通して、現代の私たちに、主がどのような御方であるかを伝えてくれています。

そして、彼らが忠実に主に仕える姿は、私たちに多くの励ましと勇気を与え、信仰を強めてくれています。

 

このような、エレミヤたちの命がけの預言に対して、正反対の預言をした人がハナンヤでした。

 

 

◆偽預言者ハナンヤ

②偽預言者の罪は重い

 

27章では、ユダ王国最後の王、ゼデキヤの時代になり、いよいよユダ王国が滅びる時が迫っていました。

主はエレミヤに、「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ。」と語られました。

エレミヤは主から言われた通りの姿で、預言活動を行いました。

 

この縄とかせを首に付ける行為は、主のことばを象徴するパフォーマンス的な行いです。

エレミヤの首に付けられた縄とかせは、バビロン王ネブカドネツァルに首を差し出せというメッセージです。

 

そして、周辺のエドム、モアブ、アンモン、ツロ、シドンの王にもバビロンに従うようにと伝言を送りました。

しかし、従う者はいませんでした。

 

そこで、28章、偽預言者ハナンヤが出てきて、王や民たちの耳に心地良い預言を語りました。

 

「ハナンヤ」は、以前の新改訳だと「ハナヌヤ」と表記されていましたので、なじみが薄い呼び方ですが・・

「ハナンヤ」はエレミヤと同じベニヤミン族出身です。

 

ハナンヤは、預言者の本来の役割、「神のことばを民に伝える」という使命を果たしませんでした。

 

ハナンヤは、「主は、2年のうちにバビロン王のくびきを打ち砕く」という偽りの預言で、王や民たちを安心させました。

 

それに対してエレミヤは、「アーメン。そのとおりに主がしてくださるように。」と言いました。

 

そして、「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、本当に主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」と言いました。

 

ハナンヤは反論してこう言いました。

 

<エレミヤ28:10-11>を読みましょう。

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28:10

しかし預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。

28:11

そしてハナンヤは、民全体の前でこう言った。「【主】はこう言われる。このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカドネツァルのくびきを、すべての国々の首から砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。

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ハナンヤは、「エレミヤの首のかせを取って砕く」という、視覚的に象徴するパフォーマンスを行いましたが、主はこう言われました。

 

「あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。」(エレミヤ28:13)

 

そして主は、ハナンヤにさばきを下しました。

 

<エレミヤ28:15-17>

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28:15

そこで預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤ、聞きなさい。【主】はあなたを遣わされていない。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。

28:16

それゆえ、【主】はこう言われる。見よ、わたしはあなたを地の面(おもて)から追い出す。

今年、あなたは死ぬ。【主】への反逆をそそのかしたからだ。」

28:17

預言者ハナンヤは、その年の第七の月に死んだ。

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ハナンヤは、エレミヤと話した2か月後に死にました。

 

ハナンヤが、なぜこのような預言をしたのかはわかりません。

 

自分もウリヤのように殺されてしまうと恐れたのか、自分の利得を得るためだったのか、いずれにしても、主のみことばを軽く見たことは、とても罪が重いです。

 

主は、主のご計画を妨げる者に対して厳しく取り扱われます。

主のみことばをねじ曲げて伝える預言者を、主がどれほど忌み嫌われるかが解ります。

 

主は、このハナンヤのような偽預言者たちや、ユダの民たちの偽りに、いつも嘆いておられました。

 

<エレミヤ 5:31、6:13>

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5:31

預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。

結局、あなたがたはどうするつもりなのか。

 

6:13

なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。

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主が最も嫌われるのは、自分の利得のために偽りを行うことです。

 

モーセの十戒にも、『あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。』(出エジ 20:16)

と書いてあります。

 

さばきの場で偽りの証言をするということは、愛すべき隣人に対する裏切りです。

その裏切りの理由が、自分の利得のためであったとしたら、神の命令に完全に背いていることになります。

 

<申命記 32:4>

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主は岩。主のみわざは完全。まことに主の道はみな正しい。

主は真実な神で偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。

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と書かれているように、主は真実な神で偽りがありません。

 

全てをご存知である主は、人間の「嘘、偽り」を簡単に見抜かれます。

主は、主の御前で平気で嘘をつき、偽る者をもっとも嫌われます。

このことは、私たち自身の問題でもあります。

私たちもたくさん嘘をつき、偽りを行っています。

 

ここで、嘘と偽りについて、人間の本質を交えて考えてみましょう。

 

 

◆偽預言者ハナンヤ

③事実を受け入れ真理の道を歩む

 

嘘と偽りの世界への入口は、まず事実、現実を受け入れることができない所から始まります。

これは、自分が思い描いていた状況とは全く違った、かけ離れた事実、現実からの逃避です。

 

嘘の種類について見てみましょう。

 

① 利得のために確信犯的につく嘘

(ビジネスや競争社会では、真っ正直では成功できないのかもしれませんが・・)

 

② 相手を喜ばせるためにつく嘘

(お世辞。そうでなくても、逆に相手を傷つけてしまったり、トラブルになることもありますよね!)

 

③ 全く無意識につく嘘

(息をするように嘘をつく人、いますよね!)

 

小学校の道徳の授業で、「ついてもいい嘘はあるのでしょうか」という議題で話し合うことがあるそうです。

それくらい、人間にとって「嘘をつくこと」は身近なものであり、答えのないテーマです。

 

詩人の谷川俊太郎の、『うそ』という少年少女向けの詩がありますので抜粋してご紹介します。

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ぼくはきっとうそをつくだろう
おかあさんはうそをつくなというけど
おかあさんもうそをついたことがあって
うそはくるしいとしっているから
そういうんだとおもう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとのことがある

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深いですね・・

人間は本来嘘つきな生き物だと言えます。

そのような嘘つきな性質は、アダムとエバの罪から来る結果です。

 

エバは、サタンである蛇にそそのかされて、神から食べてはならないと言われていた、『善悪の知識の木の実』を取って食べてしまいました。

エバはアダムにもそれを食べるようにすすめ、アダムも食べました。

 

それからふたりは主の御顔を避けるようになりました。

食べてはならないと言われていた木の実を食べたことについて、お互いに責任転嫁をして、ついにエデンの園から追い出されてしまいました。

Original sin(オリジナルシン)と言われる、『原罪』、罪のはじまりです。

人間は、神から遠く離れてしまいました。

 

だから人間は平気で嘘をつき、偽りを行います。

もし、この世界が、神と自分だけだったとしても、人は嘘をつく本質を持っているということです。

神に嘘をついても無駄であることが解っていてもです。

 

ですから、この世は悪意に満ちた嘘と偽りで塗り固められています。

 

それを前提として考えるなら、せめて、人を傷つけるような嘘はつかないようにしたい、自分の利得のための嘘はつかないようにしたいと願います。

 

すごく下世話な話で申し訳ないのですが・・・

私が10代の頃、大阪にいた時に、なんでも思ったことをズバズバ言う女の子がいました。

まよちゃんと言う名の、ものすごく可愛い子でしたが、女の子たちには嫌われていました。

まよちゃんが可愛いから妬まれていたのと、本当のことをズバズバ言う強気な性格だったからです。

 

ある時、まよちゃんを一番敵対視して、日頃から陰口を言っていた女の子が楽しそうにしゃべっていました。

しゃべっている女の子の鼻には、なんと、大きな鼻クソがついていました。

 

そこには女子ばかり10人くらいいて、誰もが気づかないふりをしながら、目くばせしたりして、黙っておくべきか、言ってあげるべきか、意地悪な気持ちと、心配する気持ちとが入り混じる、妙な空間となっていました。

 

その時、嫌われ者のまよちゃんは、スタスタと彼女に近づいて行って、

「あんた、鼻クソついてんで!」っと、小さな声でそっと教えてあげていました。

 

あまりにも自然に教えていたので、ほんとうに何事もなく、その場は落ち着きました。

私は、このことですごーく、まよちゃんのことを見直し、そして、自分自身深く反省しました。

まよちゃんは、黙っていれば、自分を嫌っている子が笑い者になって、いい気味だったろうに、大人でした。

まよちゃんには、他者を思う深い愛があり、黙っていた私たちには、愛がありませんでした。

 

もし、ついても良い嘘があるとしたら、他者への愛とか思いやりとかから来る嘘だけではないかと思います。

しかしその愛とか思いやりも、自分本位にならないように気をつけなければなりません。

嘘が逆効果になる危険性があるからです。

 

もちろん、神に背いたり、人を陥れたり、自分の利得のための嘘、偽りは言語道断です。

人間の歪んだ性質は本来直らないので、いつも主に祈って正しく導いていただく必要があります。

 

キリスト者の目指すところは、主を愛し、主に仕え、隣人を愛する、『幸いな人』になることです。

 

<詩篇 40:4 >

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幸いなことよ【主】に信頼を置き高ぶる者や偽りに傾く者たちの方を向かない人。

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このみことばのように、いつでも主に信頼を置きましょう。

そして、高ぶる者や、嘘や偽りに傾く者とは距離を置きましょう。

偽預言者ハナンヤの道を歩まず、日々主と共に真理の道を歩む、幸いな人となりましょう。