先日、マスクの着用基準が緩められましたね。
屋外では、会話をしない場合はマスク不要。
屋内でも、2メートル以上の距離があり、会話をほとんど行わなければマスクの着用は不要ということですが、この礼拝堂では流石に2メートルの距離は取れないので、やっぱりマスクは必要ですね。
まだまだコロナ禍で油断はできませんが、暑くなって来たので、熱中症にも気をつけるようにしましょう!
さて、本日はエレミヤ書24章です。
エレミヤ24章は、バビロンのネブカドネツァル王に降伏して、バビロンに捕囚されたエホヤキン王から、南ユダ王国最後の王となる、ゼデキヤ王にかけての時代の預言です。
◆良いいちじくとなる
①良いいちじくとは?
<エレミヤ24:1-2>を読みましょう。
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24:1
バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶(かじ)をエルサレムから捕らえ移してバビロンに連れて行った後のこと、【主】は私にこのように示された。
見よ、【主】の神殿の前に、二かごのいちじくが置かれていた。
24:2
一つのかごにあるのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごにあるのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものであった。
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ここで主はエレミヤに「良いいちじく」と「悪いいちじく」のたとえを語られました。
<エレミヤ24:4-5>を読みましょう。
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24:4
すると、私に次のような【主】のことばがあった。
24:5
「イスラエルの神、【主】はこう言う。わたしは、この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。
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神に背いたユダの民たちは、いよいよ滅亡に向かっています。
この時、南ユダの周辺諸国は、このような状態でした。
- エジプトまで制圧する勢いだったアッシリア帝国が、新バビロニア王国(別名カルデア)によって滅ぼされ
ました。
- エジプトも勢力を失い、自国に引き下がっていました。
つまり、この時もっとも勢いがあったのは、新バビロニア王国でした。
主は、南ユダの民たちに、このバビロンに捕囚となるようにと語られました。
そして、「この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。」と語られました。
18歳で王となったエホヤキン王は、3か月だけ南ユダ王国を統治しましたが、バビロン王のネブカドネツァルに包囲され、降伏し、母親や家臣とともに捕虜となりました。
そしてバビロンに連れて行かれました。
B.C.597年。これが最初の捕囚、第1回バビロン捕囚です。
彼らはこのバビロン捕囚が主のご計画であることなど、全く気づかずに、バビロンへの道のりを重い足取りで歩んだことでしょう。
続けて主は語られました。
<エレミヤ24:6>
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わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。
彼らをこの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。
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ネブカドネツァルはこの時、バビロンのために役に立つと思われる人々を選んで移住させました。
一説には、有能な家臣たち1万人ほどだったと言われています。
バビロンやペルシャの王に重用された預言者ダニエルも、この時捕囚されました。
「捕囚」と言うと捕らわれた囚人「捕虜」というイメージがありますが、捕虜になったのはエホヤキン王だけで、その他の民たちは、「強制的に移住させられた」と言った方が正しいかもしれません。
主が、「わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。」と語られた通り、彼らはバビロンでは比較的自由が許されました。
自分たちの集落があり、長老を中心に、自治的な生活を営み、何らかの益をもたらす活躍をしながら、自分たちの唯一の神への信仰を持ち続けることが許されていました。
血筋を重んじるユダの民たちは、カルデヤ人と無理やり結婚させられることもなく、ユダヤ人の血を守ることもできました。
やがて、商業などで豊かな富を蓄える者も現れて来ました。
捕虜となったエホヤキン王も、37年後に釈放され、バビロンで他の王たちよりも高い位を受けて、一生生活費を支給されました。第Ⅱ列王記の最後に書かれています。
そして、バビロンがペルシャによって滅ぼされた時、エレミヤの預言通り、ユダの民たちはエルサレムに帰ってくることができました。
主が、 「彼らをこの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。」と、語られた通りです。
主のみことばに従って捕囚を受け入れた民は、神の壮大なご計画のうちに入れられ、祝福されました。
そして、<エレミヤ24:7>、ここはとても大切な箇所です。
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わたしは、わたしが【主】であることを知る心を彼らに与える。
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。
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*わたしが主であることを知る心
*心のすべてをもってわたしに立ち返る
ここでは、「心」という言葉が2度出てきます。
「心」は、ヘブライ語で「לֵב(レブ)」と言います。
しかしこの人間の「לֵב(レブ)」は、厄介で、ねじ曲がっています。
エレミヤ17:9に、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。」と書かれている通り、ねじ曲がった人の心「לֵב(レブ)」は自分の力では変えることはできません。
主によってしか変われないのです。
心がねじ曲がってしまい、真の主が判らなくなっているユダの民の心「לֵב(レブ)」を、主は全く新しくつくり変えてくださり、主に立ち返らせてくださるのです。
「新しい心」で主に立ち返った民たちには、後に「新しい契約」であるイエス様が与えられることが約束されています。
<エレミヤ31:31>にはこう書かれています。
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見よ、その時代が来る──【主】のことば──。
そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。
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バビロン捕囚により、「良いいちじく」とされたユダの民は、新しい契約も同時に与えられました。
では、「悪いいちじく」とは、なんでしょうか。
◆良いいちじくとなる
②悪いいちじくとは?
<エレミヤ24:8>を読みましょう。
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しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように──まことに【主】は言われる──わたしはユダの王ゼデキヤと、その高官たち、エルサレムの残りの者と、この地に残されている者、およびエジプトの地に住んでいる者を、このようにする。
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エホヤキンのあとに、ネブカドネツァルに命じられてユダの王となったゼデキヤ王は、11年間ユダを統治しました。
ゼデキヤは、最初はバビロン王のネブカドネツァルに従っていましたが、やがて反旗を翻しました。
しかしあっけなく敗北し、息子や家臣たちはバビロン王によって虐殺されました。
ゼデキヤ王は目をえぐり取られ、青銅の足かせにつながれバビロンに連れて行かれました。
彼は死ぬまでバビロンの獄屋に入れられました。(エレミヤ52:10-11)
B.C586年エルサレムは陥落し、エルサレム神殿は破壊され、南ユダ王国はついに滅亡しました。
そして、第2回目のバビロン捕囚が始まりました。
この時ユダの民たちには、3つのグループがありました。
①バビロンに行き、捕囚の民となったグループ
②バビロン王が任命した総督ゲダルヤのもとで、エルサレムに残った(または残された)グループ
③バビロン王が任命した総督ゲダルヤを暗殺したので、報復を恐れてエジプトに逃げたグループ
この②と③の民が、「悪いいちじく」だと主は言われます。
彼らは、神のみことばに背いたので、滅びの道へと進みました。
<エレミヤ24:9-10>を読みましょう。
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24:9
わたしは彼らを、地のすべての王国にとって、おののきのもと、悪しきものとする。また、わたしが追い散らす、すべての場所で、そしりと嘲(あざけ)りの的、物笑いの種、ののしりの的とする。
24:10
わたしは彼らのうちに、剣と飢饉と疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」
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先ほどの3つのグループを人間的な目で見ると、そのままエルサレムに残った民の方が、「神殿があったエルサレムを死守している!」と、むしろ忠実な感じがします。
また、総督ゲダルヤを殺してしまってエジプトに逃げた民にしても、カルデヤ人から国を守ろうとしたのですから、これもある意味、忠実な感じがします。
捕囚となった民は、神に背いた罪により、捕囚という処罰を受けているように思えます。
逆に、捕囚にならなかった民は、特別に罰を免れたような感じがします。
しかし、それは全く逆でした。
神の壮大なご計画は、民たちの常識を超えて、思いもよらない方法で進められました。
- バビロンのネブカドネツァル王を使って・・・
敵の陣地に民を送り、そこでユダの民を守りながら繫栄させ、神に選ばれた民という認識を取り戻させる。
- ペルシャのクロス王を使って・・・
エルサレムに帰還させ、神殿を再建させる。
敵国の王を使って、ユダの民に回復を与えるという・・・なんと斬新な方法でしょうか!
主はずっと預言者エレミヤを通してこのことを語っておられましたが、民たちは実際自分の身に起こるまで、エレミヤの預言を信じようとしませんでした。
私たちはどうでしょうか。
ユダの民たちのように、主のご計画を知らずに、いえ、知ろうとせずに過ごしてはいないでしょうか。
<箴言19:21>
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人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。
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箴言のみことばの通り、人の心「לֵב(レブ)」には、多くの人間的な思いがあります。
しかし、そのほとんどが自分勝手なシナリオです。
エレミヤの預言を聞かず、都合よく神のご計画を捻じ曲げた民のように、私たちの心にある多くの思いが邪魔をして、主のご計画が解らなくなっています。
主のご計画はどこにあるのでしょうか。
新しい心が与えられるように、良いいちじくとなれるようにと祈っていきましょう。
◆良いいちじくとなる
③主のご計画を知るとは?
さて、もし私たちがユダの民たちのような選択を迫られたらどうするでしょうか。
エレミヤのような預言者が現れて、「これこそ神の預言者だ!」と信じて従っていたら、実はにせ預言者で、まんまと騙されるということもありえます。
しかし、戸惑うことはありません。
確実に言えることは、『聖書のみことばは必ず実現する』ということです。これにつきます。
世の中の動きや流れが複雑になればなるほど、神のみことばのシンプルさが際立ってきます。
闇の中に光があります。その光は、その希望は、けっして消え去ることはありません。
まずは静まって、すべての思い煩いを主に委ねましょう。
今、私たちの周りには、たくさんの情報があふれていますが、少しの間シャットダウンして、主と交わる時間を持ちましょう。
スウェーデン系のアメリカ人で、北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションの創設者であるフレデリック・フランソン(Fredrik Franson)1852年6月17日-1908年8月2日をご存じでしょうか。
スウェーデンで生まれたフランソンは、5歳の時に父を亡くしましたが、信仰熱心な母によって愛情深く育てられました。
彼は外国語に秀でており、海外に強い関心がありました。
16歳の時、開拓移民として一家でアメリカに渡りました。
昼は兄たちと鍬を持って開墾し、夜は聖書を開き、祈りの時を持つ生活でした。
20歳のころ、突然主からの迫りがあり、回心して福音宣教に人生を捧げる決意をしました。
シカゴで、あの有名なドワイト・ワイマン・ムーディー(アメリカ第三次大覚醒)に出会い、ムーディーのリバイバル運動に熱心に参加しました。
29歳の時に按手を受け、自分の生まれ故郷であるスウェーデンに向かいました。
そこで、スカンディナヴィア(スゥェーデン、ノルウェー、デンマーク)三国の伝道を行いました。
さらに他の国への海外宣教の思いも与えられ、中国、インド、小アジア、アフリカ、スペインへと宣教師を送り、自らも飛び回りました。フランソンは、いつも穏やかな笑顔で、伝道の喜びに満ち溢れていました。
明治時代、日本にも宣教師を送り、フランソン自身も日本に何度か来ています。
現在日本にある、『同盟基督教団』は、フランソンが送った宣教師の伝道によって生まれました。
苫小牧福音教会の水草修治(みずくさ しゅうじ)牧師のブログに、「フランソン先生の想い出」というコラムが書かれていましたのでご紹介します。
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- フランソン先生の想い出
私の記憶によれば、彼は日本に何度か訪れていますが、そのたび定宿にしていたのが、ある仕立屋家でした。その主人が、フランソン先生のお洋服がすりきれているので、服を新しくしましょうと何度提案しても、フランソン先生はまったく無頓着です。
そこで、主人は夜中に寸法を測って、次回泊まりに来られた時、夜中に新しいのに取り換えておいたそうです。
でも翌朝、フランソン先生は服が入れ替わっていることにまるで気づかないまま朝の食卓に着きました。
そこで、主人は「フランソン先生、あのお洋服が・・・」と言われて、フランソンは初めて自分の着ている服を
まじまじと見ました。そして、こう言ったそうです。
「おお、主が新しくしてくださった!」
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なんて純粋でシンプルな信仰なのでしょうか!
このフランソン先生の信仰の秘訣は『4つのC』だといいます。
Constant Conscious Communion with Christ
(キリストとの絶え間ない意識的な交わり)
私たちは、いつでも、絶え間なく、イエス様との交わりを持っていたいですね。
無意識にではなく、意識的に、いつも主との交わりを持つこと、つまり、いつも目を覚ましていることです。
マタイやマルコ、ルカの終末預言にも書かれています。
<ルカ21:36>
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しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈っていなさい。
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いつも目を覚ましていることによって、ユダの民たちのような選択を迫られたとしても、道を誤ることはないはずです。
今の世界情勢をみると、終末が近づいてきているように感じます。
フランソン先生の信仰の秘訣、『4つのC』、「いつもイエス様と意識的に交わりをもつ」という、シンプルですがとても大切なことを、日々守って実践していきましょう!