エレミヤが預言者として活動したのは、北イスラエル王国がB.C.722年に滅びた約100年後から、南ユダ王国が滅びるまでの時代です。エレミヤは40年間預言者として活動しました。
その間5人の王(ヨシヤ、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤ)に仕えました。
エレミヤ書は52章までありますが、年代順には記されていませんので、整理しながら読む必要があります。
主題によって分けた場合、11章-13章は、「契約に基づいての訴え」について書かれていますが、11章と12章はヨシヤ王の時代で、13章は時代が飛んでエホヤキム王の時代だと考えられます。
そういう訳で、本日はエレミヤが仕えた最初の王、ヨシヤ王時代の出来事が記されている、11章と12章を見ていきます。
エレミヤの更なる苦難を見て、主はどのような御方であるかを知り、ユダの民たちの愚かさを見て、現代の私たちの状況と照らし合わせ、「主に信頼する」ということについて考えていきましょう。
◆更なる苦難
①エレミヤ暗殺計画
ヨシヤ王時代のユダの民たちは、その前のマナセ王から続くバアルの神への偶像崇拝を続けていました。ヨシヤ王は宗教改革を行い、ユダの各地に造られていた偶像の祭壇をことごとく打ち砕きました。
宮からモーセの律法の書が発見されてからは、神とアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を再確認し、その律法に従うようにと、さらに宗教改革を進めました。
エレミヤも預言者として、ユダの民たちに厳しく主の御言葉を伝えました。
11章の冒頭で主はエレミヤにこう語られました。
<エレミヤ11:1-3>
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11:1
主からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。
11:2
「この契約のことばを聞け。これをユダの人とエルサレムの住民に語れ。
11:3
『イスラエルの神、主はこう言われる。この契約のことばを聞かない者は、のろわれる。
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「契約のことば」の「契約」とは、神とイスラエルの民との「契約」であり、アブラハム、ヤコブ、イサクなどの父祖との契約に始まり、モーセやダビデとの契約なども含まれます。
「契約のことばを聞け」とは、イスラエルの民が神の声に聞き従うなら契約関係が成立するという意味です。
ここでは、「約束の地カナン(エルサレムを中心とした地域一帯)」を与えるという契約を意味します。
しかしユダの民たちは、主のことばを聞くことを拒み、先祖の咎に戻り、他の神々を崇拝し続けました。
そこで主は憤られ、「約束の地を取り上げる」というわざわいを下すことをエレミヤに語られました。
エレミヤは主とユダの民たちとの間で苦しみました。
そしてさらに追い打ちをかけるように、主から恐ろしいことを聞きました。
エレミヤの出身地である「アナトテ」の人々がエレミヤを暗殺しようと企んでいるというのです。
<エレミヤ11:21>には、このように書かれています。
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それゆえ、主はアナトテの人々について、こう言われる。「彼らはあなたのいのちを狙い、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と言っている。
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なぜ、エレミヤの故郷であるアナトテの人々はエレミヤを殺そうとしたのでしょうか。
聖書に詳しい記述はありませんが、おそらくエレミヤの預言者活動が、彼らにとって不都合だったからだと考えられます。
ヨシヤ王の宗教改革によって、地方の聖所は廃止されてしまい、聖所はエルサレム神殿のみになりました。
アナトテは祭司の町でしたので、祭司たちはこれによって不利益をこうむりました。
宮からモーセの律法の書が発見されてからはますます締め付けが激しくなり、エレミヤはそれに賛成していたことから、故郷の祭司一族には裏切り者のように思われたのではないでしょうか。
アナトテの人々はエレミヤに対して、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と逆恨みし、暗殺を企んでいました。
同胞からの裏切りを知らされたエレミヤが受けたショックは、どんなに大きかったことでしょうか。
そこで主はアナトテの人々に対して、このようなさばきを下すと言われました。
<エレミヤ11:22-23>
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11:22
それゆえ──万軍の主はこう言われる──見よ、わたしは彼らを罰する。若い男は剣で死に、彼らの息子、娘は飢えで死に、
11:23
彼らには残る者がいなくなる。わたしがアナトテの人々にわざわいを下し、刑罰の年をもたらすからだ。」
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若い男たちは剣で死に・・・つまり戦争によって死ぬということですね。
「刑罰の年をもたらす」という言葉通り、アナトテの人々は後にバビロンに連れて行かれたと思われます。
エズラ記の2:23には、捕囚から帰還してきた民の中に、「アナトテの人々128人」と書かれています。
エレミヤは、それでも気持ちが収まらず、主に訴えました。本日の聖書の箇所です。
<エレミヤ12:1>
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「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。
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エレミヤの、「なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。」との切なる訴えに、私たちも、「そうだそうだー!」っと、同調したくなりますね。
詩篇73篇でも、賛美を司っていたアサフが、『私は足がつまずきそうで私の歩みは滑りかけた。それは私が悪しき者が栄えるのを見て誇り高ぶる者をねたんだからだ』と歌っています。
エレミヤは、『私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。』と、主の正しさを十分知っていたうえで、不条理な状況への説明を求めました。
しかし主は驚くことに、更なる苦難があると語られました。
◆更なる苦難
②愚かなユダの民へのさばき
<エレミヤ12:5-6>
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12:5
「あなたは徒歩の者と競走して疲れるのに、どうして馬と走り競うことができるだろうか。平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせるだろうか。
12:6
あなたの兄弟や、父の家の者さえ、彼らさえ、あなたを裏切り、彼らでさえ、あなたのうしろから大声で叫ぶ。だから彼らがあなたに親切そうに語りかけても、彼らを信じてはならない。
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主は、「今は、まだ歩いている人と競争しているに過ぎないのに、あなたはもう疲れている。そんなことで、馬と競争することができるのか」と問われました。 (エレミヤの心の声)「え?!どういう意味?」
今の苦難はまだまだ序の口で、「平穏な地でしか安心して過ごせないようでは、どうやってヨルダンの密林で暮らすことができるのか」と問い返されました。 (エレミヤの心の声)「ショックです!」
そして、親兄弟や親族の者でさえエレミヤを裏切るので、「信じるな」と命じられました。 「悲しいです!」
ユダの民たちは、主が祖先と交わされた契約により、自分たちは選ばれた民であるということを知っていましたので、自分たちは特別であると驕り高ぶっていました。
約束の地であるエルサレムが陥落することはないし、子孫は世々限りなく繫栄すると信じ切っていました。
しかし主は<エレミヤ12:7>で、
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わたしは、わたしの家を捨て、わたしのゆずりの地を見放し、わたしが心から愛するものを、敵の手中に渡した。
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と語られ、神はついに約束の地を見放し、「愛するもの」、つまりユダの民たちを敵の手中に渡すという罰を与え、リセットなさることを宣言されました。
南ユダの民たちの中には、エレミヤが正しいことを言っていることを解っていた人もいたでしょう。
しかし目先の利益などの誘惑や外的圧力に負けてしまいました。
自分を正当化して誤魔化しているうちに善悪の判断ができなくなる、負のスパイラル(螺旋)に陥りました。
主の教えに逆らった結果は、滅びでした。
ユダの民たちの愚かさは人間の罪から来る弱さ、愚かさです。
この弱さ、愚かさは現代の私たちにも綿々と引き継がれています。
油断すると不都合な真実には蓋をしてしまい、負のスパイラルに陥ってしまうという危険性があります。
今はネット社会なので、いろんな落とし穴があります。
情報が錯綜していて、何が真実なのかわからなくなります。
気をつけていないと、情報操作されて、じわじわと洗脳されていく怖さがあります。
闇サイトといわれるサイトがあったり、知らなくてもいいことが、勝手に目や耳に飛び込んで来たりします。
そうかと言って、すべてをシャットアウトしてしまうと浦島太郎状態になって取り残されてしまいますし、周りに迷惑をかける場合もあります。
私には妹が2人いますが、下の妹は頑なに携帯を持たない主義を貫き通すので、ちょっと困っています。
また、ネット社会の怖さは、誹謗中傷です。
勇気をもって問題提起した人が、見えない相手から集中攻撃を受けて誹謗中傷され、精神的苦痛から心を病んでしまうという恐ろしい時代です。
日頃おとなしい人でも、ネットの書き込みでは別人になってしまう人もいます。
手紙や電話でやり取りしていた時代とは違って情報が拡散されるスピードが速いので、事実無根のうわさ話でも、まるで真実であるかのようにされてしまうので油断できません。
南ユダの民たちも、エジプトやバビロンなど周辺諸国からの情報が錯綜していたと考えられます。
偽の情報を流して惑わし、国を混乱させるといった戦術も当然あったでしょう。
そう考えると、流れる時間のスピードは違っていても、現代も似たような状況だと言えます。
また、エレミヤの時代は、個人よりも家とか部族が優先されたので、エレミヤのような反乱分子が出てくると、一斉に攻撃されて排除されます。これも執拗に個人攻撃をするネット社会と共通する罪深さです。
ユダの民たちも、現代の私たちも、多くの誘惑や圧力に遮られて「主の契約のことば」が聞こえない状態に陥っています。
エレミヤは故郷の人々、親兄弟を始め、信じる人が誰もいなくなり絶望しそうになったことでしょう。
悪が蔓延り栄えていく矛盾に対する問いかけにも、主の答えはエレミヤの理解を超えたものでした。
それでも彼は、主のこの御言葉を心の支えに活動を続けました。
<エレミヤ1:18-19>
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1:18
見よ。わたしは今日、あなたを全地に対して、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、民衆に対して要塞の町、鉄の柱、青銅の城壁とする。
1:19
彼らはあなたと戦っても、あなたに勝てない。わたしがあなたとともにいて、──主のことば──あなたを救い出すからだ。」
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「わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出す」
この主からの御言葉は、エレミヤが召命を受けた時に主から約束された言葉です。
私たちも、人生の歩みの中で、絶望しそうな苦難に見舞われる時が幾度もあります。
また、神の義に反するような悪が繫栄する状況に置かれる時もあります。
そのような時こそ、静まって主に祈り、ともにいて救ってくださる主の導きに従いましょう。
心を静めて主に祈っているうちに、不思議と、どんな状況の時でも心が平安になります。
悲しみの中にいても、祈りの中で聖霊なる神が働いてくださり、主の臨在に満ち溢れ、ありえないほどの感謝と喜びが沸き上がってきます。
主に信頼することができる人生は幸いです。
エレミヤのように耐え忍びつつ、必要があれば勇気を出して声をあげ、主の栄光を現わしていきましょう。
◆祝福の約束
③隣国の民への祝福
<エレミヤ12:14-17>
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12:14
主はこう言われる。「わたしの民イスラエルに受け継がせたゆずりの地に侵入する、悪い隣国の民について。見よ。わたしはその土地から彼らを引き抜き、彼らの間からユダの家も引き抜く。
12:15
しかし、彼らを引き抜いた後、わたしは再び彼らをあわれみ、彼らをそれぞれ自分のゆずりの地、あるいは自分の土地に帰らせる。
12:16
彼らがかつて、バアルによって誓うことをわたしの民に教えたように、もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって『主は生きておられる』と誓うなら、彼らはわたしの民のうちに建てられる。
12:17
しかし、彼らが聞かなければ、わたしはその国を根こそぎ滅ぼす──主のことば。」
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主は、隣国の民、他国の民についても、さばきを語られています。
しかし、他国の民であっても、主の道を学び、主に聞き従うなら祝福すると語られています。
私たちはユダヤ人ではないので、他国の民、異邦人ですが、イエス様の十字架の贖いによって接ぎ木された枝となって、救いの恵みを受けることができます。
主は、旧約のエレミヤの時代に、すでに異邦人への愛を示されています。
ですから、その愛に応えるべく、主が喜んでくださる生き方をしたいと願います。
それは、主から与えられた働きを忠実に行うことに他ならないのですが、その働きには、多くの兄弟姉妹とともに行う大きな働きもあれば、個人個人の小さな働きもあります。
個人の小さな働きでも、いずれ大きな波となることもあるでしょう。
だからこそ、私たち個人個人の日々の小さな選択を間違えないようにしたいと考えます。
またネット社会の話で恐縮ですが・・・
インターネットは便利なので私も活用していますし、これからもどんどん世の中はアナログからデジタルへと移行していくでしょう。
しかし、私たちが受け取るべき情報や発信すべき情報については、細心の注意が必要だと感じます。
今は出版、映画、音楽、演劇、アニメーション、ゲームなどのエンターティメント業界でも、電子書籍や、オンラインでドラマや映画を観たり、音楽シーンでもCDではなく配信で販売したりと、すっかり変わってきました。
コロナ禍もあって、その勢いは加速しています。
その中で、昨年話題になったYOASOBIという音楽ユニットの「夜に駆ける」という曲が大ヒットしました。
この曲はパソコン一台で作り上げたデスクトップミュージックと言われるものですが、ネットで配信した曲が話題になり、現在YouTube再生回数2.2億回にも達しています。
このYOASOBIというユニットは、これまたネットに投稿された短編小説を元にして楽曲を作成する、というコンセプトで結成されたそうです。
「夜に駆ける」という曲は、軽快なリズムの曲調と透明感のある女性ボーカルの歌声で仕上げられているので、私はてっきり若い男女の恋愛小説から作られたハッピーな曲なのかと思っていました。
しかし、作詞の元ネタである、「タナトスの誘惑」という小説を読むとぜんぜん違っていました。
「タナトス」というのは、ギリシャ神話に出てくる死神のことで、精神科医のフロイトによると、「死へ向かおうとする欲動」のことです。
小説の内容は、ブラック企業に勤めながら一人寂しく暮らしている青年が主人公で、自殺未遂を繰り返す女性と出会って恋に落ち、最後には彼女に引きずられるような形で心中してしまうというダークなものです。
(大変デリケートな内容を取り扱っていますので、みなさんの心が守られますように・・・)
その小説がネットに投稿された4か月後に続編が発表されて、その女性は実際には存在せず、死神によって青年の心に作り出された幻影だったと付け加えられていました。
なんだか後付けっぽいですが、いずれにしても、曲調と可愛らしい歌声にすっかり騙されてしまいました。
どうりでYouTubeを開こうとすると、「次のコンテンツは、一部の視聴者にとって攻撃的または不適切な内容を含んでいるとYouTubeコミュニティが特定したものです。ご自身の責任において視聴してください。」と警告が出るはずです。
その歌詞の内容を知った人の反応は様々ですが、若者たちをはじめ世の人々は、生きていくことに苦しむ主人公に共感した人も多くいたようです。
何をやってもうまくいかなくて、夢や希望を持つ事をあきらめてしまった人も多くいる中で、「死ぬこと」が現実からの解放を意味すると考える人が多くいることは確かです。
この曲は、死生観について考える良い機会を作っているのかもしれませんが、結末がなんとも悲しく、受け取り方によっては、「自死」を美化しているとも言えます。
おそらく大半の人は、何も考えずに楽曲を楽しんでいたり、ファンタジーだと受け取っているとは思います。
しかしこれだけ大ヒットしていると、生き辛さを覚えていた人が、コロナ禍の閉塞感も加わって、負のスパイラルに陥ってしまうのではないかという心配があります。それこそサタンの思うつぼです。
「ご自身の責任において視聴してください」と言われたら、余計に知りたくなるのが人の性(サガ)ですが・・・・
この曲に限ったことではなく、飛び交う様々な情報を目にしてしまっても、それをどう受け止めるか、その後どう行動するかが大切です。
「はたして主は喜ばれるだろうか」と自分に問いかけながら、小さな選択を間違えないようにしたいですね。
生きることの辛さや世の中の矛盾は、人間の知識や理性では解決することができない問題です。
そして、聖書の神は、その苦難を通して、私たちが更に主を信頼し、成長するように期待されています。
聖書の神様が語られる解放とは、この世から消えてなくなることではなく、主に信頼し、厳しい現実を生きながらも、常に主の臨在の中にあり、恵みを数えながら生きることです。
自分の力ではなく、全能の神の導きによって、生かされていることを感謝し、喜んで生きることです。
エレミヤの人生は苦難だらけでしたが、彼は主に守られつつ彼の使命を全うしました。
聖書の神を知っている私たちの使命は、神のグッドニュース、イエス様の福音を発信していくことです。
イエス様は唯一まことの神であり、救い主であり、私たちを愛し、ともに人生を歩んでくださる慰め主です。
私たちの価値観を変えてくださり、心も身体も癒し、世のしがらみから解放してくださる御方です。
<イザヤ43:19>で、主は新しいことを行うことを約束してくださっています。
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見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。
必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
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God is good!神は良い御方です!神のグッドニュースを大いに発信し、神の栄光を現わしていきましょう!