新型コロナウィルスの脅威は未だに続いており、ワクチンが開発されるのを心待ちにしている状態です。
この暑い季節にも関わらず、マスク着用という状況は熱中症との戦いでもありますが、それでも日々主によって守られて、生かされている恵みに感謝いたします。
12の小預言書のメッセージが終了しましたので、今はエレミヤ書を順番にメッセージしています。
本日はエレミヤ書4章から「耕地を開拓せよ」と題してメッセージを取り次がせていただきます。
◆耕地を開拓せよ
①悔い改めて主のもとに帰る
エレミヤは、北イスラエル王国がB.C.720年に陥落した約100年後に、預言者として活動を開始しました。
イザヤよりも後の預言者で、南ユダ王国の王、ヨシヤ、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤという5人の王に仕えました。
彼は、南ユダ王国が滅亡へと突き進む激動の時代に、真摯に神の御言葉を取り次ぎました。
その活動は苦難と悲しみの連続でしたので、エレミヤは「涙の預言者」と言われています。
その頃の周辺諸国の動きは、北イスラエル王国を滅ぼした新アッシリア帝国が、新バビロニア王国によって滅ぼされて行くという流れでした。
南ユダ王国は、ヨシヤ王の死後は国力が衰えていき、バビロンやエジプトに挟まれて危機的な状況が続いていました。
本日の聖書箇所エレミヤ4:1-4は、滅亡した北イスラエル王国の残りの民と、南ユダ王国の民たちへの悔い改めの呼びかけと、それに従わなかった場合の主のさばきについて語られています。
また、その先の6節には「わたしが北からわざわいを、大いなる破滅をもたらすからだ。」と書かれています。
つまり、「悔い改めなければバビロンによって滅ぼす」と警告されています。
ここで注目したいのは、後に南ユダを滅ぼしたのは北からやってきたバビロンではありますが、その出来事すべてにおいての主権は主にあったということです。
主ご自身がバビロンという国を使って、南ユダにさばきを下されるとエレミヤを通して警告されました。
<エレミヤ4:1-2>は、北イスラエル王国の残りの者たちへの悔い改めの要求です。
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4:1
「イスラエルよ、もし帰るのなら、──主のことば──わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、
4:2
また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」
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続いて<エレミヤ4:3-4> は、南ユダ王国の民への悔い改めの要求と、さばきについてです。
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4:3
まことに、主はユダの人とエルサレムに、こう言われる。「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。
4:4
ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
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4節の「そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに~」の「そうでないと」は、以前の訳だと、「さもないと」と訳されていました。
この「さもないと」という接続詞は、警告を告げる時に使われます。
旧約聖書の原語であるヘブライ語では、פֶּן(ペン)という言葉で表されています。
このפֶּן(ペン)は、旧約聖書では133回も使われているそうです。エレミヤ書では8回です。
旧約聖書には、様々な時代や場面で、主が何度も民たちに警告をされていることが記されています。
その度に民たちは主の命令に従わずことごとく背いてきました。
それはアダムとエバの最初の人の時からです。
<創世記3:2-3>
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3:2
女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
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「あなたがたが死ぬといけないからだ」という言葉の接続詞に、פֶּן(ペン)が使われています。
日本語訳では、「死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」というニュアンスに聞こえますが、ヘブライ語では、「さもないと、死ぬ」「必ず、死ぬ」という意味合いになります。
アダムとエバは主の警告を聞かずに、食べてはならないと言われた木の実を食べてしまいました。
この時から私たち人間には「死」が入り込んでしまいました。
主は真実な御方であり、義なる御方なので、「さもないと!פֶּן(ペン)!」と言われた時に従わなかった者には、必ずその後に語られたさばきを下されています。
私は神学校時代に、ヘブライ語の授業で、このפֶּן(ペン)を習った時に、仲間たちとふざけて、
「さもないと!פֶּן(ペン)!神のさばきが下されます!」・・・と言って遊んでいましたが・・・
今考えれば、主の恐ろしさを顧みない、愚かな行為でありました。反省。
アダムから始まった人間の罪深さは連綿と引き継がれて行きました。
南ユダの民たちも悔い改めることがなく、ついに主は「さもないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」という警告を実行に移されました。
南ユダ王国は、ゼデキヤ王の時に(B.C.586年)バビロンによってついに滅ぼされてしまいました。
エルサレム神殿はことごとく破壊され、ほとんどの民たちはバビロンに連れて行かれました。
その後バビロンがペルシャに滅ぼされ、クロス王の勅令により、民たちはエルサレムに帰還しました。
帰還した民たちは一時悔い改めましたが、長続きせず、時は旧約時代から新約時代へ流れていきました。
そして時が満ち、父なる神は、私たちへの愛ゆえに、大切なひとり子であるイエス様をこの地に遣わしてくださいました。
<Ⅰヨハネ4:9-10>
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4:9
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。
それによって神の愛が私たちに示されたのです。
4:10
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
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私たちを無条件で愛してくださる御方を、いつまでも悲しませてはいけません。
今こそ私たちは、この連綿と続く人間の罪を断ち切らなければなりません。
悔い改めて主のもとに帰りましょう。
◆耕地を開拓せよ
②嘘偽りない姿で主の御前にひれ伏す
主がエレミヤを通して、南ユダの民に語られた警告、「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。」について考えてみましょう。
「耕地を開拓せよ」と、「心の包皮を取り除け」は同じ意味で使われています。
「嘘偽りない姿で主の御前にひれ伏し、へりくだり、従いなさい。」という意味です。
この「耕地を開拓せよ」とは、エレミヤよりも前の時代の預言者ホセアも語った預言です。
<ホセア10:12>
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あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。
ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。
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ここでの「耕地を開拓せよ」とは、自ら新しい耕地を開墾するという意味です。
心砕かれて、主によって良い土地に変えられ、義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れるのです。
私たちの耕地とはなんでしょうか。
私たちの耕地とは、私たち自身であり、主が与えてくださったタラント(賜物)でもあります。
主がせっかく与えてくださっている耕地を、開拓もせず、ただの荒野や雑草だらけにしてはいませんか。
雑草やいばらとは、私たちにまとわりついている人間関係のしがらみや、この世のあらゆる誘惑、間違った価値観などのことです。
それらのものは、放置すればするほどますます生い茂り、私たちの心を曇らせ惑わします。
つまり、どんどん神から離れた場所に行ってしまうということです。
そうならないように、嘘偽りのない姿で主の御前にひれ伏し、主との個人的な関係を深めることが重要です。
しかしやっかいなのは、世の価値観に惑わされて、嘘偽りのない自分の姿が解らなくなってしまうことです。
主の御前ですら、言い訳して取り繕ったり、嘘という自覚のないままに、嘘をついてしまったりします。
主はすべてご存じなのに、アダムとエバのように、都合の悪いことを隠そうとします。
ほんの少しの嘘が積み重なって、ゴミ屋敷のようになってしまい、神との関係を邪魔します。
そんな時は、どうすればいいでしょう。
そんな時こそ、神の啓示の書である聖書から答えをいただきましょう。
イギリスのウエストミンスターチャペルで1938年-1968年まで30年間牧会をしていたマーティン・ロイドジョンズは、聖書について、このように語っています。
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「聖書には人生のすべてが完璧に描かれている。登場する偉大な人物たちの美徳が書き記され、長所が賞賛されているだけには決してとどまらない。彼らの過ちも悪徳もはっきり記録されている。」
「もし人生について、私たち人間自身について、真実を語る資料があるとしたら、それが聖書なのである。
聖書は、最悪の事態について語り、そうして後に最高のことを私たちに知らせる。」
「物事のありのままの真実、私たち人間が真の姿を語り、すべてが誤っていると告げ、神はさばき主であられること、その理解に立って私たちが悩み、恐れおののくのでない限り、希望はない。」
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確かに聖書には、信仰深い偉大な人物たちの、みっともない姿も赤裸々に記されています。
聖書は、ほんわかと心地良いことだけは語っていません。
神は愛なる御方ですが、義なる御方であることもしっかり語っています。
アブラハム、ヤコブ、ダビデ、ペテロやパウロなど、神に用いられた人物たちに完璧な人はいませんでした。
みんなどこかに人格的な欠けがあり、自分の弱さや、傲慢さ、どうしようもない惨めさに悩みました。
しかし彼らは、さばき主である神の偉大さに恐れおののき、真実の姿をさらけ出し、従順に悔い改めました。
その時神は、彼らの信仰によって、新しい道、希望の道を与えられました。
ですから私たちも、彼らに倣って、主にすべてを打ち明けて、真実の姿をさらけ出しましょう。
心を込めて主に祈り、私たちの成長の邪魔をしている雑草やいばらを見つけて、丁寧に取り除きましょう。
私たちの魂の奥底にある霊を目覚めさせ、主との交わりを強固にしていきましょう。
イエス様は言われました。<マタイ6:33>
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6:33
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
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まず神の国と神の義を求めましょう。そうすれば、私たちの進むべき道と必要なものが与えられます。
主が喜んでくださるように、私たちが本来の私たちらしく生きるために、豊かな耕地を開拓して行きましょう。
◆耕地を開拓せよ
③福音の力は変化を生む
福音とは、イエス様の十字架の贖いによって、人類が救われるという良き知らせです。
クリスチャンとして生きる私たちは、聖書から学び、祈り、日々新しくされなければなりません。
また、感謝と喜びを持って、イエス様の福音を携えて世に出ていかなければなりません。
それが、クリスチャンがこの地に置かれている意義です。
それは、自分のためであり、隣人のためでもあります。
では私たちは、宣べ伝えるべき福音の本質や力を知っているでしょうか。
先ほど紹介したロイドジョンズは、福音についても、このように語っています。
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もしあなたがこれまでずっとこの教会に通い続け、日曜ごとに、これから自分は違った人間になります、もっと正しく生きますとの決意を新たにしながら、それでも実際のところ何も変わらない昔のままの生き方であり続けているとするならば、あなたは福音の力を今のところ経験していないと言わざるを得ない。
福音の目的や機能は、変化を生じさせることであって、決意を繰り返させることではないからだ。
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痛い・・・いたたたた・・・・
毎週同じように、御言葉から力をいただき、決意を新たにしている人は、私も含め多いと思うのですが・・・。
確かに、「福音の目的や機能は、変化を生じさせること」 というロイドジョンズの言葉は納得できます。
なぜなら、聖書の内容も人物も、実に躍動的で、生き生きと変化していく様子が記されているからです。
「何も変わらない昔のままの生き方であり続けているとするならば、あなたは福音の力を今のところ経験していないと言わざるを得ない。」とロイドジョンズが語る、この「福音の力」とは何でしょうか。
パウロはこのように語っています。
<ローマ1:16-17>
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1:16
私は福音を恥としません。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
1:17
福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
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福音は、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
こんなに素晴らしいグッドニュースを知っていながら、自分の内だけに秘めておくべきではありません。
私たちが、福音の力、神の力を信じる時には、驚くべき変化が生じます。
なぜでしょうか。その理由は、これしかありません。
「主が今も生きて働いておられる」からです!
主が北イスラエルの残りの者に語られた、先ほどのエレミヤ4:2の御言葉を思い出してみましょう。
<エレミヤ4:2>
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また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」
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『主は生きておられる』と誓うなら、私たちの信仰生活にも、日常にも、変化があるのは当然のことです。
そうするなら、『国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。』という奇蹟が訪れます。
現在の社会状況を見ると、エレミヤの時代と同じような混沌としたものを感じます。
今こそ、福音の力、神の力で変化を生み出していく必要があると思わされます。
イエス様の福音は全人類の救いであり、希望です。
今も生きておられ、働いておられる主の臨在を感じながら、恐れず世に出て福音を宣べ伝えましょう。
最後に、イエス様の福音を知っている私たちが、心に留めておくべきことについてお話します。
福音書の中でイエス様が繰り返し語られた終末の出来事は、いずれ必ずやってきます。
イエス様が再臨される前には、戦争、飢饉、疫病、天変地異が起こります。
現在起こっている、温暖化による異常気象や、各地で起こっている地震や災害、また、新型コロナウィルスの脅威も、もしかしたら、その前兆かもしれません。
<マルコ13:30-33>
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13:30
まことに、あなたがたに言います。
これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
13:31
天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
13:32
ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。
父だけが知っておられます。
13:33
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。
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とても恐ろしい、長い患難の時代が来てしまうかもしれません。
自分が今まで大切に培ってきた全てのものを、ある日突然失ってしまうかもしれません。
とても立ち直れそうにないことが起こるかもしれませんが、全ての主権は主にあります。
これらのことは、イエス様が必ず起こると言われています。
いつ起こるかは、父なる神にしかわかりません。イエス様は、「目を覚ましていなさい。」と言われます。
だからこそ、いつその時が来ても良いように、精一杯、悔いのない生き方をしたいと思うのです。
私たちは、この時代、この場所で生かされているということの意味を考えなければなりません。
今日が終わりの日だったとしても、心を騒がせることなく、福音の種を蒔き続けましょう。
「わたしのことばは決して消え去ることがありません」というイエス様の御言葉に信頼しましょう。
この世の患難は一時であり、やがて新しい天と新しい地で神を褒めたたえる日が来ます。
大切なのは、何が真実で、何に信頼をおいて、どう生きるかです。
悔い改めて主のもとに帰りましょう。
嘘偽りない姿で主の御前にひれ伏しましょう。
福音の力は変化を生むことを信じましょう。
主の愛によって生かされている今日一日を感謝しましょう。
すべての営みを愛しく思えるように、大切に生きていきましょう。
主との交わりを深め、喜びをもって耕地を開拓していきましょう。