新型コロナウィルスが猛威をふるい、私たちの生活は激変しました。
聖書の終末預言には、戦争と疫病と飢饉が起こることが記されていますし、災害が多い日本で暮らしていますので、いつ何が起こっても不思議ではないという危機感を抱きながら日々過ごしていましたが・・・
実際に、疫病の蔓延ともいえる状況に置かれている今、気持ちを立て直すことで精一杯です。
箴言17:22には、「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」と書かれています。
これは、新改訳第3版の訳ですが、新しい訳の新改訳2017では、「陽気な心」を「喜んでいる心」、「陰気な心」を「打ちひしがれた霊」と修正されています。
今回のコロナ騒動では、「打ちひしがれた霊」にとらわれてしまった方が多かったのではないでしょうか。
でも、骨が枯れてしまっては大変なので、その前に、「喜んでいる心」を取り戻しましょう!
いつも主にあって喜び、身体も心も霊も健康になっていきましょう!
さて、本日はペンテコステ礼拝です。
本来なら教会に集って、初代教会の礼拝のように、心を一つにして賛美し、祈っているところでした。
教会に集まれないことはとても残念です。
しかし、使徒の働きの1章から9章に書かれている聖書の記述に注目すると、ペンテコステに起こった聖霊降臨から、初代エルサレム教会の誕生、そして迫害によって信徒たちが全世界に散らされるという一連の流れは、まさに神様から現代の私たちへ、あらためて語られるメッセージであると思わされます。
コロナ騒動の受け止めきれないような大きな世の中の変化に、今、私たちに必要なのは、『心の刷新』です。
「刷新」とは、「弊害を除き去って全く新しいものにする」という意味です。
私たちが、心の刷新を行うために、どのように歩むべきかを共に考えていきましょう。
◆心の刷新に必要なもの
①心をひとつにして祈る
イエス様は、十字架の贖いを完成され、復活されてから40日間に渡って弟子たちの前に現れました。
40日間イエス様は何をなさったか、まず、ご自身が生きておられることを示されました。
そして、神の国のことを語られました。(使徒1:3)
ここでイエス様は弟子たちに大切なことを命じられました。
<使徒1:4-5>
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1:4
使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5
ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
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そして、あのよく知られている、昇天の時のみことばを語られました。
<使徒1:8 >
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しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
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こう語られてイエス様は天に上って行かれました。
これは、エルサレムの町の東側にあるオリーブ山での出来事です。
弟子たちは、イエス様が天に上られる御姿を呆然と見つめていました。
そこに白い衣を着た二人の人たちが(おそらく御使い)彼らのそばに立ち、イエス様が再び天より来られることを語りました。
弟子たちは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」と、イエス様が命じられた通り、エルサレムの町に戻り、故郷のガリラヤに帰らないで待つことにしました。
使徒たちや、他の弟子たち、婦人たちは、エルサレムの町で泊まっていた屋上の部屋に留まって、心をひとつにして祈っていました。
<使徒1:14>
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彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。
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彼らは、「聖霊によるバプテスマを授けられる」という言葉の意味はおそらく解っていなかったでしょう。
イエス様が「待ちなさい」と言われたから、STAY HOMEして、ひたすら待っていました。
120名ほどいたようですが・・・おそらく3密状態だったことでしょう。
(今となっては、3密で祈れるのは、私たちにとっては、ものすごく羨ましいことですね・・・)
ここでの弟子たちは、以前の彼らとは違っていました。
120名で祈り始めて、3日経ち、5日経ち、8日経ち・・・それでも弟子たちは、ひたすら祈り続けました。
以前の彼らだったらどうだったでしょうか。これほどの強い信仰はなかったと思われます。
特に使徒たちは、イエス様が捕らえられ、十字架に架かられた時に、逃げてしまった者たちでした。
復活したイエス様を見た後でも、ガリラヤで漁師の生活に戻ろうとしたほどです。(ヨハネ21章)
いつ聖霊によるバプテスマを授けられるかわからないけれども、しかも、それが何を意味するのかもわからないけれども、彼らは、『いつも心を一つにして』祈っていました。
『心をひとつにする』ということ、ここに祈りの神髄があります。
以前の新改訳では、『心を合わせ』と訳されていました。
しかし、新約聖書の原文ギリシャ語では、<ギ>o`moqumado.n(ホモスマドン)という言葉が使われていて、ひとつという意味の「o`mo(ホモ)」と、感情を表す「θυμυς(スムス)」が合わさった言葉なので、『心をひとつにする』という訳の方がしっくりきます。
『心を合わせて祈る』『心をひとつにして祈る』ことにより、私たちが想像できないような、素晴らしい恵みと祝福が生み出されていきます。
このホモスマドンという言葉について、少し考えてみましょう。
ホモスマドンは、良い意味で一致するという場合にも使われますが、反対に悪巧みで一致するという場合にも使われます。使徒の働きには、どちらの場合も大変多く使われている言葉です。
良い意味でも悪い意味でも『ホモスマドン・心をひとつにする』という言葉が使われるということは、人間の心の一致というものの危うさを表しています。何に対して心をひとつにするかによって、一歩誤ると、とんでもなく罪深い方向に行ってしまうという、そのような危険性を伴う、表裏一体のものです。
私たちも、神様の目から見て、良くないことで心をひとつにしてしまわないように気をつけたいものです。
今回のコロナ騒動の中で、インターネットは大変私たちの自粛生活を助けてくれていますが、その反面、『自粛警察』(自粛期間中、まるで戦時中の隣組のように、私的に取り締まりや攻撃を行う社会風潮)を助長してしまうといった負の一面もありました。
しかし聖霊降臨を受けるまでの弟子たちの祈りを見てみると、それは主の御心にかなった祈りであり、祈りの力が、さらに祈りの力を生み出し、聖霊のバプテスマを授かる備えとなっています。
私たち人類は、コロナウィルス蔓延によって先の見えない不安に襲われていますが、イエス様を信じる者たちが、心をひとつにして祈るなら、主が与えてくださる素晴らしい恵みと祝福を受けるための備えが出来ます。たとえ離れていても、心をひとつにして主の御心が成されるように、祈っていきましょう。
◆心の刷新に必要なもの
②聖霊の力をいただき共有する
そしてついに、10日後の五旬節の日に、聖霊降臨がありました。
<使徒2:1-4>
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2:1
五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2
すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3
また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
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聖霊のバプテスマを受け、聖霊に満たされた弟子たちは、今までとは激変して、力強い主の証人になっていきました。使徒の働き2章から4章だけでも、その目覚ましい働きが次々と起こっていることが解ります。
・ペテロの大説教(使徒2:14-39)
・三千人のバプテスマ(使徒2:40-41)
・初代教会の誕生(使徒2:42-47)
・イエスの御名による美しの門での癒し(使徒3章)
・迫害を恐れず証をし、五千人が信じる(使徒4:1-31)
・信じた群れの教会共同体(使徒4:32-37)
特に使徒ペテロとヨハネの大胆さには、ユダヤの最高議会であるサンヘドリンのメンバーも大変驚きました。
ペテロたちは、「4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。」と力強く証をしました。
その言葉には、「無学な普通の人」であった彼らの言葉とは、にわかに信じられないほどの力があり、サンヘドリンのメンバーたちは、返す言葉もなかったようです。
このように、聖霊の力を受けて、弟子たちの心には迷いがなくなり、まるで別人のように心が刷新されました。
初代教会の誕生の様子は、先ほど読んでいただいた、使徒2:42-47、使徒4:32-37などに記されています。
<使徒4:32-34>
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4:32
さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。
4:33
使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。
4:34
彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。
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この初代教会の姿は、教会のあるべき姿として、今も模範とされています。
初代教会は、自分たちに与えられているものを神からの祝福として共有することができた共同体でした。
彼らは、聖霊の力により、人間にある様々な所有欲という弊害を除き去って、心が刷新されました。
『一人も乏しい者がいなかった。』という、この初代教会の姿は本当に素晴らしく、まさに奇蹟的なものです。
人は、富、地位、名誉などの財産を手放すことがなかなか出来ない存在です。
これらの握っているものを共有することは、人の力だけでできるものではありません。
これぞまさしく、聖霊の力による愛の共同体です。
私たちも、初代教会に倣って、持てる財産を共有し合える愛の共同体と変えられていきたいですね。
私たちが共有できる財産というのは、お金とか物だけではなく、神様がひとりひとりに与えてくださっている賜物や、培ってきた能力も含まれます。
みなさんが共有できる財産(賜物)は、みなさん自身が思っているよりも、はるかにたくさんあるはずです。
聖霊の力をいただき、心を刷新し、財産を共有し、愛の共同体を作っていきましょう。
◆心の刷新に必要なもの
③変化を生かす機知を得る
使徒の働きには、使徒たちをはじめとした初代教会の信徒たちが、迫害を恐れず、エルサレムから追い出されても、喜んで主の証人となって行った様子が記されています。
使徒6章には、使徒たちが、『祈りとみことばの奉仕に専念する』ために、教会を円滑に運営する7人の執事を選んだ事が記されています。
そして、神のことばはますます広まり、エルサレムでは弟子の数が非常に増えていきました。(使徒6:7)
そこに迫害する者たちが現れ、選ばれた執事のひとりであるステパノが捕らえられ、議会(サンヘドリン)で裁判にかけられました。
ステパノは、偽りの証人を立てられてしまい、殉教しました。
しかし最後まで知恵と聖霊に満たされ主を証しました。(使徒7章)
ここで初めてサウロ(別名パウロ)が出てきます。
サウロは、まだイエス様を信じる者たちを迫害する側で、ステパノの処刑を見ていました。(使徒7:58)
<使徒8:1>
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サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
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このステパノの殉教を境にして、使徒たち以外の弟子たちはエルサレムから各地に散らされて行きました。
その後、キリスト者を迫害していたサウロも、イエス様の御声を聞いて回心し、福音を伝える側になりました。
彼らは、迫害されても挫けるどころか、ますます御霊に満たされ、励まされて、主を証し、前進し続けました。
<使徒9:31>
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こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。
主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。
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彼らは次々に襲ってくる劇的な変化を、聖霊に励まされつつ、実に巧みに前進する力へと変えています。
私たちはどうでしょうか。変化を生かす機知を得ているでしょうか。
コロナの影響で、私が行っていた教会での聖書の学び会も、オンラインに切り替わっています。
現在は18世紀のリバイバリスト(信仰覚醒運動の指導者)について学んでいます。
18世紀のイギリスで代表されるリバイバリストは、メソジスト運動のジョン・ウェスレーです。
彼は、弟のチャールズ・ウェスレーらと共に、オックスフォード大学内にホーリークラブを立ち上げました。
ホーリークラブは、規則正しい信仰生活を目指し、聖書研究、祈り、断食、病人や囚人への訪問、貧困家庭での奉仕を行いました。「メソッド」「きっちり屋」と揶揄されて、そのままメソジストが名称になりました。
ホーリークラブには、後にアメリカにもメソジスト運動を広めたジョージ・ホイットフィールドも加わりました。
彼らの運動は、上流階級よりも、中下層階級や軍人に広く受け入れられました。
当時の流行歌に歌詞をつけ、歌いやすい讃美歌を作り、社会福祉や、教育を受けられない子どもたちのための日曜学校を普及させました。
ですが、ウェスレー自身は悩んでいました。
彼は大学卒業後、イングランド国教会(アングリカン・聖公会)の司祭となり、アメリカ宣教を目指しましたが、失敗しました。失意の中でイギリスに戻る途中で船が嵐に遭いました。
そこで出会ったモラヴィア兄弟団の信仰者たちは、嵐の中でも動揺せず、静かに祈って賛美していました。
その姿を見て、自分には救いの確信がないことに気づきました。
しかしウェスレーは、その後、ある集会で神の臨在の中で「救いの確信」を得て、さらに別の集会では、身体が熱く燃えるような「聖霊体験」をし、回心しました。
そこからのウェスレーの活躍は、ペンテコステの日に聖霊のバプテスマを受けた弟子たちのようでした。
ウェスレーは聖霊の働きによって、いのちあふれる福音宣教を開始しました。
国教会は、彼らの活動の原動力となっていたのが、「信仰の確証」「聖霊の証」であったため、邪教集団として迫害し、彼らを国教会から締め出しました。
しかしウェスレーは全く挫けず、「世界は我が教区なり」という名言を残し、馬に乗ってイギリスやアイルランド各地を巡回し、野外説教を行って伝道しました。この流れも初代教会の弟子たちと似ていますね。
ウェスレーやホイットフィールドは、イギリスの国教会から閉め出されたことをきっかけにして、外に向かっての大宣教が始まりました。主の御計画だったのでしょう。
この状況は、今の私たちにどこか似ています。
私たちは、コロナウィルスによって、今までの生活から締め出されました。
今まで当たり前のように行っていた、教会での礼拝や、様々な主の働きのあり方も激変しました。
しかし激変はしましたが、この自粛期間は、本当に必要なものと、そうではないものとを見極める、とても良い機会でもありました。
また、新しい方法を学んだり、考えたりすることもできました。
例えば、リモートでの活動や、インターネット配信を通して、今まで届かなかった場所に福音が届きはじめていることは、驚くべき恵みです。
一般の社会でも、毎日ギュウギュウの満員電車に揺られて通勤しなくても、リモートでも十分仕事ができるということが判明し、緊急事態宣言解除後もリモートワークを続ける企業も出ています。
学校教育の在り方も、あらゆる制度についても、改めて考えさせられています。
私たち人間には、『元の鞘に収まりたい』とか、『変化を恐れる』といった習性のようなものがあります。
古い伝統や格式があるものは、なかなか変えられません。
日常生活でも、ルーティーン(決まった手順や動作)で成り立っていた方が楽ですし、安心感を生みます。
しかしこのコロナ騒動を通して、何事も、永遠に同じであるということはないのだと、完全に元通りに戻ることは期待できず、むしろ変化していくことの方が普通のことだったのだと気づいたのではないでしょうか。
ですから、変えていくべきことは変えて、使徒たちのように前進していくのが主の御心ではないでしょうか。
では、どうすればよいでしょうか。
変えるべきではないことに関しては、おそらく主が継続させてくださるでしょう。
反対に、この機会に変えるべきことに関しては、自分の思いで流れを止めず、変化を恐れず、柔軟に、できれば楽しんで、生かしていく、という機知を得ることが大切なのではないでしょうか。
なぜなら、私たちが変化を恐れてあきらめてしまうと、せっかく主が用意してくださった新しい道や、たくさんの恵みを逃すことになるからです。
そして、今日もっとも大切なことです。変化を生かす機知を得るために、もっとも大切なことは、何があっても揺るがない礎と、希望の光を持ち、そこに信頼するということです。
<へブル書13:8>
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イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。
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と書かれているように、イエス様は、私たちの揺るがない礎となり、希望の光となってくださっています。
イエス様という宝を持っていることが、私たちの最大の強みです。
今、私たちには、『心の刷新』が必要です。心の刷新のために、揺るがない礎であり、希望の光であるイエス様を中心にして、心をひとつにして祈り、聖霊の力をいただき共有し、変化を生かす機知を得ましょう。
そして、互いに愛し合い、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」の豊かな御霊の実を結び(ガラテヤ書5:22-23)、身も心も霊も喜んで共に歩んでいきましょう。