2020.3.29「預言者エレミヤの召命 エレミヤ書1:4-10」

◆聖書箇所: エレミヤ書1章4-10節 (聖書引用:新改訳2017)

1:4

次のような主のことばが私にあった。

1:5

「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」

1:6

私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」

1:7

主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

1:8

彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」

1:9

そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。

1:10

見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」*************************************************************************

 

新型コロナウイルス感染症が世界的大流行となり、東京オリンピックも一年ほど延期ということになりました。

ご家庭で礼拝を守っておられる皆さんとともに、この状況が早く終息して日常の生活が取り戻せるようにお祈りしたいと思います。

 

現在世界中で感染により重篤な状態に陥り苦しんでおられる方々がおられます。

必要な治療が受けられて、回復することができるように祈りましょう。

また、懸命な治療を続けてくださっている医療従事者の方々に感謝し、その方々、またご家族の健康と安全が守られるようにお祈りいたしましょう。

 

先月、12の小預言書最後の書「マラキ書」が終了しましたので、これからは「エレミヤ書」を何回かに分けて語らせていただこうと考えています。

エレミヤ書は年代順には書かれていませんので、順番が前後する時もあるかもしれませんが、本日は1章から「エレミヤの召命」と題してお話します。

 

現在の感染症による世界的危機において、このエレミヤの召命と、主が語られた御言葉から、私たちキリスト者は、どう考え、どう行動するべきかを見ていきたいと思います。

 

預言者エレミヤの召命

◆①召し出された者の役割(1:4-8)

 

エレミヤは、南ユダ王国のヨシヤ王の治世13年(B.C.627年)に神によって預言者として召されました。

北イスラエル王国がB.C.720年に陥落してから、約100年後の出来事で、イザヤよりも後の預言者です。

南ユダ王国は、ヨシヤ王がメギドの戦いで戦死した後、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤという4人の王の統治がありました。

そして、最後の王ゼデキヤの統治の時に、B.C.586年バビロンによって滅ぼされました。

エルサレム神殿は破壊され、ほとんどの民たちはバビロンに捕囚されました。

 

その時エレミヤは、バビロンの王ネブカデレザルの命令によって釈放され、ユダに残りました。

そしてユダに残っていた者たちに、そのままユダに留まるようにと主の御言葉を伝えました。

しかし彼らは従わずエジプトに行くことにしました。(43章)

エレミヤも一緒にエジプトに連れていかれ、その後少しの間活動したようですが、おそらくエジプトでそのまま生涯を終えたと考えられます。(44章)

 

このようにエレミヤは、南ユダ王国が滅亡へと突き進む激動の時代に預言者として召されました。

 

<エレミヤ1:5>

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「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」

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この時エレミヤは20歳くらいだったようです。

エレミヤは、「母の胎を出る前から、預言者として定めていた」という主の召しにこのように応えました。

 

<エレミヤ1:6-9>

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1:6

私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」

1:7

主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

1:8

彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」

1:9

そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。

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「若くてどう語ってよいか分かりません」というエレミヤに、主は「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」と語られました。

 

そして主は御手を伸ばし、エレミヤの口に触れられ、主の言葉を与えられました。

これがエレミヤの召命です。

 

それから彼は預言者として主の御言葉を語るようになりましたが、その道は険しく、40数年に渡る彼の預言者人生は苦難の連続でした。

エレミヤはあざけられ、ののしられ、幾度となく悲しい思いをしました。

そのことからエレミヤは「涙の預言者」とも呼ばれています。

 

しかし、彼は主の召しに最後まで従い続けました。

ここで私たちの召しについて考えてみましょう。

「エクレシア」というギリシャ語は、日本語では「教会」と訳されることが多いのですが、「エクレシア」は、「召し出された者」という意味もあります。

つまり、教会は「召し出された者」の集まりであり、キリスト者にはそれぞれ神の召しがあります。

 

エレミヤに語られたように、主は私たちを、「胎内に形造る前から」知ってくださっており、「母の胎を出る前から」聖別してくださっています。

 

主は一人として、同じ人間を造られていません。それぞれ本当に個性的でユニークな存在に造ってくださいました。ですから、神の召しもみんな違っていて、それぞれに賜物があり、役割があるのです。

 

あなたの賜物と与えられた役割は何でしょうか。

今、私たちが置かれている状況は、エレミヤが生きた時代ように、「一つの国が滅びるかもしれない瀬戸際」という点では、悲しいことに共通しています。

 

つい最近まで想像もしなかった恐ろしい現実に、毎朝目覚めるたびに嘘であってほしいと願います。

しかし、現実は重く私たちにのしかかります。私たちに何ができるでしょうか。

主の召しに応じて、あなたの賜物を生かして、何をすれば良いかということを改めて考えてみましょう。

 

聖書に書かれている最も重要なふたつの戒め、イエス様も語られた戒めを思い出してみましょう。

 

『心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』(申命記6:5、マタイ22:37)

『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』(レビ記19:18、マタイ22:39)

 

このふたつの戒めは外せません。

特に、今のような状況では、自分の賜物を生かして、第二の戒め、隣人を愛することを実践することが、召し出された者の役割ではないでしょうか。

 

エレミヤは、預言者ということもありましたが、自分のために預言活動をしていたわけではありません。

彼は隣人のために働きました。しかも彼にしか出来ない方法で預言しました。

私たちにも自分にしか出来ないことがあるはずです。主の声を聞いて、隣人を愛することを実践しましょう。

 

そして、次にエレミヤが聞いた主の声は、かなり荒療治な方法で、南ユダの民を矯正するという声でした。

 

◆②引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植える神(1:9-10)

 

<エレミヤ1:10>

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見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」

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「引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊す」この厳しいさばきは、「建て、また植える」ために行われます。

実際、南ユダは滅ぼされ、70年の捕囚後、エズラ、ネヘミヤの時代に帰還し、第二神殿が建てられました。

 

聖書の災いの記述には、戦争と、飢饉と、疫病が多く書かれています。

エレミヤにも、14:12、21:7、27:8などに、「剣と飢饉と疫病で立ち滅ぼす」と書かれています。

これらはすべて、神のご計画のうちになされることです。

しかし、これらの災いを収束してくださるのも神の業です。

だからこそ人々は、災いが起こると、ますます主を礼拝し、祈りを捧げ、災いを治めてくださるようにと願いました。

 

戦争と、飢饉と、疫病は、歴史の中でも実際にたびたび起こってきました。

そのような時に、私たち人間はなすすべもなく、ただじっと祈りつつ耐え抜くしかない小さな存在です。

 

数々のヒット曲を生み出している、「米津玄師」というアーティストがいます。

彼はこの春、数か所でのアリーナツアーを予定していましたが、安倍首相の大規模イベント自粛要請を受けて中止しました。彼はその時に、このようなコメントを出しました。

 

『自分としては待ってくれている人がいるなら、それが一人きりだとしてもやりたいけれど、生命に関わる可能性があり、未曾有の出来事による混乱が生じている以上、中止もしくは延期とさせてください。楽しみにしてくれていたみんなを残してこんな事態になってしまったことが残念でなりません。音楽は人の心に作用するもので、誰かの明日を生きる糧になるかもしれないけれど、今回の様なケースを前にしてあまりに無力であると忸怩たる思いでいます。』

 

彼は大変な影響力を持ったアーティストですが、自分の無力について、「忸怩(じくじ)」、「深く恥じ入る」という意味の謙虚な言葉を使ってコメントしています。

なにも米津さんが深く恥じ入ることはないと思いますが、音楽によって多くの人を励ましてきた自負があってこその言葉だと思います。

 

突き抜けた影響力を持つ人にしかわからない思いがあるのかもしれませんが、彼はファンに対してこのようなメッセージも忘れませんでした。

 

『どうか心身共に健やかであられるように、必要最低限の感染予防は欠かさずに日々を過ごしてください。混乱に乗じた悪質なデマや差別的表現に加担してしまわないよう、僕らだけでもなるべく冷静に努めましょう。不安が去った後、お互い晴れやかにまた会えますように。』

 

とても的確な呼びかけ、アドバイスに感服しました。彼がクリスチャンなら良かったのにと心から思いました。

 

本当に、人はパニックに陥ったとき、恐れが先立って冷静になることができない習性があります。

1517年に宗教改革を行ったマルティン・ルターの時代にはペストが大流行しました。

その時もデマや差別による混乱が起こりました。今のように、テレビやラジオ、ネットなどの情報通信ツールがない時代です。死に至る恐ろしい病のうわさが、あちこちから伝えられ、恐怖心を煽りました。

 

その時に、牧師や教職者たちの間で「キリスト者が災禍を避けて逃れることは是か非か」という議論が起こり、ルターにアドバイスを求めました。ルターがこれに応えて書いた公開書簡が残っています。

英訳“Whether One May Flee From A Deadly Plague”(死の災いから逃げるかどうか)

 

ルターはその書簡の中で、「困難な時こそ、神の召しに忠実であれ」と書いています。

おもに牧師や教職者に対してですが、「持ち場を離れてはならない」と語りました。

そのうえで、「不必要なリスクを避けるように」と注意しています。

「向こう見ずな危険を冒すことは、神を信頼することにはならず、神を試みることになる」と語っています。

 

「神にお守りくださるように祈ったうえで、理性と医学的知見を用い、自らの不注意で感染させ、相手を死に至らしめることがないように」「しかし隣人が自分を必要とするなら、喜んで赴く」と書いています。

神の愛を知っているキリスト者こそ、冷静になり、主にあって正しい行動ができるようになりたいですね。

パウロはこのように言いました。

<ローマ書8:35-39>

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8:35

だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

8:36

こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」

8:37

しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。

8:38

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、

8:39 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

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剣も飢饉も疫病も、主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

たとえ、苦難の中にあっても、イエス様の愛によって、私たちは、圧倒的な勝利者になります。

 

そのことを信じて、現在私たちが置かれているこの状況の中でも、主の勝利を期待していきましょう。

主は、「引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し」ますが、それは、「建て、また植える」ためです。

 

◆③主がともにいて救い出してくださる(1:11-19)

 

エレミヤは、主から厳しい裁きについて語られました。

<エレミヤ1:14-16>

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1:14

すると主は私に言われた。「わざわいが北から、この地の全住民の上に降りかかる。

1:15

今わたしは、北のすべての王国の民に呼びかけている。──主のことば──彼らはやって来て、エルサレムの門の入り口で、周囲のすべての城壁とユダのすべての町に向かいそれぞれ王座を設ける。

1:16

わたしは、この地の全住民の悪に対してことごとくさばきを下す。彼らがわたしを捨てて、ほかの神々に犠牲を供え、自分の手で造った物を拝んだからだ。

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主は南ユダの滅びについて語られましたが、私たち人類は幾度となく、滅びに近い経験をしています。

かつて中世ヨーロッパではペストが何度も大流行し、ひどい地域では全人口の半数以上が死亡しました。

 

このペストの大流行を題材にしたものに、ジョバンニ・ボッカッチョの『デカメロン』という小説があります。

デカメロンには、ペストの感染力の強さと惨劇が描かれています。

 

病人の持ち物に触れただけでも感染し、朝には健康そのもので友人たちと朝食を共にしていた若者たちが、「夕べにはたちまちあの世で祖先たちと晩餐を取る羽目に落ちた」と表現しています。

 

近代では、1918年-1919年にスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザが大流行しました。

世界人類の3割が感染し、今回の新型コロナウイルスとは逆に、感染した高齢者はほとんど生き残り、青年層から大量の死者が出ました。

 

そして、今は新型コロナウィルスです。

このウィルスは、以前流行したSARSやMARSよりも感染力があり、潜伏期間が長く、感染しても80パーセントの人が無症状や軽症が多いという特徴があります。

しかし残った20パーセントの人は重症化し、その重症化していくスピードが恐ろしく速く、数時間で自発呼吸ができなくなってしまう人がいるということです。

 

特に高齢者や基礎疾患がある人は、リスクが高いので、十分に注意しなければなりません。

私たちは、今までに経験したことのないウイルスという敵と戦うことになってしまいました。

現代の医学でもまだ特効薬が見つからず、世界中の研究者の知恵を結集しての開発を首を長くして待っている状態です。

 

それまで私たちは、感染を広げないということしか、なすすべがありません。

この見えない敵は、実際の身体への感染の他にも、私たちの心にも攻撃を仕掛けています。

 

聞きなれない言葉が毎日耳に入ってきます。

パンデミック(世界的大流行)、クラスター(集団)感染、オーバーシュート(爆発的感染拡大)、ロックダウン(都市閉鎖)。そして医療崩壊、経済破綻。

 

世の中から明るい話題がなくなり、次々と終わりの見えない負の連鎖が起こっています。

ストレスで心が折れてしまう人が現れてきます。コロナに感染しなくても体調を崩す人が現れてきます。

人々は日増しに苛立ちが募り、はけ口のない怒りや、差別が起こります。

 

これは、目に見える戦いだけではなく、霊的な戦いでもあります。

私たちから希望の光を取り去ろうとする悪しき者との戦いでもあります。

 

私たちキリスト者は、この霊的な戦いにも、目を向ける必要があります。

私たちは、多くの人の心に突き刺さってくる、この苦しさから解放してくださる御方を知っています。

 

<エレミヤ1:17-19>

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1:17

さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしがあなたを彼らの顔の前でおびえさせる。

1:18

見よ。わたしは今日、あなたを全地に対して、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、民衆に対して要塞の町、鉄の柱、青銅の城壁とする。

1:19

彼らはあなたと戦っても、あなたに勝てない。わたしがあなたとともにいて、──主のことば──あなたを救い出すからだ。」

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私たちが、神への絶対的な信頼をもっていれば、エレミヤのように堅く立つことが出来ます。

「恐れてはならない」「腰に帯を締めて立ち上がれ」と主はいつの時も励ましてくださいます。

そして、「あなたを救い出す」と言ってくださる、全能の主の愛のふところの中で癒しと平安をいただき、この戦いに打ち勝つ知恵と勇気をいただきましょう!