2019.9.22「近世の教会 ヨハネの黙示録3:7-13」

 フィラデルフィアの教会は、17世紀から18世紀の教会を表しているのではないかと思います。宗教改革以前はカトリックの教皇と国王がうまくやっていました。ところが、宗教改革後は、国民自体が目覚め、自分たちの国を作ろうとしました。しかし、彼らはカトリックあるいはプロテスタントの信仰がありましたので、そのことで戦争になりました。「同じ神さまを信じ、神さまが創った人間同士がどうして?」と思いますが、それが罪ある人間です。

1.歴史における近世の教会

 ルターによる宗教改革の後、ヨーロッパ中を巻き込む「30年戦争」がありました。カトリックとプロテスタントの対立による最大かつ最後の宗教戦争と言われています。この戦争で約1000万人が死亡、ドイツの人口は約35%減となりました。ウェストファリア条約後、ヨーロッパの秩序は、皇帝や教皇の超国家的な権力から諸国民国家の競合関係へと移ります。キリスト教会は、北欧とドイツはツター派、オランダとスイスは改革派、イギリスは英国国教会、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ポーランドはカトリックになります。第一に対抗改革を行ったカトリック教会についてお話ししたいと思います。1545年、トリエント公会議が開かれ、18年間にわたって継続されました。イグナティウス・ロヨラによって創設されたイエズス会が、「教皇の精鋭部隊」として教皇から正式に認可されました。1549年には、ブラジルにおけるイエズス会士による宣教が開始されました。その後、宣教はペルー、メキシコを経て、フロリダとカルフォルニアに到達します。日本にはフランシスコ・ザビエルがやって、多くの人が救いに導かれました。イエズス会の世界宣教の特徴として、適応主義と呼ばれる基本方針、つまり、宣教地の文化や言語を学び、現地の宗教的文化的状況に適応した宣教方針があげられます。イエズス会がブラジルのインディオを保護しようとしたので、ポルトガルから迫害が起こりました。ポルトガル王国は、15世紀にはヨーロッパ各国に先駆けて海外進出を行い、アフリカ西岸かインド洋を経て、東アジアへと通商を拡大しました。カトリックのラテンアメリカでの宣教活動は、ポルトガル、スペインの植民地征服と一致して行われました。しかし、インディオの奴隷化に反対したドミニコ会士はスペイン政府にその不当性を訴え続けました。海王帝国として繁栄したポルトガルとスペインの覇権も、16世紀後半には次第に衰退に向かいます。1588年、イングランドによるスペイン無敵艦隊勝利後、覇権は、オランダ、フランス、イングランドに移ります。

 次に宗教改革後のドイツのことをお話しいたします。30年戦争後、神聖ローマ帝国は消滅し、オランダやスイスが独立して現在のドイツになりました。ルターと改革派は相互に協議論争を行い、その思想が、信条・信仰告白文として表明されました。正統主義は、各教派の立場を明確に反映したものですが、いずれも宗教改革の伝統を共有しており、聖書原理と信仰義認論においては合致しています。それは、聖書が無条件に真理であり無謬であること、そして霊感されていると認識する立場でした。しかし、正統主義はあまりにも、信仰の知性主義、あるいは客観主義であったために、17世紀後半には敬虔主義が起こりました。これはプロテスタント教会の内部から生まれた信仰刷新運動であり、ルターの精神である個人の体験(内面性)と信仰の道徳的実践を強調しました。シュペイナーから始まったこの覚醒運動は、北ドイツに広まり、フランケによって拡大されました。その影響を受けたツィンツェインドルフは「モラヴィア兄弟団」を形成し、市民や農民層にも広がっていきました。フランス革命とナポレオン戦争後のドイツには、ルター派と改革派の合同教会が成立します。元来の正統主義、敬虔主義の上に、啓蒙主義が加わりました。正統主義を堅持する保守系に対し、伝統の学問的批判的再考をめざす神学が現れました。その当時は、カントやヘーゲルが活躍していましたので、彼らの哲学思想を取り入れ、聖書の歴史批評を積極的に行いました。伝統に対する自由な学問的批判を行う神学はしばしば自由主義神学と呼ばれるようになりました。この続きは、次回の「世の終わりの教会」でお話しします。

 その次はフランスです。宗教改革の進展によって、フランスにおいてもカトリックとプロテスタントの対立が激しくなり、1562年に「ユグノー戦争」と呼ばれる宗教戦争にまで発展しました。1572年、カトリックはユグノーの貴族たちを襲いました。「サン・バルテミの虐殺」と呼ばれ、犠牲者の数は1万から3万人とされます。1598年、アンリ4世がナントの勅令を発布して、ユグノー(新教徒)の自由を認めました。しかし、ブルボン家のルイ14世がカトリック教会をフランス王家にしようと、ナントの勅令を廃止しました。その後、ユグノーたちは国外へと追いやられました。しかし、ブルボン家の絶対王政もフランス革命(1789年)によって終わりを告げ、革命政府はフランスの世俗化を推進しました。1801年にナポレオンは教皇ピウス7世と政教協約を締結しました。その結果、カトリックは国家の宗教ではないものの、国民の多数の宗教で有り続けています。フランス革命は、近世ヨーロッパの政治的思想的運動である、啓蒙主義の帰結と言えるものです。啓蒙主義は、近代民主主義国家の展開において重要な移置を占めています。しかし、そこから生まれた合理主義は、伝統的なキリスト教を批判するものであり、フランスのカトリック教会にとっては、宗教改革以降の最大の脅威となりました。1789年に議会は教会財産の没収、国有化を行い、司教司祭の実質的な公務員化を断行しました。その後、ブルボン家が王政復古を計りましたが、それが失敗して、フランスは世俗主義の共和制国家となり、現在に至っています。

 最後はイングランドです。ジェームズ2世は、かつて清教徒革命のためにフランスに亡命していた頃にカトリックに改宗しました。彼はカトリック教徒を重用し、これに反対していたプロテスタントの大臣を次々に罷免しました。ほとんどの議員がプロテスタントであり、カトリックの支配に対して敵意を持つイングランド議会と国王との間に対立が深まりました。議会は後継者問題が起こったとき、ジェームズ2世の娘メアリとオランダ総督ウィリアムを結婚させ、ジェームズ2世を追い出しました。これは、「名誉革命」と呼ばれる一種のクーデターです。その後、穏健な立憲君主制と寛容な国教会、そして政教分離の成立に至ります。こうした経緯において成立したイギリスの国教会は、よりカトリックに近い流れ(ハイチャーチ)とよりピューリタンに近い流れ(ロー・チャーチ)、そして近代的な立場を持つ流れ、と多様な立場を内包するものになりました。17世紀後半、キリスト教と啓蒙主義思想がしばしば敵対しつつありましたが、イギリスでは「理神論」が起こりました。理神論というのは神が世界を創造した後は、時計のごとく自然法則に従い、被造物に干渉しないという考えです。創造後の宇宙は自己発展する力を持つとされ、奇跡や預言などによる介入はあり得ないと排除しました。この考えは、フランスのヴォルテールやルソー、ドイツのレッシングやカントに影響を与えました。簡単に言うと、人間の理性がすべての尺度になり、啓示とか超自然的なものを排除するようになります。神にかわって、「自然の力」とか「自然の法則」が重んじられるようになります。18世紀前半のイギリスは、イングランドとスコットランドの合同に成功して「大ブリテン連合王国」を成立させ、さらにアイルランドを武力降服させました。長期にわたる対フランス戦争においてフランス軍を陸海に破り、海外に広大な植民地を獲得し、ここに世界的覇権を握る大英帝国の基礎を築きました。金融制度は整備され、海外発展に伴う商業の著しい進歩により、イギリスは世界一の商業国となり、ロンドンは世界貿易の中心地となりました。このような国家的飛躍の時期にもかかわらず、国民の霊的生命は衰退していました。長期間の闘争と流血のくり返された嵐の宗教改革時代は過ぎ去り、争いよりは平和を、宗教的熱心よりは温和な合理的宗教を歓迎する空気が支配しました。時代の風潮は、繁栄する社会の商業的精神に触発された物質的利益追求であったので、神の国よりもこの世への関心が集中し、人々の宗教心はいっそう冷却しました。その時、ロンドンにおいて、ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーとジョージ・ホイットフィールドという三人の偉大な指導者の出現によって初めて、福音主義の復興は力強い、満ち溢れるような流れが生まれました。ウェスレーのメソジスト運動は巨大なものへと成長し、産業革命期の混乱・退廃したイギリス社会に一大変革をもたらしました。

 私たちは学校で世界史を学びますが、キリスト教との関係で学ぶことはないと思います。私たちは近世というと、フランス革命とか啓蒙主義を連想するかもしれません。近世は一口で言うと、ローマ・カトリック教会と独裁的な王様から脱却し、国民主体による国家を作りだそうとする時代です。しかし、彼らの根底にあるのはキリスト教であり、聖書であることは間違いありません。しかし、啓蒙主義思想によって啓示よりも、人間の理性に頼るところが多くなり、やがては聖書まで解体してしまいます。また、産業革命に入ってくると、お金や物が最優先され、霊的に退廃してきます。しかし、不思議なことに霊的復興、リバイバルも各地で起ってきます。リバイバルの火はアメリカへと渡っていきます。中部植民地やニューイングランド、ヴァージニアにリバイバルが起こりました。聖書に「心の貧しい者は幸いです」とありますが、人々が霊的に燃えるのは経済的に満たされた平和な時代よりも、霊的にも経済的にも不安定な時代なのかもしれません。なぜなら、その時こそ、神に頼るからではないでしょうか?人間の理性で神さまは分かりません。私たちが霊的に飢え渇き、貧しくなるとき、神さまは豊かに現れてくださいます。

2.フィラデルフィヤにある教会

 後半は黙示録が預言している、「フィラデルフィヤにある教会」について語りたいと思います。おそらく、神さまは国々の情勢にではなく、もっと別なことに興味がありそうです。黙示録3:7「また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。フィラデルフィヤは「兄弟愛」と言う意味です。主は彼らにだれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」と言われました。主にある兄弟たちは最初、互いに争いました。ドイツ30年戦争では多くの人たちが血を流しました。フランスでもカトリックがユグノーの貴族たちを虐殺しました。イギリスでは国教会とカトリックが争いました。互いに戦って尊い人命を失ってから、やっと条約が締結され、平和が訪れました。兄弟愛とまでは言えませんが、交わりを回復していったことは確かです。戦争は悪魔のリバイバルです。何故、同じ神さまを信じているのに、あのように戦うのか信じられません。歴史を学んだ人たちが必ず躓く汚点です。でも、人間は多くの過ちを犯した後で、目が覚め、神さまに目を向けるようになります。プロテスタント教会は、カトリックから色んなきっかけで出たため、たくさんの教団教派が生まれてしまいました。教義や神学は違いますが、キリストを救い主として信じていることは変わりありません。三位一体の教理も共通して持っています。かなり不完全ではありますが、17,18世紀の教会はフィラデルフィヤ「兄弟愛」教会と言うことができるかもしれません。黙示録3:8「私は、あなたの行いを知っている。見よ。私はだれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」とあります。奥山実師は「世界中に福音の門戸が開かれ、世界宣教が盛んに行われた時期である』と言っています。宗教改革の後、カトリックは目が覚めたように世界宣教をしていきます。この宣教は実際には、バチカンではなく、イエズス会やフランシスコ会などの修道会が行ったのです。だいぶ遅れてから、プロテスタントもウィリアム・ケアリーによって宣教会を持つことができるようになりました。奥山師は、教会が宣教をするのではなく、使徒の働きのように「パウロの一行」である宣教会がやるべきなのですと主張しておられます。

 私は、前半の世界史と黙示録3章を照らし合わせながら、この時代は「自由」ということが3つ方面で現れているように思えました。第一は信教の自由です。4世紀から16世紀までは、ローマ・カトリックの支配のもとにありました。それは教皇を頂点としたピラミッド構造であり、それに国王の権力が加担していました。宗教改革によって、教皇と国王が分離しました。やがて、国王は名ばかりで、諸侯や国民で信仰を持つようになりました。しかし、国民はそれぞれの、力ある王様や貴族や領主が持つ宗教的な立場に従っていました。そのため、30年戦争など宗教間の醜い争いが起こりました。この世の人たちから見たら、全くの躓きです。しかし、黙示録3章8後半から10節「なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」とあります。サタンの会衆に属する宗教的団体(教会)から、少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった人たちがいました。彼らは忍耐して主のことばを守ったのです。形では、ルター派と改革派、国教会と3つに大きく分かれました。でも、その中に純粋に信仰を守ろうとしたフィラデルフィヤ(兄弟愛の教会)がいたのです。フランスでは迫害を受けたユグノーたちです。ユグノーとは「誓約仲間」という意味です。彼らはカルヴァン派プロテスタントで、手工業者・独立自営農民・小商人に多くいました。彼らがフランスの金融業、工業、商業の担い手でした。しかし、迫害を逃れてイギリスやドイツに渡り、亡命先の経済を発展させました。もう1つはモラヴィア兄弟団です。ツィンツェインドルフ伯爵の領地に逃れてきたフス派兄弟団の群れが、ヘンフルート(主の守り)と呼ばれる共同体を形成しました。そこに、各地で迫害されていた敬虔派、アナバプテストも逃れてきました。最初は互いに権利を主張し合って問題が絶えませんでした。しかし、1727年8月13日の聖餐式で全員が聖霊の力を経験して、モラヴィア兄弟団が発足しました。ジョン・ウェスレーは1735年アメリカのジョージアへ行く途中、モラヴィア兄弟団の敬虔主義の影響を強く受けました。なぜなら、航海中の嵐の中で平安を保ち、神を賛美する彼らに感動したからです。ジョン・ウェスレーはモラヴィア兄弟団の宣教師ペーター・ベーラーの信仰義認の説教を聞いて、信仰の確信を得ました。さらに、19世紀初頭、主はジョン・ネルソン・ダービーの下に、いわゆるブラザレンを起こされました。ブラザレン運動は、宗教改革より偉大であると言う人もいます。このように信教の自由がフィラデルフィアの教会です。

 第二は人権の自由、人権の解放です。一般国民はかつてローマ・カトリック教会の外にいました。カトリックは教皇と司教などの聖職者によって支配され、一般民衆は教会の外でした。また、十字軍の後、王様による封建主義が強固になり、土地を持たない農民がほとんどでした。イギリスでは名誉革命、ドイツでは30年戦争、そしてフランスではフランス革命が起こりました。どうなったかというと、国民主体による政治の時代がやってきました。啓蒙主義思想も手伝い、「国家とは何か、政治とは何か」ということが問われはじめました。フランスでは1789年に「人間及び市民の権利宣言」を国民議会で採択しました。フランス国旗の青・白・赤の3つの色は、自由、平等、友愛という意味があります。イングランドは1707年、スコットランドを併合して「大ブリテン王国」になりました。共通の議会を持ち一人の国王をいただく連合王国になりました。オランダは、80年の独立戦争を経て、1648年に独立しました。こう考えると、人権の自由というのはタダではもらえないということです。ヨーロッパの各国においては、血の代価、命を払って獲得したものです。「戦争はいけない」と言えばそれまでですが、人権の自由のためには、多大な犠牲が伴うことも確かです。日本はこのような歴史がないので、人権や平和のために戦うという考えがありません。民主主義も他国からあてがわれたような感じがあり、勝ち取ったという考えがありません。イギリスは19世紀には議会政治が確立しますが、それまで幾多の苦難を経なければなりませんでした。私たち日本はイギリス政府の良いとこ取りではないかと思います。黙示録3:11,12「 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。」ここに「勝利」ということばがありますが、冠を守るために戦う必要があるということを暗示しています。ここで言われている冠は人権以上ものであり、信仰を全うした者に与えられる褒賞です。

 第三は思想の自由です。宗教改革以前は、ローマ・カトリック教会が決定したことがすべての基準でした。また、聖書が自由に読めないので、いろんな迷信に縛られていました。しかし、南ヨーロッパではルネッサンス、北ヨーロッパでは宗教改革が起こりました。それは「カトリック教会」という宗教から抜け出すという自由でありました。ルネッサンスは、古代ギリシャ・ローマの文芸復興であり、初代教会の霊的財産をすべて捨てて、古代ギリシャ・ローマまで戻りました。しかし、宗教改革は聖書を土台とした信仰の回復であります。一般の人々がやっと自国のことばで聖書を読めるようになったのです。最初、自国の言葉で聖書を訳した人たちは迫害され、殺されました。このように自由に聖書を読めるのは彼らのおかげです。啓蒙主義思想は最初、信仰を合理化する考え方でありました。ルソーやモンテスキューなどの啓蒙主義は政治や科学の発展にはとても役に立ちました。ところが、調子に乗って、聖書を歴的な書物の1つに考えるようになり、啓示や霊感を否定してしまったのです。スピノザやカントが出て来て、聖書の神とは全く違った方向に行きます。理性は神さまが与えてくれたすばらしい賜物の1つです。でも、理性で神さまのことを知ろうとしたら大間違いです。たとえば、「蟻が人間とは何か?」と研究しても、人間のことがどのくらい分かるでしょう。思想や哲学の重要性は認めますが、私たちは神の被造物であり、限られた存在であることを知るべきです。もし、神さまのことを知りたいなら、神さまご自身が、私たちに開示してくれなれば分かりません。歴史的にはローマ・カトリックという宗教からは自由になりました。しかし、神さまから自由になることではありません。黙示録3:13「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」と書いてあります。イエス様も地上でおられた頃、「耳のあるものは聞きなさい」と言われました。現在は御霊を通して、イエス様が私たちに語っておられます。私たちの知性は、創造主なる神さまに向けるとき、はじめてその方向が定められます。また、御霊による啓示こそが、本当の発明や発見につながるのです。なぜなら、この宇宙や自然界は、知恵者なる神さまが創られたからです。そこに一定の法則や原理があるのは、それが偶然にできたからではなく、創造主なる神が造られた証拠であります。箴言1:7「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」とあります。この世界は閉じられた世界ではなく、今も神さまが奇跡をもって関与してくださいます。