2011.12.11「 ひとりのみどりご イザヤ9:1-7」

本日からクリスマスのメッセージをお届けしたいと思います。きょうの箇所はイザヤ書における、有名な降誕の預言であります。ある説によりますと、旧訳聖書にイエス・キリストに関する預言が350位あるそうです。世界に聖人とか教祖といわれる人が大勢いますが、イエス様のように生まれる1000年以上も前から、預言されている方もいません。釈迦とか孔子、マホメットも、生まれる前から預言されていたわけではありません。しかし、イエス様の場合は、どこで生まれ、だれから生まれ、どのような生き方をするか、どのように死ぬか、復活後どうなるか?一生涯のことがこと細かく預言されています。そして、新約聖書においてそのことが成就され、これからも成就されつつあります。預言と成就ということから考えても、救い主はイエス・キリストしかおられない、唯一のお方だということが分かります。

 

1.メシヤの御姿

 

 イザヤ9:6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」。イザヤは来るべきメシヤがどのようなお方か、4つの特長をあげています。聖書で4というのは、東西南北、世界を表しています。また4つというと、4つの福音書を思い浮かべることができます。4つの福音書はイエス・キリストを4つの方向から語っています。ですから、この箇所から、4つの方向でメシヤを語るのは聖書的ではないでしょうか。「不思議な助言者」はマタイ、「力ある神」はマルコ、「永遠の父」はヨハネ、「平和の君」はルカによる福音書に当てはまるように思えます。おそらく、日本に、こんな風に話している牧師はいないでしょう。これこそが、神の知恵、神さまの油注がれたメッセージです。神さまは、毎週、毎週、毎回、毎回、ワンダフルなメッセージをくださっています。

 まず、「不思議な助言者」ですが、英語ではWonderful Counselorです。イエス様は知恵と知識にあふれていました。イエス様の教えを最も詳細に記しているのが、マタイによる福音書です。当時、聖書の専門家と言えば、律法学者でした。ある人たちは「ラビ」と呼ばれ、大変尊敬されていました。しかし、マタイ5章から7章までの山上の説教を見るとどうでしょうか?イエス様がよく用いた表現があります。「『○○してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。」と言われました。イエス様が引用したのは、当時の教えでした。当時の指導者は律法とその解説をセットにして、権威あるものとして教えていました。しかし、その解説の多くは、神さまの戒めが曲げられ、人間的なものになっていました。それに対して、イエス様は「私はこう言う」「私はこう言う」と律法の真の意味を教えました。イエス様の教えを聞いた人々はどのように思ったでしょうか?マタイ7:29「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである」。そうです。律法学者たちは「○○と書いてある」「○○と言われている」と間接的に語りました。しかし、イエス様は肉体をとられたロゴスとして、「私はあなたがたに言います」と直接的に語ったのです。その先、何度もパリサイ人と律法学者はイエス様をことばの罠にかけようとしました。その度ごとに、イエス様は深い知恵をもって、答えられました。彼らは一言も反論できず、しっぽを巻いて退散せざるを得ませんでした。まさしく、イエス様こそ、イザヤ書が預言した、不思議な助言者でした。今、世の中ではカウンセリングがとても流行っています。昔はフロイトが主流でしたが、今はオカルト的なものまで多種多彩です。世の人たちは問題解決を求めてそういうところに行きます。クリスチャンも、キリスト教カウンセリングに行っており、あるところは、3ヶ月待ちのところもあるそうです。そういうところに行くのは結構です。でも、イエス・キリストこそ、Wonderful Counselorです。聖書のことばをよく読んで、祈るならば、聖霊様が解決を与えてくださると信じます。

 第二はメシヤの特徴は「力ある神」です。イエス様が力ある神として表されているのは、マルコによる福音書です。教えよりも、イエス様がなされた奇跡に多くの文面をさいています。マルコによる福音書の特徴は「すると」「すぐに」「それから」という接続詞でつながっていることです。イエス様がどんどん移動して、奇跡を行っています。人々の病を癒し、悪霊を追い出し、死人さえよみがえらせました。イエス様は「神の国が近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教しました。そのことと、イエス様の奇跡と何の関係があるのでしょうか?神の国が近づいたとは、この世に神のご支配がやって来たということです。この世においては、病や悪霊、死が支配しています。しかし、イエス様と一緒に神の国がやってきたのです。するとどういうことが起こるのでしょうか?天気図では温暖前線と寒冷前線というものがあります。温暖前線と寒冷前線がぶつかる所には、積乱雲が発生します。激しい雷雨になったり、ときには竜巻が発生します。同じようにサタンが支配しているこの世に、神の国が侵入すると、どういうことが起こるでしょうか?隠れていた悪霊が声をあげて出て行くでしょう。病人がたちどころに癒され、死人さえもよみがえります。なぜでしょう?神の国には死も病もないからです。イエス様がたくさんの奇跡をなされたのは、神の国が一体、どういうものであるかを証明するためです。いわば、神の国のパフォーマンスです。伝統的な教会は癒しや奇跡を行なうのを邪道だと批判してきました。それは聖書的ではありません。なぜなら、イエス様も使徒たちも力あるわざを行なったからです。マルコ福音書で、イエス様がこのように私たちに命じておられます。マルコ16:17-18「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」アーメン。イエスさまは「力ある神」であり、私たちにも主の御名によって、それをせよと命じておられます。

第三のメシヤの特徴は「永遠の父」です。イエス様がご自分を「父」とおっしゃっている箇所はどこでしょうか?そうです。それはヨハネによる福音書です。弟子のピリポは父を見せてほしいとイエス様に求めました。ヨハネ14:9-10イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。現代風に言いますと、「いやになっちゃうなー、ピリポ。私を見た者は父を見たのと同じなんだよ」ということです。残念ですが、クリスチャンであっても、神さまが父であることをよく知らない人がいます。神学校でも「神は全能であり、聖であり、善であり、愛である」と教えます。しかし、神さまが父であるということをあまり教えません。祈るときも、「神さま」と呼ぶことはできても、「天のお父様」と呼べない人がいます。なぜでしょう?それは地上の父との間に問題があり、歪んだめがねをかけているからです。どうしたら天の父が分かるのでしょうか?第一は地上の父を赦し、愛し、敬うことによって、歪んだめがねが取り外されます。第二は聖書からイエス様を知り、イエス様と親しく交わることです。第三は霊的な父を持つことです。聖書の時代、学校がありませんでした。ある年齢に達した子どもをラビに預けました。ラビは、父の代わりに人生のすべてを教えました。現代で言うなら、メンターです。霊的な父を持ちましょう。そうしたら、父なる神さまのことがもっと良く分かります。私も10年前、インドネシアのエディ・レオ師にあってから、心が癒され、父の心を持つことができました。教会にはお兄さんはたくさんいますが、父が少ないのです。あなたも霊的な父になりましょう。

 第四のメシヤの特徴は「平和の君」です。ルカ福音書2章には天の軍勢が御子の誕生をこのように賛美しています。ルカ2:14「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」平和こそが、ルカ福音書のテーマです。どうしてそのようなことが言えるのでしょうか?ルカ福音書に出てくる人たちの多くは当時、世の中から排斥されている人でした。女性、子ども、取税人、やもめ、病気の人が出てきます。たとえ話においては、サマリヤ人、いなくなった一匹の羊、ほうとう息子、貧乏人のラザロです。イエス様はそういう弱い人たちのところに行って、彼らの手を取り、恵みを与え、彼らの尊厳を回復してあげました。私たちは平和というと、国際連合とか首脳会談、様々な平和運動を連想するかもしれません。しかし、イエス様のやり方はそうではありませんでした。名もない人々のところに出かけ、福音を宣べ伝え、病を癒し、御国に招きました。御国には身分の上下、貧富の差もありません。マリヤはこのように賛美しています。ルカ1:51-53「主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。」地上と天国は、まるで正反対です。高い者が引きおろされ、低い者が高く引き上げられるのです。これこそが、平和の君である、イエス・キリストの価値観です。イエス・キリストは、まさしく「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」なのです。

 

2.メシヤの出どころ

 

 前後しますが、イザヤ書9章のはじめをお読みいたします。イザヤ9:1-2「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」この箇所はエリザベツの夫、ザカリヤが引用している預言でもあります。ここに「ゼブルンの地とナフタリの地」とありますが、北イスラエルの2部族の名前であります。北イスラエルは南北分裂後、紀元前722年、アッシリヤによって滅ぼされました。その時、アッシリヤはおもだった人たちを国外に連れ去り、その代わりに他国の人たちをそこに住まわせました。その結果、雑婚と混合宗教が起こり、主なる神に対する信仰さえもなくなってしまいました。まさしく、苦しみとはずかしめを受け、異邦人の地になってしまいました。ところで、メシヤである、イエス・キリストはどこからお出になったのでしょうか?マルコ1:9「その頃、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになった」とあります。続いて、マルコ1:14「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えていわれた。『時が満ち、神の国が近くなった。悔い改めて福音を信じなさい』」。そうです。イエス様がご自身をメシヤとして啓示し、福音宣教を始められたのは、ガリラヤでした。都であるエルサレムではありません。はずかしめを受けた異邦人のガリラヤだったのです。そして、そこに住んでいた人たちはどうなったのでしょう?「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」アーメン。福音の光によって、人々は、やみから光に移されました。「死の陰の地」というのは、らい病患者がいるようなところであります。現在はそういう言葉は使ってはいけないことになっていますが、死を待つしかない人々のところに、いのちの光が照ったということです。

 神さまのなさることって、不思議ではないでしょうか?普通だったら、主の都、エルサレムから始めるべきではないでしょうか?なのに、神さまは北方のナザレのガリラヤを選ばれました。当時の人々は「ナザレから何の良いものが出るだろう」と言っていたところです。吹き溜まりのような場所から、メシヤがお出になられたのです。そして、イエス様が選んだ弟子たちのほとんどが、ガリラヤの漁師たちでした。一人だけ都会出のエリートがいましたが、それはイスカリオテのユダです。他の人たちはみな、漁師とか取税人、熱心党員でした。だから、一部の聖書学者たちは、「漁師であったヨハネがギリシャ語で聖書を書けるだろうか?」と疑っています。イエス様はあえてイスラエル大学の出身の人ではなく、あまり学問のない、普通の人たちを選ばれました。ある人がルターに「どうして神様は普通の人を選ばれたのでしょうか?」と、質問しました。ルターは「神さまは普通の人がお好きだからです」と答えたそうです。大変失礼ですが、この礼拝堂におられる方も、普通の人ではないでしょうか?大学教授とか国会議員の方はおられるでしょうか?パウロはⅠコリントでこのように言っています。「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。」(Ⅰコリント1:27,28)

 主のご降誕、クリスマスはどういう人たちのためにあるのでしょうか?私はイザヤ書の9章に書かれているような人たちのためではないかと思います。それは、苦しみ、はずかしめを受け、やみの中、死の陰の地に住んでいる人たちです。エペソ2章にあるように、「罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」私たちは本来、神さまの子どもとして造られたのに、罪の中で死に、サタンの支配下にありました。自分が闇の中にいることさえもわかりませんでした。イエス様を信じて救われた後、「ああ、私は闇の中にいたんだ!」と分かるんです。私はクリスマスのメッセージを伝えるときに、どうしても自分のおいたちを語らなければなりません。私は8人兄弟の7番目として生まれました。高校生の頃だったでしょうか?クリスマスの日、学校の帰り、秋田駅の近くでチョコレートを買いました。これを妹にでもあげたら喜ぶだろうなと思ったからです。もう、上の6人の兄や姉は就職とか結婚で家にはいませんでした。駅から家までの近道は田んぼです。雪が固まっているので、歩けます。その当時、駅を越えて村にはいる左手に十字架の立っているお墓がありました。ずっと後から、カトリック教会のお墓であることが分かりましたが、とっても気持ちが悪くて、ぜったいそっちは見ませんでした。たんぼの雪だけが真っ白で、空も風景も真っ暗でした。子どもの頃から、母に「きょうはクリスマスだけど」と何かくれるのをせがみました。すると母は「うちにはクリスマスはないよ。クルシミマスだよ」と言いました。父はあまり働かないばかりか、お酒を飲むとよく荒れました。毎年、暗いクリスマスでした。そういうクリスマスとは縁もゆかりもない者がこうやって講壇から「クリスマスとは?」と偉そうに話しているのは奇跡ではないでしょうか?

 私が25歳で、救われて献身した教会は座間キリスト教会でした。その教会は日本ホーリネス教団の中にありましたが、成長しない教会が座間教会と三鷹教会だったそうです。だから、教団の人たちは「座間三鷹」と馬鹿にして言ったそうです。しかし、大川牧師が就任してから、みるみるうちに教会が大きくなりました。私が救われた年は1年で52名の受洗者が与えられ、教団で最も大きく成長していました。その時、大川牧師は「昔は座間三鷹だったけど、今は座間を見ろ、だ」と冗談半分に言っていました。「座間から何の良いものが出るだろう」と言われていたのに、大きな教会が生まれたのです。何と、私はその教会からこちらの教会に24年前、赴任してきました。当時、前任者の牧師は教会を開拓するためお辞めになるところでした。山崎長老さんが、座間キリスト教会の礼拝テープを聞いて、とっても恵まれていました。「礼拝メッセージで涙を流したのは初めてだ」と言っていました。山崎長老が「大川牧師の弟子はいないか?」ということで、私に白羽の矢が当りました。私も家内も「日本基督教団は信仰がないので行きたくない」と断るつもりでした。教団の委員は「東支区に6人も無任所の牧師がいるのに、どこの馬の骨かわからない若造を迎えるのか」と反対したそうです。しかし、山崎長老と役員さんは「他の血を入れたいので、ぜひ」と、多くの反対を押し切って、私を招聘しました。1987年、私たちはこの亀有教会に嫁いで来たのです。その年のクリスマス、全部、私が準備しました。飾り付けも催しも、です。イブ礼拝では私がオー・ホーリーナイトを歌い、3歳くらいの娘とダンスまでしました。しかし、今ではゴスペルクワイヤーが立ち上がり、飾りつけも教会員がみなしてくれています。先週の日曜日の夜、1階と2階、そして礼拝堂を見て、本当に感動しました。

 葛飾区亀有の地はどういうところでしょうか?「やみの中を歩み、死の陰の地に住んでいた」と言うと怒られるでしょうか?神さまは私を亀有に遣わしてくださいました。もちろん、私よりもすばらしい牧師がたくさんいるでしょう。でも、「私だから良かった」ということもあるかもしれません。「私だから躓いて来ない」という人もおるかおしれません。その比率はどうか分かりません。でも、神さまは取るに足らないこの私を用いてくださり、この場所に群を起こしてくださいました。これは神さまのご計画、摂理のみわざではないでしょうか?思えば、この教会においては、奏楽が一番のネックでした。ピアノ、エレキドラム、キーボード、マイクも揃えましたが、やる人がいませんでした。当初から、銀行員の中野さんがギターで賛美をリードしてくれました。そして、2000年にゴスペルが立ち上がり、毛利兄姉が与えられ、ぐっとバージョンアップしました。今では、第一礼拝、第二礼拝、CSも独立して賛美をして礼拝を持っています。ステージで複数の人たちが、毎週、賛美をリードしてくれています。これこそ、主のみわざではないでしょうか。異邦人の葛飾区亀有は「光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」のです。アーメン。今年、日本基督教団から独立しました。中心的な理由は聖書に土台した教会を作るためです。イエス・キリスト様が、聖書を土台にしているこの教会をこれからも祝してくださると信じます。