<ルカ 21章1節-6節>
21:1
さてイエスが、目を上げてご覧になると、
21:2
また、ある貧しいやもめが、
21:3
それでイエスは言われた。「
21:4
みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、
21:5
宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった
21:6
「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、
やって来ます。」
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昨年の今頃、3/
その時期は、
そんな時に心から気持ちが落ち着くメッセージが与えられました。
それが今日語らせていただく聖書箇所からの「イエス様の目」
イエス様は、貧しいやもめの捧げものと、その心を見ておられ、
メッセンジャーの牧師は、震災が起きてすぐに、
一緒に被災地にボランティアに行った学生は、「先生!
しかし牧師はメッセージの終わりにこう語っていました。
「私は、それはイエス様の目ではないと思います。
・・・私は本当にその通りだと思いました。私たちには、
やらなければならないことを放り出してまで被災地に行くことを神
私はこのメッセージを聞いて、確かに気持ちが落ち着きました。
しかし、
私の限界のある能力や体力、
そこでもっと聖書を深く掘り下げて読み、
・「イエス様の目」は、どこを見ておられたのでしょうか。
・また、私たちがイエス様のような目を持つには、
聖書の記述を追いながらご一緒に確かめて行きましょう。
①イエス様は貧しいやもめの心を見ておられました。
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<ルカ>
21:1
さてイエスが、目を上げてご覧になると、
21:2
また、ある貧しいやもめが、
21:3
それでイエスは言われた。「
21:4
みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、
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この「ある貧しいやもめ」
レプタ銅貨は、この時代の最小単位の貨幣だそうです。
この貧しいやもめの話に似たような話ですが、「長者(
「インドの阿闍世(あじゃせ)王という王が、
というものです。これは、
このように仏教でも、
でも、
この聖書の箇所で語られる礼拝メッセージは、「献金のお勧め」
イエス様の目はどこを見ておられたか。
マルコの12:41の並行記事では、
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<マルコ>
12:41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、
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と書かれています。
イエス様は献金箱の向かいに座って人々のようすを見ておられまし
原文のギリシャ語では、「見る」という動詞に「qewre,w セオレオゥ」という言葉が使われていて、
イエス様は「じっと見る」ことで、
「多くの金持ちが大金を投げ入れていた」の「入れていた」
実はこの金持ちたちは、
イエス様はその様子をじっと見ておられました。
そこに、貧しいやもめがやってきたのです。
実は、当時の献金の規定では、
イエス様の目は、
やもめの決断は全財産を捧げることでした。
しかし、もしかしたらやもめには、「
でも、やもめはすべて捧げる方を選びました。
そのようなやもめの心に対してイエス様は、
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<ルカ>
21:3
それでイエスは言われた。「
21:4
みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、
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マルコの福音書にも同じ記述があります。
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<マルコ>
12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「
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イエス様は「弟子たちを呼び寄せて」語られたと書いています。
やもめはイエス様に褒めてもらおうなどとは全く考えていませんで
やもめはどんなに嬉しかったことでしょう。そして、
イエス様の目は私たちの心もじっと見ておられます。
②イエス様は同時に世の終わりを見ておられました。
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<ルカ>
21:5
宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった
21:6
「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、
やって来ます。」
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ここで出てくる宮とは、エルサレムの神殿をさしています。
エルサレムの神殿は、
はじめの神殿はソロモン王が紀元前950年に建てたと言われてい
第二神殿は、イスラエルの民が70年後に帰還して、ゼルバベル、
第三神殿は、イエス様が生まれた時に殺そうとしたヘロデ王(
ちなみにヘロデ王はイエス様が生まれて間もなく死んだらしいので
この実際に起こった歴史を顧みる時、
ルカでも、マタイやマルコでも、
この終末の預言を語られたイエス様の本来の目的は、「
今、私たちが生きている時代は、
③イエス様は慈しみのまなざしで私たちを見ておられます。
「イエス様の目」は、
私たちが、
しかし、
私たちは、ついつい人の目を気にしてしまいます。
しかし、本来私たちが気にするべき目は、人の目ではなく、「
みなさんの中には、「自分はそんなに立派なことはできないし、
でも大丈夫です。イエス様の12弟子たちも、
イエス様の一番弟子と言われたペテロなどは、
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<ルカ>
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
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イエス様は後にイエス様を裏切るペテロのために「
また、
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<ルカ>
22:61 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、
22:62 彼は、外に出て、激しく泣いた。
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ペテロを見つめたイエス様の目は、
ペテロはこの時、イエス様を裏切った後悔の涙とともに、
このペテロに向けられた、「イエス様の祈りと慈しみのまなざし」
なぜなら、私たちもペテロと同じように、弱く、
でも、イエス様は、私たちのためにいつも「
人の目ではなく、イエス様の目だけを気にしていきましょう。
ギリシャ語で「パンタクリストス」という言葉があります。「
こうして、
私は、「イエス様の目」をいつも身近に感じているならば、
「イエス様の目」を近くで、また心の内で、
またそうすることによって、今やらなければならないことや、
黙示録の最後の章には、
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、
と書かれていますが、この御言葉は、
私たちは、ただこのお方に従って行けばよいのです!「