2013.8.25「箱舟を造ったノア 創世記6:8-18 へブル11:7」

 アダムから生まれた子孫が地に増え広がりました。しかし、地上には悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことに傾いていました。それで、主は地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められました。主は「私が創造した人を、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで、地の表から消し去ろう」と決意されました。しかし、ノアだけが、主のこころにかなっていました。神さまはノアを選んで、地を洪水で滅ぼす前に箱舟を造らせました。きょうは、ノアの信仰について共に学びたいと思います。

 

1.箱舟を造ったノア

 主はノアに「このように、箱舟を造りなさい」と、詳細な設計図を示されました。長さと幅と高さの比率が、30:5:3です。造船界では、タンカーなどの大型船を造船する際に最も高い安定性と強度を持つことから「黄金比」などと呼ばれています。知恵ある神さまは最も安定する舟を造らせたのです。ハレルヤ!1キュッビットは約44.5センチですから、箱舟の大きさは、現在の長さでいうと、長さが133メートルです。サッカー場よりも20メートルくらい長いです。幅は22.2メートルです。そして、高さが13.3メートルですから、4,5階建てのビルデングであります。ノアはその舟をどこで造ったのでしょう?普通、舟は港で造るものです。しかし、山の上でした。山の上だったら、木がふんだんにあり、運ばなくても良いからです。あとで洪水が来たとき、その舟は自然に浮きました。人間だけではなく、動物も載せるので、3階建ての超大きな舟です。鍛冶屋はいたと思われますが、すべてが手作業です。だから、箱舟を造るのに、丸100年かかりました。3人の息子たちが手伝ったと思われますが、気の遠くなるような作業です。水が外から入らないように、内と外とに木のヤニで塗りました。「塗る」はヘブル語では、カーファルですが、「罪を赦す」とか「贖う」という言葉と同じです。まさしく、箱舟の内側には命がありましたが、箱舟の外は死でした。

 へブル人への手紙の記者は、ノアは信仰によって舟を造ったと言っています。へブル11:7「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」まだ見ていない事柄とは何でしょう?やがて大雨が降り、大洪水が押し寄せて、地上のすべてのものが死に絶えるということです。神さまはノアとその家族を救うために、契約を結ばれました。そのために、箱舟を造り終えたら、ノアとノアの家族は造った舟に入ること。すべての生き物の二匹ずつを箱舟に入れること。家族と動物の食物にするために、食糧を取って集めるという条件でした。ノアはどうしたでしょうか?創世記6:22「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」これと同じことばが、創世記7:5にも出てきます。ノアがなぜ、「正しい人」と言われたのでしょうか?それは、道徳的な面だけではありません。神さまの命令に従う人が正しい人なのです。ノアは信仰によって、神さまが造りなさいという箱舟を造り、やがて来る大洪水に備えました。「与作は木を切るヘイヘイホー、ヘイヘイホー」という歌があります。しかし、ノアの方が先輩です。「ノアは木を切るヘイヘイホー、ヘイヘイホー」。山で木を切る音が、100年間も続きました。

 では、ノアは他の人々に、「洪水が来るから備えるように」と言わなかったのでしょうか?Ⅱペテロ2:5「また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し…」とあります。「義を宣べ伝えた」というのは、神のさばきである洪水が来るということを伝えたということです。でも、人々は「洪水なんて来るわけがないだろう!」と聞こうとしなかったのです。イエス様がこのようにおっしゃられています。マタイ24:37-39「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりすることは悪いことではありません。しかし、彼らは洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、同じことを繰り返していました。地上のことに心を奪われていたので、その日が来ることに気付かなったのです。ノアとその家族は仕事の合間に、町に出かけて、「自分たちは箱舟を造っているけど、まもなく洪水が来るから入らないか」と言ったのではないかと思います。しかし、町の人たちは「ノアは頭がおかしくなった」とまともに耳を傾けませんでした。ノアの警告を100年間も無視したのです。教会はノアの箱舟にたとえられています。今でも、世の人たちは「毎週、日曜日、教会に出かけるなんて、よっぽど暇なんですね。」と嘲笑するかもしれません。どうぞ、私たちはノアのように、神からの警告に備えながら、他の人たちに福音を宣べ伝えたいと思います。ノアは成功した伝道者だったでしょうか?ノアとその家族、合計8人しか救われませんでした。数的には少ないかもしれませんが、ノアを含め、8人の家族が救われたということはすばらしいことではないでしょうか。私たちも「少なくとも自分の家族が救いに入れられたら」と願います。

 

2.箱舟に入ったノア

 100年たって、いよいよ箱舟が完成しました。ノアは神さまに命じられたとおり、動物たちを1つがいずつ集めてきました。きよい動物だけがなぜ、7つがいなのかというと、あとで犠牲として神さまにささげるためです。羊とかヤギ、牛などがきよい動物とみなされていました。一体どれくらいの数なのかわかりません。ノアの物語の絵をみますと、ライオン、トラ、キリン、カバ、象、サル、らくだ、鶏、馬、ガゼール…。しかし、いくら舟が大きくても、すべての動物を1つがいずつ集めるのは不可能だろうと思うかもしれません。それに、野生の動物が、おとなしく箱舟に乗るでしょうか?私も、科学的に説明できないところがあります。しかし、神の霊が動物たちを集めたのではないかと思います。創世記7:7-10「ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。」ノアとその家族が箱舟に入りました。そして、動物たちが、雄と雌二匹ずつが箱舟に入って来ました。おして、いよいよ雨が降ってきました。創世記7:11-12「ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。」雨の降り方が現在のと、全く違います。なぜなら、「天の水門が開かれた」とあるからです。

 このところに不思議な表現があります。創世記7:16「…それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」大雨が降ってきて、人々は「ああ、本当に洪水がやって来た」と驚いたでしょう。そして、ある人たちは、箱舟にたどりついて、そのドアを叩いたかもしれません。「ドアを開けてくれ!」と言ったかもしれません。もし、ノアが「ああ、そうか」と言ってうしろの戸を開けたらどうなるでしょう。洪水が入り込み、箱舟もろとも沈んでしまうかもしれません。「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」このところには、峻厳なる神のご意志があります。戸が閉ざされたなら、出ることも入ることもできません。ケネス・ヘーゲン牧師の証です。私が17歳で、まだ寝たっきりだったころ、いとこのリジーおばさんが、彼女の娘と一緒に私たちのところを訪れていました。リジーおばさんがいるところでは、神のことを決して口にすることができませんでした。もしそうでもするなら、彼女は怒鳴り散らして、こう言い始めるのです。「神なんかいないわ!天国も地獄もないわ。説教者なんかみんな殺されるべきよ、どの教会も焼かれるべきよ。ああいう説教者たちは人々をだましているだけなんだから。彼らは人々のお金を取ろうとしているだけだよ」。私が病をいやされて約10年後にリジーおばさんと会ったときは、彼女はもう老けていました。あるとき、リジーおばさんの暮らしていた町で集会を開いていました。リジーおばさんの娘のロレンナが、彼女のお見舞いに来てほしいと言いました。ロレンナは私の両手を取って泣き出しました。「ああ、ケネス。母は昏睡状態で、お医者さんから二度と回復しないと言われているわ。でも、彼女の意識が戻ったら、あなたから彼女に話してくださるかしら?」。寝室に入ると、リジーおばさんは昏睡状態で横たわっていました。彼女の両目は大きく開いていましたが、目は大理石にようで、一度もまばたきしませんでした。ロレンナは「ママ!ママ!」と大声を上げて彼女を少揺さぶりました。ロレンナは「おばさんの息子のケネスを覚えてる?長い間、寝たっきりだったけど、後で説教者になっている人よ」。ロレンナが「説教者」と言ったとき、リジーおばさんがベッドの上で身を起こしました。「ケネス!ケネス!お前は説教者だね。『地獄はない』と私に言っておくれ。私は『神はいない』って言ったわ。私は『天国はない』って言ったわ。」リジーおばさんは半狂乱になって、さらに叫びました。「私に言っておくれ、『地獄はない』って。私はとても怖いわ。とても暗いし、私は怖いわ。ああ!ああ!」そして、リジーおばさんは後ろの枕の上に倒れました。私はイエス・キリストのことを話し始めました。しかし、リジーおばさんは持っていた体力を全部使い果たし、枕の上に倒れた時、無意識状態に陥り、二度とそこから戻ってきませんでした。箱舟に入るということは、キリストがくださる救いを受けるということです。私たちの人生においてその決断がいつでもできるわけではありません。人生のドアが閉じられるときがあるからです。

 

3.箱舟を出たノア 

創世記8:1-4「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。」かなり前、ある調査団隊が、アララテ山に登って、ノアの箱舟の残骸を写真に撮ったようです。また、宇宙船から取った写真をテレビで見たことがあります。しかし、現在はトルコ政府がアララテ山に登ることを禁じています。アララテ山のふもとに住む人たちは、ノアの洪水物語を何千年も語り継いでいます。神さまは、科学的な証明ではなく、信仰によって信じるように導かれているようです。それでは、科学は不要かというとそうではありません。ノアは水がどのように減っていったか、時間の経過とともに克明に記しています。雨が降り始めたのがノアの生涯の600年目の第二の月の17日でした。そして、第七の月の17日に、アララテ山の上に止まった。5か月で150日目です。第十の月の1日に、山々の頂が現れました。40日たって、箱舟の窓を開いて、烏を放ちました。地がかわききるまで、出たり、戻ったりしていました。それから鳩を放ちましたが、足を休める場所が見当たらなかったので、箱舟に戻ってきました。

創世記8:10-11「それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。」ピースというたばこがあります。昭和27年、日本の専売公社がアメリカのデザイナーに当時150万円の高額なデザイン料を支払いました。このデザイン変更で爆発的に売り上げが伸びたそうです。ノアが箱舟の窓から放った鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってきたことで、大洪水が収まり、安らぎの大地が近いことを知った、という、鳩が平和の象徴となった逸話にちなんでいます。ノアは7日後、また鳩を放ちましたが、もう戻ってきませんでした。では、すぐに箱舟を出たかというとそうではありません。創世記8章13節以降にも、水がどうなり陸地がどうなったか書かれています。そして、第二の次の27日、地はかわききりました。なんと、箱舟に乗ってちょうど1年後です。1年間も、狭い舟に乗っていたら、気が狂うでしょう。陸地が見えたら、すぐにでも降りたいところです。でも、ノアは1日、1日、日付を付けていました。雨がどのくらい降ったか。大洪水が何日あったか。水がどのくらいまし、どのくらいで引いたか。からすを放ち、はとを放ちました。それでも、出ませんでした。ノアは、なんと科学的で、なんと緻密な人のでしょう?気が狂わなかったのは、第二の月、第三の月、第四の月、第五の月、第六の月、第七の月、第八の月と日を数えていたからです。

いつ出たのでしょう?創世記8:15-16そこで、神はノアに告げて仰せられた。「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。」そうです。主のおことばがあって初めて、ノアは舟を出たのです。ノアは、科学的なデーターを握っていました。しかし、主のおことばがあるまで待ったのです。もし、陸地が見えたとき、降りたならば、伝染病にかかったかもしれません。自然が完全に回復するまで待たされたのです。箱舟を降りたのは、ノアとその家族、合計8人でした。船という漢字があります。右側の作りに、八口と書かれているのには意味があります。口は人のことを言います。ですから、八口は八人という意味になります。まさしく、船はノアの箱舟の物語から来ています。ノアが舟から出て、一番最初にしたことは何でしょうか?それは礼拝です。創世記8:20「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」きよい動物の数がなぜ、他より多かったか?それは、全焼のいけにえとしてささげるためでした。普通だったら、「ああ、助かった」と食べて飲んで、祝杯をあげるでしょう?しかし、まず、ノアは主のために祭壇を築き、礼拝をささげました。ノアは家を建てる前に、神さまに礼拝をささげました。穴という漢字があります。箱舟から出た八人は住む家もなく、しばらくの間、洞穴に住んだかもしれません。空(から)という漢字があります。8人が青空の下で働(工)いたので、穴が空っぽになったということを連想させます。

神さまは新たに契約を交わしました。だれと交わしたのでしょう?神さまはノアとだけ契約を結ばれたのではありません。創世記9:9-11「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」神さまは、「もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない」と約束しました。しかし、それは人間とだけではありません。すべての生き物、鳥、家畜、野の獣たちを含んでいました。神さまは人間以外の生物のことも考えておられます。ここからわかることは救いというのは、人間だけのことではなく、世界全体のこと指しています。聖書で最も有名な聖句と言えば、ヨハネ3:16です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」です。神さまは、だれを愛されたのでしょうか?世、世界であります。人間だけではなく、動植物すべてを愛しておられます。だから、救いというとき、自然界も含まれているということです。そして、神さまは契約のしるしとして空に虹をかけました。創世記9:13-15「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。」洪水の前に、空に虹がなかったのでしょうか?保守な聖書学者は、「ノア以前の地球は厚い水蒸気で覆われていたのはないか」と言います。ノアの洪水以降の人たちの寿命が120歳であると書かれています。その理由は、水蒸気の天蓋が取り除かれて、有害な宇宙線(放射能)が地上に降り注がれるようになったからなのかもしれません。厚い水蒸気の層がなくなり、青空が見えるようになりました。だから、雲の中に虹が現れるようになったと考えられます。虹は鳩と並んで、平和の象徴になっているのはこの話からです。神さまは虹を見たら、ご自身の契約を思い出すとおっしゃいました。つまり、二度と大洪水ですべての肉なるものを滅ぼさないということです。歴史上、洪水は何度もありましたが、ノアのような地球規模の洪水は起こったことがありませんでした。

でも、神さまは世の終わり日には、洪水ではなく、火によって滅ぼすと警告しています。Ⅱペテロ3:6-9 「当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」ノアのときは、大洪水でこの世界がさばかれて、滅ぼされました。しかし、世の終わりは大洪水ではありません。「火によって、不敬虔な者どもをさばく」と言われています。まさしく、私たちは世の終わりに住んでいます。かつて、ノアの洪水が起こったように、火によるさばきも必ず起こると信じるべきではないでしょうか?それでも、世の人たちはノアの時代の人たちのように、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしています。まず、私たち自身が目をさまして備えなければなりません。また、一人でも多くの人たちがノアの箱舟である、キリストの教会に身をよせるように働きかけたいと思います。正確には教会に来さえすれば良いということではありません。罪を悔い改め、つまり方向転換し、イエス・キリストを救い主として信じなければなりません。イエス・キリストことが、主であり救い主だからです。