2013.10.6「逆転勝利の人生 創世記45:1-8」

 ヨセフの物語は創世記37章から50章まで記されています。映画にもできそうな大スペクタクルをたった30分で語るには、畏れ多いことであります。もし、ヨセフの物語を1ことで言うならば、それは「神の摂理」であります。神さまを信じない人たちは、すべては、偶然の積み重ねだと言うでしょう。しかし、そうではありません。使徒パウロはこのように言っています。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」神さまがすべてのことを働かせて益としてくださるのです。ヨセフはエジプトの奴隷から宰相(総理大臣)、どん底から天にまで引き上げられた人物です。

 

1.奴隷ヨセフ

ヨセフはヤコブの11番目の子どもであり、ラケルとの間で生まれた最愛の息子でした。このところでは、ヤコブはイスラエルと呼ばれています。創世記37:3-4「イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。」そでつきの長服を着るということは、働かなくても良いということです。また、ヨセフは兄弟たちの悪いうわさを父に告げていました。「父からえこひいきされているだけではなく、告げ口までするなんて!」他の兄弟たちはそういうヨセフをとても憎んでいました。しかし、それだけではありません。ある日、自分が見た夢を兄弟たちに自慢しました。創世記37:6「ヨセフは彼らに言った。『どうか私の見たこの夢を聞いてください。見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。』兄たちは彼に言った。『おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。』こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。」ヨセフは再び、夢をみましたが、それも兄たちに話しました。太陽と月と11の星がヨセフを伏し拝んでいるという夢でした。これには父イスラエルも「お前の見た夢は、いったい何なのか?私や母上、兄さんたちも、地に伏しておがむとでも言うのか」と、ヨセフを叱りました。この夢はやがて実現するのですが、それから長い年月を経てのことでした。

あるとき、兄たちが羊の群れを飼うために遠くにでかけていました。父はヨセフに、兄たちのことが心配なので、様子を見に行かせました。創世記37:18「彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。彼らは互いに言った。『見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。』」兄弟たちは、ヨセフを「夢見る者」と完全に馬鹿にしていました。ヨセフを殺して穴に投げ込もうとだれかが言いました。ところが、長男のルベンは「彼に手をくだしてはならない」と止めました。ちょうどそこに、エジプトに向かうイシュマエルの商人が通りかかりました。その商人にヨセフを銀20枚で売りました。兄弟たちは、ヨセフの長服を家畜の血を付け、父に「悪い獣に殺された」とウソをつきました。ヨセフは17歳のとき、エジプトの奴隷に売られてしまいました。それからどうなったでしょう?ヨセフはパロの侍従長ポティファルの家で働くことになりました。ここにすばらしいみことばがあります。創世記39:3-4「彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。」「愛される」ということばは、英語の聖書ではfavorとなっています。favorは日本語にすると、「愛顧」「寵愛」という意味です。ヨセフは主人からだけではなく、神さまからも、favorを受けていました。主はヨセフのゆえに、ポティファルの家と全財産を祝福しました。ポティファルは自分が食べるもの以外、全財産をヨセフにゆだねていました。

ヨセフは体格もよく美男子だったので、ポティファルの妻が誘惑しました。ヨセフは「どうして私が、ご主人にも、神さまにも罪を犯すことができましょうか」と払いのけました。ところが、彼女は「私と寝ておくれ」と毎日、ヨセフに言い寄りました。あるとき、ヨセフの他だれもいないときがありました。彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」とせまってきました。しかし、ヨセフはその上着を彼女の手に残して、外に逃げました。「ところが」であります。彼女はポティファルが帰ってきたとき、その上着を手に取り、「へブル人の奴隷が私にいたずらをしようとしたのです」と嘘をつきました。主人は怒りに燃え、王の囚人が監禁されている監獄にヨセフを投げ込みました。当時の監獄は地下牢で、暗くてとても不衛生でした。そこでも、すばらしいことが起こります。創世記39:21-22「しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。」このところに、「恵みを施し」とありますが、英語の聖書ではfavorとなっています。ヨセフは監獄の長からだけではなく、神さまからも、favorを受けていました。ヨセフは監獄の中にあって、囚人たちを管理する者となりました。監獄の長はヨセフを信頼して、彼に全部任せました。

この2つの記事で共通していることは何でしょう?ヨセフの環境は最悪でした。兄弟たちから妬まれ奴隷に売られました。主人の家では順調に言っていたのに、濡れ衣を着せられ、今度は監獄に投げ込まれました。普通だったら、「私は悪くないのに」と、神と人を呪うはずです。しかし、ヨセフはひとことも愚痴を言っていません。もう1つは「神さまがヨセフと共におられた」ということです。神さまが共におられるなら環境や立場は関係ありません。ヨセフはどこにおいても祝福されました。かつての主人は「何故なんだろう?ヨセフに任せるとうまく行く。売上も伸びた。ヨセフに任せよう」と思いました。また監獄の長は「囚人たちがおとなしい。ヨセフに任せよう」と思いました。ヨセフはどこででも、favor好意を得ました。私たちは「環境が悪ければどうしようもない。環境が人間を作る」と言います。ある人は自分が育った家、学んだ学校、職場、地域社会を呪うでしょう。もちろん、環境もあるでしょう。しかし、ヨセフの物語を見るとき、環境よりも主が共におられるかどうかであります。本来なら、人々、社会、運命を呪うはずです。しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施してくださいました。その結果、主人から厚遇され、家や監獄全体が祝福されました。ヨセフがいたおかげで、まわりの人たちも祝福を得ました。ハレルヤ!私たちがクリスチャンとして、祝福を運ぶ管として、用いられたら何と幸いでしょう?そのためには、置かれている環境に愚痴を言わず、神さまの隣在を仰ぐことであろうと思います。

あるとき、ヨセフが監獄から出られるチャンスが訪れました。王様に仕える献酌官長と調理官長の二人が嫌疑をかけられて監獄に入ってきました。ある晩、二人とも夢を見ました。翌朝、二人の顔色が悪いのでヨセフは「どうかしたのですか?」と尋ねました。二人は「私たちは夢を見たが、解き明かす人がいない」と言いました。ヨセフは「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください」と言いました。束の夢と星の夢を見てから、10年もたっていましたので、すっかり砕かれていました。だから、「解き明かすことは、私ではなく、神さまがなさることだ」と言いました。ヨセフは献酌官長の夢を解き明かし、こう言いました。「三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたが幸せになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」献酌官長はヨセフにとって、頼みの綱でした。ところがどうでしょう?創世記40:23 「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。」なんと、それから2年間、放置されました。詩篇にヨセフのことが書かれています。詩篇105:18-19「彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った。彼のことばがそのとおりになる時まで、【主】のことばは彼をためした。」本当に、ヨセフはためされたのです。彼のことばのとおりなるまでです。それは「あの夢が実現するまで」であります。私たちのいろんな夢を見ます。あるものは、神さまから与えられた夢があるでしょう。「絶対、この事は叶う」と信じたかもしれません。しかし、度重なる試練によって、その夢を捨てた人もいるでしょう。ヨセフも試されました。何年間でしょう?13年間です。ヨセフが30歳になったとき、チャンスが訪れました。今でいうブレイクです。いつ、ブレイクが来るか分かっていれば、試練を耐え忍ぶことができるでしょう。しかし、実際は、いつ、そういうときが来るか分かりません。奴隷のヨセフは、私たちの暗い人生を象徴しています。私たちの人生にも暗い部分があるはずです。しかし、ヨセフには神さまが共におられました。私たちもキリスト様を信じているなら、神さまが共におられます。

 

2.宰相ヨセフ

 物語は創世記41章から良い方向に展開します。創世記41:1「それから二年の後、パロは夢を見た」とあります。「それから」とは、ヨセフが献酌官長の夢を解き明かしてあげた二年後です。エジプトの王ファラオ、つまりパロが2つの夢を立て続けに見ました。ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいました。するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立ちました。そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしました。そのとき、パロは目がさめました。それから、彼はまた眠って、再び夢を見ました。肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来ました。すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来ました。そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまいました。そのとき、パロは目がさめました。朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せました。パロは彼らに夢のことを話しましたが、それをパロに解き明かすことのできる者はいませんでした。そのときです。あのときの献酌官長が進み出て、「そういえば、地下牢にヘブル人の若者がいました。彼が私の夢を解き明かして下さいました」と告げました。さっそく、ヨセフは地下牢から連れ出され、着物を着替えてから、パロの前に出ました。ヨセフはその夢を解き明かしました。創世記41:29-33「今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。…それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。」

 パロは家臣たちに「神の霊の宿っているこのような人を、他に見つけることができようか」と感心して言いました。そして、ヨセフに「あなたのように、さとくて知恵のある者は他にはいない。あなたは私の家を治めてくれ」と願いました。パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、自分の第二の車に彼を乗せました。ヨセフはエジプトの宰相、今で言う総理大臣になりました。ヨセフは13年間奴隷でしたが、30歳になって宰相になりました。しかし、物語はこれで終わりではありません。ヨセフは神から与えられた知恵で、エジプトを治めました。大豊作で得た穀物を蓄えさえ、ききんに備えさせました。7年後、ききんが全世界に及んだので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来ました。ききんはヤコブが住んでいたカナンにも及びました。それで、ヤコブはエジプトに入って、穀物を買ってくるように命じました。一番下のベニヤミンを除いて、10人の兄弟がエジプトに下って行きました。兄弟たちは、目の前の人物がヨセフとは知らず、顔を地につけて伏し拝みました。このとろころで、夢が1つ成就しました。ヨセフは知らんぷりして、荒々しくふるまいました。ヨセフは「お前らはスパイだろう。この地のすきをうかがいに来たのだろう」と言いました。兄弟たちが監禁されている間、「我々は弟のことで罰を受けているのだ」と言いました。ルベンは「私があの子に罪を犯すなと言ったじゃないか」と言いました。ヨセフは彼らの会話を聞いていました。それから、ヨセフはシメオンを人質に取り、他の兄弟を返しました。ヨセフは「今度来るときは、一番下の弟を連れて来なければ、私の顔を見てはならない」と言いました。それを聞いたヤコブは「ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。もし、災いが降りかかれば、この白髪頭の私を、悲しみながらよみに下らせることになる」と反対しました。そうこうしているうちに、食物が尽きてしまいました。ヤコブはベニヤミンを離したくありません。ルベンとユダは自分たちが彼の保障になりますから、行かせてくださいと懇願しました。それで、贈り物を携え、ベニヤミンを連れてエジプトにくだりました。兄弟たちは、地に伏してヨセフを拝みました。それから、ヨセフは兄弟たちを招いて食事をしました。兄弟たちは、年長者から年下の座にすわらせられたので、互いに驚き合いました。翌日、穀物を得て帰るのですが、ベニヤミンの袋の中に銀の皿が入っていました。ヨセフがしくんだことですが、「ベニヤミンを残して、お前たちは父のもとへ帰れ」と言いました。すると、兄弟たちは「彼がもどらなければ、父親は死ぬでしょう。自分たちが奴隷となりますから、彼を返してください」と懇願しました。

 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、人払いをしてこう言いました。創世記45:3「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。「目の前のエジプトの支配者があのヨセフなんて!」兄弟たちは、驚きのあまり答えることができませんでした。これまで自分たちは何度もヨセフを伏し拝みました。「まさか、あの夢のとおりになるのは!」青天の霹靂、驚天動地、言い表すことが不可能なくらいの驚きです。ここでヨセフが発したことばに注目したいと思います。45:5「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」そして、45:8「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」ヨセフは兄弟たちを試しました。兄弟たちが完全に悔い改めていることを知りました。もう、ヨセフは彼らを恨んではいません。「神さまがあなたがたを救うために、私をエジプトに遣わしたんだ」と言いました。つまり、神さまが全世界をコントロールし、すべてのことを働かせて益としてくださったということです。

 ヨセフは奴隷から宰相、どん底からてんぺんを取った人です。しかし、ヨセフの物語は、豊臣秀吉のような出世物語ではありません。ヨセフの物語は、偶然の積み重ねではなく、神さまの御手が働いていたことを見ることができます。多くの人たちは自分の過去の人生を振り返り、後悔しています。なぜ、あの家に生まれ育ったんだろう。なぜ、あの人が私の父、あの人が私の母だったんだろう。なぜ、私の家は貧しかったんだろう。だから、あの学校にも行けなかった。ああ、あの部活で挫折した。私の夢も挫折してしまった。あの会社が、あいつが私を裏切ったんだ。なんであんな事故にまきこまれ、なんであんな病気になったんだろう。結婚した相手が間違っていた。私が一生懸命努力したことは何だったんだろう!ぜんぜん、日の目を見ないじゃないか。まさしく、奴隷生活、生き延びるための人生だったかもしれません。多くの人はそれでも、ラッキーブレイクを望んでいます。ほんの一握り、日の目を見る人がいるでしょう。でも、自分は別です。いつでも、貧乏くじを引いています。もし、イエス様を信じているのに、このような人生であったら、どこか間違っていると思います。ある人が、「どんなマイナスでも、かっこでくくりそこにマイナスをつけると、全部プラスになる」と言いました。マイナス、かっこ、マイナス○○。かっこを取ると、確かにプラス○○になります。

 ヨセフは17歳のとき兄弟たちから妬みを買い、エジプトに奴隷に売られました。でも、主が共におられたので、どの場所でも祝福を受けました。ヨセフはそこで、人や物の管理を学びました。人格的にも砕かれ、神さまを信頼することを学びました。そして、30歳になったとき、パロから呼び出され、パロの夢を解き明かしました。その後、エジプト全土の穀物を管理することを任されました。と言うことは、13年の奴隷と監獄生活は無駄ではなかったということです。そして、自分を売った、兄弟と全家族をエジプトに避難させることができました。一番大事な真理は、これです。ヨセフの人生を神さまがコントロールしていたということです。言い換えれば、すべては主の御手にあるということです。私たちの責任は何でしょうか?これまで自分を苦しめた人や環境を呪わないで、神さまの御手にゆだねるということです。私たちの神さまは逆転勝利を与える神さまです。私たちはこれまで傷つき、多くのものを失いました。取り返しのつかない罪や失敗も犯しました。しかし、私たちの神さまはそれらを全部ひっくり返して益にしてくださる方です。もちろん、同じものは手に入らないかもしれません。しかし、それ以上のものを神さまは用意してくださいます。これはだれにでもそうなるわけではありません。パウロは、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のために」と言いました。私たちの条件は救い主キリストを信じて、神さまを愛することです。そして、神さまの計画をもって私たちを召してくださっていることを信じることです。神さまに心を開きましょう。神さまに人生をゆだねましょう。神さまの計画を受け入れましょう。そうするなら、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます。あなたもヨセフのように逆転勝利の生活を送ることができます。