2013.12.1「神の人サムエル Ⅰサムエル3:1-10」

 旧約聖書から代表的な人物を取りあげて学んでいます。その人の長い人生をたった、30分で話すには限界があります。どうしても、出来事を長く説明して、メッセージの部分が短くなってしまいます。それでも、馴染みのない旧約聖書に触れるということは、とても良いことだと思います。前々回は、サムソンを学びました。そして、前回は、ルツについて学びました。そして、きょうはサムエルです。時代的にはどれも、士師(さばきつかさ)たちが治めて頃です。サムエルは最後の士師といえます。とても、暗い時代でしたが、サムエルがイスラエルにともしびを与えた神の人でした。

 

1.ナジル人サムエル

さばきつかさが治めていた時代、エルカナという人物がいました。「エルカナには二人の妻があった」(Ⅰサムエル1:2)と記されています。おそらく、ハンナという妻が不妊のゆえに、もう一人の妻ペニンナを迎えたのではないかと思います。ヤコブのときもそうでしたが、妻が複数いると、必ず争いが起こるものです。子どもがいたペニンナが、子どものいないハンナをいじめていました。聖書には「ペニンナは彼女をいらだたせていた」と書いてあります。そのため、ハンナは泣いて、食事をしようとしませんでした。それで、夫エルカナは「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさぎこんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか」と言いました。夫の対応はカウンセリング的には失敗しています。彼は「なぜ」とか「どうして」と繰り返しています。また、「十人の息子以上の者」と言われても、全く、解決になりません。私も一応、カウンセリングは学んでいます。「こういう言い方は良くない」ということも頭では分かっています。しかし、いざ、家内や子どもとなると、「なぜ」「どうして」を連発してしまいます。他人だったら、傾聴して、共感して、その人自身が気付くような質問をするでしょう。しかし、身内だと遠慮会釈がないので、ずばっと、本音で言ってしまいます。カウンセリングの丸屋先生いわく、「なぜ」「どうして」よりも、「何が」が良いそうです。「何が」とは、その人が抱えている状況や問題をお互いに調べることができるからです。Whyや Howではなく、Whatであります。「何があったのですか?」「何がそうさせたのですか」「何が悩ませているのですか?」等です。

ハンナは夫が話にならないので、神の箱が置いてある主の宮に行きました。そこには、祭司エリが仕えていました。ハンナは、はげしく泣きながら、主の前に祈りました。Ⅰサムエル1:11そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」これをナジル人の請願というのですが、サムソンの時と同じです。彼女は「子どもが生まれたなら、あなたのご用のためにささげます」という祈りをしました。彼女が心を注ぎだして祈っていたので、エリは最初、彼女が酒に酔っているのではと誤解しました。その後、エリは「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように」と祝福しました。ハンナに信仰が与えられました。だから、彼女の顔は、もはや以前のようではありませんでした。ハレルヤ!であります。

主はハンナの祈りを聞かれ、彼女は男の子を産みました。そして、その子を「サムエル」と名付けました。「サムエル」とは「その名は神」という意味です。ハンナはその子が乳離れするまで、一生懸命、育てました。エルカナが家族そろって、宮に行こうと誘いました。しかし、彼女は「この子が乳離れするまでは宮には上りません」と断わりました。イスラエルでは乳離れが日本よりも遅く、5、6歳ぐらいであると聞いたことがあります。ある本に「ハンナは幼子に対して、乳に祈りを混ぜて与えたのであろう。3歳まで人格の重要な部分が形成されると言われている。ハンナはその重要な時に、宗教的な教育をサムエルに施したに違いない。」と書いてありました。アーメンであります。乳離れしたならば、その子を主の宮に連れて行きます。ハンナは、それまで母の愛を注ぎ、みことばを与え、祈りました。近年、保育園の数が少なくて、お母さん方が大変困っているようです。女性の社会進出、あるいは経済的な問題で共稼ぎをしなければならないという理由があるでしょう。しかし、3歳くらいまでは余裕をもって、赤ちゃんを育てたら良いと思います。お母さんが日中、働いて忙しいと、心に余裕がありません。だから、叱ったり、きつい言葉を投げかけたりするのではないでしょうか?子育ては、その子のための立派な投資だと思います。人格的な土台ができる大事な時、母の愛を注ぎ、みことばを与え、祈るべきだと思います。

ハンナはその子が乳離れしたとき、主の宮に連れて行きました。そのとき、「この子は一生涯、主に渡されたものです。」(Ⅰサムエル1:28)と言いました。アンドリュー・マーレーはある本の中でこう言っています。「もう、すでに子どもを主にささげていますか?子どもは主に仕える者として、栄光の器として選ばれているのです。神は、あなたの子どもをご自分のものとして見ておられます。神はあなたを信任し、その子を訓練するようにと預けられたのです。決して、あなたの子どもなのではありません。主のものなのです。ところが、いつの間にかこのことを忘れてしまい、自分の子どものようにかわいがってしまうのです。『一生涯、主に渡されたもの』このはっきりとした明け渡しの好意は、何と尊い特権かと思うのです。私は、時々、一人息子を喜んで国のため、王のためにささげたという母親の話を耳にします。全部の子どもを戦場に送ったという話を耳にします。であるなら、王の王であるお方に、ご自身のものであるこの子どもをささげることが無情の栄誉でなくてなんでしょうか。わが子は主から託されているのです。しかも、愛し、訓練し、喜ぶ特権を、私たちは与えられているのです。」子どもはわが子であって、わが子ではない。神さまから託されているということです。アーメン。

2.少年サムエル

 Ⅰサムエル3:1-3「少年サムエルはエリの前で【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。その日、エリは自分の所で寝ていた。──彼の目はかすんできて、見えなくなっていた──神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている【主】の宮で寝ていた。」当時は、シロという場所に主の宮があり、その中に神の箱が安置されていました。主の宮を守っていたのは、祭司エリでした。彼は高齢に達し、目がかすんできて、見えなくなっていました。しかし、それは肉体的にだけではなく、霊的にもそうでした。「その頃、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とあるからです。エリの息子たちは、よこしまな者で、主を知らず、祭司の定めについても軽んじていました。民たちがいけにえをささげていると、良い肉を肉刺しで横取りしました。本来なら、脂肪をすっかり焼いて煙にするところを、「今、渡しなさい」と力ずくで取る始末でした。さらに、二人の息子は天幕で仕えている女性たちと寝ていました。エリが悲しんで、戒めましたが、彼らは聞こうとしませんでした。聖書には「彼らを殺すことが主のみこころだったからである」(Ⅰサムエル2:25)と書いてあります。主はエリの家をさばき、忠実な祭司を起こすことを考えておられました。「神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている【主】の宮で寝ていた」とあります。幼いサムエルは主の宮に住み込みで、奉仕していました。彼の一番の務めは祭壇の火を消さないことです。レビ記にも書いてありますが、一晩中朝まで、祭壇の火を燃え続けさせなければなりませんでした。暗い時代にあって、神のともしびは、まだ消えていなかったのです。

 ある晩、主からお声がありましたが、サムエルは「エリが呼んでいるのだろうな」と思いました。しかし、エリは「私は呼ばない。帰って、おやすみ」と言いました。二度目も主からお声がありましたが、エリは、私は呼ばないと言いました。主が三度目にサムエルを呼ばれたとき、エリは、それは主であると悟りました。エリは今度呼ばれたら、「主よ。お話しください。しもべは聞いております」と申し上げなさいと教えました。サムエルが寝たあと、主が来られ「サムエル、サムエル」と呼ばれました。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げました。その内容は、エリの家についてのさばきでした。自分の息子たちが、自ら呪いを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためでした。このところで重要なのは、サムエルの態度です。サムエルの仕事は祭壇の火が消えないように管理することでした。また、「はい。ここにおります」といつでも、準備をしていました。このことばが、3章に、5回記されています。乳離れしたばかりの幼子が、ただひとり老祭司エリの前にいて、主に仕えるのは、決して容易なことではありません。夜中に3度も呼び起こされて、すぐにエリのもとに駆けつけるとは、なんとかいがいしい態度でしょう。私の長男の朝陽が生まれる前の晩のことを思い出します。家内から夜中の12時半頃、「陣痛がはじまったから、病院に連れて行って」と起こされました。私は「まだ、大丈夫だよ」と、起きませんでした。いよいよ、午前2時半頃、「あなた、病院に連れて行って」と起こされました。そのとき、私は「朝まで待てないか」と言いました。その頃は、早天祈祷会があったので、変なとき起こされると寝付けないからです。彼女がお願いするので、「わかった」と起きて、病院に連れていきました。午前6時半頃から分娩室に入り、11時頃、生まれてしまいました。今でも、「あのとき『朝まで待てないか』と言ったわよ」とたしなめられます。

 サムエルの「お話しください。しもべは聞いております」は、私たちの学ぶべき態度ではないでしょうか?日本には、お百度参りというのがありますが、一方的に願うだけでしょう。私たちの祈りも、「しもべは話します。主よ、お聞きください」になりがちです。こちらが願い事をならべて語ります。いよいよ、主がお語りくださろうとするとき、もう、そこにはいません。会話はキャッチボールであると言われますが、お祈りも、一方通行だとさびしいと思います。大体、主のお声というのは、小さなものです。一瞬、「あれ、何か語られたかな?」「何か示されたような気がするけど」という時がたまにあります。「ま、いいか」と思って、やり過ごすと、あとから、失敗することがよくあります。私の場合は、忘れてはいけないことを、ついうっかり忘れるときがあります。買い物、外出、コーチング、旅行など、落ち着きがないので、何かを忘れます。車でも、出発するとき、ちょっとゆっくり祈ると、忘れ物を思い出すことがあります。お祈りする中で、ちょっとだけ神さまにも時間をあげます。すると、思い出したり、教えられることがよくあります。サムエルのように、「お話しください。しもべは聞いております」という、祈りの態度は、ぜひ見習うべきだと思います。サムエルがどうして、そうなのかと言うと、お母さんのハンナがそうだったからです。ハンナは子どもが与えられる前、心を注いで祈りました。おそらく、お腹の中にサムエルがいたときも祈ったのではないかと思います。胎教と言うのがあるようですが、祈りほどすばらしい胎教はないと思います。また、短い時間でしたが、乳離れするまで一生懸命祈りました。「この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。どうか、神さまのご用のためにお用い下さい」と祈りました。だからこそ、サムエルの中に、祈りの大切さが染み込んでいたと思われます。晩年のサムエルが、心頑ななイスラエルにこう言っています。Ⅰサムエル12:23「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて【主】に罪を犯すことなど、とてもできない。」サムエルは、祈らないことは、主に罪を犯すことだと言っています。私は講壇の上から、「祈りはすばらしい。祈りましょう」という説教が少ないことを自覚しています。祈りは主の御手を動かします。祈りは私たちの心を変えます。また、祈りは世界を変え、状況まで変えます。でも、忘れてはならかいことがあります。それは、「お話しください。しもべは聞いております」と神さまに時間を与えることです。心を静かにして、主の御声に耳を傾けることです。主はいつでも、私たちに語ってくださいます。

3.神の人サムエル

 なぜ、「神の人サムエル」なのでしょうか?サムエルは20年間イスラエルを治めた、最後の士師でした。その頃、イスラエルを脅かしていたのは、ペリシテ人でした。一般には、フェリシテ人と呼ばれています。彼らはヨーロッパから海を渡って、パレスチナにやってきました。彼らには製鉄の技術がありましたが、イスラエル人にはありませんでした。鉄の剣と青銅の剣では、切れ味が全く違います。イスラエルは長い間、ペリシテ人に苦しめられました。では、サムエルたちイスラエルはどのように戦ったのでしょうか?こういう事件が起こりました。イスラエルが劣勢を強いられていたとき、イスラエルの長老たちは1つのアイディアを考えました。Ⅰサムエル4:3「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」彼らは、神の契約の箱を持ってくれば、ペリシテ人に勝てると思いました。ペリシテ人は「神が陣営に来た。ああ、困ったことだ。」と恐れました。しかし、どうでしょう、彼らは逆に奮い立ちました。なんと、イスラエルは大敗し、契約の箱が奪われてしまいました。なぜ、負けたのでしょう?彼らは契約の箱を戦いの道具として利用したからです。この戦いによって、エリの二人の息子が死にました。そのニュースを聞いたエリも、あおむけに落ちて死にました。神の箱は七か月もペリシテ人の野にありました。ところが、ペリシテ人にひどい災いが起こるので、「もういらない」と、送り返してきました。

サムエルはエルアザルを聖別して、神の箱を守らせました。その後、イスラエルの民を招集し、断食と悔い改めを命じました。イスラエル人はサムエルに「私たちの神、主に叫ぶのをやめないで下さい。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように」求めました。サムエルは20年間、祈り続けました。Ⅰサムエル7:10、13「サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、【主】はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。…こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、【主】の手がペリシテ人を防いでいた。」とあります。沢村五郎という牧師が、『聖書人物伝』を書いています。その中で、こう書いています。「剣一振りさえない、たよりない民のために、主は20世紀の今日でさえまだ発明されていない電気仕掛けの爆弾を天から投下して、敵を撃ち散らされたのである。敵を踏みたもう者は、神である。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテ人を防いだ。ひとりの神の人の存在は、どんな軍備にもまさって威力のある国防力である。」アーメン。まさしく、サムエルは神の人でありました。

しかし、サムエルの晩年、悲しいことが起こりました。Ⅰサムエル8:1-3「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」サムエルもエリと同じように、子育てには成功しなかったようです。サムエルは確かに神の人でした、しかし、あまりにも多忙で、子どもたちの教育は、すべて妻の手にゆだねられていたのでしょう。サムエルの子らの堕落は、イスラエルの民が王を求める口実になりました。Ⅰサムエル8:4-5「そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」このことばは、サムエルだけではなく、主をも悲しませました。「私たちをさばく王を立ててください」とは、一種の堕落です。なぜなら、神さまこそがイスラエルを治める王だからです。それなのに、エジプトや他の国々のように、「王を立ててください」とは何事でしょうか?主はサムエルに「それはあなたを退けたのではなく、私を退けたのだ。今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告せよ」と言いました。サムエルは王様が国を治めるようになったら、「息子は兵士に取られ、娘は下働き、畑も産物も取られるよ」と警告しました。しかし、民たちは「いや、どうしても、私たちの上に王がいなくてはなりません。王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って戦ってくれるでしょう」と言いました。サムエルは民の言うことを聞いて、サウルをイスラエルの王として油を注ぎました。

サウル王を任命した直後、サムエルが言ったことばこれです。Ⅰサムエル12:22-23「まことに【主】は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。【主】はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて【主】に罪を犯すことなど、とてもできない。」サムエルは生涯、祈りの人でした。イスラエルの民と神さまの間に立って、とりなしの役割を果たし続けました。とりなしの祈りとは何でしょうか?私たちは自分のためには祈ります。しかし、他の人ためにはどうでしょうか?もちろん、祈りには順番があります。神さまと親しい交わりをなし、そして、神さまに向かって祈ります。すると、神さまの愛があふれて、「あー、家族のために祈ろう。あの人のためにも祈ろう。日本のためにも祈ろう」とだんだん、祈りが拡大していきます。5分くらいだと自分の祈りで終わってしまいます。もうちょっと、神さまと親しく交わると、聖霊が祈りを助けてくださいます。聖霊が「あのことのために、祈りなさい。このことのために祈りなさい」と教えてくれます。祈りの醍醐味というのがありますが、仕方なく、祈りの課題をあげて祈るのは苦痛です。しかし、聖霊によって導かれる祈りまでいくためには、ロー、セコンドと加速をつけなければなりません。そこまで行くのが大変です。だから、多くの人は「ああ、疲れた。大変だ」とやめてしまいます。しかし、もうちょっと祈るとサード、トップギアになって、祈りの醍醐味を経験することができます。という、私も祈りが弱いことを告白します。「祈りをやめるのは罪を犯すことである」とサムエルは言いました。主の恵みによって、祈る者となりたいと思います。なぜなら、主にあって私たちクリスチャンは、全員、神の祭司だからです。