2010.11.07 御国をもたらす教会 エペソ1:20-23

福音派の教会はもっぱら魂の救いでした。「十字架の贖いを信じて、一人でも天国に入ることができるように」と励んでいます。では、この世との関係はどうなるのでしょうか?「この世はまもなく終る。イエス様が再び、来られたら御国が完成する。それまでは、信仰を守り、ただひたすら耐えるしかない。この世はますます悪くなるだろう。私たちはこの世の悪に染まってはいけない。できるだけ、世とは関わらないようにしなさい」。その結果どうなるでしょう?ビジネスや政治、あるいは芸術に対しては消極的になります。神学校に入って牧師になるか、あるいは仕事をしながら日曜学校の教師をしたり、もっぱら教会内の奉仕に励むようになります。こういう考えが福音派の教会にあるのではないでしょうか?もちろん、この世の終わりは来るでしょう。しかし、私たち教会はこの世に対して、何をすべきなのか共に学びたいと思います。

1.神さまの願い

エペソ人への手紙には、教会に対する神様の偉大な計画が記されています。エペソ122,23「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」このところで分かることは、キリストがすべてのもののかしらであるということです。イエス様は十字架で死なれてから復活し、天に昇り、父なる神さまの右に座っておられます。座っているとはどういう意味でしょう?イエス様は王として、かしらとして君臨しておられるということです。それでは、キリストのからだとはどこでしょう?教会こそが、キリストのからだであり、神様のすばらしいものが満ち満ちておられるところです。では、神様は何をしたいと望んでいらっしゃるのでしょうか?教会を通して、ご自身が持っているすばらしいものを、この世のすべてのものに満たしたいと願っておられるのです。この容器が教会としたら、神様が持っておられるものが水です。容器がないと水を留めておくことができません。教会は神様のすばらしいものが満ちているところです。そして、神様は教会という器を用いて、この世界をご自身のすばらしいもので満たしたいと願っておられるのです。では、神さまが私たちに与えたいと願っておられるもっともすばらしいものとは何でしょう?2つあります。

第一は、キリストの和解によってもたらされた神様の永遠の命です。神様はご自身の命である、永遠の命を私たちに与えたいと願っておられます。神の命を教会という器を通して、この世にもたらすのです。表現を変えるならば、これが宣教です。魂の救いのための宣教は、教会が担っている最大の使命です。マタイ2819「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」この命令こそが、イエス様が私たち教会に与えた最大の使命です。しかし、この命令を良く見ると、「あらゆる国の人々」となっています。英語ではAll nationsであります。この意味はどうでしょう?それは個人の救いはもちろんですが、国レベルの救いを神さまは願っておられるということです。個人を弟子とすることはもちろんですが、国を、国民をキリストの弟子とする。「わぁー、なんと大きい考えなのでしょう?大風呂敷を広げないでください!」と言われるかもしれません。でも、日本の教会に、この考えはとても重要です。日本の教会は、「自分の教会さえ良ければ、自分の教団さえ良ければ」という狭い考えがあります。だから、「羊が取られたとか、羊を取るな」とか教会間のいざこざが絶えません。終わりの時代、教団教派の壁を乗り越えて、国を、国民をキリストの弟子とすることに目を向けなければなりません。だって、教会のかしらはイエス・キリストさまであり、同じ主につながっているからです。だから、私の教会はあなたの教会のもの。あなたの教会の成功は私の教会の成功になるのです。

神さまが私たちに与えたいと願っておられるもっともすばらしいものの二番目は何でしょう?神様はこの世のあらゆる分野に、ご自身のすばらしいもので満たしたいと願っておられるのです。この世のどのような分野でしょうか?政治の分野を、ご自身のすばらしいもので満たしたいと願っておられます。神様は政治に無関心なのでしょうか?神様は国々を作り、国の境を設けました。詩篇2228「主は、国々を統べ治めておられる」と書いてあります。日本の政治には希望がありません。資源もなく、借金大国で、犯罪もうなぎのぼりです。もし、まことの支配者である神様に願い求めたら、資源と知恵と正義が与えられるのではないでしょうか?また、神様はビジネスの世界もご自身のもので満たしたいと願っておられるのではないでしょうか?聖書にはビジネスで成功した人たちのことが記されています。また、どのように商売したら良いか、その知恵や方策についても記されています。また、神様は芸術の世界もご自身のもので満たしたいと願っておられます。神様は偉大な芸術家ではないでしょうか?この世界がモノクロでなく、カラーなのは神様が芸術家だからです。この宇宙、大自然、動植物は神さまが造られたので、そのように美しいのです。神様は教育の世界もご自身のもので満たしたいと願っておられます。真理や法則は神様が造られたものです。人間がそれをあとから、1つ1つ発見しているに過ぎません。神様なしの教育は高慢な魂と荒廃した社会をもたらします。知識のはじまりは、神様を恐れることだからです。また、神様は医療の世界もご自身のもとで満たしたいと願っておられます。病のもとは、罪です。人間が罪を犯し、神から離れたために、死と病がやって来たのです。現代は精神的な疾患者がものすごく増えていますが、キリストによる罪の赦しと調和が心にないからです。他に、神様は福祉の世界、スポーツの世界、テクノロジーの世界もご自身のもとで満たしたいと願っています。神様の願いは、キリストからだなる教会を通して、ご自身が持っておられるすばらしいもので満たしたいと願っておられるのです。

2.神さまの方策

今からちょうど2年前です。江古田の聖書キリスト教会でメンズセミナーがありました。3日間の集会が終って、講師のエディ・レオ師と一緒に焼肉を食べに行きました。尾山清仁先生ご家族、通訳の高澤さん、斯波先生らで打ち上げをしました。エディ先生は3日間話したのに、まだ話し足りない様子でした。焼肉がなくなってきた頃です。エディ師が、焼肉のテーブルを囲んで、このことを熱く語ってくれました。これは教会で語られたのではなく、焼肉屋で語られた内容です。御国は英語でkingdomと言いますが、2つのことばで成り立っています。king王様とdomain領域(領土)です。王様でもdomain領域(領土)を持っていなければ、真の王様ではありません。では、教会とは何でしょうか?教会はギリシャ語でエクレーシア、「召し出された人たち」という意味です。しかし、当時、エクレーシアと言えば別の意味がありました。イエス様の時代、王様がその地域を治めようとするとき、最初に何をしたでしょうか?王様は一般の人たちの中から、お医者さん、軍隊の隊長、哲学者を呼び出しました。このような人たちが、王さまと一緒に決断をし、王様と一緒に国を治めたのです。エクレーシアとは何でしょう?とても単純です。王様のための大臣がエクレーシアです。王様は、ある大臣には軍事の領域に仕えるように、ある大臣には経済の領域に仕えるように、ある大臣には教育の領域に仕えるように任命しました。王様が、そのように召した人たちを、ギリシャ語ではエクレーシアと言うのです。エクレーシアはやがて、教会ということばに置き換えられました。神の国の王である神様は、ご自分の国を治めるために、クリスチャンを召しておられるのです。しかし、今日の教会は、ただ礼拝するために集まります。6日間、働いてとても疲れたので、リフレッシュするために教会にやって来ます。そして、牧師のメッセージ聞いて、家に帰ります。しかし、自分が何者であるかが分かっていません。エクレーシアとして、機能していないのです。エクレーシアとは大臣(ミニスター)のことです。本当は、すべてのクリスチャンが、王なる祭司なのです。本来なら、すべてのクリスチャンが、自分自身の領域を見出さなければならないのです。

そのエクレーシアが一緒になったときに、どういう話し合いがなされるでしょうか?オバマ大統領が大臣(アメリカでは長官)たちを集めたとき何を話し合うでしょう?「サラリーを上げてください」というような話し合いはしません。でも、教会では祝福をもらうために、そのようなことをしています。「私を祝福してください」「あなたは祝福されましたか?」。それはエクレーシアではありません。オバマ大統領はエクレーシアと何を話し合うのでしょうか?第一に、その国の将来を話し合うのです。その国の問題を話し合うのです。第二に、それぞれに与えられたところの領域について話し合うでしょう。なぜなら、それぞれが大臣として任された領域があるからです。もし、教会をエクレーシアと考えるなら、集まったときの話題が変わります。日曜日に会うときは、祝福を受けるために集まりません。そこで、王様が何とおっしゃるのか聞くのです。私たちの町について語ります。そして、そのニーズを満たそうとします。どのようにして自分の領域をさがしたら良いのか教えます。自分自身の領域を見つけると、自分の領域に喜んで出て行きます。教会の組織がプログラムを運営するのではありません。人々の中にいる神様ご自身が導いてくださるのです。霊に燃え、狂った人たちがミニストリーをするとき、自分たちでお金を出してでも、その働きをしようとします。そして、様々な領域が、重なり合って、一緒になって届こうとします。これはとてもパワフルです。

最も力強い働きは、キエフにいるサンデー・アデラジャによってなされています。彼はナイジェリア人です。たった14年間で、3万人の教会になりました。彼は神の国主導の教会をやっています。とても力強くて、国中が変えられました。あるとき、大統領が「共産党の政権が、終った後、どうしてこの国が成長したのでしょう」と質問されました。大統領が答えました。「あなたは間違った人に尋ねています。私は何もしませんでした。どのようにして、このような急速な成長が遂げられたのか?あそこにいる黒人の牧師に聞いてください。あの教会が私たちの国を変えているのです。」その教会は建物がありません。毎週、スタジアムで礼拝を持っています。3万人の人たちが集まりますが、みな働き人です。実際、教会員はそこに集まりません。教会はそこいら中にあります。牢屋、市場、政府の中に、家々に、500万人がその教会につながっています。サンデーの教会では、さまざまなミニストリーがあります。ある一人の若者がいますが、彼はまだ26歳です。教会で父なる神の愛によって触れられて、彼は決断をしました。「どのようにしたら父親になれるか」ということを教えるためにセルグループを始めました。そして、その働きがどんどん広がって行ったので、そのような組織を開設しました。「父親インスティチュート」というのを作りました。働きが大きくなったので、あるとき、政府が彼を呼び出し「あなたが教えている内容を教えてくれませんか?」と言いました。彼は、国の大臣たちに言いました。「国の政治で、技術者を訓練し、医者を訓練し、弁護士を訓練してきました。しかし、どうして父になることを教えられないのですか?それを教えることができないから離婚があるのではないでしょうか?」彼らは驚いて「どうやったら解決できるのですか?」と聞きました。彼は「私が助けてあげます」と答えました。政府が彼の「インスティチュート」を使って、17万3000人の人たちを訓練しました。彼は26歳ですが、そのような働きがたくさん起きています。300の麻薬から立ち直る施設ができあがっています。だれがお金を払っているのでしょうか?サンデーの教会から払っているのではありません。ビジョンをもらった人たちが払っているのです。そして、すべてのミニストリーが地域教会につながっています。どのミニストリーも教会と離れてはいません。とてもパワフルです。これが、自分の領域を発見した人の生き方です。神さまはあなたを天国に行くためだけに召したのではありません。この地上に、御国が来るようにあなたを用いたいのです。ですから、あなたしかできないあなたの領域があるはずです。どうかそれを見つけてください。

3.御国をもたらす教会

御国の福音を聞いてから、あるビジネスマンがエディ先生のところに来ました。ヤコブという背の低い人です。「エディ先生、私は、説教はできません。でも、今、私のミニストリーが分かりました。私のミニストリーは教会の中にはありません。私のミニストリーはビジネスの中にあります。私はどのようにしたら良いビジネスマンになるか訓練できます」と言いました。インドネシアではハウス・メイドがいます。彼女たちはとても貧しくて、月給が30から50ドルくらいです。ヤコブは家で働いているメイドたちを訓練しました。400人の人たちを訓練しましたが、全員、成功したビジネスマンになりました。ある女性が忠実に学びました。ヤコブは「もし、あなたがこのまま忠実であり続けるなら、どうやって管理したら良いか教えてあげます」と言いました。彼女は忠実にそれをやったので、今度は営業を教えました。そして、マーケティングを教えました。さらに工場をどのように始めたら良いか教えました。現在、このお手伝いさんは、工場を3つ持っていて、300人の従業員がいます。彼女の会社の売上がどのくらいか?月930万円くらいの売上です。彼女はそのことでイエス様を信じました。彼女が自分の町に戻ったときに、イスラム教徒の人たちをみんな会社の従業員にしました。そして、彼らに同じことを教えました。訓練するとその人たちは耳を傾けるようになりました。彼女の町はあまり良い町でありませんでした。道があまりよくなかったので、自分のお金を出して、町の道路をみんな舗装しました。そして、古い橋もかけ直しました。彼女は市長よりも有名になりました。

 エディ・レオ先生が、ある教会で2年間に渡って、神の国とは何かを教会員に教えました。イエス様が私を治めてくださり、イエス様と共に治めることを教えました。その教会に、小学校も卒業していない、シンプルなサイモンという男性がいました。ある日、神様が「サイモン、あなたの領域は気が狂った人たちである」と告げました。サイモンが住んでいた地域は、気が狂った人たちがたくさん住んでいました。あるとき彼がその町を歩いていると、3人の気が狂った人たちがいました。その時、神様が「そのおかしい3人を自分の家に連れて行って、あなたと一緒に住むように」とささやきました。それで、彼は3人を自分の家に連れて来ました。髪の毛を切ってあげて、爪を切って、食べさせて、体を洗ってあげて、愛して、彼らのために断食して祈りました。なんと、2週間で、3人の人たちが全員、癒されました。「私は心理学者ではない。ただ、断食して祈っただけなのに!」彼自身驚きました。その後、牧師が彼のしたことを知って「サイモン、あなたのミニストリーは何とすばらしいんだ。このことを教会で証しなさい」と言いました。サイモンは日曜日、このことを分かち合いました。どんなことをしているか、ビデオでも見せた。そのプレゼンティションを見て、教会のみんなが涙しました。神様は教会全員に触れてくださいました。その日曜礼拝の後、あるお金持ちがサイモンのところへやって来て、「サイモン、気が狂った人たち全員を集めてきなさい。私がお金を出すから。その人がもし癒されたら、その人に仕事を与える」と言いました。彼は7000万円くらいのお金を出して、彼の工場で働くための宿舎を建てました。それから、医者と看護婦がやって来ました。「サイモン、そういう人たちを連れてきたら、私たちは医療や薬を無料で提供しましょう」。若い人たちがやって来て「私たちはあなたと一緒にこの仕事をしたい。この町の気の狂った人たちを集めて連れてきましょう」と言った。その町のすべての気の狂った人たち癒すというキャンペーンを行いました。何百という人たちを連れて来た。彼らのために断食して祈りました。1ヶ月以内に、95%の人たちが完全に癒されました。何も精神医学を使っていません。何の薬も使っていません。ただ、祈りと断食だけです。神様はすべての人たちを癒してくださいました。癒された後、彼らはもともとイスラム教徒でした。彼らに名前を聞きましたが、精神的な病のために自分の名前を忘れていました。元イスラム教徒たちが、「サイモンさん、名前をつけてくれる?」と言いました。サイモンは「簡単だよ。名前がほしいんだね。私が新しい名前をつけてあげるよ。マタイ、マルコ、ルカ、ジョン、全部、聖書の名前だよ。良いね。」そして、彼らに洗礼を授けました。そして、彼らはクリスチャンになりました。ハレルヤ!その町には一人も、気が狂った人はいません。そして、教会の人たちは、自分たちの働きの場をどんどん見つけていきました。「貧しい人たちが私の領域です」という人もいます。ある人は、「若い人たちが私の領域です」と言います。そこから、たくさんのミニストリーが生まれました。この教会は2年間で、200人から5000人になりました。たった2年間です。なぜなら、神の国主導の教会になったからです。

 私たちは主の祈りの中で「御国が来ますように」と祈ります。「御国が来ますように」と、願うことに、だれも反対する人はいないでしょう。だって、イエス様が祈りなさいと言ったんですから。でも、御国がどこに来るべきなのでしょうか?「この世が終わって、早く御国が来るように!」という意味でしょうか?それだと、この世からできるだけ離れて、この世と関わらない教会になります。そうではありません。「御国が来ますように」とは、第一に個人に神の救いが来るようにということです。イエス様を信じて、神さまと和解することによって御国が来ます。御国に住む人はイエス様を王様としてあがめ、イエス様に従順する人です。イエス様は神の国民である、あなたに必要を与え、守り、導いてくださいます。しかし、「御国が来ますように」という祈りは、この国に神のご支配が来るようにという意味でもあります。「この国のあらゆる分野に、神のご支配が来ることによって、神さまの良いもので満たされるように」という祈りです。私たちは王なる祭司として、この世に遣わされています。私たちがエクレーシアとして自分の領域を発見し、そのところに神さまの良いものを運ぶためです。その結果どうなるのでしょう?今まで、教会に縁のなかった人たちが、私たちを通して神さまと和解することができるのです。ビジネス、政治、医療、教育、芸術、スポーツ界…教会と縁のなかった人たちが、神さまの良いもので満たされ、神さまと和解することができるのです。私たちは「御国が来ますように」と祈りつつ、御国をあらゆる分野にもたらす者として用いられたいと思います。