2010.08.22 人間の成長と家庭 詩篇139:13-16、箴言22:6

本日から4回に渡って、「良き家庭の形成」というテーマで話させていただきます。日本には聖書という土台がないので、子どもを物みたいに考えています。本来教育は人格とマッチしなければなりませんが、学校では知的な面しか教えてくれません。家庭も会社と同じように分業制みたいに分けるところがあります。年を取って働けなくなれば存在価値までなくなります。このような人生は、創造主なる神さまがいない、進化論的な価値観から生まれてきます。もし、私たちが聖書的な価値観で育てられたならなんと幸いでしょう。きょうは、人間の成長過程において、何が最も重要なのかメッセージさせていただきます。

1.胎児期

胎児期で知るべき重要なテーマは、お腹の中にいる赤ちゃんは一人の人間であるということです。人間の誕生はいつから始まるのでしょうか?法的にはいつから一人の人間として認められるのでしょうか?多くの人たちはお母さんのお腹から、「おぎゃー」と生まれた時から、その子の人生が始まると言います。しかし、聖書は受精した瞬間から、その人の人生が始まると書いてあります。詩篇139:13-16「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」ここでは創造主なる神さまが、骨格や人格形成にいたるまで参与していると書かれています。子どもは親の欲望や都合で生まれるのではありません。神さまが両親に新しい命を与えることをお許しになったと考えるべきです。神さまが「ご自分の代わりに育てるように」と、その子を両親に託したのであります。もし、そのような考えがなければ、一人の人格を持った人間として、尊厳をもって、育てることが不可能です。

学者は、「赤ちゃんは、お腹にいるときから、かなりのことをキャッチしている」と言います。特にお母さんの怒り、悲しみ、不安などが、お腹の赤ちゃんに伝わるそうです。お母さんが緊張すると、赤ちゃんの心臓の鼓動が高まり、血圧も上がるそうです。たとえば、お母さんが「早すぎたわ、中絶すれば良かった」と思ったとします。すると、赤ちゃんの霊に大きなダメージを与え「私はこの世にいてはいけない存在だ」と考えます。生まれて大きくなっても、心の深いところに、自殺願望やお母さんに対する怒りがあるそうです。ある男性が、「私はだれとも友達になれない。自分の家族ともうまくいかない」と悩みを打ち明けました。カウンセラーは彼と話していて、心の深いところに拒絶感があるのを知りました。彼は言いました。「覚えている限り、私は小さい時から、いつも人に嫌われていて、避けられていて、からかわれていました。私が何も言わないのに、何もしていない先から、人から拒絶されていることを感じました」。カウンセラーは「一緒に祈って、この拒絶の根っこがどこにあるか、神様に示していただきましょう」と言いました。祈ってから二日後、彼は夢を見ました。あたかも本当に起こっているかのような夢で、部屋の壁の色、カーテンの色まで見えました。ある男性がお母さんをののしって、最後にお腹を蹴飛ばして出て行った夢でした。お母さんに電話でそのことを話すと「一体だれがそんなことを教えたの」と驚いて、信じようとしませんでした。それは実際にあったことで、彼が9ヶ月目のとき、父親が家を飛び出したそうです。胎児の彼は父親を怒ってさばいたのです。彼が父親と母親を赦す祈りをしたら、人と会話がだんだんできるようになったそうです。

ルカ1章に、イエス様をみごもったマリヤがすぐにエリサベツのもとを訪ねて行ったことが書かれています。マリヤがエリサベツを訪ねたとき、エリサベツのお腹の中にいたバプテスマのヨハネが喜んで踊りました。それは、バプテスマのヨハネの霊がすぐさま、マリヤのお腹の中にいるのがイエス様であるということが分かったからです。近年「胎教」ということが良く言われます。妊娠5か月頃から音を聞き分ける能力が発達し、8ヶ月頃にはほぼ完成するそうです。そのため、良い音楽を聞かせたり、両親が仲良く暮らすことが大事なのです。つまり、子育ては誕生したときからではなく、妊娠中から始まっているということです。

2.幼児期

幼児期のテーマは、愛情あふれる養育です。0歳から2歳までは、基本的信頼感を学ぶ大事なときです。これがあると、周りの人々や、人生に対して心を開いて接することができます。さらには、神様にも心を開いて接することができます。基本的信頼感は日本語的には「絆」と言っても良いでしょう。両親との絆が浅いならば、人間関係も難しくなります。なぜなら、人を信頼することを学んでいないからです。0~2歳までの赤ちゃんは、いくらだっこしても十分過ぎるということはありません。随分、昔ですが、人の手で触れることが欠けている赤ちゃんがどうなるか実験しました。そういう赤ちゃんは生きる力がなくて、死んでしまいました。いくらお乳、栄養を提供しても、触れられない赤ちゃんは、栄養を吸収して生きる力につなげることができないのです。家庭において父親が不在で生まれ育った子供、あるいはいつも怒っている両親、問題があり愛情表現が欠けた家庭で育った子供、なぐられ虐待された子供は、基本的信頼を持つのが困難です。赤ちゃんにはスキンシップだけではなく、励ましの言葉が必要です。赤ちゃんはそれらを頭ではなく、霊で捉えることができるからです。

2歳から4歳までは大変な時です。独立心が芽生え、何でも「いや!」と言いたがります。また、親に反抗し、何でも自分でやろうとします。目を離したら何をするかわかりません。可愛らしかった赤ちゃんが、怪物のように見えてくるでしょう。このときに、親がしてはいけないことが3つあります。1つは無視(ニグレクト)です。ニグレクトは子どもにとって、親から見捨てられたという気持ちがします。2つ目はことばと肉体的な虐待です。親はある場合は、感情にまかせて、どなったり殴ったりします。そうすると子どもの中に親に対する怒りが生まれます。エペソ64に「子どもをおこらせてはいけません」書いてあるのはそのためです。3つ目は子どもの言いなりになることです。英語でspoil「甘やかす」という意味は、「だめにする」という意味があります。つまり、ちゃんとした境界線を決めるということです。叱るときは叱る。その後、赦して、ぎゅっと抱きしめるのです。害を与えるのは、「あなたは良い子でしょう。悪い子は私の子どもじゃない」という条件付きの愛です。子どもは「ありのままでは受け入れてもらえない」ので、本音を隠して、良い子を演じてしまいます。親の顔色を見て生きるで、大人になったら、ひきこもりになる可能性が大です。

これは私の考えですが、0歳とか1歳児を保育園に全部任せるのは良くないと思います。人格形成において、一番大事なときに他人に任せるというのはどうでしょう。保育師は親ではありません。子どもにとって、親を独占したいのに、十人いたら十分の一になります。みんなでおもちゃを分け与える前に、自分のものは自分のものと主張して良いときが必要です。自分のものがあってはじめて、他の人にも与えることができるのです。幼い時に家庭という所属感、自分のものであるという所有意識が必要です。その後で、人と分かち合ったりすることができるのです。心理学によりますと、6歳まで人格の骨組みが決まると言われます。それ以降は内装、カーテン、付属品です。しかし、日本では経済的な必要が第一で、共稼ぎをして育児に手かけることができません。大人になってから、得られなかったものを得るのは、そのときの何百倍もかかります。ですから、親は幼児期の子どもに対して、愛という投資をたくさんしましょう。

3.成長期

6歳から12歳までは成長期であります。テーマは主体性であります。箴言22:6「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」。「その行く道にふさわしく」とは、「神さまがその子どもに与えた気質や能力にふさわしく」という意味です。「教育」educationとは、ラテン語の「引き出す」に由来しています。つまり、真の教育とは、人間の可能性を外からの働きかけによって引き出すことを意味します。しかし、日本の教育は知識を詰め込み、規格品のような人間を作ってしまいます。最近、チャーチ・スクールがいろんなところで開かれていますが、聖書の価値観を土台とした全人格的な教育を目指しています。子どもが、家から学校へ行き始めると、全く環境が違います。これまでは「かわいい」「頭が良い」色々ほめられてきたかもしれません。しかし、学校へ行くと、いろんな悪口を言われます。勉強や体育ができなくても、色々言われます。学校の先生からも、他の人と比べられ落ち込むでしょう。ですから、それまで基本的信頼感が心に十分に築かれていないと、偽りを信じるようになります。「自分は、本当はダメなんだ。能力や才能がないんだ。人から嫌われ、受け入れられないんだ」と思うようになります。

そういう時こそ、親とのコミュニケーションが大事です。小学校の頃はまだまだ、親とよく話します。三男が「友達から馬鹿と言われた」と帰ってきました。私は「有悟は頭が良いんだよ。パパと友だちが言うのとどっちが正しい?」と聞きました。学校は子どもにとっては戦場です。いじめられたり、嫌なことがたくさんあります。ですから、私も家内も、学校に行くときは毎日、手を置いて祈りました。また、寝る前も祈ってあげたり、一緒に祈ったりしました。祈りというのは、本当にすばらしいと思います。祈りの中で励ましたり、本当のアイディンテティを教えてあげることができます。このとき、お母さんと、お父さんの役割が多少違います。お母さんは母性本能から、子どもを守ろうとします。子どもは家庭で泣いても良いのです。多少、甘えても良いのです。でも、お母さんだけが子育てに関わると、どうしても子どもを依存的にさせてしまいます。子育てのために父親も必要です。なぜなら、子どもに社会性を教えることができるからです。子どもに「パパも何度も失敗したよ。失敗しても大丈夫さ、また立ち上がれば良いんだ。」と、チャレンジを与えます。特に男の子は冒険が好きで、一緒に遊んだりすることが必要です。ある子どもが「パパ、一緒に遊ぼう!」と言いました。お父さんは「ん、あとでね」と言いました。また、子どもが「パパ、一緒に遊ぼうよ!」と言いました。その時もお父さんは「ん、今、忙しいんだ、あとでね」と言いました。やがて、お父さんは定年退職し、大きくなった息子に言いました。「たまには家に遊びに来いよ!」。息子は「ん、今、忙しんだ。あとでね」。子どもと一緒に遊べる時間というのは、本当に一時期です。

この時期に父親の役目を果たさなかったり、あるいは離婚すると、子どもに大きなダメージを与えます。日本の場合は父親がいても、忙しくて家庭にいません。よくあるケースですが、お母さんが子どもに自分の悩みを相談します。本来なら夫に分かち合うべき深い内容まで話します。そうすると、「お母さんこうしたら良いよ」と子どもはカウンセラーになります。お母さんの悩みことを一杯聞いて、最後にはパンクします。アダルトチルドレン(大人子ども)というのはこのために起こります。子どもは子どもらしく生きるべきです。すぐ大人になってはいけません。子どもは、親のもとで、のびのびと、安心して暮らす時が必要なのです。

4.思春期から大人

12歳から19歳くらいまでです。親から自立して自分の足で人生を歩み始めるときです。このときのテーマは個別化です。「自分は自分で良いんだ」というアイディンテティが確立するときです。ヨシュア19「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」この時期は、体つきは、もう大人ですが、精神はものすごく不安定です。親に逆らって自由になりたいけど、親の世話になっている状態です。口では反抗していますが、心の中では親から理解してもらいたいのです。思春期はまさしく人格が統合するときです。英語では、integrate、人格が統合、融合するということです。これがうまくいかないと、統合失調症ということになります。この病気は遺伝とか環境が複雑に絡み合って生まれるので、一口には言えません。でも、だれしもが程度の差はあれ、思春期に「一体、自分はだれなのか?人間は何のために生きているのか?」と悩むのではないでしょうか?ある女子中学生が学校の先生に「何のために勉強するのですか?」と聞いたそうです。すると先生は、「そんなくだらないことを考える暇があったら、単語の1つでも勉強しろ」と言ったそうです。その女子中学生はそのあと、自殺したそうです。学校の先生も「人生の目的は何か、何のために勉強するのか」分からないのです。だから、伝道者の書12章で「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」と言っているのです。

思春期における人格形成によくないものは、親のダブルバインドです。子どもに「どこの学校に進んでも良いよ。お前の好きなところへ行って良いよ」と言います。しかし、実際に「こうしたい」と言うと、「なんだよ、そんなところ」と喜んでくれません。本年と建前というのでしょうか?ブルバインドは、それをもっと強力にしたものです。また、この頃は、異性の問題も出てきます。ポルノにはまる恐れもあります。日本では親子で性の問題を言うのは難しいかもしれません。ですから、教会のジュニアとか学生会でこういう問題を扱うと良いと思います。何でも相談できるお兄さん、お姉さん的な人が必要です。また、思春期に良くないのがコントロールです。「親子パック」というタイプがあるそうです。親が自分が叶えられなかった夢を子どもに託します。たとえば、お母さんは音大のピアノ科卒。しかし、自分は一流までいかなかった。今度は、子どもにはちゃんとピアノをならわせて一流にしたい。母親は「まだ、だめ。ぜんぜんだめ」と叱ります。子どもはお母さんにどうしたら認められるのか?気に入られるために、一生懸命に頑張る。しかし、到達できない。そういう子どもに限って、リストカットや拒食症が多いそうです。親は子どもの人格を認め、手放す、自由にさせることが大事です。

 大人とは何でしょう?どういう人を大人と言うのでしょうか?私は「自分で決断し、その結果に対して責任を持てる人である」と思います。では、親が子どもの自立を妨げてしまう最も、してはならないことは何でしょう?それは、親が子どもの代わりに決断をすることです。もし、親が選択して決断したならば、どうでしょうか?子どもが失敗したならば、親が責任を取らなければなりません。親はアドバイスしても良いのです。「これと、これがあるよ」と、いくつか選択肢を提供することはできます。しかし、選択し決断するのは本人がすべきことです。本人が決断したならば、本人が責任を取るしかありません。ある場合は、失敗するかもしれません。でも、そこから、また学ぶことができます。しかし、親が子どもの代わりに決断したら、子どもは不安になり、自分で決断できなくなります。すると、死ぬまで親が面倒みなければなりません。大学も、仕事も結婚相手までもそうなります。それでは、本当の自立にはなりません。子育ての一番の目的は、自立することであります。でも、その自立は神さまと共に歩める人になることです。私たちの父なる神さまは万事を益としてくださる神さまです。失敗さえも、益にしてくださるお方です。

聖書の時代は、13歳になったら、その若者は大人とみなされた。この成人式は「バルー・ミツバ」と呼ばれ、「神聖なる律法の子」という意味です。これからは、両親の救いから抜け出して、自分が神の前で責任をもって生きるということです。エリア・ハウスでは「ティーン(10代)への親のアドバイス」というのがありましたので、最後に分かち合いたいと思います。

・ティーンは幼い子供のようにコントロールすべきではない。

・「手放す」ことを始める。コントロールしたい気持ちを抑える。

・たとえ失敗したとしても、信じてやる。

・無条件に愛情を降り注ぐ。

・いつも、いつも、物事の意味を教えてやってはいけない。自分で学ぶ体験や、決断の機会を奪ってしまわないために。

・自分(親)の失敗について語る(自己弁護したり、動機を説明したりせずに)。

・もし父親、あるいは母親として、やり過ぎをやめることができず、子供の反抗がさらにひどくなっていく場合には、親戚か友人の家にしばらく預けること。距離を置くことで緊張が和らぎ、親のやり過ぎとティーンの反抗という悪循環を止めることができる。このように親から離れると、実際には多くの場合、ティーン自ら正しい決断をする。これまでそうできなかったのは、親が「正しいのは自分」という態度でいたからである。

 きょうは、偉そうなことを言いましたが、私自身が「子育てが成功したのか?」と問われたならば、「60点くらいかなー」と答えるでしょう。なぜでしょう?私も父や母、兄弟、先生からいっぱい傷を受けてきました。私自身が世の中の基準に合わなかったからかもしれません。しかし、私は律法ではなく、神さまの恵みを知りました。恵みは、数学で言うなら、方程式を覚えた時くらいの感動です。この世の方式ではダメだったけど、神さまの方式では解くことができたのです。家系の呪い、成育史における傷、様々な罪やトラウマ…神さまは癒してくださいます。そして、より良い家庭を、子どもから孫へと、自分の後から残すことが可能になります。出エジプト20: 6「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」神さまは呪いよりも、恵みを私たちに与えたいのです。