2014.1.12「油注がれたダビデ Ⅰサムエル16:6-13」

 イスラエルの初代の王サウルは、不従順の罪のゆえに主なる神さまから捨てられました。主はサウルを選んだことを悔やまれました。サウルがまだ王に就いていましたが、主はダビデを王として新たに選びました。最も小さく、最も可能性の低い人が選ばれました。主の選びは本当に不思議です。最初の戦いは巨人ゴリアテとの戦いです。これで一躍、ダビデは有名になりました。ところが、サウルの嫉妬を買い、命を狙われ、逃亡の日々を過ごしました。きょうは、ダビデの前半の生涯から2つのポイントで学びたいと思います。

 

1.油注がれたダビデ

 

主はサムエルに「王を見つけたので、エッサイの息子たちを集めよ。」とお命じになられました。しかし、このことがサウルに知れると殺されるので、サムエルは「主にいけにえをささげる」という口実で、エッサイの家に行きました。サムエルは長男のエリアブを見て、「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と思いました。しかし、主はサムエルに「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。私は彼を退けている。人が見るように見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」と仰せられました。エッサイは、次男のアビナダブを進ませたが、サムエルは「主は選んでおられない」と言いました。エッサイは、三男のシャマを進ませたが、サムエルは「この者もまた、主は選んでおられない」と言いました。四男、五男、六男、七男に対しても、「主はこの者たちを選んではおられない」と言いました。サムエルはエッサイに「子どもたちはこれで全部ですか?」と聞きました。エッサイは「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています」と答えました。サムエルは「人をやって、その子を連れて来なさい」と命じました。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿も立派でした。主はサムエルに「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ」と言われました。サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中でダビデに油を注ぎました。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下りました。ダビデはそのとき17歳で、実際にイスラエルの王になるのは13年後の30歳でした。

このところに、「人はうわべを見るが、主は心を見る」という、主のみことばがあります。初代の王、サウルは容貌と背の高さは申し分ありませんでした。Ⅰサムエル9:2「彼は美しい若い男で、イスラエルの中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった」と書いてあります。ダビデの息子、アブシャロムも大変美しい人でした。Ⅱサムエル14:25「さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。」とあります。アブシャロムはダビデを追放し、イスラエルを自分のものにした人です。映画俳優やモデルは美しい人が多いです。私は、容貌は神さまの賜物であると思います。容貌が良ければ、心も良さそうに思いますが、必ずしもそうではないようです。サタンは自分があまりにも完璧で美しいので、高慢になり、堕落しました。「人はうわべを見るが、主は心を見る」とはどういう意味でしょう?人は確かに容貌や美しさに目がいきます。しかし、神さまは、うわべよりも、心をご覧になっておられるということです。ダビデの容姿は分かりませんが、血色の良い顔で、目が美しく、姿も立派でした。「目が美しく」という描写は、心が美しいことを象徴しています。イエス様も、「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るい」(マタイ6:22)とおっしゃいました。それでは、主が選ばなかった、兄たちはどんな人なのでしょうか?Ⅰサムエル17章に書いてありますが、巨人ゴリアテの前でイスラエルが苦戦していました。ダビデが兄たちの安否を尋ねて来たとき、兄から何と言われたでしょうか?エリアブはダビデに怒りを燃やして、「一体おまえはなぜやって来たのか?荒野にいるわずかな羊を、だれに預けてきたのか。私はおまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう」と言いました。人は自分が見るように、他の人を見るものです。長男のエリアブは自分の心が悪かったので、ダビデを悪く見ました。主がエリアブを退けた理由がここからも知ることができます。

人はうわべを見ますが、主は心をご覧になります。となると、私たちは外見よりも、内側を整える必要があります。使徒パウロは、「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように」(エペソ3:16)と祈っています。では何故、容貌や肉体よりも、内なる人が重要なのでしょうか?Ⅱコリント4:16「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」とあります。そうです。外なる人、つまり、容貌や肉体は一時的であるからです。では、「容貌や肉体はどうでも良いか?」というとそうでもありません。美容や健康に気を配ったら良いと思います。テレビ・ショッピングでは、そういうものが大流行です。いろんなサプリも良いでしょう。でも、そればかりでは十分ではありません。心のケア―、内なる人が強くなるように働きかける必要があります。健康のためには、デドックス、体にたまった毒素を排出することが大事だと言われています。同じように、心の中にたまった毒素を排出する必要があります。憂い、悲しみ、とがめ、いやな記憶、恥、トラウマ、罪責、恨み、ねたみ、不安、恐れ、挫折感、失望感、怒り…いっぱいありますね。こういうものを吐き出す必要があります。でも、どこに出すのでしょうか?この世の人たちは、お酒やカラオケで出すのでしょうか?クリスチャンは「私にはそういうものはありません」と否定するかもしれません。でも、自分の心の状態を無視すると、いろんな病気になります。私たちは神さまとの祈りの中で、何でも出すことができます。神さまはちゃんと処理してくださいます。その後は、みことばと祈りで、良いものを入れる必要があります。信仰書も良いですし、賛美も良いでしょう。私は心が積極的・肯定的になるような本を常に横に置いています。なぜなら、知らず知らず、気持ちが落ち込むからです。朝起きるときと、夜寝る前は、心のケアーのためにはとても大事な時間です。神さまの前に、積極的なことばを告白し、感謝をささげるべきです。どうぞ、内なる人が強くなるように努力しましょう。

しかし、最も重要なことがあります。それは何でしょう?Ⅰサムエル16:13「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」アーメン。クリスチャンにとって、最も重要なものは主の油注ぎであります。旧約聖書において、祭司と王様と預言者には、任職のための油注ぎがありました。また、キリストは「油注がれた者」という意味であり、特別な存在でした。では、新約において「油注ぎ」とはどのような意味があるのでしょうか?それは、聖霊の満たしであります。油は聖霊を象徴しています。ペンテコステの日、120人に聖霊が臨み、彼らは聖霊に満たされました。すると、彼らは別人のようになり、預言や異言を語り出しました。使徒たちが手を置くと病が癒されました。人格的にも愛の人に変えられました。魔術師シモンと言う人がペテロに、「私にもそのような権威をください」とお金を差し出しました。すると、ペテロから「あなたは金で神の賜物を手に入れようとするとか」と呪われました。パウロは後から使徒になった人ですが、エペソの人たちの上に手を置くと、人々は聖霊を受け、聖霊に満たされました。また、油注ぎによって、神からの賜物や権威が与えられるということは確かなことです。なぜなら、聖霊の油注ぎは奉仕の原動力だからです。神さまの奉仕は、自分の力では決してできません。もちろん、ある程度のことはできます。しかし、油注がれた奉仕は、他の人がそれを見ると分かります。10年以上前に、アメリカからベニー・ヒンがやって来ました。彼は油注ぎがいかに大切かメッセージしました。また、「タッチ」とか言って、そういう油注ぎを与える奉仕をしました。最近は、タンザニアのガジマという牧師が、油注ぎのメッセージをします。彼のメッセージはとても単純ですが、私たちの心を変える力があります。彼は多数の死人を生き返らせ、「油注ぎこそが、リバイバルの秘訣である」と主張します。

私たちは「油注ぎ」を魔法の杖のようにしてはいけません。聖書的なバランスを取ることも重要です。しかし、サムエルがダビデに油を注がれたらどうなったでしょうか?「【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」と書いてあります。ダビデがダビデとして、活躍できたのは、聖霊の油注ぎではないかと思います。彼はイスラエルの黄金時代を築き上げました。また、すぐれた戦士、多くの詩篇を書き、音楽家でもありました。大きな罪を犯しましたが、主の恵みによって赦されました。神さまに従順な態度は、イエス・キリストの型でもあります。私は新約の時代は、特別な人にではなく、一般の人にも聖霊の油注ぎがなされると信じます。使徒2:17-18「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する」と書いてあるからです。結論的に言いますと、「外見や容姿よりも、心だ」ということです。さらに言いますと、聖霊の油注ぎを受けているということです。ヨハネは「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています」(Ⅰヨハネ2:27)と言いました。ハレルヤ!神さまの働きの原動力は、主の油注ぎであることを知りたいと思います。新約の時代、求めるならだれにでも与えられます。

 

2.ゴリアテに勝利したダビデ

 

Ⅰサムエル17章に書いてありますが、巨人ゴリアテの前でイスラエルが苦戦していました。ダビデが兄たちの安否を尋ねてきたとき、エリアブはダビデに怒りを燃やして、「一体おまえはなぜやって来たのか?荒野にいるわずかな羊を、だれに預けてきたのか。私はおまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう」と言いました。しかし、ダビデは兄のことばを聞き流し、「このしもべが行って、あのペリシテ人と戦いましょう」とサウル王に進言しました。サウルは自分のかぶとよろいを身に着けさせました。ダビデにとって、その武具は不慣れだったので、「こんなものを着けては、歩くこともできません」と脱ぎ捨てました。借り物ではダメです。ダビデは自分がいつも使い慣れた物で戦うことにしました。ダビデは石投げとなめらかな石を袋に入れて、ゴリアテに立ち向かいました。しかし、ゴリアテは身長が3メートルで旗竿のような槍を持っていました。彼は生まれたときから軍人で、戦闘のプロでした。サウル王はゴリアテに勝った者に自分の娘を嫁に与えると言いました。しかし、イスラエルの人たちで、だれ一人、「私が戦う」という人がいませんでした。ところが、紅顔の美少年ダビデが一人で立ち向かいました。ゴリアテはダビデを見おろして、「杖を持って向かってくるが、俺は犬なのか。さあ来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」と言いました。ダビデは怒っていました。なぜなら、このゴリアテがイスラエルの神をなじったからです。ダビデが言いました。「お前は、剣と、槍と、投げやりを持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、お前に立ち向かうのだ」と言いました。

 ミケランジェロが作った「ダビデ像」の彫刻が有名です。また、ベルニーニも「ダビデ像」を作りましたが、彼の方が石投げを持っていてとてもリアルです。グッと、睨みながら、体をひねっています。今にも石が飛び出しそうです。しかし、このところで注目したいのは、ダビデの信仰です。ダビデはゴリアテの身長や武器を見ていません。ダビデは巨人ゴリアテではなく、主を見ていました。ダビデは「これは主の戦いだ。主はおまえたちを我々に渡される」と宣言しました。これが重要であります。私たちは問題の大きさを見て、それがどれだけ困難か理由をあげます。そうすると頭も体も委縮して、アイディアも出てきません。そうではなく、ダビデは主を見上げ、「この戦いは主の戦いである」と宣言しました。つまり、「主が戦ってくれるので、自分はできることをやれば良い」ということです。ダビデはすばやく走って行き、袋の中から石を1つ取りました。そして、石投げで石を「びゅん」と、放ちました。一個目は外れました。二個目も外れました。三個目も外れました。四個目はかすれました。「あ、ヤバイ!」ゴリアテの槍が鈍い光を放って、今にも体を貫きそうです。最後の五個目が、ゴリアテの額に食い込み、彼はうつぶせに倒れました。そうは書いていません。一発目の石で、ゴリアテは倒れました。四個の石は残りました。これを「勝ち得て余りある」と昔の説教者は言ったものです。ダビデはすかさず走り寄り、ゴリアテの剣を奪い、とどめを刺して首をはねました。

 この記事を読んでいるとき、楽天の田中投手のことが思い出されました。彼は24勝でシーズンを終えました。一度も敗れなかったということです。日本シリーズでは、1回負けたので、26連勝でストップしたようです。日本シリーズをテレビで見ましたが、すごい形相で投げていました。多くの選手を三振で倒しました。「彼とダビデが何の関係があるんだ」と言われればそれまでです。しかし、あのほとばしる自信は、ダビデと似ているかもしれません。ダビデは一発で巨人ゴリアテを仕留めました。では、ダビデはまぐれだったのでしょうか?そうではありません。ダビデは羊飼いでした。なぜ、ダビデに自信があったのでしょう?ダビデがサウル王にこのように言っています。Ⅰサムエル17:34-37「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった【主】は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」アーメン。ダビデは自分の仕事に忠実でした。そして、2つのことを身に着けていました。1つは、普段から、獅子や熊を打ち殺していたということです。それだけ自分の石投げには自信があったということです。もう1つは、主に対する信仰です。ダビデは「これまで、主が獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった。だから、主はあのペリシテ人の手からも私を救い出してくださる」と言っています。この信仰も、昨日、今日、生まれたのではなく、普段からの積み重ねであったということです。

 私たちは「ダビデは神さまから選ばれた特別な人物だったので、ゴリアテに勝利できたんだ」と思います。それだけではありません。私たちの前にも巨人ゴリアテがいます。乗り越えられないような困難や打ち負かされるような出来事があります。そういう時こそ、自分の力や信仰がためされます。そのために、やはり2つのことをしていく必要があります。1つは今やっていることに対して、忠実であるということです。忠実に行うことでだんだん実力がついてきます。私も毎週、説教をしていますが、はじめの頃はひどかったようです。私の長所はコツコツやるということです。いろんなセミナーに出かけ、学んだものをあとから整理します。また、信仰書や人が研究した資料をたくわえておきます。英語もほとんど独学です。昔はNHKのラジオ英会話、今ではジョエル・オースチンの原書をコツコツ訳しながら学んでいます。説教は1か月先まで、すでにできています。なぜ、完全原稿かと言いますと、岩本姉と中国の方の通訳のためでした。もう、20数年、全部書いています。2つ目は、問題ではなく、主を見上げていくと言うことです。私は元来、悲観主義で、喜びや感謝がない人でした。クリスチャンになってやっと感謝ができるようになりました。しかし、内側には、怒りと恐れが満ちていました。だから、何か問題が起こると過剰に反応しました。信仰、信仰と口ではいいますが、肉の頑張りでやってきたところが多くあります。失敗や問題がある度に「わー」とか「あー」と過剰反応しました。そういう中でも主により頼んできたので、だんだん信仰的に成長してきたと思います。みなさんはどうでしょうか?外の天気のようにいつも晴れの日とは限りません。どんより曇った日もあれば、雨や嵐の日もあります。でも、雲の上はいつも快晴です。飛行機に乗るとわかりますが、3000メートルくらい上ると、下は雲海で、太陽が輝いています。ダビデは「この戦いは主の戦いである」と言いました。つまり、生活に起こるあらゆる出来事は、主が共にいて戦ってくださるということです。私たちは勝手に、「これは私の問題だから、私が解決するしかない」と言って主の助けを排除します。そうではなく、小さな問題も大きな問題も、「この戦いは主の戦いである」と思って、主と共に戦うことが大切です。しかし、「毎日、そんなに戦いがあるのですか?」と反論なさるかもしれません。でも、主の戦いなんです。葛葉姉がお産を無事終えたとき、「ああ、勝利した!」と言われたそうです。アーメンです。私もホテルに泊まることがありますが、変なテレビは見ません。インターネットもひっかかりそうですが、見ません。それは「勝利した!」ということです。「本当は今、買いたいけど、我慢して来月、給料が入ってから買うことにした。」そういう時も「勝利した!」と言うべきでしょう。「本当はひとこと皮肉を言いたかった。でも、口を閉ざして言わなかった。」そういう時も「勝利した!」と言うべきでしょう。

 ダビデは主からとても愛されました。それはなぜでしょう?大人になっても、子どものような純真さがあったからです。Ⅰサムエル16:12「その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。」これは、ダビデの心の中をあらわしています。ダビデは主を恐れ、主を愛しました。だから、主の愛顧、favorを得たのだと思います。これはダビデが歌った歌の1つです。詩篇7:10「私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。」直ぐとは、uprightであり、「正直な、高潔な、正しい」という意味があります。ダビデは17歳のときサムエルから油を注がれました。ダビデがゴリアテに勝利した後、女たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と繰り返して歌いました。そのため、サウル王はダビデを妬み、命を狙いました。ダビデは荒野から荒野へと逃亡の生活を余儀なくされました。サウルはペリシテ人との戦いに敗れて自害しました。その後、ダビデはイスラエルの王になりましたが、30歳になっていました。あのダビデすら、多くの困難を通らされました。時には嘆き悩み、時には恐れ苦しみました。しかし、ダビデはその度ごとに主を見上げ、勝利していったのです。私たちもこの地上では戦いがあります。これもダビデの詩です。詩篇34:19「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救いだされる。」