2014.1.19「イスラエルの王ダビデ Ⅰサムエル23:14-18」

 イスラエルの初代の王サウルは、不従順の罪のゆえに主なる神から捨てられました。サウルはまだ王に就いていましたが、ダビデが17歳のとき新たな王として油を注がれました。ダビデは、巨人ゴリアテと戦い、勝利しました。しかし、サウル王はダビデを妬み、命を狙いました。ダビデは荒野から荒野へと逃亡の生活を余儀なくされました。サウル王はペリシテ人との戦いで敗れ自害しました。その後、ダビデはイスラエルの王になりました。王としての油注ぎを受けてから、13年の月日が経っていました。ダビデは多くの詩篇を描きましたが、そのいくつかを引用しながらメッセージをお届けしたいと思います。

 

1.逃亡者ダビデ

昔、『逃亡者』というテレビ映画がありました。妻殺しの濡れ衣を着せられ死刑を宣告された医師リチャード・キンブルが、警察の追跡を逃れながら、真犯人を探し求めて全米を旅する物語です。アメリカでも日本でも、高視聴率をあげました。先週の続きですが、青年ダビデはゴリアテを打ち倒しました。サウル王は「あの若者はだれの子だ」と尋ね、それが分かると、ダビデを召し抱えました。ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めました。そこで、サウルは彼を戦士たちの長に任命しました。あるとき、女性たちが、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と笑いながら、繰り返して歌っていました。サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言いました。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ」と言いました。その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになりました。Ⅰサムエル18:9-11「その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。サウルはダビデを恐れた。【主】はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。」最初、ダビデはサウルが自分の命を狙っていることを、信じられませんでした。しかし、サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げました。ヨナタンはダビデを非常に愛していました。だから、サウルに「なぜ、あの人は殺されなければならないのですか。あの人が何をしたと言うのですか」進言しました。しかし、嫉妬に狂ったサウルは、本気でダビデを殺すつもりでした。そのことをヨナタンから知らされ、ダビデは荒野から荒野、ほら穴からほら穴へと逃亡生活を余儀なくされました。

しかし、ダビデは一人ではありませんでした。Ⅰサムエル22:1-2「ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」彼には天来のリーダーシップがあったのでしょう。王家を去りましたが、ダビデの兄弟や親族、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来ました。アドラムのほら穴に、不満分子たちが400人も集まり、ダビデは彼らの長となりました。不満分子はやがて600人になり、ダビデのために命を捨てても良いという勇士たちも出てきました。サウルは執拗にダビデを討伐するために出かけました。Ⅰサムエル23:14-16「ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。ダビデは、サウルが自分のいのちをねらって出て来たので恐れていた。そのときダビデはジフの荒野のホレシュにいた。サウルの子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに来て、神の御名によってダビデを力づけた。」ヨナタンは、サウルの息子で、次期王様になれる人物でありましたが、ダビデを助けました。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛しました。そして、ダビデの家と契約を結びました。ダビデはあとで「あなたの私への愛は、女の愛にもまさってすばらしかった」と告白しています。また、妻ミカルもダビデを助けました。祭司アヒメレクはダビデをかくまった罪で、サウルから殺されました。ダビデは人々から愛され、慕われる人物でありました。しかし、最もすばらしいのは、神さまから愛されたことです。ダビデという名前は不明ですが、ある説には「神に愛される者」と言う意味があります。しかし、神に愛される者がどうして、王様から命を狙われるのでしょうか?

Ⅰサムエル19章から31章、つまりサウルが死ぬまで、ダビデは逃亡の旅を続けました。ノブ、ガテ、アドラム、モアブ、ハレテの森、ケイラ、エン・ゲディ、パランの荒野、ジフの荒野、ガテのアキシュのもとと、転々と放浪の旅を続けました。それは苦難と絶望の逃避行でありました。その過程でダビデは、二度ほど、自分の命を狙うサウルの命を奪うチャンスに恵まれました。部下たちは、「今こそ、主があなたに、敵をあなたの手に渡す時です」と言いました。しかし、ダビデは「私が主に逆らって、主に油注がれた方に、手を下すことなど絶対にできないことだ」と断念しました。ダビデは「自分を神さまが、民の王とされるご計画なら、かならずその時を与えてくださる」と信じていました。しかし、逃亡生活はダビデに対する厳しいテストでもありました。「なぜ、罪のない者が苦しまなければならないのか」、何度も悩んだに違いありません。苦しみ悩みからの告白が詩篇のいたるところに記されています。詩篇59:1-5「わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。不法を行う者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。【主】よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。あなたは万軍の神、【主】。イスラエルの神。どうか目をさまして、すべての国々を罰してください。悪い裏切り者は、だれをもあわれまないでください。」

私たちの生活において、神さまを信じていても、不当な苦しみや理不尽を受けることはないでしょうか?「神さま、何で私がこういう目に遭わなければならないのでしょうか?」と、嘆くことがきっとあるはずです。ダビデは17歳のとき、「あなたは次期イスラエルの王様になる」と油注ぎを受けました。しかし、それから約13年間、日の当たらないところで生活しました。なんという苦しみ、なんという悲しみでしょうか。私だったら耐えられません。第一に、ダビデの試練は、私たちへの慰めであります。この世においては、不条理、理不尽さ、不当な扱い、理解しえない出来事がたくさんあります。自分の心が押しつぶされそうな時があるでしょう。私たちはそういう時に、ダビデのことを思い出すことができます。詩篇にたくさんのダビデの叫びと祈りが記されているのは、私たちのためです。多くの場合、嘆きや苦しみで始まり、最後は賛美に終わります。ダビデは自分の心の中の悩みや苦しみ、怒り、疑いを神さまの前にぶちまけています。ダビデの祈りは、決して、きれい事でありません。つまり、それは私たちもそうであっても良いということです。イエス様は「祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。戸を閉めて」(マタイ6:6)と言われました。「戸を閉めて」ということは、「だれにも邪魔されない密室で祈れ」ということです。もう、神さましかおられません。そんな時は、美辞麗句を並べ立てる必要はありません。私たちはダビデのように、恵みの座に近づいて、何でも祈ることができます。ハレルヤ!第二は、ダビデは神さまからテストされていたということです。ヘブル人への手紙12:6-7「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」とあります。ダビデは指導者としての神さまからテストを受けました。私たちの信仰生活において、「ああ、これは主の訓練なんだ。主が私を取り扱っておられるのだ」と理解するなら、視点が全く変わるのではないでしょうか?「なぜ?」「どうして?」と言っても、神さまは答えてくれないでしょう。でも、「何のためですか?」と問うなら、小さな声で語りかけてくださいます。私たちが神さまのところへ行くのは、悩みや苦しみに会ったときです。うまく行っている時は、ほとんど神さまのところへ行きません。でも、悩みや苦しみのとき、神さまのところに、より近づくことができます。「苦しいときの神頼み」と言われますが、これは人間の弱さであります。でも、私たちには、それでも私たちを迎えてくださる、イエス・キリストの神さまがおられます。

主がサウルの手から救い出された日、ダビデはこのように歌いました。Ⅱサムエル22:2「主はわが巌(いわお)、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」アーメン。主はわが巌(いわお)、わがとりで、わが救い主、わが岩、わが盾、わが救いの角、わがやぐらです。アーメン。

 

2.イスラエルの王ダビデ

サウルの死後、ダビデはユダの王に迎らえました。ダビデはそのとき30歳でした。その後、サウルの家としばらくの間、争いが続きました。しかし、それから7年半後、全イスラエルの王になりました。ダビデはエルサレムで33年間、全イスラエルとユダを治めました。その後、ダビデはペリシテ人やモアブ、アラムを打ち破り、領土を広げました。しかし、ダビデ自身、王になって喜んだことは確かですが、他に2つの喜ばしいことがありました。第一の喜びは、神の箱を運び込んだ時です。最初は神の箱を牛車に乗せて運んだために、失敗してしまいました。二回目は律法に従って、レビ人に運ばせました。Ⅱサムエル6:13-15「主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。」主の箱は、一時的にオベデ・エドムの家にありました。そこから、「神の幕屋」と呼ばれる天幕まで運びました。どのくらいの距離かわかりませんが、ダビデは王様でありながら、祭司が着る亜麻布のエポデをまといました。ダビデは、主の箱を運ぶレビ人の前を、力の限り、跳ねて踊ったのでしょう。日本の祭りもイスラエルの影響を受けていますので、神輿や山車の前を踊る人たちがいます。阿波踊り、ねぶた祭り、花笠音頭など、歌や踊りがつきものです。ダビデはあまりにも喜んだので、跳ねたとき、亜麻布のエポデからお尻が見えたかもしれません。しかし、妻のミカルはどう思ったでしょうか?Ⅱサムエル6:16「主の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。」、6:20-21「ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。『イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。』ダビデはミカルに言った。『あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。』」。

ダビデは感謝と喜びにあふれて家に戻りました。ところが、冷水を頭からかけられました、ダビデは無邪気で気取らずにありのままに喜びを表して踊りました。しかし、ミカルは「サウルの娘」としての格式だの対面だのを重んじていたために、踊るほどの喜びを理解できませんでした。ダビデは何と答えたでしょう?6:22-23「『私はこれより、もっと卑しめられよう。私の目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬われたいのだ。』サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。」ミカルのように高ぶって人をあなどる者は、祝福を受けることができません。ダビデの礼拝の仕方はとても賑やかでした。歌だけではなく、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊りました。新約時代、エルサレム会議で、ヤコブが「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す」(使徒15:16)と旧約聖書を引用しました。しかし、現代の多くの教会ではどうでしょう?礼拝中、手を上げたり、「ハレルヤ!」と言ったら、バッシングをされるでしょう。叫んだり、踊ったりしたら、「ここから出て行ってください」と言われるでしょう。今から、10年くらい前になるでしょうか?日本基督教団のクリスマス礼拝にKGC(亀有ゴスペルクワイヤー)が招かれた時がありました。前半の礼拝はとても厳粛で、針の音が落ちたらわかるくらいの静けさでした。その後、KGCがざわざわと前に出て、力の限り賛美しました。ちょっとだけ踊りました。多くの人たちは、腰を抜かしたのではないかと思います。あとから、オルガニストに聞きましたら、「こういう賛美も良いですねー」と言っていました。福音派の教会でも、手を上げただけで、「ペンテコステですか?」と言われます。詩篇には「手をあげよ」とか「さけべ」「手を打ち鳴らせ」「踊れ」と書いてあります。しかし、多くの場合は詩篇の交読文を「手をあげよ」「踊れ」と、ただ読んでいるだけです。アフリカの教会の礼拝を見たことがありますが、彼らは1時間前から来て賛美して、踊っています。礼拝が始まる頃は、もうできあがっています。もう、どんな単純なメッセージでも、恵まれるのです。日本には日本の文化があるかもしれません。しかし、お祭りを見るとき、イスラエルの影響を受けていることを忘れてはいけません。キリスト教会こそが、元祖であり正統なのですから、私たちもダビデのように、力の限り賛美し、ときには踊って、主をあがめたいと思います。

第二の喜びは、ダビデ自身が神さまから罪を赦されたことです。ダビデはいつも先頭に立って戦っていました。しかし、今は自分が出ていかなくても、兵士たちが戦ってくれます。ダビデはエルサレムにとどまっていましたが、ある日、夕暮れ時に床から起き上がりました。王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女がからだを洗っているのが見えました。「その女は非常に美しかった」と書いてありますから、至近距離だったと思います。ダビデは人をやって、その女について調べさせました。彼女はウリヤの妻で、バテ・シェバという名前でした。そこでやめていれば良いものを、ダビデは使いの者をやって、その女を召しいれました。聖書は「彼はその女と寝た」と書いてあります。その後、身ごもったことを知らされました。ダビデはバレないように、画策しました。戦場からウリヤを連れ戻し、「家に帰って、足を洗うように」命じました。ところが、ウリヤは真面目な人で、「主人も家来たちも戦場で野営していのに、自分だけが家に帰って飲み食いできません」と断わりました。ダビデは軍長のヨアブに手紙を書き、それをウリヤに持たせました。その手紙には「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ」と書いてありました。そのとおりになったので、ウリヤは戦死しました。ダビデは喪が明けると、バテ・シェバを自分の妻に迎えました。しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこないました。

ダビデは姦淫と殺人の罪を犯して、しらんぷりしていました。ところが、主のもとから預言者ナタンが遣わされ、「あなたがその男です」と糾弾されました。ダビデは「私は主に対して罪を犯しました」と告白しました。ナタンは「主もまた、あなたの罪を見過ごしにしてくださった」と言いました。ダビデが犯した罪の結果、生まれた子どもが死ぬこと、さらにダビデの家から災いが引き起こることになりました。詩篇32にはダビデの苦しみが記されています。詩篇32:3「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を【主】に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。』」アーメン。ダビデは罪を犯した直後から、心に深い責めを覚えていました。骨髄の痛みはどの痛みよりも辛いそうですが、ダビデは死ぬほど苦しみました。だから、預言者ナタンから罪を責められたとき「私は主に対して罪を犯しました」と隠し立てなく答えました。ダビデは罪赦された者の喜びをこのように歌っています。詩篇32:1-2「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」このみことばは、使徒パウロも引用しています。パウロは私たちは「信仰によってのみ、人は義とされる」と主張しました。そのとき、「ダビデは行いとは別の道で義と認められたのです」と、ダビデの詩篇を引用しました。罪の赦しは同時に、救いの喜びでもあります。この世の宗教は、罪の赦しのために償いを要求します。ある人たちは、一生、罪の重荷を背負いながら生きています。そのため、「自分だけが幸せになることはできない」と言います。人間的には、そのような償いが必要と思われるかもしれません。しかし、私たちは罪を赦して下さる最も権威ある神さまがおられます。それだけではありません。罪の代価を代わりに支払ってくださったイエス・キリストがおられます。旧約時代には、キリストがいなかったので、罪の結果を刈り取るべく「咎」が家系に入り込みました。しかし、キリストは罪だけではなく、咎の問題も解決してくださいました。イザヤ53:5「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」とあるからです。

罪のない人はいません。すべての人は罪を犯したので罪の負い目があり、良心の呵責がいつもあります。しかし、主イエス・キリストが来られたのは、私たちの罪を赦し、罪の負い目から解放してくださるためです。キリストにあって、私たちはもうだれからも「罪あり」と、咎められることはありません。悪魔があなたを責めるためやって来たなら、「私はキリストによってすべての罪が赦されました。文句があるならキリストのところへ行きなさい」と言えば良いのです。ダビデは罪が赦されていることがどんなに大きな喜びなのか教えています。ダビデはイスラエルの王になったことも喜びであったと思います。しかし、主に受け入れられ、主から罪が赦されていることがそれ以上の喜びでした。私たちも「何ができる」とか「何を持っている」ということよりも、主から完全に受け入れられ、主によって罪が赦されていることを喜びましょう。