2014.1.26「 ソロモンの知恵 Ⅰ列王記3:7-14」

 ソロモンはイスラエルの全盛期を作った、三代目の王様です。ソロモンは知恵においてすぐれ、1000以上の詩を書き、3000にも及ぶ箴言を残しました。イエス様は山上の説教で、「栄華を窮めたソロモン」と、引用しました。しかし、ソロモンはヘブル11章の「信仰者の列伝」の中には加えられていません。なぜでしょう?初めは良かったけれど、最後が良くなかったからです。きょうは、ソロモンの知恵、ソロモンの栄華、そしてソロモンの晩年と題して、3つのポイントで学びたいと思います。

 

1.ソロモンの知恵

ソロモンが王様として就任してまもなく、夢の中で主が現れて「あなたに何を与えようか。願え」と言われました。みなさんだったら、何を願うでしょうか?やっぱり願うとしたら、富や財宝でしょうか?不老不死でしょうか?あるホームページを見たら、「景気回復、原発廃止」というのもありました。しかし、ソロモンはもっと根本的なものを求めました。Ⅰ列王記3:9「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」ソロモンは自分のためにではなく、民を正しくさばくために知恵を求めました。その願いは主の御心にかないました。Ⅰ列王記3:11-13「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。」とても、すごいことではないでしょうか?ソロモンが求めなかった、富と誉と守りまで与えられました。その条件は、「父ダビデが歩んだように、主のおきてと命令を守って、主の道を歩むならば」です。アントニオ猪木が「元気があればなんでもできる」と言いましたが、「知恵があれば何でもできる」ということです。ソロモンが書いた箴言には「知恵は真珠にまさる。知恵の実は、黄金よりも、純金よりも良く、選り抜きの銀にまさる」と書いてあります。

 その後まもなく、ソロモンの知恵が試されるような事件が起こりました。二人の遊女が一つの家に住み、それぞれの赤ちゃんを育てていました。ある朝、起きると、一方の赤ちゃんが死んでいました。寝ているとき、母親が覆いかぶさったので窒息してしまったのです。二人はソロモン王の前に立ちました。それぞれが、生きている赤ちゃんは自分の子で、死んでいるのは相手の子だと主張しました。一人の女は、「生きている子は私の子で、死んだのはあなたの子です」と言いました。もう一人の女は「いや、死んだのがあなたの子で、生きている子は私の子です」と言いました。今だったら、DNA検査をやればすぐわかるでしょう。当時はそういうものがありません。さあ、どうしたら良いでしょう?ソロモン王は家来を呼んで、「剣によって、生きている子どもを二つに断ち切りなさい。半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい」と言いました。まもなく、一人の女は「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください」と言いました。もう一人の女は「それを私のものにも、その女のものにもしないで、断ち切ってください」と言いました。そこで王は「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ」と宣告を下しました。確かにそうです。自分の子どもであるならば、死なせたくありません。なんとか助けたいを思うでしょう。中国でも似たような話があります。子どもを真ん中にして、二人の母親を立たせました。一人の母親が子どもの右手を取り、もう一人の母親が左手を取り、互いに引っ張って自分のものとするという裁判でした。二人の母親が思い切り、自分のところへ引っ張りました。すると、子どもが「痛いよー」と泣き叫びました。可哀そうに思って、手を放した方が、本当の母親だったということです。おそらく、ソロモンの物語から作ったものだと思います。イスラエルの人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れました。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからです。

 ソロモンの知恵は政治ばかりではありませんでした。神殿や宮殿の建築にも生かされました。また、ソロモンは海外との交易によって多大な富を得ました。また、芸術的にもすぐれ、1000以上の詩を書き、3000にも及ぶ箴言を残しました。一部はソロモンが書いたと言われている『伝道者の書』にはこのように書かれています。伝道者の書2:4-9「私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った。私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。」ソロモンはありとあらゆることを行いました。私たちはこのところから何を学ぶべきでしょうか?神からの知恵はあらゆるものを生み出す源であるということです。学校では知識を教えます。知識もすばらしいことです。でも、もっとすばらしいのは、知識を活かす知恵であるということです。フォードはアメリカの自動車王として有名です。彼は16歳で高校を中退しました。ある人が、「あなたは世界各国の名前すら分からないのに、社長が務まるのか」と訴えたそうです。フォードは「私には優秀な秘書たちがいるので、『これを調べてくれ』と言えば、即座に教えてくれる。しかし、私には知恵がある」と答えたそうです。神からの知恵を求めましょう。ヤコブ1:5「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」アーメン。

 

2.ソロモンの栄華

 イエス様は、山上の説教で「栄華を窮めたソロモン」と引用しました。ソロモンがなぜ、栄華を極めることができたのでしょう。それは神からの知恵があったからです。もう1つは、ダビデがソロモンに対して政治的にも経済的に大きな基盤を与えていたからです。ダビデは主のために神殿を築きたいと願っていましたが、彼は多くの人の血を流したために、叶いませんでした。そのため、ダビデは神殿建設のために必要な資材を蓄えておきました。ソロモンが王になったことを聞いて、ツロの王ヒラムが自分の家来を遣わしました。ヒラムはダビデといつも友情を保っていました。ヒラムは「ダビデが建てられなかった宮を建てるために、レバノンから杉の木を切り出すように命じてください。私のしもべたちも、あなたのしもべたちと一緒に働きます」と提案しました。さっそく、ヒラムによって杉の木材とももみの木が、海からいかだによって運ばれてきました。Ⅰ列王記6章から8章まで、神殿と宮殿の建設について記されています。神殿には7年、宮殿には13年費やされました。神殿の内側はすべて純金で覆われました。燭台や皿などすべての用具も純金です。また、宮殿は非常に豪華で、柱や玉座には美しい模様が細工されました。ソロモンが全盛のときには、交易によって、1年間に666タラントの金が入って来ました。1タラントを30キログラムとすると、約2トンです。現在の価格に計算すると約896億円です。それだけの金が毎年入ってきたのです。ソロモンはその金によって、大盾200、盾300を作りました。玉座に金をかぶせ、飲み物に用いる器もみな金にしました。銀のものはありませんでした。「銀はソロモンの時代には、価値あるものとみなされていなかった」ということです。Ⅰ列王記10:23-24「ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。」

 その中で有名なのは、シェバの女王と家来たちがソロモンを訪れたことです。彼女も、らくだにバルサム油や、非常に多くの金および宝石を乗せて、エルサレムにやってきました。彼女が難問をもってソロモンを試そうとしました。ところが、ソロモンは彼女の質問をすべて解き明かし、分からなくて解き明かせなかったことは何1つありませんでした。そして、ソロモンが建てた宮殿と食卓の料理と家来たちのふるまい、および、主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりでした。シェバの女王は何と言ったでしょう?Ⅰ列王記10:6-7「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」そう言って、彼女は「あなたの神、主はほむべきかな」と礼拝しました。シェバの女王が、帰るときには持ってきたもの以上をソロモンから贈られました。このところから、まさしく「ソロモンの栄華」を垣間見ることができます。

 もし、私たちが黙示録に記されているような、天のエルサレムに行ったときはどうなるでしょう?シェバの女王は「私にはその半分も知らされていなかったのです」と言いました。私たちも「その半分も知らされていませんでした」と告白するに違いありません?『天路歴程』、基督者が天国に近づいたとき、「私は病むほどである」と言いました。ダンテは『天国篇』で「うるわしい歌声に私は酔いしれたような心地だった。ああ歓喜よ、ああ筆舌にしたがい喜悦よ」と書いています。天国を見たなら、どんな人でも、詩人になれるかもしれません。だれが、イスラエルのソロモンにそのような栄華を与えたのでしょう?主なる神であります。ということは、神さまご自身の国ならば、もっと、もっと栄華に満ちているに違いありません。私たちもそこに住まうことができるとは何と幸いでしょう。黒人霊歌には、天国に対するあこがれを歌ったものが多いようです。なぜなら、彼らは地上では苦しみの連続でした。でも、天国で本当の「自由と救い」が得られます。私たちは、この世を捨ててはいけませんが、天国を夢見ることは良いことではないでしょうか。特に、夜寝る前です。疲れているときは、睡魔が襲ってきて、そのまま寝込むときがあります。意識がなくなり、「このまま、死ぬのかな?」と思うときがたまにあります。でも、目覚めたら、天国ということがあるかもしれません。私はクリスチャンになる前は、死ぬのが怖くてたまりませんでした。しかし、自分の魂が主のふところにあると思うと、赤ちゃんのように、すべてを委ねることができます。一晩眠ると、朝がきます。また、眠ります。その後、朝がきます。でも、あるときは天国で目覚めます。ということは、私たちは毎日、死と復活を練習しているということではないでしょうか?いずれは、目覚めたら、そこが、輝くような天国なのです。そのとき、私たちはシェバの女王のように言うでしょう。「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」

 

3.ソロモンの晩年

 Ⅰ列王記11:1-4「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、【主】がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、【主】と全く一つにはなっていなかった。」7-8節には、異教の神々に香をたき、いけにえをささげたことが記されています。さらに、9-10節「【主】はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、【主】から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は【主】の命令を守らなかったからである。」主が二度もソロモンに現れ「他の神々に従って行ってならない」と命じました。それなのに、ソロモンは主の命令を守りませんでした。なんということでしょう。主の命令を守るという条件付きで、ソロモンに長寿と繁栄が与えられていたのです。全部ではありませんが、ソロモンが書いたと言われる箴言や伝道者の書、あるいは雅歌には何と書いてあるでしょうか?箴言1:7「【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」とあります。ソロモンは主を恐れることを忘れ、知恵と訓戒をさげすむ愚か者になったのです。伝道者の書2:8「私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。…私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。」でも、何と言っているでしょうか?「なんと、すべてが空しいことよ。風を追うようなものだ」と言っています。そして、伝道者の書は「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってのすべてである。神は、善であれ、悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」という文章で終わっています。これらの文章は、本当に、ソロモンが書いたのでしょうか?おそらく、ソロモンの心が頑なになる前かもしれません。こういうことを知っていながら、誘惑に負けて罪の中に埋もれてしまいました。

 しかし、ソロモンが急に堕落したかというとそうではありません。王様に就任した時から、誘惑者をそばに置いて生活していたことが分かります。Ⅰ列王記3:1-3「ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来、自分の家と【主】の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。」このところで、ソロモンがいくつかのことで妥協していたことがわかります。まず、政略結婚のために、エジプトのパロの娘をめとっていました。そして、城壁を建て終るまで、自分の家に住まわせておきました。4節以降「ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいました。ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた」と書いてあります。ソロモンが神殿を建てるまでは、イスラエルの民は「高き所」で、礼拝をささげていました。しかし、ヤハウェなる神なのか、偶像礼拝なのか区別がつかなくなっていたことは確かです。でも、「ただし」と書いてあるので、みこころではなかったということでしょう。限りなく黒に近い灰色です。ソロモンは当初から、女性問題と偶像問題を抱えていたということが本当ではないかと思います。それらが、多大な権力を身に着けたあと、はっきりと出てきたのです。もう、だれにも止めることができませんでした。昨年末、安倍総理が靖国神社を参拝しました。権力体制が安定したので、やり残していたことをやったのだと思います。安倍総理をだれも止めることができませんでした。

 最後まで、道を全うすることを、finish wellと言います。聖書を見ますと、finish wellした人物は全体の3割くらいです。世界中の伝道者や牧師も、finish wellするのは3割だそうです。finish wellできなかった聖書に出てくる人たちをざっとあげると以下の人たちです。ノア、モーセ、ギデオン、サムソン、サウル王、ソロモン王です。しかし、この後、イスラルが北と南に分裂します。そのときの王様のほとんどが、finish wellできませんでした。あんまり、こういうことを話すと恵まれません。使徒パウロはこう言いました。Ⅱテモテ4:7-8「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」私たちもパウロのように、自分のレースを走りぬきたいです。そのためには、ソロモンからも学ばなければなりません。第一は、ソロモンは多大な富と権力を得たために、神さまを忘れてしまいました。自分は神さまなしでも、やっていけると思って、主の命令を捨ててしまいました。これを慢心というのでしょうが、たとえ多くの富と権力を得たとしても、神さまを忘れてはいけません。なぜなら、すべてのものは神さまから与えられたものだからです。箴言16:28「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」と、あります。第二は、ソロモンは女性によって堕落し、彼女らの神さまを拝みました。「ソロモンには七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた」と書いてあります。合計1000人になりますが、「どんだけ!」と言いたくなります。ある人は、1000人もの女性が喧嘩しないで仕えていたのだから、ソロモンはよっぽど心が広くて豊かだったのだろうと言います。しかし、ソロモンは女性たちを愛して、主なる神を忘れていまいました。箴言5:3「他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。」これはソロモンが書いたのかどうか分かりません。しかし、ソロモンが書いたのなら、「愚かになった賢者」というしかありません。

中川健一先生は、『聖書の人々』という本の中で、ソロモンのことを「自分に教えることのできなかった人物」と言っています。さらに、先生はこのように書いています。「ソロモンの話は、数千年前の異国の王の人生ではなく、まさに私たち一人ひとりの姿ではないでしょうか。物質主義、快楽主義、偶像礼拝の中で、「神に愛された者」としての特権を、やすやすとサタンに明け渡している多くの同胞を見るとき、どうして心が騒がないことがありましょうか。」最後に、イエス様はソロモンをどのように引用したでしょうか?マタイ6:29「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」イエス様はソロモンが栄華を窮めたことは認めておられました。しかし、きょうは咲いて明日は炉に投げ込まれるような、野の花の方が着飾っているとおっしゃったのです。イエス様が述べた結論はこのことばです。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)。異邦人の中あって、私たちは神さまを第一にして生きたいと思います。