2014.2.9「南北の王 Ⅰ列王記12:1-7」

 主はソロモンに対して「私が命じた契約とおきてを守らなかったので、王国を引き裂いて、家来に与える」と言われました。ソロモンの後、息子のレハブアムが王になりました。ところが、彼は長老たちの助言を退けたので北の部族が離れていきました。一方、家来であったヤロブアムがソロモンに反逆し、エジプトに逃れていました。ソロモンの死後、北の部族が彼を呼び戻し、イスラエルの王にしました。つまり、南ユダの王はレハブアム、北イスラエルの王はヤロブアムになりました。旧約聖書の歴史において重要なので、二人の人物を取り上げてみました。

 

1.レハブアム

 ソロモンの死後、ソロモンの子レハブアムが王になりました。イスラエル、つまり北部族がレハブアムに言いました。Ⅰ列王記12:4「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」レハブアムは「3日間、待つように」と申し送りました。初めに、ソロモンに仕えていた長老たちに、どう返事をしたら良いか相談しました。彼らは「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう」と助言しました。確かにソロモンは神殿と宮殿を建てるためにイスラエル人にも強制労働をさせました。また、国を維持するために重い税金を課してきました。ユダ部族だけが優遇され、北部族に不満がたまっていたことでしょう。次に、レハブアムは自分とともに育った若者たちに、どう返事をしたら良いか聞きました。彼らはこのように答えたら良いと言いました。「私の小指は父の腰よりも太い。私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう」。三日後、レハブアムと北部族が王のもとにやってきました。王は荒々しく民に答え、長老たちが与えた助言を退け、若者たちの助言どおり答えました。そのため北の10部族は「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう」と自分たちの天幕に帰って行きました。そして、ヤロブアムを北イスラエルの王にしました。レハブアムはユダの全家とベニヤミン部族をもって、戦おうとしましたが、預言者からストップがかかりました。なぜなら、主がそのようにさせたからです。

 私たちはレハブアムからどのようなことを教訓として学ぶべきでしょうか?ソロモンの治世の終わり、イスラエルは偶像礼拝と物質主義に陥りました。ソロモンは富国強兵策を進めるために民を奴隷のように扱っていました。レハブアムも父ソロモンの政治哲学を受け継ぎ「民は王のために存在する」という立場に立っていました。長老たちの「過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう」という提案は、実に理にかなうものでした。しかし、レハブアムは「王は民のために存在する」ということを悟ることができませんでした。彼は長老たちの助言を退け、自分に仕えている若者たちに相談して、その意見に従いました。「私の父はおまえたちのくびきを重くしたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」と言いました。このことが北部族を怒らせ、ついに南北王朝分裂へと突進していくのです。レハブアムは良き助言を無視した人です。昨年、猪瀬都知事が5000万円問題で、辞任に追い込まれました。多くの人たちが、「真相はどうなのか」と経過を見守っていたことでしょう。あるジャーナリストがこのように言っていました。「彼は虚像で生きた、裸の王様であった。彼は前都知事に仕えていたブレーンを全部辞めさせ、若い人たちと総入れ替えした。彼は傲慢になり、だれの言うこともきかなかった。本来なら、いろんな逃げ道があるのに、自らが弁明し墓穴を掘った。今回の辞任に至る騒動は、彼が『出世』をする中で作り出した自らの虚像によって力を過信し、傲慢となり、高揚感の中で、現実が見えなくなったことが一因としか思えない。誰もがたどりかねない過ちである。」講壇から政治のことを語るのは、あまり良くないことを知っています。しかし、「レハブアムと似ているところがあるなー」と思いました。正月番組で天才棋士、米長邦夫氏のことが語られていました。「今でしょう」の林先生が教えていました。3人の兄は東京大学に進みました。米長氏は「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」と言いました。彼が7段の人から「私の指し方を学べ」と言われました。しかし、「癖がつくからイヤだ」と断わりました。なぜなら、「その人から学んでも7段止まりだろう」と思ったからです。彼は40歳前半で4冠を取り、「世界一将棋の強い男」と称されました。ところが、それから突然、全く勝てなくなりました。そして、4冠すべてをなくしてしまいました。彼はそれまで、「独学」をモットーとしていました。悩んだあげく、彼は「独学」を返上して、だれからも学ぶことにしました。自分より年が若い人であっても「先生」と呼んで、将棋を1から学びなおしました。そのことが効し、49歳11か月で悲願の名人位を獲得しました。50歳での在位(「50歳名人」)は、史上最年長記録であるということです。『聖書の人々』で中川健一先生は、「良き助言を受け入れる人は、賢い人です。リーダーになる資格は、他人の助言に耳を傾けられることです」と述べています。

 レハブアムは、最初の3年間は忠実に歩んだようです。しかし、王政が確立し、強くなるに従って主から離れていきました。Ⅱ歴代誌12:1「レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は【主】の律法を捨て去った。そして、全イスラエルが彼にならった」とあります。石の柱、アシェラ像、神殿男娼などが国中にはびこり、異邦の忌みきらうべきならわしが民の間で行われました。レハブアムは、主要な町々の防備を固め、外敵に備えようとしました。しかし、神さまに見捨てられた国を武力で守ることはできません。ついに、エジプトの王、シシャクがエルサレムに攻め上ってきました。そして、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾をも奪い取りました。Ⅱ歴代誌12:10-11「それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。王が【主】の宮に入るたびごとに、近衛兵が来て、これを運んで行き、また、これを近衛兵の控え室に運び帰った。」ソロモンが蓄えた財宝が一瞬にして消え去りました。何ということでしょう。レハブアムの失敗のゆえに、金の盾が青銅の盾に置き変わってしまいました。金の盾に比べたら、青銅の盾はレプリカみたいなものです。最初は金のように光っていますが、少し経つと緑色に錆びてしまいます。金の盾から青銅の盾に取り変えたことは、レハブアムの人生を物語っています。彼は父ソロモンからすばらしいものを受け継ぎました。しかり、彼の治世のときイスラエルが分裂し、周りの国々から領土を侵略されていきました。レハブアムは三年の間、ダビデとソロモンの道に歩みました。しかし、王位が確立し、彼が強くなるに及んで、主の律法を捨て去りました。そして、全イスラエルが彼にならいました。なぜ、エジプトの王シシャクが攻め上ってきたのでしょう?Ⅱ歴代誌12:2「彼らが主に対して不信の罪を犯したからである」と書いてあります。旧約聖書においては、律法こそは最も大事な戒めであり、命令でした。特に偶像礼拝は最も忌み嫌われる背信の行為でした。だから、神の守りがなくなり、外敵に攻め込まれ、王宮の財宝や金の盾が奪い去られたのです。

 新約の私たちはどのような教訓を彼から学ぶできでしょう?レハブアム、都知事、天才棋士に共通していることは、「慢心」であります。慢心とは、おごり高ぶること、自慢する気持ちであります。だれでも事業がうまくいき、軌道に乗ると慢心してしまいます。「ああ、私も大したもんだ」と自分を誇ってしまいます。新約的に偶像崇拝とは、神さま以外のものを頼るということです。築いた富や栄光が神さまになってしまいます。まさしく、ラオデキアの教会がそうでした。黙示録3:17「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」と書いてあります。ラオデキアは金融業、目薬、毛織物で有名でした。物質的繁栄に満足して、イエス様を外に締め出していました。イエス様が「私は戸の外に立って叩く」と言っているのはそのためです。あの呼びかけは、未信者ではなく、イエス様を締め出しているクリスチャンへのことばです。成功し繁栄することは悪いことではありません。しかし、主に栄光を帰することを忘れ、自分を誇るようになる危険性もあるということです。ですから、そうならないために、身近な人の忠告や助言をありがたく受け止めたいと思います。何よりもイエス様を締め出さず、主の御声に聞きしたがうことであります。耳にタコができると良く言います。タコは皮が厚くなり、柔軟性がなくなるということです。耳の鼓膜が固くなるなら、音が聞こえなくなります。神さまに対しても人々に対しても、柔らかい心を持っていたいと思います。

 

2.ヤロブアム

 ソロモンが主の契約とおきてを守らなかったので、主は「王国を引き裂いて、家来に渡す」と言われました。その家来というのが、ヤロブアムでした。ヤロブアムは手腕家だったので、ソロモンはヨセフの家のすべての役務の管理を任せました。あるとき、預言者アヒヤが彼と道で出会いました。アヒヤは着ていた外套をつかみ、それを12切れに引き裂き、ヤロブアムに言いました。Ⅰ列王記11:31「十切れを取りなさい。イスラエルの神、【主】は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。』というのは、彼がわたしを捨て、シドン人の神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アモン人の神ミルコムを拝み、彼の父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行わず、わたしのおきてと定めを守らず、わたしの道を歩まなかったからである。」ですから、王国が分裂し、10の部族がヤロブアムにつくことは主のみこころだったのです。主はソロモンと同じようなことをヤロブアムにも言いました。Ⅰ列王記11:38「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。」すばらしい約束ではないでしょうか?主は、北イスラエルをも祝福しようと願っておられたのです。レハブアムは長老たちの助言を退け、「くびきをもっと重くしよう」と言いました。すると預言のとおり、北の部族たちは怒り、ヤロブアムを自分たちの王様にしました。ヤロブアムは賜物が豊かで、ソロモンからのその働きを認められるほどでした。さらに主は、預言者を通して、北の10部族を与える約束されました。主は「私の命じるすべてのことに聞き従い、私の道に歩み、ダビデのような政治を行うなら、北王国をいつまでも祝福しよう」と仰せられました。

 しかし、どうでしょう?ヤロブアムは神さまの知恵よりも、自分の知恵に頼りました。Ⅰ列王記12:26-29「ヤロブアムは心に思った。『今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。』そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。』ヤロブアムは、人々がエルサレムの神殿に行かないように、自分たちのところに神殿を建てることにしました。しかも、目に見えない神さまではなく、金の子牛を2つ作りました。1つは南のベテルに、もう1つは北のダンに置きました。金の子牛は、アロンが民たちにせがまれて作った忌むべき偶像です。あのとき人々は「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言いました。あれから、1300年もたっていたのに、金の子牛のことを覚えていたとは、一体どういうことでしょう。これまで、数多くの主のみわざを見てきたのに、金の子牛を作るなんてありえないことです。さらに、ヤロブアムは自分で勝手に考え出した日を祭りの日と定め、レビ人ではない一般の市民から祭司を任命しました。神さまが、ソロモンの偶像礼拝の故に、王国を裁かれたというのに、再び、ヤロブアムは金の子牛の上に王国を建てようとしたのです。

 その結果どうなったでしょう?ヤロブアムの子アビヤ、後継者となる子どもが病気になりました。ヤロブアムは妻に変装して、シロにいる預言者アヒヤのところに行ってくれと願いました。アヒヤは、かつて「王国を割いて、自分に十部族を与える」と預言してくれた預言者です。子どもがどうなるか教えてもらうために、妻を変装させて送りました。アヒヤは年をとって目がこわばり、見ることができませんでした。しかし、主は、彼女が来る前、アヒヤに「これこれのことを彼女に告げなさい」と言われました。アヒヤは彼女の足跡を聞いて「お入りなさい。ヤロブアムの奥さん」と言って、主から言われたきびしいことばを伝えました。Ⅰ列王記14:7-11「帰って行ってヤロブアムに言いなさい。イスラエルの神、【主】は、こう仰せられます。『わたしは民の中からあなたを高くあげ、わたしの民イスラエルを治める君主とし、ダビデの家から王国を引き裂いてあなたに与えた。あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデは、わたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行った。ところが、あなたはこれまでのだれよりも悪いことをし、行って、自分のためにほかの神々と、鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。だから、見よ、わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。ヤロブアムに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまで、イスラエルにおいて断ち滅ぼし、糞を残らず焼き去るように、ヤロブアムの家のあとを除き去る。』」ヤロブアムの妻が立ち去って、自分の家の敷居をまたいだときに、その子どもが死にました。まさしく、ヤロブアムは自分が蒔いた種の刈り取りをすることになりました。しかし、それだけではありません。彼以降、イスラエルには18人の王が立ちますが、だれ一人として、この偶像礼拝からまぬがれた者がいませんでした。ヤロブアムの罪の道が、それ以降のイスラエル史の路線を決定づけたのです。

 私たちは「ヤロブアムは、なんと愚かなんだろう!」と思います。また、一国の王が偶像礼拝を持ち込むとそれが何代も続くことになります。徳川家康は自分を神格化するために、東照宮を作りました。私は日光の東照宮しか知りませんが、全国に家康を祀っている神社があることに驚きました。ある資料によると、北海道から長崎まで550社もあります。徳川家康が鎖国と同時にキリスト教を邪宗門としました。キリシタンを根絶やしにするため、寺受制度によって、すべての人がお寺の檀家にしました。五人組、仏壇や位牌、さまざまな法事で人々を縛りました。260年に渡る徳川の支配が日本人の精神構造に深く影響を与えたことを否むことができません。「おかみには逆らえない。長いものにはまかれろ」という考えもそうです。しかし、宗教的には先祖崇拝を根強く残すことになりました。日本においては、「先祖崇拝」を抜きにしては、どんな宗教も存在することができません。しかし、キリスト教はすべての偶像礼拝を排除しますので、どうしても対立せざるをえません。そういう中にあって、福音宣教において戦いが起こるのは必然的であります。日本の偶像礼拝と戦うことも重要ですが、もう1つは、家長がしっかりとした信仰を持つということも重要です。十戒には「偶像を拝む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」とあります。父もしくは母が、しっかりとキリスト教信仰を掲げるならば、それが子ども、孫にまで及ぶということです。ヨシュアは民たちに向かって、「あなたがたは、どんな神々に仕えようとも私と私の家とは、主に仕える」と言いました。これは、信仰であります。私たちも、ヨシュアのように信仰をもって告白するならば、家全体もそうなるということです。私も牧師として、自分の子どもたち全員が聖日礼拝を喜んで守っていないことを知っています。私の願いは子どもたちは「神さまを信じているだけではなく、イエス様を愛する人になるということです。」私も、家長として「私と私の家とは、主に仕える」と信仰をもって告白します。必ず、神さまはこの祈りに答えてくださると信じます。日本は偶像礼拝に満ちている国です。ある伝道者は偶像礼拝だけでではなく、性的罪と高慢を付け加えました。日本がこのまま進むなら、神さまは日本をさばかれるでしょう。私たちは一握りのクリスチャンではありますが、地の塩、世の光として、日本のためにとりなしていきたいと思います。そして、このような日本の中にあっても、ヨシュアのように「私と私の家とは、主に仕える」と信仰をもって告白致しましょう。主は必ず、私たちの祈りに答えてくださると信じます。