2014.2.23「アサ王の最初と最後 Ⅱ歴代誌14:1-6」

 ソロモンの死後、イスラエルは北イスラエルと南ユダに分裂しました。北イスラエルの王はむちゃくちゃ悪いので説教として語ることができません。しかし、南ユダにはダビデほどではありせんが、善良な王さまがいました。きょうは、南ユダ王国の三代目、アサ王から学びたいと思います。アサ王の前半はとても良かったのですが、最後は良くありませんでした。私たちはそのような人生を歩んではいけません。反面教師的ではありますが、きょうはアサ王から学びたいと思います。

 

1.アサ王の最初

 アサ王は41年間、南ユダ王国の王でした。彼の最初の人生はとても良いものでした。アサ王のことは1つ前の書物、Ⅰ列王記にも書いてあります。Ⅰ列王記15:11「アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行った」と書いてあります。南ユダにおいては、ダビデが正しい王さまとして模範でした。彼はどんな良いことをしたのでしょうか?第一にアサ王は偶像を壊して、神殿を清めました。Ⅱ歴代誌14:2-3「アサは、彼の神、【主】がよいと見られること、御目にかなうことを行い、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。ソロモン王は多数の外国の女性をめとりました。そして、彼女らが拝んでいた神々をイスラエルに導入しました。その後、イスラエルは、北と南に分裂しました。北は別の神殿を建てて、金の子牛を拝みました。南ユダにおいてもヤーウェの神の他に、異教の祭壇がいくつもありました。そこには、神殿男娼がいて、不道徳なことをしていたようです。アサ王は異教の祭壇を壊し、神殿男娼を国から追放しました。また、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除きました。ここにアシェラ像とありますが、これは木の柱で、異教の神のシンボルでした。ある研究家は、日本語の「柱」はアシェラが語源ではないかと言っています。15:16「アサ王の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼は王母の位から彼女を退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、粉々に砕いて、キデロン川で焼いた」と書いてあります。このように、王母まで追放したのですから、アサ王の宗教改革は徹底したものでした。

 第二にアサ王は、律法と命令を行わせました。Ⅱ歴代誌14:4-5「それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、【主】を求めさせ、その律法と命令を行わせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。」アサ王は、律法と命令を書いた巻物を取り出して、それをちゃんと読ませ、実行させました。こういうことが、イスラエルの歴史において、何度か繰り返されました。イエス様も宮をきよめました。両替の箱を倒し、なわの鞭で鳩や牛を追い出しました。そして、言い伝えを取り除き、聖書を復活させました。16世紀、ルターによる宗教改革がありましたが。そのときもローマ・カトリックが行っていた儀式や異教的なものを排除しました。それまで、人々は、聖書をミサの時しか聞くことができませんでした。しかし、宗教改革者たちは、ラテン語の聖書を自国語に翻訳し、だれでも聖書が読めるようにしました。アサの宗教改革の結果、ユダ王国はしばらくの間、平和と繁栄を享受することができました。

 第三にアサ王は国の防備を固めました。Ⅱ歴代誌14:6-7「彼はユダに防備の町々を築いた。当時数年の間、その地は平安を保ち、【主】が彼に安息を与えられたので、彼に戦いをいどむ者はなかったからである。彼はユダに向かってこう言った。『さあ、これらの町々を建てようではないか。そして、その回りに城壁とやぐらと門とかんぬきを設けよう。この地はなおも私たちの前にある。私たちが私たちの神、【主】を求めたからである。私たちが求めたところ、神は、周囲の者から守って私たちに安息を下さった。』こうして、彼らは建設し、繁栄した。」アサ王は防備の町々を築きました。本当は、主ご自身が安息を与えたので、アサ王に戦いをいどむ者がなかったのです。アサ王は城壁とやぐらと門とかんぬきを設けました。しかし、彼らが主を求めたので、神さまが周囲の者から守って彼らに安息をくださったのです。つまり、防備の町や城壁の建設も大切ですが、主を求めることが大事だということです。神さまと民たちが正しい関係にあるならば、神さまご自身がその国を守ってくださるのです。これは日本においてもそうであります。敗戦後、アメリカと同盟を結んで、ここまできました。沖縄をはじめ、いろんな犠牲を強いられています。しかし、本当は、ユダ王国のように、まことの神さまを求め、正しい関係を持つならば、神さまご自身が守ってくださるのです。「防備がいらない」と言っているのではありません。神さまが周りの国に対して、侵略をしないように働いてくださるのです。アサ王は主を求めたので、ユダの国は、20年間にわたり、安息と繁栄を享受することができました。

 神さまはアサ王に対して、南ユダを治める王権を与えました。アサ王はそれを正しく用いて、国中の偶像を壊し、律法と命令を行わせ、そして、国の防備を固めました。周囲の国が南ユダを侵略しないように守ってくださいました。その結果、南ユダは平和と繁栄を享受することができました。ですから、一国の国王、大統領、あるいは総理大臣は、とても責任があるということです。一国の大統領や総理大臣が偶像を拝んだり、不道徳なことをして、「それは個人の問題です」とは言えません。彼らは民の代表として、神さまと向き合っているからです。少し前、フランスの大統領のスキャンダルが報道されていました。しかし、フランスやイタリヤでは権力者の私生活について追及しないという伝統があるのですが、どうなんでしょうか。聖書的に見るならば、それは堕落であります。国王や大統領は国民を代表しているので、彼らの罪が、国民にも影響を及ぼすのは必至でありましょう。神さまがその人に権威や権力を与えているのは、国を正しく納めるためであります。好き勝手を行って良いとか、政党の願望を成し遂げるためではありません。そのためには、まことの神を恐れ、その指針である神のみことば聖書に堅く立つ必要があると信じます。

 

2.アサ王の最後

 アサ王は、南ユダを41年間治めました。前半の20年間は比較的良好でした。彼はまさしく、「父ダビデのように、主の目にかなうことを行った」ので、神さまが祝福してくださいました。ところが、彼の後半の生涯はどうだったでしょうか?Ⅱ歴代誌16:1-3アサの治世の第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。アサは【主】の宮と王宮との宝物倉から銀と金を取り出し、ダマスコに住むアラムの王ベン・ハダデのもとに送り届けて言った。「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金を送りました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」アサ王の治世36年目に外交問題が起こりました。北イスラエルのバシャ王が南ユダに攻めてきました。しかも、北イスラエルのバシャ王はアラム王ベン・ハダデと同盟関係にありました。二対一ですから、勝ち目がないように思えます。アサ王はどうしたでしょう?アラム王ベン・ハダデを買収したのです。主の宮と王宮との宝物倉から銀と金を取り出して、それを差し上げました。そして、「イスラエルの王バシャとの同盟を破棄して、彼らがこちらに攻めてこないように軍を差し向けてください」とお願いしました。アラム王ベン・ハダデは「わかった」と言って、自分の配下の将校たちを北イスラエルの町々に差し向け、それを壊しました。北イスラエルは、「戦争どころではない」と要害を築くのをやめて、自分たちの町に帰りました。その後、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来てこう言いました。Ⅱ歴代誌16:7-9「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、【主】に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。…【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」アサ王はこの予見者に、怒りを発し、足かせをかけました。彼は自分の失敗を認めませんでした。

 また、アサ王はその治世の39年目に、両足とも病気にかかりました。Ⅱ歴代誌16:12-13「彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は【主】を求めることをしないで、逆に医者を求めた。アサは、彼の先祖たちとともに眠った。すなわち、その治世の第四十一年に死んだ。」アサ王の心は完全に頑なになっていました。医者に頼ることは悪いことではありません。しかし、病が重かったにもかかわらず、神さまに癒しを求めることをしませんでした。私たちは「ああ、神さまに祈ったら良いのになー」と思うでしょう。旧約時代における、預言者は王様に対して、神のみこころを示したり、矯正することができました。王様は国を治めますが、預言者は「神さまがどう思っておられるか」提示しました。どちらも等しい権力がありました。その当時、エリヤとかエリシャが北イスラエルで活躍していました。病気になると、預言者が神さまに「これはどういう病気なのか、癒されるのか」求めてくれます。ところが、アサ王は自分に神さまのみこころを示してくれた予見者(預言者)に怒りを燃やし、足かせをはめました。さらには「民のうちのある者を踏みにじりました」。つまり、アサ王は神さまに求めてくれる預言者や正しい人を退けていたのです。当時の医者は現在の医者と違って、まじないや占いで癒す人たちがほとんどでした。アサ王は意地を張って、主のもとにはいかず、そういう医者を求めたのです。重い病の病名はわかりませんが、アサ王は2年後に死んでしまいました。彼が悔い改めて、主を求めていたなら、癒されていたかもしれません。彼はどの王様よりも立派な葬式をしてもらいました。

 だれでも失敗はあるものです。そのとき、悔改めて正しい道を歩めば良いのです。あのダビデもそうでありました。「私は主に対して罪を犯しました」と告白しました。すると、主が直ちに彼の罪を赦してくださいました。アサ王のように、権威とか権力が与えられると、悔改められないかもしれません。アサ王はこれまで大変、良いことを行ってきました。国中の偶像を壊し、律法と命令を民に守らせ、町も建てました。20年以上うまくやってきたのです。慢心が原因で、主を頼らないで、アラムの王様を頼りました。それも、ユダ王国を守るためでした。「結果的に良いじゃないか!」と思うかもしれません。「これだけやってきたのに、どうして足の病になるのですか?」これがアサ王の気持ちだったかもしれません。「意地を張る」というと聞こえが良いかもしれません。でも、それは主の前に心を頑なにすることであり、罪であります。罪を悔い改められるのは幸いです。それができないくらい、心が頑なになってしまうなら悲しいことです。私たちは最後まで主の道を歩み、人生を全うしたいものです。

 

3.最後まで走りとおす

 使徒パウロは最後まで主の道を走りとおした人です。ピリピ3:13-14「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」パウロは「うしろのものを忘れる」と言いました。うしろのものと言うのは、悪いものもありますし、良いものもあります。つまり、失敗や成功も忘れて、過去には生きないということです。アサ王はそれまで大変、良いことを行ってきました。国中の偶像を壊し、律法と命令を民に守らせ、町も建てました。20年以上うまくやってきました。しかし、そのことで慢心して、主を頼らないで、自分の知恵を頼りました。また、予見者ハナニが注意しても、心を頑なしして悔い改めませんでした。アサ王はハナニに足かせを付けて、牢獄に閉じ込めておきました。予見者ハナニは私たちの良心あるいは、御霊の声と言えるでしょう。人間、年をとればとるほど、「昔は良かった」と過去のことを懐かしみます。そればかりか、「今はダメだとか」言い出します。そうなると、将来に対する希望やビジョンがなくなり、過去に生きる人となります。たまには過去を見るときがあるでしょう。過去の失敗やトラウマがよぎる時もあります。また、過去の栄光を喜ぶことがあるでしょう。でも、思い出にひたっていると、前が見えなくなります。車を運転する人はわかりますが、車を走らせる時は、広い全面ガラスの風景を見ます。しかし、全面ガラスの上の方に、小さいバック・ミラーがあります。それは、後ろを見るものです。バックしたり、後続車を知るために小さいバック・ミラーが必要です。でも、運転中はほとんど、広い全面ガラスの風景を見ます。何故でしょう?小さいミラーに集中していたなら、事故に遭うからです。車の全面ガラスとバック・ミラーの比率はどれくらいでしょうか?私たちの人生もそれと同じであるべきです。悪いことも良いことも、後ろにおいて、私たちは前を見て走る必要があります。あるところに有名な建築ディザイナーがおりました。彼はたくさんの高層ビルやミュージアムをデザインしました。彼が晩年に達したとき、ジャーナリストたちがインタビューに来て、こう質問しました。「これまでの数ある作品の中で、最も良かったものはどれですか?」彼は目を大きく開けて、「次の作品を期待してください」と答えたそうです。

 第二にパウロは目標を目ざして一心に走りました。パウロは「ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている」と言っています。目標は神の栄冠であります。おそらく、パウロは当時のオリンピックをたとえているのではないかと思います。当時の花形は、陸上のマラソンだったと思います。目標はゴールであり、月桂樹でできた栄冠でした。私たちにはそれぞれ、走るべきレースがあります。人によってそれぞれ目標が違うでしょう。しかし、共通しているのは、自分のレースを走りつくして、神さまの栄冠をいただくことであります。そのためには、「神さまが自分に与えた人生の目標は何なのかな?」と知ることであります。ある人は、3年ごとに仕事を変えています。転職が悪いとは言いません。ただ、そこに一貫した目標があるかどうかです。クリスチャンになると、「神さまのみこころ」とか「神さまの導き」という言葉を使います。しかし、ある人たちは、そういう言葉を頻繁に使いながら、道が定まっていない場合があります。客観的に見て、それが神さまの目標だとは言えないように思います。なぜなら、神さまは一貫したお方だからです。神さまは永遠の視点から、私たちの人生を見ており、そして永遠の目標へと導いておられます。もし、行き当たりばったりの人生だとしたら、「神さまの導き」とは言えないのではないでしょうか?私は神さまがその人に与えた聖なる運命(天命)が必ずあると信じます。それを発見して、自分に与えられた人生を走るのです。ある人はお母さんの人生を走っている人がいます。またある人はお父さんの人生を走っている人がいます。お母さんやお父さんに認められることは悪いことではありません。それだからと言って、他人の人生を走って良いとは限りません。神さまが自分に与えた聖なる運命(天命)があるからです。

 パウロは死ぬ前にこのように言っています。Ⅱテモテ4:7-8「 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」パウロは「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」とはっきりと言うことができました。しかも、「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」と断言しました。パウロは最後まで走りとおしたすばらしい人の見本であります。最後まで走りとおすことを英語では、finish wellと言います。まことに残念ですが、アサ王はfinish wellできなかった人の見本です。最初はとても良い人生でした。しかし、最後は心が頑なになり、神さまに癒しを求めませんでした。聖書の人物においても、また牧師や伝道者でも、finish wellできた人は、全体の3割だと言われています。私は子どもの頃、親や兄弟から「意地っ張り」と良く言われました。なぜ、意地を張ったのか?それは、誰も自分を分かってくれなかったからです。せっかくの好意も「もういらない」とか「もういい」とか言って、断りました。「意地」が私のエネルギーだったのかもしれません。では、その「意地」がどのように変えられたのでしょうか?会社に入って、人の親切を素直に受けてから、だんだんと変えられました。世の中には自分のことを分かってくれる人が何人かいるものです。そういう人たちは自分の宝物です。生涯において、友とか恩人を持っているというのは幸いです。でも、人間には限界があります。やはり、主イエス・キリストに出会って、父なる神さまとつながる必要があります。そうしないと、本当のエネルギーも本当の目標もないからです。使徒パウロが「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠」と言ったのはそのためです。キリストなしの目標は、自己満足に終わる可能性があるからです。自分のレースを走ると言いながらも、「神さまのものではなかった!」という場合もあります。

 クリスチャンであるならば、信仰の道を最後まで走りとおすという課題があります。パウロは「私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです」と言っています。自分の人生の終わり、あるいは、世の終わりイエス様が来られるまで、信仰の道を走りとおすということです。黙示録2:10「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とあります。私の家内は、洗礼を受けたとき本をプレゼントされたそうです。表紙を開いたら、「死に至るまで忠実であれ。大川従道」と書いてあったそうです。おそらく、そのときに「ああ、信仰はそうあるべきなんだ」と受け止めたのでしょう。はっきりとしたデーターはありませんが、洗礼を受けても、半数以上の人たちが教会を去って行きます。彼らがみな信仰を捨てたということではないと思います。母教会でなくても、どこかの教会につながっていれば良いでしょう。でも、主イエス・キリストを否むならば、どんなすばらしい生き方をしても、走り終えたとは言えないでしょう。私たちは主の道をひたすら歩み、いのちの冠をいただくべきであります。人によって成し遂げることの大小は異なるでしょう。大成して名を上げる人もいるかもしれません。しかし、信仰の道を忠実に歩むことが、最も基本的で重要なことではないでしょうか?死に至るまで忠実でありたいと思います。