2014.7.27「エレミヤの哀歌 エレミヤ9:1-3」

 エレミヤはエルサレムがバビロンによって滅ぼされるのを預言しただけではなく、実際に目撃した人です。そのことを嘆いて書いた書物が哀歌です。伝統的に、哀歌はエレミヤの作と言われています。私たちは旧約聖書の人物から学んでいますので、聖書の哀歌を参考にしながら、預言者エレミヤのことを学びたいと思います。前回のメッセージはエレミヤ書全体を網羅しましたが、本日は、哀しみの歌のところにポイントを当てたいと思います。

 

1.エレミヤ書の哀歌

 

 エレミヤは女性的で涙の預言者と呼ばれています。しかし、もし自分がその時に召されたなら、同じようになるでしょう。前回も申し上げましたが、主はバビロンによって南ユダを滅ぼすことを決定していました。それまで預言者を遣わして何度も警告しましたが、偶像礼拝をはじめとする多くの罪を悔い改めませんでした。神様の怒りがなだめられるのは、彼らがだまってバビロンに降伏し、捕らえられて行くことでした。唯一の希望は、70年後、バビロンから戻ってくることができるということでした。エレミヤは神からの啓示と幻をストレートに伝えました。予想通り、王と民たちは主のことばに反逆し、エレミヤを監禁しました。エレミヤは、さばきがどれくらい悲惨なのか、前もって知ることができました。だから、このように嘆いています。エレミヤ9:1「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。ああ、私が荒野に旅人の宿を持っていたなら、私の民を見捨てて、彼らから離れることができようものを。彼らはみな姦通者、裏切り者の集会だから。」エレミヤは「ああ」と嘆いていますが、エレミヤが書いたと言われる哀歌も「ああ」ではじまっています。ですから、ヘブル語訳の哀歌は「ああ」(エーカー)という呼び名になっています。哀歌の内容は後から取り上げますが、エルサレムの破壊と人々の無残な姿に対する嘆きの歌です。

エレミヤ9章に「哀歌」ということばが2回出てきます。このところからも哀歌がエレミヤの作ではないかと考えられます。エレミヤ9:10「私は山々のために泣き声をあげて嘆き、荒野の牧草地のために哀歌を唱える。そこは、焼き払われて通る人もなく、群れの声も聞こえず、空の鳥から家畜まで、みな逃げ去っているからだ。」エレミヤ9:20-21「女たちよ。【主】のことばを聞き、あなたがたの耳は、主の言われることばを受けとめよ。あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ。死が、私たちの窓によじのぼり、私たちの高殿に入って来、道ばたで子どもを、広場で若い男を断ち滅ぼすからだ。」エレミヤは主から示された啓示と幻を民たちに告げました。しかし、聞いた人たちは、あざ笑い、その預言を退けました。その当時、ビデオは発明されていませでした。しかし、エレミヤはまだ起きていない出来事を映像で見ることができました。エルサレムの町が焼かれ、人々が切り殺される様子を見ました。だから、私の頭が水であったなら昼も夜も泣けると言っています。いや、自分一人では泣ききれないので、「泣き女を呼んで来させ、私たちのために嘆きの声をあげさせ、私たちの目に涙をしたたらせよ」(エレミヤ9:17-18)とも言っています。当時はお葬式のとき、哀しみを増し加えるために、泣き女を雇いました。エレミヤは「あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ」と命じました。ユダヤ人の会堂では、7月の中ごろ(アビブの月)に哀歌を朗読するそうです。彼らは紀元前586年のバビロン捕囚、そして紀元後70年のローマによるエルサレムの崩壊を忘れないためです。

日本人は泣いたり、嘆くということをあまりしません。しかし、お隣の韓国は、悲しみをあらわにする国民だと思います。去る4月韓国船フェリー、セオル号が沈没しました。200人以上の人たちが亡くなりました。日本中も「なぜあんなひどいことが起きたんだろう」と驚いたと思います。やがて10以上の事故原因が浮かび上がりました。しかし、高校生を亡くした親御さんたちの悲しみと嘆きは、いかばかりだったでしょう。私も無責任な人たちに対する怒りと苦々しい思いに満たされました。しかし、被害者たちの悲しみと怒りは、船長や船員たちが裁かれても収まらないでしょう。「なんで、あの事故を防げなかったんだろう」「うちの子供はどんなに苦しんで死んだのか」「この先、希望の人生があったのに」「どうして、あんな船に乗ったんだろう」。このような悲しみと怒りをぶちまけたのではないかと思います。エレミやの哀歌は、これと似ています。私たちは嘆き悲しむことが必要です。よく、事件や事故の後、「これから二度とこういうことが起きないように願います」と言います。しかし、そういう早急な解決は間違っています。「これから」ではなく、今十分に悲しまないと次のステップは見えてきません。イスラエルの人たちは、モーセが死んだとき、30日間、泣き悲しみました。嘆き悲しむ喪の期間が終わってから、出発しました。日本の仏教では、初七日、四九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌とあります。その目的は、故人の冥福を祈り、その霊を慰めるためでしょう。しかし、遺族の悲しみが癒されるように、あえて、そういう期間が設けられているのかもしれません。人間の知恵がそこにあるような気がします。私たちクリスチャンは、「神様がすべてのことを益にして下さいますよ」と慰めがちです。当人がそのように悟る分には構いませんが、失ったものを泣いたり、嘆く期間が必要です。悲しみや嘆きがない方が良いに決まっています。しかし、この世においてはそういう悲惨な出来事は何度か起こります。しかし、悲しみや嘆きを神様の前に注ぎ出すとき、次のステップが開かれるのではないかと思います。マタイ5:4「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」です。

 

2.エレミヤの哀歌 

 

こんどは、エレミヤ書の次の書物、「哀歌」を少し取り上げたいと思います。昔の文語訳は「エレミヤ哀歌」と言いました。英国の聖書も、The Lamentations of Jeremiahとなっています。しかし、いずれも改訂してから、「哀歌」だけになりました。前のポイントでも申し上げましたが、伝統的にはエレミヤが書いたのではないかと言われています。ユダヤ人の70人訳の表題には「イスラエルが捕えられたのちにエレミヤが泣きながら歌い、エルサレムのために嘆いた書」と書いてあります。哀歌の特徴は、エルサレムを「シオンの娘」と女性にたとえていることです。哀歌2:1「ああ、主はシオンの娘を御怒りで曇らせ、イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし、御怒りの日に、ご自分の足台を思い出されなかった。主は、ヤコブのすべての住まいを、容赦なく滅ぼし、ユダの娘の要塞を、憤って打ちこわし、王国とその首長たちを、地に打ちつけて汚された。」バビロンによって徹底的にエルサレムの城壁、町、神殿が破壊され、汚されました。年寄りも若者も剣で切り殺されました。では、幼子たちはどうなったのでしょう?哀歌2:19「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。」この聖句は日曜学校の教師研修会で引用されることがあります。幼子たちが食べるものがなく、飢えのため弱り果てています。しかし、それだけではありません。哀歌2:20「【主】よ。ご覧ください。顧みてください。あなたはだれにこのようなしうちをされたでしょうか。女が、自分の産んだ子、養い育てた幼子を食べてよいでしょうか。主の聖所で、祭司や預言者が虐殺されてよいでしょうか。」読むに耐えないようなことも書かれています。

しかし、哀歌の中にも希望のみことばがあります。ある者たちは捕らえられバビロンに引かれていきました。しかし、それが主のみこころでした。彼らはだまって捕らえられたので、命を分捕り物として得ることができました。前回も言いましたが、エレミヤが言う「平和を与える計画」とは、だまってバビロンに捕らえられることです。そして、70年の満ちるとき、主の顧みによって帰ることできるということです。おそらく、この箇所がそのことと関連があると思います。哀歌3:22-33「私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。【主】こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。【主】はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。【主】の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」その当時の人たちは、バビロンに捕らえられることは敗北であり、恥であると思いました。そのために、必死に抵抗しましたが、剣で殺されることになりました。そうではなく、「自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ」というのが正しいのです。その上で、主を待ち望むように命じられています。

 戦時中はそうだったかもしれませんが、私たちはエレミヤの時代ほど、苦しい状況にある人はいないと思います。しかし、自分が神様のあわれみによって、滅びうせなかったことは主の恵みであり、あわれみではないでしょうか?救われる前は、いろんな権利を主張したかもしれません。怒りや復讐心を生きるバネにしていかもしれません。しかし、キリストを信じて救われてからどう変わったでしょうか?「ああ、本来なら自分が犯した罪でさばかれて当然だった。しかし、主のあわれみによって生かされている。」と思ったのではないでしょうか?では、救われてから全く試練がないかというとそうでもありません。不当な扱いや不条理を経験したとき、「神様、なんで私が苦しまなければならないのですか?」と文句を言ってしまいます。救いを得て、新生したはずなのに、神様を呪うような気持ちがまだどこかにあったなんて信じられません。そうです。神様は金や銀を精錬するように、火の中を通します。ヘブル人への手紙12章には、「主は愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えるからである」と書いてあります。つまり、懲らしめを受けるのは、私たちが私生児ではなく、本当の子だからです。ユダの残りの民も、バビロンという溶鉱炉の中を通らされる運命にあったのです。70年たてば、彼らの罪咎が打ち消され、再び戻ってくることができます。哀歌には、「人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。」と書かれています。でも、「若い」って、どれくらいの年齢なのでしょうか?おそらく、40歳でも若いと思います。一番、自信がつく頃だからです。40歳で砕かれると、60歳まで大丈夫です。また、60歳で砕かれると今度は80歳まで大丈夫です。80歳で砕かれると100歳まで大丈夫かもしれません。「神様、なんでそのような苦しみを与えるのですか」と文句を言いたくなります。でも、それは次のステップに上がるために、必要な試練なのかもしれません。哀歌には、「たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」と書かれているからです。

 みなさんの中には長い間、病気で苦しんでおられる人もいるでしょう。聖書では「神様は病気を与えない」といっているのに、なぜ、こんなに長引くのでしょう。また、伴侶や子供たちのことで、悩みや問題を抱えている人もいるでしょう。いっそのこと、家庭を捨てて、一人で暮らした方が気楽だと思っているかもしれません。また、仕事や夢を追い求めてがんばっているのに、なかなかブレイクがやってこない。現状維持か、あるいは先細りの道を歩んでいる。信仰とかビジョンの話しなど、もう聞きたくないと思っているかもれません。でも、「主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」「たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる」とあります。まさに、今が耐える時であり、主を待ち望む時です。主は必ず、私たちを顧みて、引き上げてくださいます。時が満ちると言いますが、器の水はいつ溢れるかご存知でしょうか?器の淵まであと1センチなんですが、外から見たら全く変わりません。5ミリでもダメです。プラスマイナスゼロでもダメです。表面張力の分を超えたら、ザーッと溢れ流れてきます。今が耐える時であり、主を待ち望む時です。もうすぐ、神様がみわざをなしてくださいます。神様のワンタッチで、すべてが変わります。私たちも待っていますが、神様ご自身も、そのときを待っておられます。

 

3.イエス様の哀歌

 

 福音書を見るとわかりますが、イエス・キリストはエレミヤの再来ではないかと思われています。マタイ16:13-14「さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々は人の子をだれだと言っていますか。』彼らは言った。『バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。』」人々がそういうのは、イエス様がエレミヤとどこか似ているからでしょう?ある本に「エレミヤは苦難の預言者として、苦難のしもべイエスに最も似た人物であった」と解説していました。中間時代の人たちはメシヤが来臨する前に、エレミヤが戻ってきて、ネボ山の洞窟に隠されていた契約の箱と香をたく祭壇を取り出してくれると信じていたようです。それよりも、イエス様がエレミヤと似ている箇所があります。それは、エルサレムに入城する直前のことです。ルカ19:41-44エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」旧約のエレミヤはバビロンによってエルサレムが滅ぼされることを嘆きました。そして、新約のイエス様はローマによってエルサレムが滅ぼされることを嘆きました。残念なことに、エルサレムは同じことを繰り返してしまいました。

 イスラエルは神様によって選ばれた民でした。選ばれた民であったからこそ、責任もありました。ところが、イスラエルはその特権に甘んじて、罪を犯し続けました。神様は預言者たちを何人も遣わし、立ち返るように求めました。しかし、イスラエルは心を頑なにするばかりでした。最後に神様はご自分の御子を遣わしました。「わが子ならきっと敬ってくれるだろう」と思ったからです。ところが、彼らは御子イエスを捕まえて、殺そうと企みました。イエス様が丘の上からエルサレムが見えたとき、このように嘆きました。ルカ13:34「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」イエス様はエレミヤのよう涙を流して嘆きました。神様が一番悲しまれるのは、ご自分の愛が受け入れられない時です。私たちはイスラエルのように心頑なになって、主の愛を退ける者となりませんように。主は一人も滅びることなく、永遠のいのちを持つように願っておられます。

 私は先週から坐骨神経痛のために歩くことも、座ることも、寝ることもできませんでした。おしりの下からふくらはぎまで、鈍痛が走ります。家で「痛い!」と叫ぶと家内が「病院に行きもしないで」と叱ります。そのため、私は牧師室で「痛い!」「痛い!」と泣き叫んでいました。仕方がないので、横にねそべりながら本を読むことにしました。途中までの読みかけの本がたくさんありましたが、穐近裕(あきちかゆたか)師の『土方のおやじ』を読み終えました。先生は子供のとき、アメリカに移住し、そこで信仰を持ちました。日本とアメリカが戦争している時も、特別に許可されアメリカで伝道しました。戦後はマッカーサー元帥によって、アメリカから日本に宣教師として遣わされた特異な人です。先生は日本に来て、多くの人たちを導き、やがてそれがイエス福音教団になりました。私が一番感動したのは、日本に宣教師として来るとき、息子と娘をアメリカに置き去りにするしかなかったことです。そのとき日本は焦土と化していたので、子連れで日本に来ることが許されませんでした。出発するとき、肉の兄弟姉妹たちからは「お前が日本に行くなんて気違いだ」とののしられました。そのとき、聖書の約束を思い出しました。マルコ10:29-30「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。』」先生は、「そうだこの二人も捨てよう。いや、イエス様の御手にお献げしよう。お任せしよう」と決心しました。13歳の息子と別れるとき「父は日本に行って死ぬんだ。お前はおじいさんのところへ帰れ」と言いました。そのとき、ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」というみことばを思い出しました。「父なる神様は、自分のひとり子をこの世に送り出されたんだ。ヨハネ3章16節を単なる聖句として、口先だけで、神の愛を論じたってダメだ。イエス様のために命を懸けなければならない」と決意しました。このメッセージが先生の生涯をずっと貫きました。当時の日本人は、「すべてを捨てる」とか「命がけ」というメッセージに胸元をぐっと掴まれました。その結果、日本の土を踏んで35年間に、20の教会ができ、1000名以上の信者がイエス福音教団に加えられました。天に召された田中政雄牧師がミスター穐近のことをこう述べています。「ミスターは特別、聖人だとは思いません。凡人で、人間的な人だなあと思うんです。なぜなら、しょっ中泣いているんです。証を聞いては涙ぐみ、説教を聞いては涙を流している。私はミスターの涙を数えられないほど見てまいりました。」涙を流すということは恥ではありません。中には悔しい涙もありでしょう。しかし、エレミヤやイエス様、そして穐近牧師の涙は、神の愛からほとばしる涙です。涙を流して、言わなければわからない人がたくさんいます。これまでさんざん裏切られ、悲哀をなめてきたからでしょう。でも、神様の愛から来る真実な涙もあります。「父の涙」という歌がありますが、神様はひとり子を十字架につけてでも、私たちを救いたいと願っておられます。父の涙を無駄にしてはいけないと思います。また、父の涙に感動しつつ、命がけで福音を宣べ伝える者となりたいと思います。