2009.04.26 福音の奉仕者 ピリピ2:19-30

パウロは使徒でした。使徒の使命の1つは、福音が届いていない地域に教会を建て、群ができたら、また他のところへ行って教会を建てるということです。言い方を変えると、同じ所にじっとしているというのが苦手で、そこに牧師や長老を任命して、また他のところに行く、いわばフロンティア精神のかたまりみたいな人です。私のおもな賜物は牧師と勧めでありますので、同じところで人々に聖書を分かり易く教えるのが得意なのであります。だから、全く新しい所へでかけ、全く新しい人に福音を伝えるというのはものすごくプレッシャーがかかります。でも、10年後のビジョンを掲げますとそういうことも言っていられません。これまでしてこなかったことをチャレンジするしかありません。もう1つは、自分にできない部分を他の人に任せていきながら、チームで教会を形成していくということです。教会はキリストのからだにたとえられていますので、いろんな人が組み合わされて、神様のために用いられるようになっています。

1.パウロの最愛の同労者テモテ

 テモテはパウロの第二回伝道旅行において、20歳ぐらいで同労者に選ばれてから、忠実にその任に当たりました。彼はパウロに伴って、同じところで働きを共にするばかりでなく、パウロが去った後にもその地方にとどまって働きを継続しました。また、使者として派遣され、しばらくしてから教会の様子をパウロに報告しています。パウロが獄中にいたときも、最後まで一緒にいたので、「パウロの最愛の同労者」ということができるでしょう。パウロは使徒の賜物を持った人であるならば、テモテは奉仕の賜物を持った人です。「手足になる人」という表現は酷ですが、奉仕の賜物のある人はそれが喜んでできる人です。テモテは決して弱い人ではありませんでしたが、その奉仕が激しいので、時として霊的に弱ったり、体を壊すことがあったでしょう。だから、パウロは「神の賜物を再び燃え立たせてください」とか「たまには体のためにぶどう酒を飲みなさい」とテモテに対して書き送っています。私は使徒パウロを大変尊敬しています。そして、「テモテみたいにパウロ先生に愛され、用いられたらなんと幸いだろうなー」と思います。使徒パウロと同労者テモテは、すばらしい関係であります。

 同時に、こういうところを読みますと、「自分にテモテみたいな人がいるだろうか?」と思ってしまいます。自分の協力者、アシスタントというのは、なかなかいないですね。高砂教会に手束先生という方がいらっしゃいますが、教会の執事さんたちが本当によく仕えています。昔、「なぜ、なんだろうー?」と研究したことがあります。手束先生は自分で車を運転しませんし、細かい奉仕は一切しません。どこかへ行くにしても執事がみんなお世話します。「もっぱら祈りとみことばに専念する」というスタイルで、教えたり、本を書くのがおもな仕事です。私の場合は、奉仕の賜物もありますので、印刷をしたり、お掃除したり、送り迎えをしたり、音響やビデオをしたり、「やれ」と言われれば何でもします。だけど、結婚式や葬儀の準備のときは、「ああー、アシスタントがいたらどんなに良いだろうか?」と思うことがあります。でも、みなさん。「自分の思うとおりに人が動くか?」と思ったら、大間違いです。自分の子供たち、いや妻ですら、私の言うことは聞きません。教会員のみなさんだって、それぞれ自我を持っています。リーダー・役員会でも一人ひとりみんな違います。「なんで俺の言うことを聞けないんだ!」と思うくらい、異議を唱える人が結構います。たまに、「ぐさっ」と、突き上げを食らうときもあります。でも、これがトップダウンの教会ではなく、セルチャーチだというところからも来ています。セルチャーチは専門家がいません。それぞれの器官がかしらなるキリストにつながって、奉仕をしています。牧師もからだの器官の一つですから、ため口、OKであります。「なんで、こんな教会にしたのかなー」と時々、悔やむこともあります。

 同労者とはどういう意味でしょう?ギリシャ語ではスネルゴスと言いますが、スン「共に、一緒に」ということばと、エルゴス「行ない、働き」ということばが合わさったものです。簡単に言えば、「一緒に働く」ということです。神様は自分一人でご用をするように願っておられないようです。それぞれ違った賜物、違った性格、違った考え、違った情熱の人が、助け合って、1つの働きをなす。これがキリストのからだなる教会の理想であります。カルト的な教会は、一人の指導者に対して、みんながイエスマンです。「ノー」と言う人は追い出されます。回りの人たちは自分で考えないで、指導者の指示を待って、指示があったときだけ、指示通り動きます。そういう場合、同労者とは言いません。手下であり、良く言えばスタッフであります。仕事を裏方で支え、出演者以外の製作に携わった関係者全員をスタッフと呼びます。だから、スタッフは同労者ではありません。私個人としては、自分の思うままに動く、私の弟子を求めたいのですが、どうもそれは違うようであります。では、どういう人が真の同労者であり弟子なのでしょうか?Ⅱテモテ2:2はとても有名な聖句です。これは、パウロが同労者のテモテに書き送ったことばです。「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」まず、自分が聞いたことを、他の人に教えることができる忠実な人をさがします。その人を訓練してその教えをゆだねます。それで終りではありません。「あなたも次の教えることができる忠実な人をさがして、訓練して、ゆだねなさいよ」と言わなければなりません。パウロからテモテ。テモテから次の人と三代になります。どうぞ、自分の働きを継続できる忠実な人をさがして、ゆだねていきましょう。自分がだれかの同労者になるとともに、次の同労者を作っていきましょう。

2.パウロの兄弟、同労者、戦友エパフロデト

 エパフロデトはピリピ教会から贈物を持って獄中のパウロを訪れ、そこでパウロに仕えました。ところがその間に彼は「死ぬほどの病気にかかり」、「キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになりました」(2:27,30)。パウロはエパフロデトの労をねぎらい、感謝しながら、ピリピに送り返そうとしています。第二のポイントで学びたいことは、使徒パウロのエパフロデトに対する配慮であります。ちょっと意地悪な見方をしたらどうなるでしょう?エパフロデトはパウロ先生に仕えるようにピリピ教会から送り出された人です。いわば代表であります。でも、どうでしょうか?向こうに着いてから、病気になって、パウロ先生に逆に心配をかけてしまいました。「どじだなー、何のために行ったんだ!」とピリピの教会は思うかもしれません。でも、パウロは恥をかかせないために、こう言っています。「私の兄弟、同労者、戦友、私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデト」。さらに29,30節。「ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。」うぁー、たまんないですねー。ときどき、テレビで「『この人が上司だったらいいなあ』と思う有名人は誰ですか?」というアンケートがあります。石原裕次郎とか、小林稔侍みたいな人がよくトップに上げられます。でも、使徒パウロの方がずっとすばらしいと思います。部下のことをこんなふうに言う人は少ないと思います。やっぱり指導者の人格の良し悪しでしょうか?人格の良し悪しが同労者に関係するのでしょうか?

 ここで良い上司、良い指導者の条件というのを、2つだけあげてみました。第一に指導者はビジョンの人であるべきです。関西に、毎週360名くらい集まっている加古川バプテスト教会があります。リバイバル・ジャパンに、牧師夫人がこのように書いていました。これまで文書伝道、路傍伝道、訪問伝道、トラクト配布など「できることは全てした」。宣教拡大への大きな転換期となったのは、5年前に導入したセルグループが機能したこと。それまで世話をすることが大好きな梅谷牧師は、毎日何時間でもカウンセリングをしていた。しかし、モーセが同じようにして疲れ果てたように、牧師も疲れ果てた。今、梅谷牧師の役割は「神様からビジョンを受け取ること」「自分と関わるリーダーたちの成長を助けること」の2つだけだと言い、ほとんどカウンセリングもしなくなった。「お世話型教会」から、「ビジョンを受け取る教会」へと変換。この形へ変えてからリーダーという役割に光が当たり、積極的な変化が起こった。礼拝後には、リーダーを中心に手を繋いで祈っている姿などが見られるようになった。ハレルヤです。当教会もそのようになることを願っています。

 第二番目の指導者は肯定的で生産的な人です。失敗をことごとく指摘されると、やっている人は萎縮してしまいます。「失敗から学ぶ。失敗は良いことだ」、それくらいが良いでしょう。日本は否定的な文化の国で、重箱の隅をほじくってさばくところがあります。草彅なんとかさんが、裸で捕まったそうです。法務大臣は厳しいことを言っているようですが、マスコミでは同情するコメントが多いようです。何というか、日本は減点法が多いです。小さなことでも喜ぶ。そのような達成感が、積み重なって、大きなことにチャレンジすることができます。家の4年生の子供は、レゴブロックが大好きです。作品が部屋のあちらこちらにあるので、この間、足に引っ掛けて壊してしまいました。彼は「良いよ、良いよ。また作るから」と、コツコツ作り直していました。もし、彼が私だったら、「なんだよー!せっかく作ったのに!」と一回、大声で嘆いてから、作り直すでしょう。もしかしたら、作り直さないかもしれません。そういう姿勢はどこから来るかと言うと、やっぱり育てられ方ですね。この間、カップルズ・コースの学びの中で、「あなたの両親は?」というチェックリストがありました。あなたの両親は…。

□子供の頃、あなたをほめてくれましたか?

□物質的に必要なものを与えてくれましたか?(食べ物、衣服、住居など)

□安心感を与えてくれましたか?

□あなたの個性を尊重してくれましたか?

□あなたの成長を励ましてくれましたか?

□明確なきまりや適切な境界線を定めてくれましたか?

□年齢が進むにしたがい、その年齢にふさわしい自由を与えてくれましたか?

□動揺している時になぐさめてくれましたか?

□贈り物をくれましたか?

□あなたの生活に興味を示してくれましたか?

全部合わせて20項目ありましたが、あてはまったものが3つくらいはあったかもしれません。私の家が極端に悪かったということもあるかもしれませんが、日本は大体否定的なのではないでしょうか?そういうところで育った人が、どうやって肯定的、生産的になれるでしょうか?香港のベン・ウォンは「私もアジア人の家庭で育ち、叱られてばかりでほめられたことは1つもない」と言っていました。しかし、彼は自分の態度をあるときから、強いて変えたそうです。小さなことでも喜び、小さなことでも「やったなー」と励まし、強いて明るく振舞った。ベン・ウォンは58歳くらいですが、10代と話せるくらい若い心を持っています。使徒パウロもそうでしたが、イエス様も弟子たちに対して、肯定的、生産的でした。弟子たちは二匹の魚と5つのパンを手にして、「こんな大勢の人々では、それが何になりましょう」と言いました。しかし、イエス様はパンを手に取り、感謝をささげてから人々に分けてあげました。そういう心を私たちもいただきたいと思います。物ごとを否定的な面からではなく、肯定的な面から見たいと思います。

3.チームでする教会作り

ハワイのウェン・コデイロ師は『チームでする教会作り』という本を書いています。その本の中にDESIGNという項目がありますので、引用させていただきます。DESIGNは日本語にもなっていますが、「計画、目的、意図」という意味もあります。

D(Desire 願い):あなたの情熱は何ですか?何でもできるという機会が与えられたら、あなたは主のために何をしますか?「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に致されるのは神である」(ピリピ2:13口語訳)。このことばは先週学んだばかりです。主はあなたに特定の能力だけではなく、神様のみこころに沿った願いを与えられます。音楽家の中に、他のどの楽器よりもピアノを弾きたいという情熱を持った人を見たことがあるでしょう。それゆえその人は、その情熱をもってピアノを弾くのです。

E(Experience経験):あなたの過去の経験は、あなたのデザインを見つけるために考慮すべき重要な事柄です。神様は決して傷を無駄にされません。詩篇56:8「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。」。主はすべての涙を覚えておられ、それをあなたの益になるように用いてくださるのです。中には、自分の過去や生い立ちのゆえに成功できないと思っている人もいますが、過去の障害を乗り越えた、偉大な人たちが大勢います。「彼はあまりにも馬鹿で、何も学ぶことができない」と、教師の何人かはまだ少年であったトーマス・エジソンについて語った。ウォルト・ディズニーは若い時「アイディア不足」と新聞社の編集長から首にされました。

S(Spiritual Gift 御霊の賜物):イエス・キリストと個人的な関係を持つすべての人には、御霊の賜物がひとつか、もしくはそれ以上必ず与えられています。たとえば、ローマ12章には7つの動機の賜物があります。不思議なことに相反する賜物同士が協力するように召されています。預言の人は罪があるかないか見分けるのが得意です。一方、慈愛の人は、苦しんでいる人の傷みを察知することができます。これはペテロとヨハネのコンビです。指導の人は、目的や方向に向かって人々を動かし、まとめることのできます。一方、奉仕の人は自分の体をささげて仕えたいと願っています。これはパウロとテモテのコンビです。勧める人は人々の信仰や霊的成長を助けるためにどうしたら良いか願っています。一方、教える人は聖書研究に時間を費やし、体系的にまとめます。勧める人と教える人がコンビになったら最強です。分け与える人は、すべてのミニストリーを財政的に助けることができます。賜物はそれぞれ違いますが、互いに補い合うようになっています。

I(Individual Style 個人のスタイル):人はそれぞれ個性的な気質を持ち合わせています。まず、「外向的な人」と「内向的な人」がいます。自分が疲れてしまったとき、どのようにしたら力が蓄えられるか?「外向的な人」は人の中にいるとバッテリーが充電されます。「内向的な人」は一人の時間を持つとバッテリーが充電されます。また、「人好き」と「仕事好き」がいます。「人好き」の人は人間関係を作るのが得意です。一方「仕事好き」の人は、人とあまり話さないでもくもくと仕事を進めていきます。ベン・ウォンは、セルチャーチの第一条件は「関係作りです」と言われました。私は、あまり関係作りは得意な方ではありませんでした。また、おしゃべりばかりして、仕事をしない人を軽蔑していました。「教会はサロンじゃない」と神学校で学びました。でも、おしゃべり、交わり、食事は無駄な時間ではありません。関係を作るためにとても大事です。個人のスタイルを持つことはもちろん重要ですが、自分にない気質の人を尊重したり、そういうものを取り入れることも重要です。

G(Growth Phase成長段階):この地上で生きる限り、神様はキリストにあって私たちが成長するようにと言われています。私たち一人ひとりは、キリストにあって成長し続けています。知識はあるけど、知恵がまだ足りないという人、つまり、毎日の生活の中で知識を活用することに欠けている人もいます。また、常識には富んでいるが聖書の知識があまりないという人もいます。霊的成長は、教会に通った年数よりも、聞いたことを実践していく意志がその人にどれほどあるかによって測られます。このようにイエス様が言われました。ヨハネ13:17「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。」

N(Natural Ability 生まれ持った才能):どんなスポーツをやらせても、ずば抜けている「生まれながらのスポーツマン」を見たことがあるでしょう。それがコンピューターであれ、子どもの世話であれ、機械や電気に関することであれ、問題を解決することであれ、人間には誰でも生まれ持った才能を持っています。生まれ持った才能も、神様があなたを作られたことにおいて重要な要素なのです。神様は私たちがただ仕えることを望んではおられません。心から喜び楽しみ、主に仕えることを願っておられるのです。その時こそ神様がデザインされた通りに、あなたは働くことができるのです。

 ウェン・コデイロは「あなたにふさわしいところを見つけよう」と、さらにこのように勧めています。私たち一人ひとりは、神様の計画の中で巨大なジグソーパズルのピースのようなものです。余分なピースはひとつもありません。3000ピースのパズルを組み合わせていて、最後になって1ピースだけ足りないと分かったら、どんなにがっかりするでしょう。そのように、神様は私たち一人ひとりをすばらしいパズルを構成する、とても大切なピースとして見ておられるのです。神様のパズルを完成させるためには、すべての人が必要です。すべてのピースが組み合わされるとき、この世界を愛してくださるイエス様の心を描いた美しい絵が完成するのです。