2015.1.1「私たちのゴール(元旦礼拝) エペソ3:5-13」

 新年あけましておめでとうございます。恵みの年が始まって2015年目に入りました。きょうは、元旦礼拝にあたり、永遠にわたる救いの歴史を短時間で学びたいと思います。救いの始まりは聖書の最初、創世記に書いてあります、救いの完成は聖書の最後ヨハネの黙示録に書いてあります。私たちが長い小説を短時間で知りたければ、最初の数ページを読み、中をとばして最後の数ページを読めば良いでしょう。きょうは、最初と最後、そして真中にあたる部分だけを取り上げたいと思います。

 

 1.救済史の最初

 

  救いの歴史、救済史の最初はどこでしょうか?まずは、創世記1章から取り上げます。創世記127「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」「ご自身のかたち」つまり、「神のかたち」とは何でしょうか?神学的にはとても複雑でひとくちでは言えません。でも、端的に「神のかたち」を言うならば、それは三位一体という神の共同体です。永遠の昔から、父、子、聖霊という三位の神さまが親しく交わっていました。CS.ルイスは、「三位一体とは、父、子、聖霊なる神さまが、仲良くワルツを踊っているようなものである」と言いました。

 また、CS.ルイスは、「『神は愛である』というとき、神に2つ人格がなければ不可能である」と言いました。自分ひとりで愛することは不可能です。愛する対象が存在していなければなりません。だから、神さまには2つ以上の人格がなければなりません。イスラムの神はアッラーの神であり、唯一の神です。一人で存在しているので、愛は存在していません。だから、彼らの経典から「神は愛である」と言うことができないのです。神さまがご自身のかたちで人を創造したとはどういうことでしょう?それは、父、子、聖霊のような交わりを持つ共同体として人間を造ったということです。「男と女とに彼らを創造された」とありますが、まさしく互いに愛し合うように造られたのです。男と女という愛の関係が、三位一体の神に似ているということです。

 旧約聖書の雅歌書は、神とその民の愛の関係が記されています。新約聖書になるとイエス様が花婿で、教会が花嫁というふうに描かれています。でも、神さまはなぜ、人間をご自身のかたちに造られたのでしょうか?創世記2章を見ますと、神さまと人とは親しく交わっていたことがわかります。

 創世記3章には堕落の記事がありますが、神さまは「あなたはどこにいるのか?」と呼びかけました。しかし、それはさばくためではなく、ちゃんと出て来て事情を話してもらいたからです。でも、アダムはエバのせいにし、エバは蛇のせいにしました。アダムの方から、神さまとの交わりを絶ってしまったのです。堕落以後、神さまとの関係が壊れました。そして、人との関係も壊れてしまいました。

 

2.救済史の最後

 

  救済史の最後に当たる部分が、ヨハネ黙示録21章です。黙示録211-3「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて…」

 創世記1章の創造とは違う、「新しい天と新しい地」という創造がここに記されています。 このところは、また「聖なる都、新しいエルサレム」と呼ばれています。かつての都、エルサレムではありません。都の城壁は高価な宝石でできており、道路は透き通るような純金でできています。一番、特記すべきことは、そこには地上のような幕屋も神殿もありません。3節には、「神の幕屋が人とともにある」とあります。幕屋ではなく、神さまが民の中に住むということです。また、22節にはこのように書いてあります。「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。」神殿は建物ではなく、神さまご自身です。さらには、都を照らすのは太陽や月ではなく、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりです。私たちの小さな頭では想像もつきません。でも、ここに私たちの究極的なゴールが記されています。それは、神の都、エルサレムで神さまと共に住むということです。

 このことを旧約の人たちもあこがれていました。ヘブル11章に「アブラハムは都を待ち望んでいた」とあり、「事実、神は彼らのために都を用意しておられました」と書いてあります。また、ダビデは詩篇23篇で「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」と歌っています。同じダビデが書いたと言われる詩篇274「私は一つのことを【主】に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、【主】の家に住むことを。【主】の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」主の家とは、主の宮であります。ダビデも主と共に住まうことを待ち望んでいたのです。聖なる都、天のエルサレムで、主と共に住むことが私たちの窮極的なゴールなのであります。地上の生活は、天のエルサレムを目指す旅路です。まさしく、ジョン・バニヤンの『天路歴程』であります。

 

  3.救済史の真中

 

  ここでやっとエペソ3章のみことばを引用することができます。エペソ311「私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。」このところに、「神の永遠のご計画」と書いてあります。「永遠の計画」は英語の聖書では「永遠の目的」と書いてあります。

 神さまの永遠の計画あるいは、永遠の目的とは何でしょうか?それは、エペソ36に書いてあります。エペソ36「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」このところに、同じことを意味することばが並んでいます。福音、キリスト・イエス、異邦人も相続者となる、ともに1つのからだに連なる、ともに約束にあずかるということです。神さまは私たち異邦人も神の民に加えらる、つまり教会の設立を考えておられたということです。

 救済史の真中の出来事は、私たち異邦人が救われて、神の民に加えられるようになるということです。どのようにしてそれが可能になったのでしょうか?第一はキリスト・イエスの贖いが成し遂げられたということです。言い換えれば、十字架と復活による救いです。第二は信じた人々に聖霊が内住するようになったということです。内住とは、私たちの中に聖霊が住んでくださるということです。このことは神さまが永遠の昔から、最も望んでいたことでした。三位一体の神さまが人と共に住むということが半分成就されたということです。完全に成就するのは、黙示録21章に記されている天のエルサレムです。

  もう一度、「救いの歴史」を見たいと思います。救いの歴史の真中にある事が起こりました。神さまは永遠の昔、ご自身とおなじかたちを持った人間を造ろうと計画されました。創世記にあるように、アダムとエバを創造しました。しかし、人間は堕落し、エデンの園から追い出されました。神さまはアブラハムの子孫であるイスラエルを選び、共に住もうと約束されました。しかし、それもうまくいきませんでした。やがて、神の御子イエスが天から下って十字架で贖いを成就されました。50日後、キリストの御霊、聖霊がくだりました。これによって、イエス様を信じる者に聖霊が宿るようになりました。つまり、三位一体の神さまが聖霊によって宿ることが可能になったのです。

  ウィットネスリーという人が『神の永遠のご計画』という本の中でこのように言っています。「神の計画(エコノミー)は、神ご自身を人の中に分け与えるという神ご自身のご計画にほかならない。神の計画(エコノミー)は、三一の神を1つの霊の中で、私たちの霊の中に分与することです。」彼はこうも言っています。「現代では、人は医学の分野で多くの薬を完成しました。薬によっては、非常に多くの要素が一服の中に調合されているものもあります。ただ一回の投与で、ある要素は病原菌を殺すことができ、もう1つの要素は神経を和らげることができ、他の要素は体に栄養を与え元気付けることができます。神の霊はすべてを含む薬です。私たちは聖霊が世界中で最良の薬であるということを認識したことがあるでしょうか?ただ一服の薬が、私たちのすべての必要を満たすのに十分なのです。」

  それはともかく、救済史の真中、中心的なでき事は、私たちの中に聖霊が住むようになったことです。これは神さまの永遠の計画の中で画期的な出来事でした。まず、個人が神の宮となりました。Ⅰコリント619「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり」と書いています。神さまは聖霊を私たちに与えることにより、一緒に住んでいてくださるのです。これは救済史において、最も画期的なことでした。私たちが神さまからいただける最もすばらしいものは聖霊です。イエス様は、ルカ1113「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」と言われました。私たちは、何がなくても、神さまを内側にいただいていることを感謝すべきであります。

  同時に、クリスチャンの共同体、教会が神の宮です。イエス様は死んで3日後に、神の神殿を建てると言われました。Ⅰコリント316「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」これは個人ではなく、複数形です。つまり、私たちの中に神さまがおられるということです。

  神のかたちとは三位一体であると申し上げました。なんと、教会の中に三位一体の神様がお住みくださるということです。教会とは建物ではなく、私たち共同体のことであります。これってすごいことじゃないでしょうか?

  西洋は個人主義であり、どちらかと言うと個人の救いを強調します。しかし、聖書は個人もそうですが、共同体の救いということも教えています。その両方を表わしているのがこのみことばです。コロサイ127「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」パウロは「あなたがたの中にキリストがおられることは奥義である」と言っています。英語の詳訳聖書は、Which is Christ within and among you.となっています。直訳するならば、「あなたの中、そしてあなたがたの間にいるキリストが栄光の望みだ」ということです。イエス様は個人の中にも住んでおられるし、また私たちという教会の中にも住んでおられるということです。

 

 4.私たちのゴール(目標)

 

 私たちの最終的なゴールは、「聖なる都、天のエルサレムで主と共に住む」ということです。これは窮極的なゴールであり、アブラハムやダビデがあこがれていました。では、私たちがこの地上におけるゴールとは何なのでしょうか?

  きょうのメッセージのキーワードは「住む」ということばでした。神さまの永遠の目的は私たちと一緒の住むということであります。やがて、天のエルサレムで主が共に住むことができます。

  私たちの地上でのゴールの第一番目は、個人的に親しく住むということです。イエス様はヨハネ15章でこのように言われました。ヨハネ155「人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」「とどまる」は英語の聖書ではabideが用いられており、「住む」の古い言い方です。つまり、「私があなたの内に住むので、あなたも私の内に住みなさいよ」ということなのであります。これはどういう意味でしょう?イエス様が私たちの内に存在していると言うなら、物みたいな感じがします。「住む」というのは人格的な交わりがあるということです。私たちは内におられるキリストと親しく交わり、すべてのことをキリストに依存して生きるということです。私たちは人に依存してはいけませんが、キリストに依存して良いのです。

  ゴールの第二番目は、共同体として親しく住むということです。ヨハネ159「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」ヨハネ1517「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」これは、共同体である教会にイエス様を歓迎し、互いに愛し合うということです。「互いに愛し合う」は教会のマグナカルタ、大憲章であります。私たちは神さまからすべての罪を赦され、無条件に愛され、ありのままで受け入れられているのです。しかし、ぱっと横を向くと、そのことを忘れてしまいます。「この人のここが悪い、ここが変、ここが足りない」とか言ってさばいてしまいます。私たちは罪の中に生まれたので、裁きの霊がだれにでもあります。裁きのプロはだれでしょうか?悪魔です。黙示録1210「兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」と書いてあります。私たちは愛のめがね、寛容のめがね、赦しのめがねをかけて兄弟姉妹を見るべきであります。もし、私たちが互いに愛し合うなら、三位一体の神さまが、住み心地が良くなり、たくさんの神さまのみわざが起こるでしょう。

  ゴールの第三番目は、神のかたちを増殖させることです。イエス様はヨハネ1516「行って実を結びなさい」と言われました。しかし、神さまはその前に、アダムとエバに命じておられました。これは人類への命令です。創世記128神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ」。このみことばの直前に「神のかたちとして彼を創造された」というみことばがあります。ということは、「神のかたちを増殖せよ」ということです。これは命令であり、イエス様が「行って実を結びなさい」と共通しています。イエス様は天にお帰りになる直前、弟子たちに福音宣教を命じられました。しかし、それは私たち教会に対する命令でもあります。なぜでしょう?三位一体の神さまが御自身のかたちに似せて造った人たちが滅びてほしくないからです。神さまはそのために御子イエス様を十字架にかけ、贖いを全うされました。そればかりか、信じる者に聖霊を与え、天のエルサレムで一緒に住もうと招いておられます。私たちも父なる神さまの子どもであるなら、同じ目標と心を持つべきであります。

  私たちは世の終わりの時代に住んでいます。救いの歴史の黙示録の一歩手前であります。もうすぐイエス様が天から迎えに来られます。イエス様は私たちに何と約束されたでしょうか?ヨハネ142-3「 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」私たちと一緒に住んでくだる住まいを備えておられるイエス様に感謝します。