2015.2.15「霊的解放 エペソ4:26-32」

 悪魔は、私たちの救い、つまり永遠のいのちを奪い取ることは決してできません。しかし、私たちの罪や傷が解決されていない場合、私たちのある一部が悪霊によって束縛されることは十分ありえます。エペソ4:27「悪魔に機会を与えないようにしなさい」と書いてあります。機会とは、ギリシャ語ではトポスと言います。トポスとは「場所」という意味ですが、ローマ時代、軍隊が敵地に乗り込むとき、作戦行動の拠点となるところをトポスと言いました。霊的な意味では、悪魔が人々を支配するために設ける足場です。ただ今から3つの分野でお話したいと思います。

 

1.霊的な罪

 

『チェンジングライフ』のテキストにも書いてありますが、これは偶像礼拝と関係があります。クリスチャンになってから偶像礼拝する人はほとんどいないでしょう。親が偶像礼拝をしていたか、あるいは本人がクリスチャンになる前にしていたかどちらかです。日本は日常生活と偶像礼拝がくっついています。神道では、初詣、安産祈願、お宮参り、七五三、厄払いがあるでしょう。受験や病気、願いごとのために参拝します。仏教では、法事や葬儀でお焼香をします。熱心な人は座禅を組んだり、仏教系の新興宗教に入るかもしれません。他に占いやオカルト、チャネリング、呪文などがあります。昔はこっくりさん、キューピットさんというのがありました。ゲームの中にも呪文を唱えたり、超自然的な力を召喚したりします。漫画にも、ニューエイジ的なものがたくさんあり、知らず知らずのうちに悪霊と関係を結んでしまうこともあるでしょう。全部が危ないというわけではありません。問題はお願いをすると、契約を結ぶことになるということです。たとえば、お宮参りや七五三で、親が「この子をどうかお守りください」とお願いしたとします。もし、そこに悪霊がいたなら、「わかった、そうしよう」となります。親は子どもを悪霊にささげたことになります。向こうは、向こうで「私が両親からお願いされたんだ」という理由があるので、クリスチャンになった後でもその契約は生きています。そういう場合は、神社の名前をあげて、背後にいる悪霊との関係をイエスの御名によって断ち切る必要があります。

 

あんまり神経質になってもいけませんが、中には悪い影響を与えているものもあるということです。症状としては、金縛りにあう、恐ろしい夢を見る、精神的な混乱がある、白昼夢のような幻覚を見るというものです。中には頭の奥で声が聞こえて、「神さまを呪え」とか「だれかを殺せ」と言っている場合もあります。テレビで若い女性が人を殺す事件が何度かありました。大体が悪霊にやられていて、悪霊の声に従っているのではないかと思います。クリスチャンになっても祈れない、聖書を読んでもみことばが入って来ない、罪を犯したくて仕方がない、こういうものには霊的なものがあるでしょう。また、悪霊からくる病気もあります。福音書にてんかんでおしの子どもが出て来ます。また、18年間、病の霊につかれて腰が曲がっていた婦人もいました。マグダラのマリヤは7つの悪霊を宿していました。最悪なのは人格まで占領されて墓場で暮らしていたゲラサ人です。私の家内はずっと偏頭痛で悩んでいたそうですが、洗礼を受けた時から消えたそうです。自分は偶像崇拝をしたことがないのにいつ入ったんだということもあるでしょう。出エジプト記20章には偶像礼拝をした者には、「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼす」と書いてあります。中には、おばあちゃんが熱心な霊能者であったという人もいます。そういう場合は、家系を伝わって、子どもや孫にまで来るかもしれません。石原先生が、家系図の絵を書いて説明している本があります。外国ではサタン崇拝、魔術、フリーメーソンなどがありますが、背後にはとんでもない強力な悪霊がいます。まるで、エクソシストの世界です。しかし、悪魔や悪霊を過大評価してはいけません。霊的な世界を知り、ちゃんと対処すれば大丈夫です。私たちはエペソ2章にあるように、キリストと共によみがえり、天のところに座っている存在です。肉体と魂は地上にあって悪霊の攻撃を受けるかもしれません。しかし、霊的にはイエス様と共に神の御座にいて、上から攻撃できることを忘れてはいけません。

 

では、具体的にどのようにしたら良いのでしょう。イエス様はこの地上に来られたとき、悪霊を追い出して人々を解放しました。そして、天にお帰りになるときその権威を私たちに与えてくださいました。マルコ16:17「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出す」とあります。また、マタイ28:18-19「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って」と書いてあります。私たちには福音宣教とミニストリーがゆだねられています。「自分は神の子どもなんだ、お前らよりも上なんだ!」と警察官のようにバッチを見せなければなりません。まず、どういうところから悪霊が入ったのか、調べる必要があります。第一のポイントは霊的な罪ですから、偶像礼拝とか占い、オカルト、最後は先祖や両親のことも調べる必要があります。そして、神さまの前で偶像礼拝の罪を悔い改めます。その時、できるだけ具体的な方が良いです。ある場合は言いたくても、口ごもって言えない場合があります。ロープで後ろ手につながれている場合、自分では解けません。だれか他の人がナイフで切ってくれたら簡単です。同じように、霊的な先輩や牧師、スポンサーから断ち切りの祈りをしてもらう必要があります。

 

「解放のリスト」にはもっと具体的なことが書いてあります。招き猫や七福神などの置物、偶像めいた民芸品、お守り、開運グッズも捨てましょうとありました。ただし、自分のものだけを処分しましょう。「家の物は勝手に捨てないように」と書いてありました。最後に祈りの例を紹介いたします。「私は○○の罪を告白します。赦してください。そして、○○の背後に働いた悪しき霊との関係をイエスの御名と血潮によって断ち切ります。アーメン」後からまた思い出すかもしれません、その都度祈ったら良いと思います。特に悪霊現象がある場合は、他の人から祈ってもらう必要があります。体重が10キロくらい軽くなった気がして、霊的にスカッとします。

 

2.魂の傷や罪

 

心の傷や罪に、悪霊がくっついている場合があります。肉体の傷もそうですが、そのままにしておくと黴菌が入って化膿するでしょう。最後には腐って大変なことになります。魂はハート、マインド、意思で構成されています。ハート、つまり情緒的な問題を与えるものは怒りと人を赦さない罪です。エペソ4:26-27「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」これはどういう意味でしょうか?怒りは必ずしも罪ではありません。イエス様も神殿が汚されているのを見たとき、怒りました。しかし、人が怒ったままでいるならば、そこに悪魔が足場を設けることがあるということです。この世では、ある人たちは、怒りを治めることができず、殺人を犯してしまいます。罪を犯してから、「ああ、自分はなんてことをしたんだろう?」と反省するでしょう。でも、後の祭りです。悪魔は、最初は「さあ、殺っちまえ!」とけしかけます。しかし、罪を犯したあと、一変して、「ああ、お前はなんてことをしたんだ。神様もお前を赦さないぞ」と言います。ですから、怒りを持ち越さないで、ただちに悔い改め、仲直りする必要があります。

 

怒りと同じで人を赦さない罪も、悪魔に場所を与えます。マタイ25章に1万タラントの借金を主人から赦してもらったしもべのたとえがあります。ところが彼は100デナリ借金している友人が「もう少し待ってくれ」と言ったのに、赦しませんでした。そして借金を返すまで彼を牢に投げ入れました。その話を聞いた主人は、「私がお前をあわれんでやったように、お前も仲間をあわれんでやるべきではないか」と言いました。マタイ25:34-35「こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」神さまから赦されているのに、兄弟を赦さないなら、獄吏に引き渡されるということです。神さまが、その人から守りを解いて、悪霊に渡してしまうのではないかと思います。

 

次に、悪霊が私たちを支配する場所はマインド(思い)です。悪魔はいつも私たちのマインドに働きかけようとします。もし、悪魔によってマインドの中に足場(拠点)が設けられるとどうなるのでしょうか?それはコンピューターのプログラムのように働き、考えや行動パターンが自分の意思ではどうすることもできなくなります。1つの習慣みたいになります。私たちの思いがどうして、悪魔の足場となるのでしょうか?マインドの第一は「のろい」です。家族をはじめ、人生で出会う人たちから来るものです。たとえば、「そんなこともできないのか?」「お前は、何をやってもダメだなー」と親や先生から言われたとします。すると自分の中に劣等感ができてしまいます。その人は、人から認められるために一生懸命頑張ろうと、パフォーマンスに走るでしょう。あるいは「あんたは汚い」あるいは「あんたは醜い、可愛くない」と拒絶されたとします。すると自分の中に怒りと拒絶の悲しみが残り、人を心から愛せなくなります。マインドの第二は「内なる誓い」です。サタンは人の中に要塞を築くために、内なる誓いを用いようとします。たとえば子どもが何かのことで怒って、「私はお母さん(お父さん)のようにならない」と誓います。どういうわけか、子どもが大きくなるとそうなってしまいます。私の父は酒乱でした。おそらく私たち子どもは「父親のように酒を飲んで暴れない」と誓うでしょう。しかし、4人兄弟みな酒を飲み暴れる傾向がありました。4人の姉妹は共依存者を助けるようなタイプでした。男性は「決して泣かない」と誓うかもしれません。女性は「結婚しない」と誓うかもしれません。そういう誓いを悪魔が動かして、その人が神さまから祝福を得られないようにします。良い誓いでも同じであり、何らかのプレッシャーに悩まされることになります。先祖がたてた誓いは咎のように子孫に働きます。咎とは「曲げられる」という意味があります。呪いと同じように、悔い改め、主イエスの御名によって打ち砕く必要があります。

 

マインドの第三は「トラウマ」体験から来るものです。アルコール中毒の父親があばれて、恐くなって押入れに隠れました。その子が大人になっても、臆病さが消えません。学校のいじめも子どもにとっては大きなトラウマになります。子供はいかにいじめに会わないか、ということを考え、勉強どころではありません。両親の離婚もトラウマになりますが、一番ひどいのは虐待や性的虐待です。親は世界で最も信頼できる人なのに、その親から虐待を受ける。虐待を受けた子どもは「自分には愛される価値がないんだ」と石の心を持つでしょう。石の心を持った人を、どんなに愛しても、全部、外に流れてしまいます。その人が愛と信頼感を回復するためには、子供のときの何百倍もの愛を受けなければ、差引勘定が合わないのです。

 

魂は非常に複雑で、ハート、マインドの他に意志があります。意志とは自己決定するところです。みなさんはテストとか原稿に対して集中して取り組むことができるでしょうか?あるいはいろんな声とか雑念があって集中できないでしょうか?私は自分の中に自分を否定する自分がいました。混乱があってテスト、作文、絵、図工、製図など時間内にできませんでした。しかし、クリスチャンなって何年かたち、自分を受け入れ、自分を愛してから、自分が一つになりました。英語でいうとintegrate(統合)とか、fusion(融合)と言うのかもしれません。私は自分どうしが協力し、1つになっているので、集中力と能力がとても増し加わりました。チャールズ・クラフトはある本の中で「インナー・ファミリー」と呼んでいます。自己(セルフ)が、世話のかかる子どもから、おせっかいな年老いた者までいる一族を取り仕切っていると言っています。虐待とかレイプによって、悪霊が1つの人格を持って入ることもあるということです。

 

このように癒されていない魂の傷や罪に、悪霊が場所を設けて、その人のある部分を支配するということです。ハートの場合は、情緒的な問題がおこります。マインドの場合はパソコンのソフトのように自分の意志と関係なく動いてしまいます。意志に作用すると、支離滅裂な生き方をしてしまうのでしょう。でも、イエス様は私たちの過去にさかのぼり、私たちの心の叫びをきいてくださいます。魂の癒し主であるイエスさまにお願いしましょう。そうすれば、罪の汚れを洗いきよめ、傷口を癒してくださいます。あなたを健康で健全な神のこどもにしてくださいます。

 

3.身体的な罪

 

身体的な罪とは、悪習慣です。悪習慣とは、救われる前から持っていたものであり、救われた後のものではありません。例えば、クリスチャンになってからタバコの悪習慣を身につけるようになった人がいるでしょうか?また、クリスチャンになってから、麻薬を始めた人はいるでしょうか?そんな人はまずいません。そうです。いつでもクリスチャンの成長を妨げるのは、救われる以前からの罪であり、悪習慣です。悪霊は霊的な存在であり、住む家をさがしています。なぜなら、悪霊は肉体を持っていないからです。彼らが自分の性質を発揮するためには、住むべき家が必要なのです。だから、聖書には「彼らは地を歩き回って。だれかの体をさがす」(マタイ12:43-44)と書いてあります。悪霊は絶えず同じ性質を持った住み良い家を探しています。あなたは家を買うときに、あなたの好みに合った家を探すでしょう。同じように、悪霊も自分に合った家を探しています。つまり、悪霊と同じ性格をもった人を探して、そこに住みたいと願っているのです。では、悪霊にそのような場所を与えてしまうのは、どういうプロセスによってでしょうか。悪霊が心の中に入って、その人がそういう性質になるというのではありません。実際は逆です。それは人が心の中に、悪霊にふさわしい性格を育ててしまうからです。たとえば、ある人が心に情欲を育てたとします。いつも「おお、おお」と、ポルノ雑誌やビデオを見ています。女の人を見たら、「おお、おお」となります。そのように長い時間をかけて、情欲の性質ができてしまいます。そのとき悪霊がやって来て、「おお、良い家を見つけたぜ!この家は私と同じ性質だ!」と喜んで入ります。すると、その人の情欲はもっとひどくなり、性的中毒、さらには性的犯罪にまでエスカレートするでしょう。

 

身体的な罪、つまり悪習慣には、他にどんなものがあるのでしょうか?いま上げた性的罪のほかに、ことばの罪があります。悪口、ゴシップ、嘘、不平不満です。私の口には悪口と不平不満があふれていました。家が貧しかったので、母には不平不満をいつも言っていました。父はとても批判的な人でした。兄や姉たちは自分たちのことを自慢し、私を見下げました。だから、私は学校で自己主張し、他の人の悪口を言いました。結婚してから分かりました。家内が私に「あなた、テレビに向かって、馬鹿、馬鹿と言っているわよ!」と。私は人から批判されると、その何倍も返して、戦ってきました。唇に悪霊がいたかどうか分かりませんが、性格の一部になっていたことは確かです。神様が唇の汚れた者を、贖い、ご自分の栄光のために用いるとはすばらしいことです。他に、盗み、ギャンブル、ストーカー、食べ物、薬物、ゲームがあります。最近は依存症と言いますが、昔は中毒と言いました。仕事も中毒になります。もちろん、アルコールも中毒になります。そういう悪習慣の背後に、悪霊がひっついているならどうなるでしょうか?やめたくてもやめられない。自分ではどうしようもなくなります。ますます、下降線をくだり、最後は死です。しかし、渦中にある人たちはどうでしょうか?助けを求めるなら希望があります。多くの場合、それらを否認して、「自分はたいしたことない。いつでもやめられる!」と言います。そういう罪は、光の中に出さなければ、決して解放されることはありません。

 

身体的な罪から解放されるためには3つのことが必要です。第一は自分の罪を言い表すということです。エペソ5:11-14 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」第二番目は、悪霊を追い出します。「この宮は、キリストによって贖い取られた聖なる宮である。イエスの御名によって出て行け!」と命じます。しかし、それだけだとまた悪霊がやってきます。7人の友達と一緒に「この家にもう一度、入ろう」とやって来ます。第三番目の悔い改め、つまり人格的な変化が必要です。悔い改めはギリシャ語で、メタノイアと言います。メタノイアとは方向を変えるということです。イエス様の時代に、ローマ兵士は行進をしました。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。これがメタノイアです。メタノイアとは、反対に方向転換するということです。では、情欲の逆は何でしょう。きよい愛です。だから、情欲からきよい愛へと変えることです。盗みをしている人はどうすべきでしょうか?盗むのをやめるだけでは、まだメタノイアしてはいません。「困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働く」ことです。反対のことを行なうために方向転換をすることがメタノイアです。「盗み、盗み、盗み、メタノイア」(方向を変える)。「与える、与える、与える」です。悪口、ゴシップはどうしたら良いでしょう?「ゴシップ、ゴシップ、ゴシップ、メタノイア」(方向を変える)。「建て上げる、建て上げる、建て上げる」です。アルコール中毒の人はどうしたら良いでしょうか?アルコールをやめるだけではなく、こんどはみことばの中毒になることです。こういう依存症(中毒)の場合は、サポートグループに入って、互いに励まし合うことが必要です。

 

どうして悪霊がやってくるのでしょうか?それは生ゴミのたとえと同じです。生ゴミがあると、カラスやねずみがやってきます。多くの場合、カラスやねずみをおっぱらうだけです。でも、また戻ってくるでしょう。そうではなく、原因となる生ゴミを処分したら、もうカラスやねずみは来なくなります。私たちの中に解決されていない罪や傷があるので悪霊がやってくるのです。癒しと解放のために重要なことは、心を開いて愛なる神さまに打ち明けることです。ある場合は、解放を手伝ってくれるスポンサーに打ち明けましょう。心をオープンにしない限り、癒しと解放もありません。まるで、下水道のドブさらいみたいかもしれません。腐ったものや空き缶、ドロドロしたものが出てきます。主は今も生きておられ、霊と心と体が縛られている人たちを自由にしてくださいます。ヨベルの年のように悪魔の奴隷状態から、私たちを解放してくださいます。