2008.06.15 妥協を許すな ガラテヤ2:1-9

キリスト教は確かにユダヤ教を土台としていますが、だからと言って同じではありません。当時のユダヤ人はモーセの律法と割礼などの様々な儀式を重要視していました。しかし、パウロが宣べ伝えた福音は、キリストを信じるだけで救われる。つまり、モーセの律法を守ったり、割礼などの儀式は一切不要だということです。なぜなら、イエス・キリストが律法を完成し、またイエス・キリストが律法を守り行なえない私たちの罰や呪いを十字架で負って下さったからです。しかし、紀元50年頃は、福音が福音としてまだ確立されていませんでした。なぜなら、ユダヤ教の背景を持ったクリスチャンがたくさんいたからです。エルサレム教会のペテロやヨハネも、そういうところがありました。しかし、使徒パウロは復活のキリストから直接、福音の啓示を受けました。それは、ユダヤ教とは全く違うものでした。ユダヤ教が古い皮袋だとしたら、福音は新しいぶどう酒です。パウロは全世界に純粋な福音を宣べ伝えるために、一切の妥協を許しませんでした。そしてパウロは、福音の真理を保つために、反対者たちと厳しく対決しました。これがガラテヤ人への手紙です。

1.福音の真理が保たれるため

 ガラテヤ書2章からの内容は、使徒の働き15章をパウロの立場から書いたものです。パウロは第一次伝道旅行を終えて帰って来ました。すると、ある人たちが「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていました。パウロは、彼らを「忍び込んだにせ兄弟たち」と言っています。おそらく、ガラテヤの教会は、彼らの影響を受けたのだと思います。パウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立や論争が生じました。両者は今度、エルサレムに上って、使徒たちや長老たちの前で話し合おうということになりました。エルサレムでも激しい論争になりましたが、結局、「異邦人は割礼を受けたり、モーセの律法を守る必要はない。彼らも恵みによって救われる」という結論に達しました。パウロは「おもだった者と見られていた人たちは、私に何も加えることをしませんでした。ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けていない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました」と言いました。このように、エルサレム会議では丸くおさまったのですが、パウロにはまだ、心配がありました。それは、2章の4,5節です。「実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。」

 パウロが危惧していることは、「律法主義が入ってしまったなら、クリスチャンであっても、自由を失い、奴隷になってしまう」と言うことです。その当時は、福音に反するものが、割礼とかモーセの律法というユダヤ的なものでした。しかし、教会の長い歴史の中で、形を変えながら律法主義が入り込んできました。教会では割礼は行ないませんが、洗礼は行ないます。信仰はともかく、洗礼を受ければ救われると考える人たちがいないわけではありません。幼児洗礼もその1つであろうと思います。また、洗礼でもどっぷり浸かる浸礼は聖書的で、滴礼は聖書的じゃないというグループもあります。しかし、パウロが言うバプテスマは、水の量ではなく、キリストの死と一体になることです。他にモーセの律法から来るものもたくさんあります。一番大きなのは聖日礼拝です。「クリスチャンになったら、聖日礼拝を守らなければならない」とよく言われます。これは十戒の「安息日を守れ」から来たものです。私も前の教会では「聖日礼拝厳守、祈祷会出席、十分の一献金」を言われました。先生は「これは恵みの律法であって、私たちを助けるためにある」と言われました。私も何の疑いもなく、ずっと30年間、守ってきました。しかし、新約聖書にはっきりと「日曜日の礼拝を守れ」とか、「十分の一献金をしなさい」とは書いていません。松戸の岡野牧師は、「日曜礼拝に来なさい」とはひとことも言わないそうです。ご主人が未信者で、来れない場合は、月曜日でも、火曜日でも、水曜日でも良いと言います。もし、日曜日来たら「礼拝、終わったらすぐ帰りなさい」と言います。なぜなら、未信者の家族がお腹をすかして待っているからです。求道者に対してはこういうそうです。「日曜礼拝に来られなかったらそれでも良いいんですよ。しかし、信仰をもってクリスチャンになると、霊的に生まれるので、礼拝に出たくなるんだよね。」また、「うちは献金袋も回さないし、献金袋もない。ただ、後ろの方に、箱が1つあるだけです」と言います。つまり、礼拝出席も献金も義務や律法ではなく、恵みでするんだということです。教会の開拓時代は、伝道のためにいろんな集会をやって、信徒も奉仕に疲れていたそうです。教会は一度つぶれて、先生は悔い改めました。その後は、「妻や夫、子どもたちを愛しなさい。生活を通して伝道しなさい。そのためには福音の愛で無条件に愛しなさい」と勧めました。伝道しなさいとか、奉仕しなさいと言わなくても、教会員が勝手にやっているそうです。

 「律法を守らなければ救われない」、あるいは「救われた後は、一生懸命、律法を守らなければならないんだ!」となるとどうなるでしょうか?パウロは「それは奴隷に引き落とされることであり、自由を失うことです。私は彼らに一時も譲歩しませんでした」と言いました。律法主義とは何でしょう。それは自分の行いや努力によって神に受け入れられることです。そういう人にとって、神様は厳しい神様であり、何かをしていない場合、叱られるような気がします。だから、その人はいつも「これで良いのだろうか?何か足りないんじゃないだろうか」とドキドキしています。一生懸命、奉仕をするかもしれませんが、脅迫観念からであり、喜んでやっているわけではありません。聖書を読むのも、お祈りをするのも義務感からです。日曜日礼拝に来るのは、天国に入れてもらうための顔つなぎです。「忘れられては困るので、月1回くらいは挨拶に来なくては」。みなさん、これは奴隷であって、自由な生き方ではありません。日本では、せっかくクリスチャンになったのに、こういう生活を強いられている人が結構いるようです?そうじゃないのです。私たちは行いではなく、恵みによって救われたのです。神様はキリストの贖いを信じたあなたに満足しておられるのです。だから、もう神様を喜ばせる必要はないのです。とにかく、私たちは父なる神様の無条件の愛を十分受け入れ、満喫する必要があります。自分はどういう状態でも神様から愛され、赦され、受け入れられているという土台があって、はじめて、信仰の成長とか弟子訓練があるのです。この土台なくして、「あれしなさい」「これしなさい」とやられると、信仰生活、1ヶ月持ちません。

日本で、洗礼を受けた後に、あまり残らないというのも、この律法主義が原因しているのではないでしょうか。こちらは何にも要求していないのに、「あれしてない」「これしてない」と自責の念に駆られ、教会の交わりも疎遠になる。真面目な人に案外多いかもしれません。私の母教会では、先生が「牧師は信徒を裁かない。信徒は牧師を裁かない。信徒同士も裁かない」というスローガンを掲げました。私が洗礼を受ける直前、1979年2月頃だと思います。先生は「風はおのが好むところを吹く」というみことばをいただいて、「聖霊が好まれる教会を作ろう。それは裁き合わない教会である」とやったわけです。それから、教会はどんどん成長していきました。律法主義の教会は、互いに裁くところがあります。「あれしていない、これしていない」と裏で裁くわけです。すると、教会の雰囲気が悪くなります。香港のベン・ウォン師は雰囲気がとても重用であると言われました。ある時、ベン先生は「自分の教会で育みたい、7つの雰囲気」を書き出したそうです。①積極的肯定的な信仰。アジア人は他人の欠点を見つけることが非常に得意です。自分に対してもそれは同じです。自分が好きでないのは、自分自身を批判するからです。だから、積極的、前向きになる。たとえ小さなことでも、良いことはほめる。②礼拝も雰囲気が大事。お互いがキリストのからだの一部であり、共に礼拝を捧げるべき。受身ではなく、証も取り入れたら良い。③笑い(冗談)があること。クリスチャンは真剣になるためには静かにしていなければならないというが、そうではない。ベン先生はかつて楽しい人じゃなかったそうですが、冗談を紙に書いて、暗記して、使ってみたそうです。冗談を訓練したら身についたそうです。中国語では幸せなことを「開心」と言うそうです。「ははは」と、笑ったところに神のことばを蒔くわけです。④髪型や服装も雰囲気を作る。第一礼拝はとてもクリエィティブです。前でリードするヤング・ガールズは、緑色で統一したり、先週は黒のフォーマルウェアーでした。人が素敵な格好をすると、こちらも幸せな気持ちになるものです。

 Ⅰコリント9:27「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」多くの人たちは、この箇所を自己鍛錬というふうに理解します。28年前、私が聖書学院に行っていた頃、学生のための祈祷会がありました。そのとき、舎監の先生が、このところから、「他の人に宣べ伝えておきながら、自分が失格者にならないように聖い生活をすべきです」とメッセージしておられました。そのとき、神様に仕えるって大変なことなんだなーと思いました。でも、10数年前、松岡欣也先生が、この箇所からすばらしいことを教えてくださいました。パウロはパリサイ人で、もともと真面目な人だった。だから、意識していないとついつい、律法主義になり、自分の力で頑張ってしまう。そうならないように、パウロは「律法じゃない。恵みで生きるんだ」「律法じゃない。恵みで生きるんだ」と自分をうちたたいていたというのです。「なるほどなー」と思いました。日本人は「○○しなければならない」で育ってきました。しかし、福音の真理はそうではありません。私たちの行いや状態によらず、キリストによって、神様はすでに満足しておられるのです。自分はありのままで、神様から愛され、赦され、受け入れられている、これが福音の真理です。こういう土台があると、喜んで礼拝をささげ、喜んで聖書を読み、喜んで奉仕したくなるのです。アーメン。

2.福音の真理に歩むため

 前半は律法主義でしたが、後半は慣習とか儀式についてお話したいと思います。旧訳時代は律法の他に様々な儀式がありました。ユダヤ教から来た人たちは、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と主張しました。彼らは他に、食べ物について、日について、こだわりがありました。あるものは清いけれど、あるものは汚れている。この日は良いけれど、この日は良くない日だ、みたいな考えがありました。こういう旧訳聖書の背景を持った人たちをヘブライストと言います。彼らもクリスチャンなのですが、神殿でも礼拝をし、また家々でも礼拝をしていました。一方、ユダヤ教とか旧訳聖書を全く、知らない人たちもいました。それは、ギリシャとかローマの人たち、つまり異邦人がみなそうでした。そういう人たちを、ヘレニストと言いました。これはギリシャのヘレニズムから来たネーミングでしょう。アンテオケ教会は異邦人の基地であり、そこからパウロ、バルナバ、シラスなどが宣教に出かけました。使徒パウロはユダヤ人でありながら、ローマ市民権を持っていました。しかし、神様から異邦人に福音を宣べ伝えるように召されました。パウロから福音を知らされた人たちは、死からよみがえらされたイエス・キリストを信じて救われました。彼らにとって、旧約の律法や儀式はどうでもよかったのです。また、何を食べようが、何を飲もうが、どの日に何をしようが、全く関係がありませんでした。

 ところが、2章の11節から14節まで、1つの出来事が記されています。ケパ、別名ペテロがアンテオケに来たとき、偽善的な行動をしました。ペテロは、以前は、異邦人と一緒に食事をしていました。ある時、エルサレムから割礼派のクリスチャンがやってきました。ペテロはその人たちを恐れて、異邦人から身を引き、離れて行ったのです。他のユダヤ人、そしてバルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。そのときパウロは、ペテロに対して、面と向かって講義しました。14節、しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。ケパ、ペテロは人間的な弱さが再び現れたようです。かつては、イエス様を3度も知らないと言いました。しかし、ペンテコステの日、聖霊が注がれ、大胆に説教しました。でも、ここに来て、ユダヤ人たちを恐れて、偽善的な態度をとってしまいました。これに対して、パウロはガツンとひとこと言いました。いやー、パウロは強いというか、妥協しない人ですね。パウロはさきほどの福音の教理ではなく、福音の生活面を言っています。当時のユダヤ人は異邦人と一緒に食事をしませんでした。なぜなら、異邦人は汚れていると考えていたからです。彼らはモーセの慣習も守らなかったでしょう。しかし、大切なのは福音の真理に対してまっすぐ歩むことです。ユダヤ人的なものを異邦人に押し付ける必要はないということです。当時の世界はそういうことが議論の対象となっていましたが、現代はどうでしょう?教会の中には、モーセの慣習ではありませんが、「なぜ、そんなことをするの」というのがいっぱいあります。たとえば、この講壇がなぜ必要なのでしょう?ある教会では、ガウンを着る牧師もいます。最後は、頌栄とか祝祷で終わるのはなぜでしょうか?当亀有教会はとてもシンプルですが、他の教会に行くと、もっと礼典的、儀式的です。初代教会の頃はそうでもなかったと思いますが、ローマの国教になってから、だんだん宗教ぽくなり、権威主義的になりました。そして、ローマ・カトリック、ギリシャ正教会、聖公会はまさしく儀式です。聖職者がミサをあげます。香をたいたり、聖水をかけたり、十字をきったり・・・。聖像や聖遺物まで拝むようです。しかし、宗教改革以降、プロテスタントは多くのものを教会堂から捨て去りました。改革派はステンドグラスやオルガンも排除しました。しかし、今のプロテスタント教会は、まだまだカトリック教会の影響を受けています。初代教会の頃は、かなりシンプルだったと思います。

 また、当時はヘブライストというユダヤ人クリスチャン、そしてヘレニストというギリシャ人の異邦人のクリスチャンがいました。私たちクリスチャンも10年、20年たつと立派なヘブライストになります。宗教的な言い回しをしたり、祈り方もぎょうぎょうしくなる可能性があります。しかし、セルチャーチは新約聖書の教会に帰ることを理想としています。教職者と信徒の差別もありません。ノーコントロールで、フラットな関係です。別に「先生」なんてよばれなくて結構なんであります。ガウンや背広もやめ、ノーネクタイです。言葉使いもふだんと同じです。蒲郡の石原先生が導く、正餐式を受けたことがあります。一斤のパンからそれぞれがちぎって食べます。ぶどうジュースもコップでした。ぜんぜん儀式ぽくなくて感動しました。残念ですが、罪ある人間は宗教を好みます。日曜日、ふだんと全く違った世界に行って、礼拝を守る。特別な顔をして、特別な歌を歌い、特別なことばを語り、特別なお祈りをする。教会から帰ると、この世の顔に戻り、この世の言葉使い、この世の歌を歌う。これは宗教です。日本人はクリスチャンでも宗教ぽいのが好きなんです。牧師は牧師らしく権威を持ち、冗談なんか言ってはいけません。信徒はありがたいお話を聞いて、いくらか献金をして、最後に祝福をいただいて帰ってきます。教会の中では「ハレルヤ!感謝します」とか頑張って笑顔を作ります。しかし、自分の家に帰ったら、「何が感謝だよ。うざいんだよー」とか。これは宗教です。

 パウロは、「彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、面前で叱りました」。私は、日曜日のこの礼拝の時間も家に帰っている時間も、言葉使いや服装、祈り方・・・できるだけ同じにしたいと思っています。あるとき「講壇や椅子もいらない」と言ったら、ある方が「親の遺産から献金したんですよ」と言われ、断念しました。「先生、かたちから入るのではなく、中身から」と言われ、「はい」と従いました。ある人は、「神様の前に出ると言うのに、果たして普段着で良いでしょうか?」と言われました。そういう人に限って、裏表がある生活をしているんです。神様の前にいるのは、日曜日の礼拝のときだけでしょうか?月曜日から土曜日、家にいるときも会社や学校にいる時だって、神様は目の前にいるんじゃないでしょうか?むしろ、礼拝をこの限られた時間にではなく、日々の生活で神様を礼拝することが重要です。ある人たちは、この日曜日の礼拝プログラムをどれが最初でどれが後、交読文、信仰告白、賛美の礼拝、みことばの礼拝等、いろいろ研究しています。神様は日曜日の2時間、ご自分をどういう順番で礼拝するかには興味がありません。神様は、その人が月曜日から土曜日、この世でどんな生活をしているかの方に興味があるのです。信仰とは何でしょう?それはイエス様と日々、生活することです。

この間、郵便局で健康診断がありました。隣で順番を待っていた人が、心臓とか血液に問題があるようでした。私は「青汁を飲むと健康になれるらしいよ」と言いました。すると「その人は、それよりも酒を止めたら良いんだよ」と言いました。同じコースを回るわけですから1時間くらいどうしても一緒です。あるところで、お腹周りを測られました。メタボリックの検査らしいんですね。「やっぱりお酒が原因ですか?」「帰ってから家で、毎晩、飲むんだ」「奥さんと一緒に飲むんですか?」「いや、俺は独身だ。…俺から酒を取ったら、何の喜びもない」と言っていました。45,6の人でした。私は人に伝道するときは、「イエス様信じて、救われたら喜びが来るよ」と言います。でも、クリスチャンになって、「毎日、喜びがありますか」と聞かれたら、「ン・・・」と黙りこむかもしれません。なぜなら、「あー腹減った」「あー疲れた」「あー眠い」「あー早く借金返したい」「あー年だなー」と、ため息が多いからです。でも、最近感謝なことに、夢の中が癒されてきました。この間は、父親をバイクに乗せている夢を見ました。また、子どもの頃ではなく、比較的、最近の夢を見るようになりました。何と、家内が夢の中に登場するようになりました。この間は、ある人の腰を癒している夢を見ました。だんだん、私も信仰が潜在意識まで入ってきたのだなーと思って感謝しています。どうぞ、キリスト教という宗教をしないようにしましょう。主イエス様と一緒に暮らしましょう。買い物にも、学校にも、仕事場にも、イエス様と一緒に行きましょう。これこそが、福音の真理にまっすぐに歩むことであります。