2015.9.20「新しいコア世界観 ローマ12:1-2」

 自分に悪循環のパターンがあることに気づかれたでしょうか?一番問題なのは、悪い感情ではなく、それを起こしている考え(認知)であります。しかし、その考えは、心の奥底、コア世界観から出ているということでした。あなたはどのようなコア世界観を持っているでしょうか?コア世界観を知るためには、心の叫びをワンフレーズで言い表す必要があります。心の叫びがわかると、コア世界観もおのずとわかってきます。では、どうすれば、過剰反応の悪循環パターンから解放されるのでしょうか?それは、古いコア世界観を捨てて、新しいコア世界観を持つということです。その結果、悪循環から解放され、新しいライフ・スタイルを持つことができるのです。 

1.心の叫びの完了

新しいコア世界観を持つためには、心の叫びを完了させなければなりません。そうすれば、その人は、古いコア世界観を捨てて、新しいコア世界観を持つことができるのです。では、どのようにしたら、心の叫びを完了することができるのでしょうか?その1つの方法を李先生は「インナーヒーリング」によって行ないます。最初に自分の世界が壊されるようなエピソード(出来事)があったはずです。おそらく、それは幼い時であり、相手が父母、兄弟、あるいは身近な人であったと思われます。その人のひどい言葉や身勝手な行ないによって、あなたの世界が壊されたのです。そのことが癒されないために、今日、大人になっても同じようなステージの中で、過剰反応が繰り返し起こるのです。

李先生ご夫妻は心の叫びを完了するためにインナーヒーリング(心の癒し)を用いています。基本的にはその人のエピソードを聞きながら、「自分の一番痛い経験をしたところで、神さまがその場所で、どういう視線を持っていてくださっていたか?どういうメッセージを持っていてくださったか?」ということを祈りのミニストリーを通して再体験してもらいます。過去の出来事の中にあった神さまの真実を、祈りを通して今、理解するということです。祈りの中で、インナーチャイルド(内なる子ども)すなわち、「過剰反応を引き起こす、自分の中にある子どもっぽい心」を取扱います。自分の中に辛い体験をしたときの子ども「内なる子ども」が留まっているはずです。そのインナーチャイルドに祈りのミニストリーを通して、イエス・キリストの交わりを再体験してもらいます。そして、そこでイエス様からの答え、励まし、あるいは「真実はこういうことなんだ」と言うことを追体験してもらいます。そのところに「心の叫び」が一番出て来やすいのです。たとえば、「幼い○○ちゃんは、何と言っていますか?」と聞きます。「抱きしめてよ」、つまり、「自分に安心感を与えてよ」という心の叫びであるかもしれません。ちっちゃい○○ちゃんを想像します。ちっちゃい○○ちゃんが怒っています。あるいは泣いている姿、あるいは悲しみに沈んでいる姿があります。具体的なエピソードの中での自分のイメージです。「そこにイエス様がいてくださった」という真実があります。かつての自分の痛みの場にもイエス様の臨在があったのです。

 次にこのように祈ります。「そこにイエス様がいてくださったことを祈りの中で確認してみましょうか?」すると、「はい、イエス様が言われた感じがします」と答えるかもしれません。「では、イエス様は何と言ってくださっていますか?あなたの心の叫びにどんな答えを与えてくださいますか?」というように祈りを助け導きます。そこで、インナーチャイルドと神さまが出会います。そこで、その人が心の叫びをイエス様に伝えます。つまり、イエス様がどう答えてくださるか、祈りを通して体験をしてもらいます。テキストに「最後のワンピース」という表現があります。神さまとの関係の中で、「ジグソーパズルの最後のワンピースを埋める」ことが癒しのミニストリーです。その時に心の叫びを神さまの前で最終的に完了させてもらいます。怨念晴らしを繰り返すのは、「ジグソーパズルの最後のワンピースを埋めようとしてみたが、これも駄目だった。最後に、はまらなかった」ということなのです。そして、そういうことをずっと繰り返しています。そのワンピースを神さまがピタっとはめてくださいます。そういう助けをするのが癒しのミニストリーです。その人が、神さまから絶対受容を受け取るのです。そういうリアリティをもった神さまとの関係があれば、そのワンピースが埋められます。そのことが怨念晴らしをやめさせる唯一の方法です。それがないと人は怨念晴らしをやめません。以前は、幻想に振り回されていました。唯一、神さまとの間にリアリティがあります。そこに気がついてくれたら、その人は怨念晴らしをやめることができるのです。

本人が「神さまが心の叫びを受け止めてくださった、完了した」と言える瞬間があります。そうすると、その人の歯車が変わります。信仰の先輩たちの証を見るとどこかで完了しています。そこからミニストリーが変わっています。つまり、心の叫びの完了です。Ⅰペテロ2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」十字架の最後にイエス様は、「完了した」とおっしゃられました。十字架はそういう意味で罪の贖いの完了でもあるし、私たちの心の叫びの完了でもあります。イエスさまは十字架を私たちに与えてくださいます。結局、心の叫びを生み出すのは、だれかの罪の犠牲者になっているということです。だれかの罪の犠牲者になっていることが被害者としての自分がスタートしました。それをどう乗り越えていくかと言うことです。最終的にはイエス・キリスト、神さまとの深い交わりでそれを乗り越えて行くしかありません。心の叫びを完了するために、最後のワンピースを埋められることが、乗り越えるためのエネルギーになるのです。

 私は今から6年くらい前に、李先生からミニストリーを受けました。ちょうどその時、私の世界が壊れ、そこから怒りや恐れが吹き出ていました。神さまに必死に祈り求めても、苦しくてたまりませんでした。原因は、環境のせいではなく、自分自身の考え(世界観)だったのです。私の世界が壊れた、子どものときのあるエピソードを思い出しました。私は小学生のとき記念切手を集めていました。小学校5年生の頃、東京オリンピックの記念切手シートが発売されました。学校に遅刻して並びました。1枚のシートを私と友人と郵便職員がじゃんけんをして、私が得ることができました。ある時、3歳上の兄が、「俺にくれ」と切手シートを取りました。私は「だめだよ」と、その切手シートをひっぱりました。兄が怒って、その切手シートを手でぐちゃぐちゃにしました。私は大声で泣きました。そこに座っていた父が、「こんなものがあるからだ!」と言って、槇ストーブの中に切手をくべてしまったのです。その時、私の世界が壊れてしまったのでないかと思いました。本来なら、そこにいた父が治めるべきでした。しかし、父は酒を飲んでは、母を殴り、私たちにも暴力をふるいました。兄弟同士も互いに争っていました。今でいうと、私の家は機能不全だったのです。だれも守ってくれない中で、不当な扱いを受けて、私の世界が壊れたのです。私の心の叫びは「私は悪くないのに、なんでだよ、ちくしょう!」でした。怒りの悲しみと絶望の声でした。それから、小中高学でも先生から私が一番叱られました。「私は悪くないのに、なんでだよ、ちくしょう!」と叫びました。私のコア世界観は「私は脆弱なので、不当な世界に太刀打ちできない」でした。祈りの中で、「イエス様は私の心の叫びを聞いてくださった。イエス様は私のことを弁明してくれる方だ」と分かりました。また、ある時、「天国に私が失ったすべてものがある」と信じることができました。私の最後のワンピースが埋められて、心の叫びが完了しました。私は怒りを手放し、絶望を神さまにゆだね、次のステップに進む決断をしました。

2.新しいコア世界観

 コア世界観があらゆる生活様式を生み出します。あるクリスチャンは霊的に救われたにも関わらず、過剰反応の悪循環パターンに縛られています。なぜなら、古いコア世界観で生きているからです。このミニストリーは、古いコア世界観を改善するのではなく、新しいコア世界観に取り替えるということです。果たして、新しいコア世界観というのは聖書的なのでしょうか?私たちはイエス様を信じたときに、霊的に生まれ変わりました。しかし、mind思いまで新たにされているでしょうか?ローマ12:2後半「すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。これは救われたクリスチャンに対する命令です。英語の聖書は、be transformed by the renewal of your mindとなっています。「一新された思いによって、変革されなさい」という意味です。「一新された思い」とは何でしょう?エペソ人への手紙4章には「心の霊において新しくされ、古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を身に付けなさい」と書かれています。霊の外側に魂があります。魂は、感情、思い、意志の3つの分野があります。多くのクリスチャンは、霊が新しくなっているのに、思いや考えが古いままで生きています。だから、信仰生活がぎこちないのです。私たちの思いや考えの中核にあたるものが、コア世界観です。コア世界観を新たに変えるなら、考えが変わり、感情が変わり、生活が変わるということです。李光雨先生がどこで学ばれたかは分かりませんが、古いコア世界観を改善するのではなく、別の新しいコア世界観に取り替えるということです。聖書的に言うなら、古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を身に付けるということです。

ある人は、だれかに言われたときには、「即座にそれに対抗して、その人たちを越える論理を持たないと自分の世界はいつも脆弱で弱くて潰される」というコア世界観を持っています。「相手の言っていることにどれだけ反論できるのか?」「この人は強いのか、弱いのか?」そういう判断基準を自分の中にたくさん作り上げます。この判断基準とか行動原理をいくら変えようと思っても、コア世界観が変わらない限り、その人は変わりません。また、ある人は「自分の世界は脆弱で壊れ易い」というコア世界観を持っているとします。そうすると「目の前にいる人は自分の世界を壊す人なのか?壊さない人なのか?」という判断基準を当然持つでしょう。あいつが、自分に対して、電話やメールなどで、文句を言ってきたとします。そういう状況・環境になりました。その時、行動パターンとして、「あ、この人は自分の世界を壊す人だ」と判断したとすれば、「守らなければ」という行動パターンを起すでしょう。「この人はまだ、自分の世界を壊すインパクトの弱い人である」と思えば、「やらせておこう。いつか反撃しよう」と思います。この人はちょっとでも人の世界をすぐ壊す人であると思えば、行動パターンとしては、フル稼働で防衛反応をしなければなりません。そうするとライフ・スタイルは、関係性が難しくなります。周りも引き込んで、関係性が難しくなります。あるいは、自分の親衛隊に入らないヤツラを攻撃したくなります。そのようにしてライフ・スタイルが束縛された悪循環のパターンになります。それを途中で、「判断基準を変えよう。行動パターンを変えよう」と思っても、コアが変わっていない限り、三日坊主で終ってしまうでしょう。「脆弱だ」というところを変えないといけません。この「脆弱だ」という、従来のコア世界観をコアAだとします。

世界観の革新、つまり思いの革新というのは、コアAをコアBに変える選択をするということです。では、コアBとは何なのでしょうか?コアBとは、「自分の世界は強い。脆弱ではない。根本的に自分の世界は壊れない」というものです。このところが心理療法の弱いところであり、たぶん認知行動療法にはないと思います。彼らは「核信念(コア・ビリーフ)を変えろ」と言いますが、「何を根拠にどう変えろ」というものがありません。しかし、神さまが私たちの世界を最終的に支えておられると信じるとします。もし、見た目で弱そうでも、ぜんぜん壊れないというふうに変えられれば、判断基準が変わってきます。アイツが文句を言ってきました。そうすると、「何か言われた」という同じ状況(状況は同じ)の中で、違う行動パターンが出てきます。その行動パターンが積みあがって、生活様式が違うものになってくるはずです。その人が心の叫びを完了することによって、「従来のコアAではなく、コアBを選ぶんだ」という決断が与えられます。その人が信仰を用いて、コアBを選ぶなら悪循環パターンのギアが反転します。本人もびっくり驚くでしょう。図を見ると分かりますが、コアAの世界観で生きていくとどうでしょうか?このコア世界観は「私は脆弱で壊れやすい」です。その人の考え、つまり評価や判断基準はどうなるでしょうか?「自分の世界を壊す人か壊さない人か」であります。その人から電話やメールで文句を言われたとき、「何とか防御しなければならない」と緊張します。そうすると、うつ的になり、眠れなくなります。もう、悪循環パターンにはまっています。コアAを選んでいるなら、途中でコアBに変えることはできません。途中で越えられない壁があるからです。もし、この人が最初の地点でコアBを選択していたならどうでしょう?コアBの世界観は「自分の世界は強い、脆弱ではない」であります。その人の考え、つまり評価や判断基準はどうなるでしょうか?「何を言われても自分の世界は壊れないから大丈夫だ」であります。その人から電話やメールで文句を言われたとき、「いいんじゃない、最善を尽くしていれば」と聞き流します。そうすると、平安になり、夜もぐっすり眠れます。祝福された新しい生活様式になっています。

これをパソコンで説明するとよく分かります。数年前、ウインドウズXPが使えなくなるので、ウインドウズ7か8にするようにという知らせを受けました。XPでパソコンを使っている人は大事件だったと思います。私はXPから7にすることにしましたが、両者には互換性がなく、新らたにインストールするしかありませんでした。私は7のために新しいハードディスクを買いました。1つはいろいろなデーターが入っている従来のXPです。もう1つは、64ビットで作業が早い7のハードディスクです。従来のXPを立ち上げると、7は使えません。7を立ち上げるとXPは使えません。説明書では64ビットの7だと、XPを中に入れられるということですが、面倒でやめました。とにかく、これをたとえ話にすると、コアAは古いハードディスクです。そして、コアBは新しいハードディスクです。コアAは古いハードディスクを立ち上げると、自分の世界を壊す人か、壊さない人かびくびくしながら生活をしなければなりません。そして、悪循環のパターンから逃れられません。でも、脆弱なコアAではなく、堅牢なコアBに取り替えるならどうでしょう?「何を言われても私の世界は壊れないから、大丈夫だ」と考え、そのように生活するでしょう。

3.新しい生活様式で生きる

李先生のテキストは「新しいライフ・スタイルを身に付ける」と書いてあります。日本語の生活様式でも、ライフ・スタイルでも、どちらでも結構ですが、これが身につくためにはトレーニングが必要です。これをオーバカム・トレーニングと言います。オーバカムという英語は、「克服する」「乗り越える」という意味で、とてもうがった表現です。私たちはコアBで生きるという決断をしても、環境や状況は変わりません。相変わらずあなたの前には、敵対する人や批判する人がいるでしょう。また、不当な使いを受けたり、不条理な状況に置かれるかもしれません。特に、不安や恐れを持っている人は、感情や身体が昔のことを覚えているのです。こっちは、「コアBで新しい世界観で生きているんだ」と確信していても、過呼吸やパニックが襲うかもしれないからです。たとえ、そう時になっても、「私は死ぬことはない、たとえ死んでも神さまが復活させてくださる。アーメン」となります。その結果、困難な状況さえも喜ぶことができます。そして、過呼吸の場合は、「主は私の羊飼い、私には乏しいことがありません」とゆっくり唱えると良のです。つまり、感情や身体に兆候があったとしても、信じないのです。Ⅱコリント4:18「私たちは見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」。つまり、感情や身体からくる情報よりも、神さまの約束を信じるのです。新しいコア世界観を持っても、ぎこちないはずです。ですから、そこに聖書の考えを入れていく必要があります。さきほどの、新しいハードディスクのたとえと同じで、改めてデーター入れなければなりません。私は古い脆弱なコア世界観を持ったままで、積極的・肯定的信仰を入れて来ました。しかし、心の奥深で「私は弱いので、それはできない」と思っているのですから、しばらくたつと全部なくなってしまいます。たとえセミナーとか聖会に行ったとしても、1週間しかもちませんでした。でも、今は、新しいコア世界観の中にジョエル・オスティーンの積極的・肯定的信仰をたくさん入れています。だんだんそれが機能して、考えや感情、そしてライフ・スタイルまで変わっていきました。

ジョエル・オスティーンの本に「曲げられても戻るしなやかな人であれ」と書いてありました。2008年9月ハリケーン・アイクがヒューストンを通過した後、かなりの数の樫木の巨木がなぎ倒されました。風速毎秒44メートルの強風の前では、ひとたまりもなかったようです。大きな木も小さな木も、松も樫木も楡(にれ)の木も、皆倒れるのを免れることはできません。ところが、ある種の木はハリケーンの猛威の中でも生き残ることができます。それはどんな木かというと、見かけはあまり強くなさそうなヤシの木です。なぜでしょう?神様はヤシの木を、かなりの程度まで曲がるしなやかさを持ち、強風にあおられても折れないものとして創造されたようです。ヤシの木の柔軟さは特別です。ヤシの木のてっぺんが地面につくくらいに曲げても折れません。また、たとえ強風で木全体が曲がっても、その状態のままで5時間以上は必ず持ちこたえるのだそうです。ですから、ヤシの木は嵐を恐れません。学者によると、嵐のたびごとに根が地面に伸びるそうです。その次に嵐がやってきても、ヤシの木は嵐を恐れません。「また来な、今回も大丈夫だ」とばかり体をたわませます。ヤシの木はとても聖書的な木です。詩篇92:12「正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。」私たちもヤシの木のようなしなやかさを身に付けたいと思います。これからも困難なことがやってくるでしょう。不当な使いを受けたり、ひどいことを言われるかもしれません。でも、新しいコア世界観を持っている人はこのように考えます。「どんな不幸や逆境が襲ってきても、私の世界は壊れない。神さまが私と共にいて、通り抜けさせてくださるんだ。神さまが私たちの世界を最終的に支えておられる。私はヤシの木のようにしなやかに生きるんだ。アーメン」。ハレルヤ、私たちは心に傷が癒されるだけでなく、新しい世界観を持つべきです。そうすれば、違う考え、違う感情、違う行動パターンが出てきます。その行動パターンが積みあがって、新しいライフ・スタイルが生み出されて来ます。