2015.9.27「逆転勝利の人生 ローマ8:28」

 これまで、私たちは自分の過剰反応に気づき、心の叫びを完了し、新しいコア世界観を持つということを学びました。これらのことを「心の癒し」とか「オーバー・カム」と言います。私たちは心が癒されたらそれで良いんじゃかいかと思います。しかし、李光雨師はエネルギーの源を変えなければならないと言われます。多くの場合、心が癒される前は「何くそ、今に見返してやるぞ!」みたいな負のエネルギーでやってきました。この世では、心の動機がどうであろうと、結果が良ければ良いかもしれません。箴言21:2「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる」とあります。神さまは、私たちの行ないよりも、何をエネルギーにしているかをご覧になっておられます。  

 

1.逆転勝利

テキストには、このように書かれています。「癒し(オーバー・カム)だけでは不十分です。古い怨念晴らしやネガティブなエネルギーの代わりに、新しいエネルギーを持たなければ、新しいライフ・ステージはなかなか生まれて来ません。これまでは、怒りとか悲しみのエネルギーに満ちていました。それを乗り越えたときに、新しいエネルギーをどのようにして見つけたら良いのでしょうか?自分自身に与えられている神さまからの賜物と神さまが自分の人生に与えてくださった召命の2つを明確化して受け止めることが、新しいエネルギーになります。この段階がとても重要です。ただし、これをあまり早くやってしまうと、とてもゆがんだ形になります。古い世界観を持ったままの段階になってしまうでしょう。」李光雨師は、「癒し(オーバー・カム)の最後の仕上げは、逆転勝利がある」と言っています。つまり、賜物の開発とか、使命にその人が導かれる前に、逆転勝利というハードルを越えているかどうかが重要だということです。逆転勝利のハードルとは、「人生に起こったことすべてが良きことに用いられるのだ」と心から納得することです。逆転勝利のテーマをその人が認識し、それと取り組んで先に進んでいるかどうかを見極めないと危険だということです。キリスト教会では「神の召し」を強調しますが、怨念晴らしで牧師になったりします。もし、怨念晴らしでやっていたなら、一番良いところで、サタンにひっくり返されてしまうでしょう。キリスト教会でそういう働き人たちが結構いらっしゃいます。始まりはとても良さそうに見えますが、最後が良くありません。なぜなら、その人は負のエネルギーでやっていたからです。ですから、その人が癒されていても逆転勝利をしているかどうかとても重要です。

では、逆転勝利とは具体的にどういうことなのでしょうか?逆転勝利とは、「人生のすべてが神さまの働きによって益となる」ということです。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」自分の人生は神さまのために仕えることが、初めから、全部、神さまのご計画でした。そして、自分の今までの悲しみ、痛み、喪失、恨みとかが全部、ひっくり返って財産になるのです。李光雨師は、最初にその人の悩みや問題を伺いますが、その人の逆転勝利が何かをも同時に考えるそうです。たとえば、「あなたの人生の中の一番、なかったら良いものは何ですか?一番の負の財産は何か?」と聞きます。すると、その人が「親からの虐待です」と答えたとします。その人の悪循環パターンは、「自分の力では何もできない。無力感、未達成感、やっても難しい」でした。一生懸命、がんばっても、心の中に存在不安を抱いています。でも、李先生は「最大の負債がやがて、最大の財産に変わっていく。そこには神さまの仕込みがあり、必ず、プラスになるんだ。プラスになる方法を見つけてやれば良いんだ」と考えるそうです。虐待とは、「一番、可愛がってもらえるべき人から可愛がってもらえなかった。自分を面倒見るべき人から面倒見てもらえなかった」ということです。そういう人は、「良いところまで行くけど、失敗します。どうせだめだろう」と諦めてしまいます。ある人たちは、子どものとき肉体的あるいは精神的な虐待で打ちのめされた経験を持っています。言い換えると、暴虐の前に膝を屈してしまったのです。そのため、理不尽な出来事に遭遇すると圧倒され身動きできなくなります。でも、その人が神さまの絶対的な愛を受けて癒されるとどうなるでしょう?「私はたとい理不尽なことがあっても、私の魂は壊れない。人にはできないが神にはできる」という新しいコア世界観を持ちます。そこで人生のギアが反転し、神さまのエネルギーで生きるようになります。その人がある時、葛藤を覚えている人に出会います。「ああ、この人は私と同じようなテーマを持っている」と匂いでわかります。その時、これまでの負の財産がプラスになって、違いをもたらす人として神さまが用いて下さるでしょう。「あのことがあったから、今の私があるんだ」と感謝できるようになるのです。片親で育てられた人は、同じような境遇で育った人の気持ちがわかります。お兄さんやお姉さんが壁になっていた人は、同じような境遇で育った人の気持ちがわかります。このように負の財産がプラスになるのです。そして、それが賜物と召命につながって行きます。

逆転勝利をした人で最も有名な人物は旧約聖書のヨセフです。彼は末っ子で父から溺愛されました。ある時、「みんなが私を拝んだ夢を見た」と言って、みんなに自慢しました。そのため、兄弟たちから妬みを買い、エジプトの奴隷に売られました。彼は奴隷でありながらも、主人から全財産を任されるようになりました。あるとき主人の妻から誘惑を受け、上着を残して逃げました。ところが、濡れ衣を着せられ、今度は監獄に投げ込まれ鎖につながれました。そこでも、監獄の長から恵みを受けて、囚人の管理を任せられました。ある時、王様に謀反を起こしたかどで二人の官長が監獄に入ってきました。ヨセフは彼らの夢を解き明かしてあげました。解放された方の官長に「私のことをパロ王に話してください」とお願いしました。ところが、彼はヨセフのことをすっかり忘れました。それから2年たったある夜、パロは不思議な夢を見ました。エジプト中の知者や呪法師もパロの夢を解き明かすことができませんでした。その時、官長は夢を解き明かしてくれたヘブルの若者のことを思い出しました。奴隷に売られてから13年たっていました。ヨセフは兄弟たちを憎んだでしょう。ポテファルの妻を憎んだしょう。放っておいた官長を憎んだでしょう。なぜなら17歳から30歳までの青春時代を奪い取られたからです。さて、ヨセフは牢獄から出され、着物を着替えてからパロの前に出ました。そして、パロの預言的な夢を解き明かし、大ききんに備えるように進言しました。パロはヨセフの知恵にとても感動し、国のすべての財産をまかせ、王様の次の位を与えました。なんと、ヨセフは奴隷から宰相になりました。大飢饉が父親や兄弟の地域にも及びました。それで、兄弟たちは銀を携えて、穀物を買いに来ました。兄弟たちは目の前の宰相がヨセフとは知らず平伏しました。その時、夢が成就しました。ヨセフは厳しく彼らをあしらいましたが、心から罪を悔いていることを知りました。ヨセフが自分の身を明らかにしたとき、兄弟たちは驚きのあまり、答えることができませんでした。仕返しをされるかもしれないと恐れました。ところが、ヨセフはこのように答えました。創世記45:5「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」ヨセフは、「よくも、お前らは!」と兄たちを殺すこともできました。しかし、ヨセフは「神さまが家族を救うために、エジプトに遣わしてくれたのだ」と悟っていたのです。つまり、神がすべてのことを働かせて益としてくださったということです。旧約聖書のヨブもそうです。ヨブは10人の子どもと全財産を一瞬にして失いました。さらには全身重い皮膚病にかかり、土器のかけらで自分の体をかきました。それだけではありません。同情してくれるべき妻から「神を呪って死になさい」とまで言われました。さらに、3人の友がやってきて「お前に罪があるから、こうなったのだ」と代わる代わるヨブをさばきました。どのくらいの期間苦しんだか分かりませんが、暗いどん底でヨブは主と出会いました。ヨブは「知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか」と自分をさげすみました。ヨブの最後はどうなったでしょう?「子どもが10人と、ヨブには二倍の財産が与えられ、さらに140年生きて、4代目の子どもまで見ました。ヨブの生涯は完全に贖われ、逆転勝利を得たのでした。

 みなさんの人生においてどうでしょうか?一番いやだったこと、一番損と思われることが益になったでしょうか?それとも、「きっと見返してやるぞ!復讐してやるぞ!」と負のエネルギーでがんばっているでしょうか?一生懸命やっている姿をだれも責めることはできません。しかし、その人を駆り立てているエネルギーは何かということです。日本では豊臣秀吉、野口英雄、田中角栄を尊敬する人たちがいるかもしれません。でも、彼らは負のエネルギーで名を上げた人たちです。でも、心の中は悲惨だったのではないかと思います。箴言21:2「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。」神さまは、あなたの行ないがどうであれ、何をエネルギーにしているか、あなたの動機をご覧になっておられます。もし、逆転勝利をしていないなら、一番良いところでひっくり返されてしまうでしょう。どうぞ、癒しを受けた後、新しいエネルギーを神さまからいただきましょう。今までの怨念のエネルギーとは違う、新しいエネルギーへの転換が必要ではないでしょうか?「最大の負の出来事が、最大の益になった」という逆転勝利をいただきましょう。そうすれば、賜物と召命という次の段階もうまく行くでしょう。

2.賜物と召命

 李光雨師は「その人が一番苦しんだ場所が、その人の一番用いられる場所になる。神さまの仕込みがそこにあったんだ」と言います。面白いですね。私たちには「あんな家に生まれなければよかった」「あんなことが起こらなければ良かった」と思っている負の財産があります。ところが、神さまがそれらを全部ガラガラ・ポンして益にしてくださるのです。たとえば、ヨセフのことを考えると、ヨセフの13年間の時間が無駄だったのでしょうか?そうではありません。彼はポテファルの家で財産を管理することを学びました。監獄では囚人たちを世話したので、人を管理することを学びました。30歳のときエジプトの宰相になりました。彼は豊作の時の穀物を蓄えさせ管理させました。ききんが来たとき人々にそれらを売りました。最後に人々は穀物を買うお金がなくなりました。その時、ヨセフは家畜や農地と引き換えに穀物を与えました。こうして、すべての土地が王様のものになったのです。ヨセフには神からの知恵がありましたが、同時に奴隷時代に体得した管理の能力も役に立ったのです。つまり、13年の負の体験が益になったのです。神さまは13年間、主人の家と監獄で、ヨセフを仕込んだと言っても良いでしょう。

 使徒パウロの生涯はどうでしょうか?彼は律法を厳格に守るパリサイ派の出身でした。ガマリエルの門下生として学ぶ、エリート中のエリートでした。ところが、「イエスは主である」という人たちが増えてきたので、「とんでもない奴らだ」と彼らを捕まえては牢獄にぶちこみました。ところが、ダマスコに行く途中、復活の主が現れ、倒されました。まばゆい光を見たので、3日間も目が見えませんでした。そのとき、「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか」という主の声を聞きました。彼はキリスト信者を迫害こそすれ、主を迫害しているとは全く思っていませんでした。その後、主から「異邦人に、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器です」と言われました。パウロはキリスト者を迫害する者から一変して、キリスト教会の土台を作る使徒に召されたのです。彼は自分が持っているものを「ちりあくたと思っている」とさげすんでいます。パウロは自分が持っている人間的なものを一度全部捨てました。ところが、主はそれらを拾い上げて福音宣教と教会形成のために用いたのです。パウロは自分が学んだ律法と神さまからいただいた啓示を融合させ、本当の福音を語ることができたのです。もし、パウロがいなかったなら、今日のキリスト教会はなかったと言っても過言ではありません。教会を迫害する厄介者が今度は教会を建てる者に用いられたのです。これが逆転勝利であり、主の賜物と召命であります。

 前回、私が小学校5年生の頃、記念切手を兄が取り上げて喧嘩になり、それを父が取り上げて、ストーブにくべたということをお話ししました。私はそれ以来、すべてのコレクションをやめました。しかし、梅の花や国定公園の画像を見ると、「ああ、あのような切手を持っていたなー」と思い出すことがありました。25歳でクリスチャンになりましたが、大川牧師やチョーヨンギ師のメッセージをノートに書き留めるようになりました。それだけではありません。弟子訓練会の学び、エディレオ師の説教、エリヤハウスの教えなど全部テープ起こしをして資料を作りました。それがどんどんたまり、ものすごい資料集になりました。いつの間にか私は、コレクションをしていたのです。ところが、6、7年前にベンウォン師が来られ、「牧師室を焼いて、外に出て行って、人間関係を作りなさい」と言いました。確かに私はパソコンの前に座って資料作りに励む時間が多かったように思います。セル関係だとかコーチングと言われ励んでみました。ところが、私は人といるよりも自分一人でいる方が好きだということが分かりました。私はそれまで自分は外交的だと思っていましたが、「人間が好きじゃない」ということに気付いたのです。牧師がそんなことを言ったら大変になりますが、電話が怖いのは事実でした。後からそれは親や兄弟から虐待を受けたのが原因だということが分かりました。でも、李光雨師からカウンセリングを受けて、はっきりと分かりました。「神さまは私のコレクションを用いて下さる」と。私はコツコツと作業をするタイプです。そして、たくさんの資料をまとめて、そこから教えたり語ったりします。「これが私の賜物なんだ」と分かったのです。その後、ジョエル・オスティーンの本や説教を聞き、大変、感動しました。神さまは一人一人に、固有のDivine destiny(神の計画)を持っておられ、生まれた時に既に備えておられたということが分かりました。生まれた後から努力して得るのではなく、生まれる前に神さまは装備してくださっていたのです。車には色んな車種があります。さらに、車を買う時、ある部分をオーダーメイドできます。納品されたとき、ちゃんと出来上がっており、エンジンがないとか、窓ガラスがない車はありません。私たちもこの世に生まれ出たとき、ちゃんと装備されていたのです。そのことが分かって、私の世界観がずいぶん健康に育ちました。それまでは、私のコア世界観は脆弱で、積極的な考えや見方を持ち続けることができませんでした。聖会やキャンプに行っても、1週間で元に戻ってしまいます。でも、新しいコア世界観にジョエル・オスティーンの教えがぴったり当てはまったのです。

 あるクリスチャンは「礼拝の説教を聞いてもその時だけ恵まれるけど、家に帰ったら忘れてしまう」という人がいるかもしれません。聖書を読んでお祈りしても、「私の人生はうまくいかない」とどこかで思っているかもしれせん。それは、あなたのコア世界観が古くて脆弱だからです。だから、信仰的で肯定的で積極的なことが、嘘みたいに思えるのです。どうぞ、コア世界観を新しいものに取り替えてください。聖書的、ローマ12:2「心の一新によって自分を変えなさい」とあります。その後の話が、今日のテーマです。神さまから与えられた賜物と召命に生きるということです。「いやー、私は賜物と召命がわかりません」という人がたまにいらっしゃいます。昔、「ディスカバー・ジャパン」というキャッチフレーズがありました。何度も申し上げますが、神さまからの賜物と召命は、自分が触れられたくない負の財産と関係があるということです。あなたはヨセフのように、あるいはヨブのように、ひどい環境の中で、仕込まれたのです。権威ある人から、「歌をやめろ」とか「ピアノをやめろ」と言われたかもしれません。あるいは「○○に向かない」とか「お前には才能がない」と言われたかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?あなたは、一流になることを諦めたかもしれませんが、自分なりに努力してきました。神さまは日の当たらないところも、ちゃんとご覧になっています。そしてそれらを、まとめて益にしてくださいます。ただし、その前に、怒りとか悲しみ、恐れという否定的な動機を捨てなければなりません。「馬鹿にした奴らを、いつか見返してやるぞ!」では、神さまのみこころはなりません。エネギーを転換したとき、負の財産が、すべて宝物になるでしょう。パウロのように、「私が走って来たこと、労したことは無駄ではなかった」と誇ることができるのです。

最後にジョエル・オスティーンのIt’s Your Timeという本から引用して終えたいと思います。ジェイコブという農夫がシーザーという名の騾馬を飼っていました。その騾馬がどういうわけか15メートル以上の深さがある、廃墟の井戸の中に落っこちてしまったのです。ジェイコブは普段から、この騾馬のことをたいそう可愛がっていましたので、何とか助けようと必死でした。でも、色々と試してみましたが、シーザーを救う手段はもうないという結論に達しました。ジェイコブが上から観察する限りでは、シーザーは声をあげるどころか、ピクリとも動く気配がありません。現実主義者だったジェイコブは仕方がないと割り切り、その井戸を土砂で埋めて、墓にしてやろうと考えました。ジェイコブは友人数人を呼んできて、シャベルで土砂をすくって井戸に放り込む作業を開始しました。最初の土のひと盛りを井戸に投げ込みました。落下した土が、気を失っていた騾馬のシーザーの目を覚まさせました。そして別の土が背中に当たるのを感じたシーザーは、今何が起っているのかを理解しました。生き埋めにされるわけにはいきません。シーザーは何とかしようと考えました。土が放り込まれてきたら、彼は背中にかかった土を、体を振って払いのけ、ひずめで土を蹴って常に土の上にいるようにしました。じっとしていれば確かに土に埋まりますが、土が来るたびに払いのけて土の上に乗っかっていけば、確かに上へ上へと行けます。しばらくの間、シーザーは土を蹴っちゃ登り、蹴っちゃ登りを繰り返していました。一時間ほども作業をした頃でしょうか。ジェイコブと友人たちは、シーザーの長い耳が井戸からニュッと突き出してきたのを見た時、驚きのあまり固まってしまいました。その時、ジェイコブを含めその場にいた者は「シーザーは死んでいなかったのだ」ということを理解したのです。そこで皆は、シーザーが井戸を乗り越えてこられる高さまで土を入れて、やっとこさシーザーを自由の身にさせてやることができました。ジェイコブも友人たちも、もともとシーザーを埋葬するために井戸へやってきたのです。でも彼らは逆に、シーザーの命を救うことになったのです。あなたも、あの騾馬のシーザーがやったように、もしあなたの背中に土が放り投げられたら、ふるい落として上へ登っていただきたいのです。あなたが人生において不当に扱われたり、失望に襲われるような体験をした時、その土砂にあなたを埋葬させてはなりません。すぐさまふるい落とし登ってください。人生においては、あなたを失望させ追い詰めるかのごとき経験をすることがあるかもしれません。それは、あなたを『埋葬』してしまうために土を投げられているのと同じです。でもそれは、あなたが再び生まれ変わって、新たな良き展開を迎えるための、神が送られたチャンスなのです。あなたにも逆転勝利の人生を計画しておられる主の恵みがありますように。