2018.6.24「うつを理解する 詩篇42:1-5」

 不景気で社会的な抑圧が強くなるとうつになる人が増えると言われています。厚生労働省によりますと、うつ病など気分障害で医療機関を受診している人は約112万人(2014年)いるそうです。でも、どこからがうつ病でどこからが、うつ的な気分なのか線引きが難しいと思います。多くの人たちはうつ的な気分をなんとか克服しながら生きています。「信仰があるから大丈夫」ということはありません。なぜなら、私たちは不完全な感情と肉体を持っているからです。私は専門家でも医者もありませんが、聖書的な立場を踏まえて「うつ」を理解したいと思います。

1.聖書的な理解

 欽定訳聖書、あるいは初期の聖書には「うつになる」とか「うつ」ということばは全く発見できません。うつdepressionは、19世紀の中ごろから広く一般に使用されるようになったようです。もちろん、うつの症状そのもの「気分の落ち込み」として、はるか昔からあったことでしょう。「うつ」と言うと、すぐ「うつ病」を連想するかもしれませんが、私たちは「気分の落ち込み」をしょっちゅう体験しているのではないでしょうか?第一のポイントでは、どんな環境や状況が人を「うつ」にしてしまうのでしょう?聖書の人物たちを取り上げながら学びたいと思います。今回は、ブレンダ・ポインセット著『うつになった聖徒たち』という本を参考にしました。

第一は負いきれない重荷、あるいは使命から来るものです。生きるために、あるいは立場上、自分をひっぱってでもやらなければならない仕事や任務があります。その代表人物がモーセです。彼は100万人の以上の民をエジプトから脱出させました。ところが、彼らは荒野で「水が飲みたい。飢えて死にそうだ。エジプトには墓がないので、私たちをここに連れて来て、この荒野で、死なせるのですか?」と不平をもらしました。モーセは神さまに何と言ったでしょう。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。… 私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。…私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」(民数記11章抜粋)。モーセは神さまに不満をぶっつけました。彼の正直な祈りの中に、彼が抱えていた「うつ」の症状を読み取ることができます。モーセは、正直に自分のありのままの感情を神さまに告げました。すると神さまは重荷を分かち合うために70人の長老たちを与えてくれました。主は天からマナを降らせ、うずらを与え、水を与えてくれました。モーセのように、神さまに心を開いて、頭にあること、心にあることを打ち明けることが重要です。

第二は働き過ぎから来る、燃え尽きと「うつ」です。その代表は預言者エリヤです。エリヤはアハブ王の前に立って「偶像礼拝をやめないなら、雨も露も降らないぞ!」と警告しました。3年も雨が降らないので、イスラエルは大干ばつに襲われました。エリヤは再び、王のところへ行き、バアルの預言者たちと勝負を持ちかけました。それぞれ、祭壇を築き、「天から火が降った方がまことの神である」としました。結局、エリヤの祭壇に火が降りました。勝利したエリヤは450人のバアルの預言者たちを剣で切り殺しました。それから雨が降るように七度祈ると、大雨が降りました。エリヤは、これでアハブ王がまことの神に立ち返ると思いました。ところが、妃のイゼベルに脅され、王の前を立ち去りました。エリヤは荒野に逃れてこう言いました。「主よ。もう十分です。私のいのちを取って下さい。私は先祖たちにまさっていませんから」(Ⅰ列王記19:5)。一人で450人のバアルの預言者を倒した同じエリヤだとは思えません。彼は完全に燃え尽きとうつになりました。大きなプロジェクトを成し遂げた人たちが燃え尽きて、うつになったということを良く聞きます。主がエリヤのためにしたことは、「うつ」になった人の癒しになります。エリヤが回復するためには、睡眠、食物、飲み物だけでは不十分でした。運動とひとりになることが必要でした。エリヤは40日40夜かけて神の山ホレブに向かいました。ホレブの洞穴で、主に訴えました。大風や地震や火ではなく、かすかな細い主の御声が、エリヤの癒しになりました。

 第三は喪失からくるうつです。ヨブはすべての財産と10人の子どもたちを一瞬にして失いました。さらには肉体に腫物が生じて、かゆくてたまりませんでした。妻は「神を呪って死になさい」と言うし、友人たちはよってたかって「お前に罪があるからだ」と言います。ヨブは1年以上、喪失の悲しみと病を負いつつ、友人たちと議論を交わしました。ヨブは灰をかぶりながら自分が生まれた日を呪いました。ヨブはうつのために体調に変化が表われました。食欲が減退し、眠ることができなくなりました。ヨブ3:24-26「実に、私には食物の代わりに嘆きが来て、私のうめき声は水のようにあふれ出る。私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。私には安らぎもなく、休みもなく、いこいもなく、心はかき乱されている。」突然、主があらしの中からヨブに語られました。ヨブが癒されたのは、何故そうなったのか「理由を知る」のをやめた時からでした。主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福されました。いつか訪れる祝福の日々が必ずあるということです。

 『うつになった聖徒たち』の著者ブレンダ・ポインセットの証しです。「私はクリスチャンですが、今まで幾度もうつを経験しています。あるときは、あまりにも落ち込みがひどくて、これ以上歩みを進めるのをやめたくなったこともあります。つまり、生きることを、そして神に仕えることをあきらめてしまいたくなったのです。私は谷の奥底におり、そこから見上げる山に登るのは、あまりにも険しくて無理なように感じました。」彼女は、日々のディボーションを欠かさず、聖書をよく学び、たゆみなく祈り、熱心にキリストに従っていました。それを聞いた人たちは「なぜ、そんなあなたがうつになったりするの?」と言いました。強い人、信仰者がうつにならないのでしょうか?もし、うつになったら不名誉で恥ずかしいことなのでしょうか?モーセ、エリヤ、ヨブ、エレミヤ、ナオミ、ヨナ、パウロ、詩篇42篇の作者みんなうつを経験しました。彼らは絶望という人生の谷間のような日々を過ごした人たちです。でも、彼らは神によって用いられた勇気ある人物でもありました。聖書を読むと、彼らが私たちの仲間であることが分かります。

2.心理学的な理解

 第二のポンイントは心理学の立場から「うつ」を理解するということです。今回は岡田尊司(たかし)氏が書いた『うつと気分障害』が大変参考になりました。この本の書き出しがとても興味深いです。「うつ」は心の風邪といわれるほど、誰にでも起こりうるものである。気分障害のうち、いわゆる「うつ」の中でも、重症なものである大うつ病だけをとってみても、生涯において一度は大うつ病に罹患(りかん)する人の割合は、全人口の15%にも上る。…ということです。うつの症状が現れる気分障害には大きく分けて4種類あります。第一は大うつ病(単極性うつ病major depressive disorder)です。大うつ病もいくつか分かれるようですが、「大」というくらいですから、症状が重いということでしょう。昔から律儀で、几帳面で、責任感の強い性格の人がかかりやすいとされてきました。第二は小うつ病で、少々軽いものです。社会学者マックス・ウェーバーも、うつで苦しんだそうです。彼は33歳のとき、新進気鋭の学者で、大学教授であり、教育者また政治家として上昇の最中にありました。しかし、引っ越しと父親の死がきっかけでうつ病になり、39歳で大学教授を引退しました。ご存じかもしれませんが、俳優の竹脇無我という人もうつ病で苦しみました。ヘミング・ウェイが自殺したのはうつ病の薬が合わなかったせいであると言われています。第三は双極性障害(躁うつ病bipolar disorder)です。文字通り、躁とうつを極端に繰り返すタイプです。躁になったときに対人トラブル、浪費や借金なとのトラブルを起こします。躁状態が終わったとき、ものすごい罪悪感に襲われます。作家の北杜夫がその病気で、躁状態のときは朝早くから起きて、慌ただしく株式の売買を繰り返し、うつ状態のときは、夕方まで寝ていたそうです。第四は双極性Ⅱ型障害です。軽躁とうつを繰り返すタイプです。いわゆる「うつ」とは違うということが分かったのが、1970年代以降です。この障害の生涯発生率は、5~11%であり、きわめて身近な疾病だそうです。他には、季節性のものがあります。

 
さて、こういう病気の治療法ですが、古くはフロイトではじまった精神分析です。元来、過敏で不安を感じやすい性格の持ち主が、内面に強い葛藤を抱えることにより心身の異常を引き起こします。抑圧した葛藤が、症状となって「神経症」として現れると考えました。もう一つはフロイトと同時代、クレペリンという人が体の中に何かがあると考えました。それがやがて、脳内の伝達物質が何かの理由で多くなったり、足りなくなっていると考えるようになりました。セロトニンなどの薬物投与が「うつ」に効果があることが分かりました。しかし、双極性障害(躁うつ病)の人には、全く別の薬でなければならないことが分かりました。現在、精神科とか心療内科に行くと、ほとんどが薬物療法です。患者の症状を聞きながら、薬の調合を変えていくというものです。統合失調症の場合もそうですが、薬が強すぎると、いつもぼーっとして過ごすことになります。さらには正常な脳細胞まで破壊してしまいます。最近では、薬で少し安定させた後、「認知行動療法」というカウンセリングが「うつ」に対して、効果を発揮しているそうです。その人のネガティブな思考を変えることによって、感情が変えられていくということです。

 では、どうしてうつになるのでしょう?心理学的な見地から少し考えたいと思います。さきほどの、岡田尊司氏の本から少し引用したいと思います。女性がうつ病になる生涯有病率は、4分の1を超え、男性のおよそ2倍です。女性は思春期から更年期までの生殖年齢において、とりわけうつ病になりやすい。また、軽躁とうつを繰り返す「双極Ⅱ型障害」や、気分の起伏と強い自己否定を特徴とする「境界性パーソナリティ」も女性に多い。女性ホルモンは、気分や意欲に関係し、うつや気分障害の発症に絡んでいる。女性がうつになりやすい最も危険な時期は、女性ホルモンが、急激に変動する時期、つまり、お産をした直後の産しょく期と、閉経に向かう更年期である。このとき、多くの女性が、多少なりとも精神的に不安定になりやすい。周囲の支えが重要になる。一方、男性ホルモンの分泌が低下してくる中高年期に男性も危険にさらされる。この時期(男性更年期)は、男性にとって体力も低下する一方で、責任や重圧がさまざまな意味でのしかかってきやすく、上手に防御を行わないと、うつ病に取り憑かれやすい。『生まれ出ずる悩み』や『或る女』などの優れた作品で知られる作家の有島武郎は、何度か重い憂鬱症に苦しんだことで知られている。生真面目で、潔癖で、几帳面な有島の性格は、まさにうつを引きつけやすいメランコリー親和型性格であった。…作家として行き詰まった彼の結末は、不倫と心中であった。

 心理学的な見地から癒しを考えたいと思います。第一は、社会的なつながりが乏しく、社会的な支えを受けにくい人は、うつ病にかかりやすいということです。今は、一人で過ごすことが当たり前のライフスタイルになっています。家父長的で、共同体的な人間関係を基本とするノルウェーでは自殺が少なく、核家族化し個人の経済的な自立を優先するデンマークは自殺が多いそうです。教会は神の家族という共同体あり、適度な関係を持つことができます。「ちょっと変わっている」という人も、主にあって受け入れることができたら癒しと回復につながるでしょう。第二は、落ち込むこともあるという心構えです。人々は、常に気分が下がることを警戒し、元気に強気に行動することを重視します。たとえ、相手が親しい友人であっても、弱みや暗い面を見せることは躊躇してしまうでしょう。落ち込みそうになれば、カラオケで歌ったり、居酒屋で盛り上がったり、時には薬物の力を借りて、気分を持ち上げようとします。しかし、挫折や失敗、不完全さも人生にはあることを認めることが重要です。第三は、焦らず十分な休養を取るということです。新渡戸稲造は、35歳のときに、うつになり、黒板に文字を書くことすら満足にできなくなってしまいました。その時、札幌農学校の教授をはじめ要職をいくつも抱えていましたが、そのすべてを辞して、二年余りの療養生活を送りました。マックス・ウェーバーは33歳の時に、うつになり、それから回復まで7年にわたる闘病生活を経験しました。満足な薬物療法もなかった時代でしたが、二人は完全に回復し、病気になる以前にも増して、華々しい活躍をしました。ただし、二人とも、病気になる前と後では、ライフスタイルを大きく変えています。また、二人の回復について共通していることは、十分な療養期間を持つことができたこと、元の仕事にしがみつかなかったこと、家族の愛情深い支えに恵まれたことです。

3.うつからの解放

 私たちはたとえうつになっても、どん底から神さまに呼びかけることが必要です。詩篇42篇はそのことを教えてくれます。まず、彼は第一に自分の状況を神さまに知らせました。自分の思いを神さまに注ぎ出していると言った方が良いかもしれません。詩篇42:1-3「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。」聖書を調べてみると、彼は琴の演奏者で、歌手であり音楽家であるコラの一族のひとりでした。ところが、彼らはバビロンに捕え移され、現地の人たちからあざけられていました。「おまえの神はどこにいるのか」と言われました。第二に、彼は気分が落ち込んでいますが、自分の魂に語りかけています。詩篇42:5 「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」同じようなことばが、6節、11節、そして43の5節にもあります。ちなみに詩篇42と43篇はセットの歌です。自分の魂に語るということがとても重要です。そして、「神を待ち望め」と励ましています。第三は、意志をふるい起こして、神さまに誓っているということです。「私はなおも神をほめたたえる」と3度も告白しています。少し前に、魂は思いと感情と意志の3つでできていると申し上げました。うつというのは感情がダメになっている状態です。もしかしたら、脳もダメになっているかもしれません。そのため私たちは思いと意志を用いなければなりません。クリスチャンは霊が生きていますので、霊が魂にあふれ出てくることを期待すべきです。結果的にそれは信仰となります。

 私たちは肉体、魂、そして霊でできています。うつはこれら3つが関係していると考えられます。まず、肉体ですが、私たちの肉体は土の器でできています。だから、弱った時はゆっくり休む必要があります。マックス・ウェーバーは現職を続けようと、発症してから2年間も頑張り続け、結局うまくいかず、辞職することになりました。一方、新渡戸稲造は医者から「長引きそうだ」と言われ、ただちに、すべての職を退いて、完全な療養生活に入りました。その思いっきりの良さが、早い回復をもたらしたということです。また、脳内の伝達物質の異状という医学者の言うことを無視できません。しかし、それは結果的にそうなったのであって、原因究明には至っていません。薬の力を借りることも必要ですが、その人のライフスタイル、その人の考え方を変えなければなりません。ですから、次は魂のことになります。魂というギリシャ語からサイコロジー(心理学)が生まれました。心理学者たちは「ボジティブな感情や姿勢が、心身の健康に良い影響を及ぼし、ストレスに対する耐性を高める」と言っています。また、うつに対して、認知行動療法が大変効果があることが分かってきました。最大の原因は、その人がゆがんだ考え方、間違った認知をしているからです。李光雨師は「うつとは、抑圧された怒り(心の叫び)が引き起こす束縛されたライフスタイルです。抑圧された怒りが、自己の中で行き来して、最終的には自分自身に向かっていく力になるのです。怒りを十字架に持って行って、新しい世界観をいただきましょう。」と教えています。ローマ12:2「心の一新(変革)によって自分を変えなさい」とあります。最後は霊でありますが、いのちの源なるお方は神であり、主イエス・キリストです。イエス様は「私はよみがえりです。いのちです。私を信じる者はたとえ死んでもいきるのです」(ヨハネ11:25)と言われました。ですから、私たちは神のみことばを読み、いのちの源なるお方とたえず交わり、神のいのちと健康が魂と肉体に流れ出すように祈り求める必要があります。

 心理学者たちはボランティア活動をすることを勧めています。ジョエル・オスティーンの妹、リサが夫が突然、家を出てからうつになりました。彼女は自分の本(You are made for More)でこのように証しています。「私は離婚後、壊れてしまって、自分自身の必要を見ることができなくなりました。自分は全く傷ついていると感じました。ストレスの満ちた日々、私はひどい不安と意気消沈で苦しみました。私の体は私の思いと感情に影響を及ぼし始めました。私は自分が消耗し、疲労困憊していると感じました。私は食べることもできず体重が減りました。十分に休むこともできませんでした。私はすべてのことに衰弱し、楽観主義であったかつての私とは全く違っていました。私が元気であったときは、拒絶の思いや心の傷、失望落胆を払いのけました。でも、今は感情とエネルギの不足によって拷問のような苦しみを味わっています。それらの思いが私を混乱させ、自分を他の人たちから遠ざけてしまいます。私は信じられないほど悲しんでいました。」…このようなうつの状態が半年くらい続きました。ところがある日、教会の姉妹がやって来てこう言いました。「リサ、私は傷ついているの。私も離婚しかけているの。私のために祈ってくれる?」リアの最初の思いは「冗談を言っているの?私こそ、だれかから祈ってもらいのよ。私は適任じゃないと感じるわ」でした。ところが、祈っていると神さまのご計画がそこにあるように思えてきました。神さまは、自分自身の傷や痛みに焦点を当てて行き詰まるのではなく、他の人を助けることに焦点を当てて、その人たちを助けるように仕向けているようでした。リサは人生の方向転換をし始めました。それは、テキサスの高速道路を走っている18輪のトラックのようでした。その大型トラックがコーナーを曲がるために減速し、曲がるための十分なスペースを捜しているのと似ていました。もし、減速せずに曲がるなら、トラックは転倒し大惨事になります。ところが、逆も真なりで、彼女が困っている人を助け始めたときから、彼女のうつが治り始めたのです。彼女は他の人の祈りをするための新しい冒険を発見しました。彼女は自分の時間を彼らのために与え、彼らを私の翼の下にかくまい、傷と痛みの中にある彼らを、まるで自分のことのように愛しました。彼女は彼らが感じている痛みを理解し、彼らの混乱と傷がよく分かりました。長い話を短くすると、リサは自分が教師として召されていることを発見しました。そして、小グループで大会衆の前で教える人になったのです。うつになるのも、良いことがあるのです。マイナスも神さまのご計画の一つだということです。ころんでもただでは起きない。なぜなら、イエス様ご自身が死からよみがえられたからです。