2019.6.30「古代の教会 ヨハネ黙示録2:1-5」

ヨハネ黙示録2章から3章までは、アジアの7つの教会が記されています。解釈にもよりますが、この7つの教会は不思議なことに教会の歴史を比ゆ的に預言しています。教会史はとても難解ですが、ヨハネ黙示録から語るとよくわかります。今日から、使徒たちが去ったあとの教会から世の終わりの教会まで、「古代の教会」から「近代の教会」まで5回に分けて学びたいと思います。毎月の最後の週の日曜日礼拝は、教会史のテーマを1つずつ取り上げていきます。

 

1.エペソにある教会 

 

私たちが新約聖書に「〇〇人への手紙」という表題を見ますが、すべて1世紀の教会に宛てられたものです。ローマ教会やコロサイ教会を除いて、ほとんどパウロが開拓した教会です。エペソ教会は霊的戦いを乗り越え、そこからたくさんの教会が生み出されました。エペソにある教会というのは、使徒たちが召された後の教会の総称と考えられます。使徒たちの弟子である、「使徒後教父」と呼ばれる人たちが教会を指導していました。では、第二世代の教会は、どうなっているのでしょうか?黙示録2:2,3「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。」まず、イエス様から褒められています。その当時の教会は、一代目の使徒たちのあと、教会を巡回する使徒たちがいました。でも、教会に居座り、特権を乱用していた悪い使徒もいたのでしょう。彼らの偽りを見抜くことができました。エペソにある教会はイエス様のために「耐え忍び、疲れたことがなかった」と言われています。忍耐することはとても重要です。私も30年間、亀有にいましたが、「耐え忍び、疲れたことがなかった」と言われるかもしれません。これは自画自賛ですが、後でお叱りのことばが続きます。

黙示録2:4,5「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」初めの愛から離れたとは、きついお言葉です。私の場合は、「あなたは初めの情熱から離れてしまった」と言われるかもしれません。ギリシャ語の「初めの」は、「第一の」とか「最高の」という意味もあります。「あなたは最高の愛から離れてしまった」と言い換えることもできます。第一代目のクリスチャンは荒削りではありますが、イエス様への愛と情熱があふれています。しかし、自分の息子や娘、つまり二代目になると信仰的に穏やかになります。悪いことはしないけれど、第一代目のような情熱はありません。教会も開拓当時は、教会員たちがすべてをささげて伝道します。やっとのことで新会堂も建てました。人々が救われて一杯になりました。でもどうなるでしょう。形式的になり、伝統的になります。教会の規則を作ります。言い換えると守りに入り、チャレンジをしなくなります。気が付いたら、初めの愛から離れてしまっていました。そういう教会に対して、イエス様は「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」と警告しておられます。つまり、「あなたはイエス様を最高に愛する、正しい道に戻りなさい」ということです。もし、あなたがその一人なら、どこから落ちたのか思い出す必要があります。だれかから裏切られたのでしょうか?一生懸命やったのに報われなかったので躓いたのでしょうか?イエス様「悔い改めて、初めの行いをしなさい」と言われます。最初の頃のような純粋な信仰と愛と情熱の回復を求めておられます。

その次にこのようなことが書かれています。エペソ2:6、7「しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」ニコライ派というのは、「民を征服する」という意味があり、何かの異端であったと思われます。異端の場合はマインド・コントロールをして人々を支配します。人々に恐れや罪責感を与えて働かせます。初代教会の終わりの頃は、グノーシス派という神秘的な異端がありました。彼らは、肉体は汚れていて魂はきよいという二元論を唱えていました。「神の子のイエスが汚れた肉体を持たれるはずがない」とイエス様の受肉を否定しました。この考えで行くと、肉で行う罪は、魂には影響を与えないとなり、放縦な生活を送るようになります。神秘的な異端は、信仰と生活がばらばらになります。教祖が不品行を行うのはそのためです。私たちは神さまが憎まれるものを憎むべきであります。神さまが憎むことを、人間的な思いで良いと言ってはなりません。このように二代目の教会は、その出発点から異端と戦ってきました。地上のどんな教会でも、「良い麦と悪い麦」が同居していることを忘れてはいけません。そして、最後にすべてに解決がきます(マタイ13:24-40)。報いとして、真のクリスチャンは禁じられていた「いのちの木の実」が与えられるのです。アーメン。

 

2.スミルナにある教会

 

黙示録2:9,10「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。──しかしあなたは実際は富んでいる──またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」このところから、スミルナにある教会は、苦しみと貧しさの中にある、迫害下にある教会であることがわかります。スミルナはギリシャ語で「没薬」を意味します。没薬は、亡くなった人に用いますので、「苦難」を表徴しています。スミルナにある教会は1世紀後半から、313年のミラノ勅令までの約200年間です。私たちは皇帝ネロのことを知っていますが、それ以降もひどい迫害が起りました。ドミティアヌス帝は自らを「主にして神」と称し、公式の誓いを強要しました。そして、トラヤヌス帝のときから、迫害は組織的になってきました。外には迫害の嵐が吹き荒れ、内においては異端の活動が活発となりました。その頃、教会を指導したのが、「弁証家」と呼ばれる人たちです。当時の異端に対して、かなり哲学的ではありますが、信仰の基準や真理の基準を示しました。

当時、スミルナの教会には、有名なポリュカルポスという教父がいました。彼はスミルナ教会の監督であり、紀元後155年2月23日に殉教しました。そのスミルナの街には、大きな円形競技場がありました。ローマの扇動によって「ポリュカルポスを殺せ」という声が街に響き、彼は捕えられ、そこで火刑に処せられます。その時に、ローマの兵隊が、ポリュカルポスに「ローマ皇帝さえ拝めば助かるのだから、拝みなさい」と勧めました。しかし、彼はこのように答えました。「86年、私はキリストに仕えてきました。これまで一度として、主は私に間違った取扱いをなさったことはありません。それなのに、私を救ってくださった王を、どうして冒瀆することができしょうか?」と言って焼かれていきました。ローマ市当局は皇帝に対して「もう、これ以上、キリスト教徒を殺さないでほしい。そうでないと全市民がいなくなるから」と求めたそうです。なぜなら、彼らがキリスト教徒を殺せば殺すほど、キリスト教徒はもっと多くなるからです。そして、帝国規模の迫害は紀元後249年に即位したデキウス帝のときにやってきました。彼は、これまでの「キリスト教徒を探し出してはならない」という原則を破りました。皇帝礼拝を含め、偶像に供物を捧げ、礼拝した証明書(リベルス)の提示を求めたのです。これを公然と拒否するキリスト教徒は拷問にかけられ、棄教を求められました。

ヨハネ黙示録はその背後の力が何であるか教えています。「見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」ローマ皇帝の背後には、悪魔が背後にいるのです。パウロはローマ13章において「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。」と言いました。しかし、ローマ皇帝は神にしか要求できないことを、人々に要求しました。ということは、「悪魔化してしまったローマには従ってはならない。抵抗しなさい」ということです。日本も戦時中、天皇礼拝や神社参拝を強要しました。しかし、日本基督教団は、信仰を守る代わりに、偶像礼拝をしたのです。隣の韓国は血を流して抵抗しました。そのため、40年後にすばらしいリバイバルが全土に起りました。私たち日本は戦争責任を軍隊のせいにしていますが、キリスト教会が骨抜きにされていたことを悔い改める必要があります。このことはドイツも同じでキリスト教会がナチスと協定を結んだために、口出しできませんでした。私たちは、死に至るまで忠実であるということがいかに困難なことなのか知りません。ある時は、いのちを投げ出さなければならないということです。

当時のスミルナ教会はどうだったのでしょうか?『一冊でわかるキリスト教史』と言う本にこのように書かれていました。「キリスト教はローマ、アレクサンドリア、カルタゴといった都市を中心に教会形成がなされていったが、この時の迫害で多くの棄教者を出したという。カルタゴの監督キュプリアヌスはのちに「棄教者」という説教を残しており、大勢の信徒、また聖職者も教会を去って行ったことを伝えている。ただし証明書があればよく、これを様々な手段を用いて手に入れる者もいたという。なおこの迫害を実施したデキウス帝は249年に即位しましたが、2年後の251年に戦死しました。でも、それで迫害がやんだわけではありません。数年後に皇帝となったヴァレリアヌス帝は当初寛容でしたが、のちにデキウス帝と同様の迫害を実施しました。そのとき、監督、長老、執事は処罰され、元老院議員など身分のある者も資産を失い、なおキリスト者にとどまるなら斬首、強制労働、追放されたといいます。しかし、ヴァレリアヌス帝はペルシャ戦で敗れ、やっと迫害は止みました。でも、最後にディクレアティアヌス帝の迫害があり、305年に収まりました。このように、黙示録は迫害に終わりがくることを預言しています。資料によりますと、ローマ帝国におけるキリスト教徒の数は3世紀後半、つまり迫害下の50年間で、600万人もの信徒数に膨れ上がったと推定されます。クリスチャンの数が増すのは、平和な時代ではなく、むしろ困難な時代であるということを私たちは知るべきです。「あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」苦難はいつまでも続くのではなく、その終わりがあることを感謝します。主の恵みによって、死に至るまで忠実であり、いのちの冠をいただく者となりたいと思います。

 

3.ペルガモにある教会

 

 黙示録2:13,14「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。」ペルガモと聞くと、「カモの一種かな?」と思うかもしれませんが、そうではありません。ギリシャ語で「ペルガモ」という言葉には2つの意味があります。1つは「結婚」です。結婚は結合です。この時、教会は、この世と結合するようになり、この世的な教会となりました。「ペルガモ」のもう1つの意味は、「城壁を巡らした塔」です。その当時、教会は低いものではなく、地上で高いもの、高い塔になりました。それでは、ペルガモにある教会というのはどのような時代の教会なのでしょうか?コンスタンティヌス帝は、内乱状態の中313年にキリスト教を公認しました。これを「ミラノの勅令」と言います。伝説では、「これに勝て」という声とともに十字架が天より示され、ミルヴィウス橋での戦いにマクセンティウスに勝利したといいます。すでに311年にガリエヌス帝が病床において寛容令を出しており、キリスト教は自由を得ていました。しかし、この勅令のおかげでキリスト教はローマ社会の中で安定した立場を得、その後の発展に拍車がかかることになります。コンスタンティヌス帝は公認しただけではなく、迫害で失った財産の返還、さらに様々な特権をキリスト教に認めていったからです。かくして4世紀はキリスト教にとって大きな飛躍の世紀となります。しかし、ここにとんでもない落とし穴があったということをだれが知っていたでしょうか?

さきほどペルガモの意味は、この世との結合であり、高い塔であると申し上げました。黙示録2:13「そこにはサタンの王座がある」と書いてあります。また、黙示録2:14「バラムの教えを奉じている人々がいる」とあり、15節には「ニコライ派の教えを奉じている人々がいる」とも書いてあります。サタン、バラム、ニコライが、まるで悪魔の三位一体のようであります。ウィットネス・リーはこのように解説しています。ペルガモにある教会には、主の目に邪悪な2つのものがありました。1つは、バラムの教えです。バラムは、神の民に淫行を犯し、偶像を礼拝させることをバラク王に教えた異邦の預言者です(民数記22章、25章)。コンスタンティヌス帝がキリスト教に入信したことは、異邦の預言者の教えと異教の教えの始まりでした。こうして、この世と結合して霊的姦淫を犯し、偶像崇拝をするようになりました。これは、主にとって邪悪でした。ペルガモのもう1つの邪悪なものとは、ニコライ派の教えでした。最初、エペソの教会ではニコライ派の働き、活動があるだけで、教えはありませんでした。しかし、第三段階の「ペルガモにある教会」になると、ニコライ派の働きは、ニコライ主義の教えとなりました。歴史の綿密な研究によって、私たちはニコライ派の教えが、聖職者・平信徒制度、階級組織、すなわち、「聖職者階級」の教えであることを知ることができます。ニコライのギリシャ語は「民を征服する」という意味です。いわゆる聖職者・階級組織は、教会の中で他の人々を征服します。

私も「教会史」を『すずめの学校』(スパローズセミナリー)で長年教えてきました。最初の頃は、キリスト教がローマ公認の宗教になって良かったのではないかと思いました。迫害が止んだだけではなく、キリスト教がヨーロッパ全土に広がったからです。私たちの教会は、宗教改革を通過して、聖書的な教会であると思っていました。しかし、学びを続けていくうちに、国家と教会が結びついたために、初代教会が持っていたすばらしいものを失ったと言うことが分かりました。かつては、どこでも集会を持つことができました。説教する資格や免許もありませんでした。ところが、4世紀以降、国教会になってからは、礼拝は国が定める場所に集まって行い、家々で勝手に集会を持つことができなくなりました。そして、礼拝は資格をもった聖職者が導くようになりました。次第に、聖職者と一般信徒との間の区別がはっきりとなりました。本来教会は、信徒の群れだったのですが、聖職者によるピラミッド型の組織体になってきました。また、法律によって、国民であるならだれもが洗礼受けて、教会に属することが定められました。ですから、キリストを信じて新生していない人でも教会の一員でした。そのため、教会はこの世と全く区別がつかなくなりました。ニカイア公会議という「御父とキリストとの関係」を決定する重要な会議がもたれました。しかし、人々を招聘したのがコンスタンティヌス帝でした。これからも神学的な問題、あるいは異端を決める教会会議がなされましたが、国家が主導していきました。次第に、聖書よりも教会が定めたことが権威を持つようになっていきます。中世の教会ではこれらのことが確立しました。コンスタンティヌス帝が亡くなった後、皇帝になったユリアヌスは、自身キリスト教を棄て、ギリシャ・ローマの祭祀(さいし)の復興をもくろみ、キリスト教を少しずつ排除していきました。そのため、教会は異教徒の様々な風習や儀式を取り入れていくようになりました。現在、祝われているクリスマスやイースターでさえもその影響を受けています。

ペルガモにある教会に対してどう言われているでしょうか?黙示録2:17「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」ここでは2つのものを与えると言われています。第一は「隠れたマナ」です。ペルガモの教会はマタイ13章の「からし種のたとえ」と一致しています。マタイ13:32「それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」このたとえで「空の鳥」とは悪魔のことです。教会は大木のように、城壁を巡らした塔でしたが、そこでは、すべてのものが外面の見せかけのために人目にさらされていました。しかし、原則的に、尊いものは隠されています。この時代に、キリストは隠されたマナです。ですから、私たちは隠されて、人目にさらされないようにすることを学ばなければなりません。ペルガモの教会は、この世に妥協した結果、主イエスを失ってしまいました。教会が国家権力に守られるということは非常に危険なことなのです。勝利を得る者とは、主イエスご自身を得る者なのです。第二は「白い石」です。当時の異教徒たちは、石に文字を書いて、魔除けのために持っていたそうです。白い石とは、何も書いていないもので、そこに新しい名が書かれるのです。この「新しい」のギリシャ語は「カイノス」が使われていますが、このことばの意味は、時間的な新しさではなく、質的な新しさを現わす言葉です。ですから、この世と妥協した教会を救うのは、イエス様ご自身に立ち返るほかはないということなのです。

きょうは、エペソにある教会、スミルナにある教会、ペルガモにある教会について学びました。これらは、初代教会の後の教会です。彼らはローマの迫害を受けても、信仰を守り通しました。多くは死に至るまで忠実でありました。その後、313年にキリスト教が公認され、国家と教会が結びついてしまいました。迫害は去りましたが、異教的なものがどんどん入り込むようになりました。今日の教会にも言えることですが、悔い改めて初めの愛に立ち返り、この世的なものを排除し、キリスト中心に生きることが必要です。イエス・キリストこそ隠れたマナであり、勝利ある御名だからです。