私たちは色んな人に出会いますが、どうしてそれぞれ性格が違うのだろうと驚きます。社交的な人もおれば、内向的な人もいます。古代ギリシアのヒポクラテスは、体の中に四種類の液体が流れており、一番多い液体によって気質が決まるんだと考えていました。かなり前に、ティム・ラヘイ著『人間の気質と聖霊の働き』を読んだことがあります。きょうはその本を参考にしながら、人間の気質の中で代表的なものを4つ取り上げて学びたいと思います。不思議なことに、新約聖書に出てくる四人の使徒たちが、それぞれの四種類の気質を持っています。
1.多血質
多血質というのは、その名のとおり、血の気が多い人のことです。ティム・ラヘイ師はこのように定義しています。「多血質の人は、温かみがあり、快活で陽気で、自他ともに『楽しませる』気質の持ち主である。彼は生まれつき感受性が強く、外部からの印象を容易に心に受け入れる。心の中では、外聞からの印象は容易に反応の激発を作り出す。彼が決心をする場合には、内省的な思考より、むしろ感情が優先するのである。彼は、楽しく過ごす並外れた能力に恵まれており、通常、彼の親切な性質を他の人々にも伝染させる。人々が集まっている部屋へ彼が入って行くと、彼の元気のよい会話によって、そこにいるすべての人々の気分を引き立てるような傾向がある。彼の温かい、情感の豊かな性格は、その話の中で彼が過去の経験を再びしているような印象すら与えるので、彼はスリルに富んだ語り手なのである。」
私は久ぶりに、この本を読んでみて、「ああ、私のことかもしれない」と思いました。しかし、私はクリスチャンになる前は、そういう明るい面もありましたが、内側はとても混乱しており、どちらかというと「憂鬱質」でした。何でも、否定的に、暗く考えたからです。私がクリスチャンになる前はグレーの度付きの眼鏡をかけていましたので象徴的です。しかし、クリスチャンになって心が癒されると、暗くて鬱的な面が消えて、このように天真爛漫になったのかもしれません。ある冬、スキーに行った時、ゴンドラに乗る機会がありました。とても混雑しており、自分が乗る際、なんとかしなければならないと思いました。それで、後ろの人に「お一人ですか」と声をかけ、前の人にも声をかけ、「三人で一緒に乗りましょう」と提案しました。すると、前の人が「いやです」とはっきり断りました。男性かと思いましたが、女性だったのかもしれません。前と後ろから拒絶されて、とてもショックでした。私はゴンドラに乗った場合は、みんなに話しかけ、楽しい時を持つようにしています。しかし、中には「声をかけないで、私を独りにさせてくれ」という人もいるのです。どこもでも牧師をしたくなるのは悪い癖かもしれません。
ところで、イエス様の弟子と言われるペテロが、多血質の典型ではないかと思いました。マタイ16章に記されていますが、イエス様が「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねました。するとシモン・ペテロが真っ先に「あなたは生ける神の子キリストです」と応えました。イエス様から「あなたは幸いです」と褒められたのも束の間。イエス様が「エルサレムで苦しみを受け殺され、三日目によみがえる」と言われました。すると、ペテロはイエス様を脇にお連れして「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません」と言いました。そして、イエス様から「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱られました。さっきは天に昇るほど高められたのに、今度は、地の底に落とされました。ペテロは、快活ではありましたが、思ったことをすぐ口にする人でした。だから良く失敗もしました。ある晩、弟子たちがガリラヤ湖を渡るとき、向かい風で漕ぎ悩んでいました。すると真っ暗な湖面を歩いてくる人がいました。みんなは「幽霊だ」と恐れました。ところが、その方がイエス様だと分かると、ペテロは「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と願いました。イエス様が「来なさい」と言うので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエス様の方に行きました。ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けて下さい」と叫びました。イエス様は彼の手をつかんで「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。ちょっと、おっちょこちょいみたいな感じがしますが、ペテロはとても大胆な人です。
多血質の長所とは何でしょう?ティム・ラヘイ師はこのように定義しています。「多血質型の人は現在のために生きる。その結果、彼は非常に楽天家になりやすい。陽気な多血質の人は、外交的で、握手好きな、ひどく愛想のいい習性は、もともと人々を思う純粋な愛から出ているのである。」それでは、短所はどうでしょう?「注意深く研究してみると、多血質型の人がこの上なく活動的であるのは、落ち着きがなく、ただ動き回っているに過ぎないことが分かります。彼はしばしば、非現実的で、組織的でない。感情的な性質であるので、彼はすぐに興奮します。そして実際に全体の状況を分析しないうちに、早まって間違った方向へ走ってしまうのです。」ペテロはイエス様が捕らえられる前、「命にかけても、あなたを知らないなどとは申しません」と誓いました。しかし、その舌の根も乾かないうちに、イエス様を三度も知らないと言いました。それでも、後日、悔い改めて、聖霊を受けてからは大使徒になり、初代教会のリーダーになりました。人目を気にする弱さは残りましたが、大胆で活動的なところは用いられました。「世の中において、多血質の人はセールスマン、病院勤務者、教師、座談家、俳優、演説家に適している。時として、彼らは、すぐれた指導者である」ということです。
2.胆汁質
胆汁質とは、黄色い胆汁が支配的に流れているということです。ティム・ラヘイ師はこのように定義しています。「胆汁質の人は、短気で機敏で、積極的で実際的で、強い意志に富んだ気質の持ち主である。彼はよく自己満足に陥り、非常に独立心に富んでいる。彼の傾向は、断固としており、自説に固執する。そして、他の人々のためにも、自分自身のためにも、決定を下すのが容易である。」ティム・ラヘイ師はその本に似顔絵を書いていますが、胆汁質の人は、高倉健か渡哲也に似ていました。かたぎであればとても信頼できるタイプですが、やくざに回ったら、冷酷無比でおとし前をしっかり取らせるタイプかと思いました。
ティム・ラヘイ師はさらにこう定義しています。「彼は、逆境にも驚かない。実際、逆境は彼を鼓舞する傾向がある。彼には、がんこなまでの決意があり、他の人々が失敗するときでもしばしば成功する。これは彼の計画が他人のものよりすぐれているからではなく、他の人々が失望し、中止してしまったのちにも、彼はなお「前進」し続けるからである。」私はその本を読んでいて、これは使徒パウロのことではないかと思いました。使徒21章に書いてありますが、ピリポの家に行った際、預言者が「エルサレムに行ったら、このように縛られ、異邦人の手に渡されますよ」と警告しました。他の人たちもエルサレムに上っていかないように懇願しました。ところが、パウロは「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています」とつっぱねました。Ⅰコリント11章に書いてありますが、死に直面したことも度々あり、鞭打たれ、石で打たれ、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難を受けたことが証されています。それでもパウロは前進し、ローマまで福音を宣べ伝えに行ったのです。まさしくパウロは胆汁質の典型です。
私たちの周りに、意思が強く一回決めたことは決して変えないという人がいるでしょうか?こういう人はいくら人が伝道しても無理なのです。何か超自然的なことや、生命にかかわる危機的な状況の中で劇的な回心をするのです。パウロの場合は、道の者たちを殺害しようと息巻いて、ダマスコに行く途中、天からの光が突然さして、地に倒されました。主が直接、彼に語り掛けてくださったのです。彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしませんでした。みなさんの中には、とってもまっすぐな人はいないでしょうか?その人は神さまを信じない方にまっすぐ進んでいるのです。でも、何か生命にかかわる危機に遭遇し、砕かれたのではないでしょうか?そういう人はパウロのように、今度は神さまにまっすぐ従い、その後は迷うことがありません。死ぬまでキリストに忠実に従う一本気の人です。私は当亀有教会の姉妹型にそういう人が何人もいるなーと思うのです。だれとは言いませんが…。
胆汁質の長所は何でしょう?「胆汁質の人は通常、何ごとも自分で決定する強い傾向を持った、自己訓練のできた人物です。彼は、自分の能力には大いに自信があり、きわめて積極的です。「絶えず動き回っている」多血質と違って、その行動は綿密に計画された意味深長なものです。ひとたび計画にとりかかると、彼は一つの方向に向かってわき目もふらずに進む執拗なまでの力があります。では、この短所は何でしょう?彼の情緒的な面は、彼の気質のうちで、最も発達の遅れている分野です。彼は、たやすく他人に同情しないばかりか、生まれつき、あわれみの情を示したり、口にしたりすることがありません。他人の涙を見て、当惑したり、嫌悪の念を持ったりすることがよくあります。彼には芸術作品に関する鑑賞力などはほとんどなく、彼の第一の関心は生活上の功利的な価値にあるのです。」パウロが第二次伝道旅行に出発する際に、バルナバともめたことを思い出しました。使徒15章にありますが、パウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えました。そして、パウロはシラスを選んで、伝道旅行に行きました。しかし、後で、パウロは「マルコは役に立つ」と考えを変えています。パウロはⅠコリント13章で「愛は寛容であり、愛は親切です」と言っていますが、最初のころはそうでもなかったようです。色んな試練を通らされて、愛の人になったのではないかと思います。胆汁質の人は「御霊によって歩む」ことと「キリストにとどまる」ことを学んだなら、彼、彼女は、どのようなことでもできるのです。
3.憂鬱質
ガレノスというギリシアの医学者は、憂鬱質とは黒い胆汁が流れている人であり、すなわちメランコリーと称したようです。ティム・ラヘイ師はこう定義しています。「憂鬱質は、『暗黒な気質』であると、よく言われている。ところが実際には、彼はすべての気質の中で最も豊かな気質を持っているのである。なぜなら、分析を好み、自己犠牲的で、才能豊かな完全論者的タイプであり、さらに非常に敏感で、感動しやすい性質を持っているからである。他の型の者で、この憂鬱質の人ほど芸術作品を深く味わうことのできる者はいない。このタイプの人は非常に忠実な友となるが、多血質と違って、気軽に友人をつくらない。自分からあえて人々に会おうとしない方で、むしろ人々を彼の方にやって来させる。彼は、おそらくすべての気質の中で、最も信頼できる型であろう。」私は弟子のトマスがそれであろうと思いました。ヨハネ11章に書いてありますが、ラザロが病気なのにイエス様がユダヤの地になおもとどまっておられたことがありました。トマスは何を考えたのか「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」と他の弟子たちに言いました。イエス様が死んだラザロの所へ行くと言っただけなのに、どうしてそのような発言をしたのでしょう?おそらくトマスは、イエス様が十字架で死ぬことによって栄光を現す時が来たのだと考えたのかもしれません。他の弟子たちはイエス様ご自身が死ぬとおっしゃったのに、直視しようとしませんでした。トマスだけはそのことを深く考えていたのだと思います。また、イエス様がよみがえられたその日の夜、弟子たちの前に姿を現しました。ところがトマスだけはそこにいませんでした。あとから、「その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言いました。ちょっと、極端な感じがしますが、分析を好む完全論者的なタイプであることが分かります。
憂鬱質の長所とは何でしょう?「あらゆる気質の中で、憂鬱質の人ほど、豊かで敏感な性質を持っている人はいません。彼には天才的な傾向があります。天才と言われる人々の中で、憂鬱質の占めるパーセンテージは、他のどの型よりも高いのです。彼は、人生の真の価値についての深遠な洞察力を持ち、特に美術にひいでています。彼は、情緒的に感応しやすいのですが、多血質と異なり、彼の情緒を通して、内省的な思考をするように動機づけられています。また、憂鬱質の人は分析力があり、数学、理論科学、診断学、建築学、哲学、著作、そのほか厳密さを要する仕事の分野に適する者です。」その本の上のページにYoshinagaとローマ字で書いてありました。私がいた座間キリスト教会の副牧師で、私と全く気の合わない人でした。そういえば、「吉永先生は憂鬱質で分析型の人だったなー」と思いました。『若きウェルテルの悩み』を書いたゲーテも憂鬱質かもしれません。彼は詩人、劇作家、小説家、自然科学者でした。ゲーテのことばです。「才能は静寂の中で、性格は世間の荒波の中で磨かれる」。
憂鬱質の短所とは何でしょう?「空想にふけやすく、現実逃避の習慣に陥ることがあります。彼は不完全な現在に大いに不満を持っているので、過去の出来事を追想する傾向を持っています。」旧約聖書の預言者、エレミヤも憂鬱質かもしれません。彼は苦しさのあまり、「ああ、悲しいことだ。私の母が私を産んだので、私は全地にとって争いの相手、また口論する者となっている」(エレミヤ15:10)と嘆いています。また、「主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない」と言いつつ、苦しくて語らずにはおられないともがいています。でも、エレミヤは最も暗い時代に用いられた涙の預言者であり、イエス様に似ていると言われました。
4.粘液質
粘液質とは粘液が支配的に流れている人です。ティム・ラヘイ師はこう定義しています。「冷静で、落ち着きがあり、遅鈍でのんきで、よく調和のとれた気質を生み出す。粘液質の人にとって人生は、幸せで、これといって興奮させるものもない楽しい体験であり、その中にあって、彼は、できるだけ関りを持たないようにしている。このタイプの人は、いたって平静でのんきであるために、環境がどうであろうとも、決していらだつことがない。この種の人の冷静で控え目で、ほとんど内気といってもよい人格の底には、非常に有能な各種の才能が秘められている。彼は表面に見られる以上に、感情面が豊かであって、美術や人生の望ましいものに対しても、すぐれた鑑賞眼を持っている。このタイプの人は友人に事欠くことがない。というのは、彼は人々と楽しく過ごし、生まれつきのドライな感じのユーモアを持っているからである。」
私は弟子のヨハネが粘液質の典型ではないかと思います。ヨハネはイエス様のそばにいるだけで満足していました。大体、ヨハネ福音書の文体が粘液質です。あなたが、わたしの、あなたが、わたしの、という人称代名詞が多くて何を言っているの分かりません。たとえば、ヨハネ14:10「わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。」分からないことはないのですが、パウロと違って、文章がねちっこいです。私はこういう人と一緒にいると、きっとイライラするでしょう。使徒の働き3章以降に「ペテロとヨハネ」という言い方が良く出てきます。ペテロは何かしゃべっていますが、ヨハネはほとんど語っていません。ヨハネは活動的なペテロをサポートしているような感じがします。
粘液質の長所は何でしょう?「彼には生来、カウンセラーとしてきわめて相応しい資質が与えられています。彼はおっとりしていて、のんきであるので、他の人の話に耳を傾けることが容易なのです。ところが、多血質と胆汁質の人は、他の人々の心痛の物語を聞くために長く座っていることができません。粘液質の人は、実に頼りになります。彼はいつも快活で、お人好しであるという点で信頼できるばかりでなく、自分に課せられた義務や時間的制限のある計画などをきちんと果たす点でも、当てにできる存在です。」では、欠点は何でしょう?「彼には積極的に行動する意欲が欠けており、自らを人生の傍観者に仕立てて、必要なことしかやらないといった傾向になりやすいです。また、粘液質の人は、よく自分本位という短所を見せます。この特徴は、年数を重ねるとさらに顕著になることが多い。というのは、彼は自分自身を守ることを学ぶからです。」ヨハネの手紙を見ると、愛することを説きながら、結構、厳しいことも言っています。Ⅱヨハネ10「あなたがたのところに来る人で、この教えを携えていない者は、家に受け入れてはいけません。あいさつのことばをかけてもいけません。」これは異端の人に対する対応です。ヨハネのように愛に富む人は、主人に対する忠誠心も強いので、こういうことを言うのかもしれません。
きょうは、多血質、胆汁質、憂鬱質、粘液質という四種類の気質について学びました。こういう分け方は精神科医やカウンセラーが知っている事柄だと思います。確かに気質は、生まれながらのものかもしれません。しかし、キリストを信じて新生し、さらには聖霊に満たされたならば欠点が克服され、非常にバランスのとれた人になることは間違いありません。➀多血質の人は聖霊に満たされたのちも、外交的で精力的です。個人的においても以前より堅実になり、もっと組織的で、信頼できるようになります。➁聖霊満たされた胆汁質は、きまって力強い有能なクリスチャン指導者になっています。そして、胆汁質人に起こる最初の変化の一つは、人々への愛です。彼は次第にキリストがその人ために死なれた者として、見るようになります。聖霊が柔和と謙遜さが加えられます。➂聖霊に満たされた憂鬱質の人は、才能がさらに豊かになり、生産性に富むものとなります。憂鬱質の人の生活をむしばむ支配する自己中心的な性格は聖霊に満たされると、柔和と善意に変えられます。憂鬱質のモーセは偉大な指導者となりました。➃聖霊に満たされた粘液質の人は、気質上の変化はあまりありません。なぜなら、彼は生まれつき冷静で、のん気で、温和と陽気さを身に着けているからです。しかし、御霊の実である愛は、粘液質の人に動機を与えるのに大いに役立ちます。これまで以上に積極的に自らをキリストの奉仕にささげるようになります。まさしく、ヨハネがそのような人物でした。
確かに私たちは日常生活において互いに争ったり、不和を招くような失敗を犯します。しかし、私たちは痛みを通しては学びながら、人格的に整えられていくようになっているのです。最も重要なことは、御霊によって歩むことです。パウロのことばです。ガラテヤ5:16「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」