2026.4.12「父親不在」 マラキ4:5-6

 マラキによる最後の預言は、イエス様の時代と世の終わりの時代の二つを預言しています。一つはバプテスマのヨハネこそがエリヤの再来だということです。もう一つは世の終わり、エリヤのような人物が起こるということです。なぜなら、世の終わりには家庭が崩壊し、男と女の区別もなくなるからです。まさしく、現代はそのようになっており、キリスト教会すら聖書の教えを捨てている状態です。少数派の権利が主張され、神の律法が忘れ去られています。

1.父親不在

 今回のメッセージは、クリス・ヴァロットン著『父親不在による反抗』という本を参考にしております。その本を翻訳してみて、とても感銘を受けたので、ぜひ皆さんに分かち合いたいと思いました。ヴァロットン師がベテルチャーチに赴任する前に、ボランティアで保護観察中の青少年たちを面倒みたことがありました。週二回、体育館で青少年が喧嘩しないでスポーツができるように監督しました。彼らは野生動物のように乱暴で、ドラッグをやったり、ドラッグを売買したりする子どもたちでした。最初は30名くらいでしたが、やがて200名になりました。あるとき、町の公共機関の有力者50人が集まり、「この町の深刻な問題の根底にあるものは何か」と、協議しました。全員が発言して、集まりが終わるとき、ホワイトボードにはたった一つの言葉が残されていました。「父親の不在」と。ヴァロットン師が奉仕した130人以上の子どものうち、家に父親がいるのは、たった一人でした。その子どもたちが健全になったのは、ヴァロットンご夫妻が彼らの父となり母となったからです。ヴァロットンは「傷ついた心、砕かれた夢、見捨てられた子どもたちと格闘した5年間は、私の心に何十年にもわたって私の世界観を形成することができた」と述べています。父親不在はアメリカだけの問題ではなく、もはや全世界の問題です。私は彼の本を参考にし、父親不在による弊害を4つあげてみました。

➀シングルマザーの貧困

 アメリカでも日本でもそうですが、近年、シングルマザーがとても増えています。どうしてシングルマザーになるのでしょうか?1つは結婚せずに同棲し、そのときに子どもが生まれます。中絶するケースもありますが、生むケースもあります。子どもが生まれると、男性が去ってしまいます。その男性は恋人でしたが、父親になる覚悟がなかったのです。生まれた子どもは婚外子ということになります。アメリカでは現在、半数以上の子どもが婚外子として生まれ、父親がいない孤独な状態だそうです。もう一つは結婚後、子どもと妻を置いて、男性が家を出て行くというケースです。現代は簡単に離婚します。シングルマザーのままでいる人もいますが、再婚する人もいます。でも、子連れの再婚は、次の夫から子どもが虐待される可能性が高くなります。テレビで、虐待のため子どもが死んでしまったというニュースを度々見ます。本来なら男性が妻と子どもたちをしっかり守るべきなのですが、父親としての責任を放棄してしまう男性が多いのです。残された妻はシングルマザーになり、子育てをしながら生活費を稼がなければなりません。当然、収入が少ないので貧困生活に陥ります。そのため生活保護を受けて生き延びているシングルマザーがたくさんいるようです。当教会で、「子ども食堂」の奉仕をしている姉妹方がおられますが、学校の給食しか食べていない子どもたちもいるということです。戦後は食糧難で大変でしたが、まさか現代、そういう家庭があるのかと思うと悲しくなります。一番の原因は、生活費を稼いでくれる父親がいないからです。

➁子どもの非行(しつけがなされていない)

 クリス・ヴァロットン師が5年間、体育館で保護観察中の青少年たちを面倒みて気づいたことがありました。子どもたちが非行に走るのは、家においてしつけがなされていないからです。父親が不在であると、子どもに厳しく叱ってくれる人がいないのです。一般の家庭では、子どもがお母さんのいうことを聞かないと、最後はこういうそうです。「パパが帰ってくるまで待っててね」。そういうと、子どもは大人しくなるそうです。子育ては、お母さんだけでは、どうしてもなめられてしまうからです。家庭では「ガツン」と叱ってくれる怖いお父さんが必要なのです。しかし、現代は友達親子が多いです。父親の権威が全く失墜しています。父親は友達ではありません。父親は堅物で頑固で良いのです。昔、「寺内貫太郎一家」というテレビ番組がありました。小林亞星、西城秀樹、樹木希林さんたちが出ていました。「ジュリー」とか言って、楽しかったですね。あのように家庭には、大国柱がいなければなりません。父親は権威の象徴です。もし、父親不在の場合、あるいは虐待する場合は、子どもは権威を学ぶ機会がありません。子どもの中に、権威に対する怒りが生まれ、世の中のあらゆる権威に反抗するようになります。当然、法律を破り、身勝手なことをするようになります。両親によって正しくしつけられた子どもは、幸せに生きることができます。箴言22:6「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」私の場合は父がいましたが、あまり働かず、酒を飲んでは暴力をふるいましたので、いない方が良かったのかもしれません。家庭に権威による守りがなかったので、学校生活においても、不当な扱いを受け続けてきました。「なんでだよ、なんでだよ」と叫んで生きてきました。今は、絶対的権威のある、父なる神さまのもとで、平安に暮らしています。

③性別が分からない(ジェンダー)

 クリス・ヴァロットン師の本に書いてありましたが、カルフォルニアの公立学校はheとかsheと言ってはならないそうです。性別は他の人ではなく、自分で決めるからだそうです。アメリカの心理学会はトランスジェンダー(性転換)を正常なライフスタイルとして受け入れています。男性が女性になるために、苦しいホルモン治療を受けなればなりません。性器を切除、脱毛、言語療法などを受けます。研究によると、性別適合後に自殺する可能性が19倍も高く、自殺する人の90%が精神障害と診断されているのが分かっています。現代は「男らしさそのものが有害である」と言われるくらい、社会的に支配的な男性という固定観念が、女性から嫌悪されています。「男は男らしく、女は女らしく」などと言ったら、総スカンを食らうでしょう。もし、母子家庭で育った場合、子どもはどうなるでしょうか?男の子は、父親を見て育っていないので、女性ぽくなります。また、女の子は強い母親を見ているので、男性ぽくなるそうです。創世記1:27「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」聖書のみことばの通り、人間は男と女の二種類しかいないのです。男性でも女性的な人はいますが、それでも男性です。女性でも男性的な人がいますが、それでも女性なのです。心が女性で、体が男性であるとか、心が男性で、体が女性であるというのは障害であり、癒されなければならないのです。現代は少数派の権利を守るために法律が改正されています。そのため、大多数の正常の人たちが生きづらくなっているのです。人類には男と女しかいません。女らしい男がいても、男なのです。逆に男らしい女がいても女なのです。男性と女性の身体の作りは全く違います。体力においては、男性が女性の25%上回るそうです。でも、看護師や保育士は女性の方が、細やかな愛情があるので、向いているのではないかと思います。現代は何でも平等と言いますが、そもそも男性と女性の機能が違うということを知るべきです。

④子どもが家庭を築けない

 クリス・ヴァロットン師の本から引用いたします。一人で子どもを育てている母親は、自分を妊娠させて出て行った男に恨みを抱いています。責任を放棄した男性に、否定的な感情を抱くのは、人間の本性です。赦せず、恨み、攻撃的な態度は、子どもと接するときどうなるでしょうか?父親に捨てられた少女が、母親によって育てられ、その母親が男性に対する不快感を娘に広げたと想像してください。この娘が女性として成長し、愛を求め、セックスをする準備が整っているところを想像してください。彼女は少なくとも3つの不健全な経験が、全人的な交わりを見つける能力に悪影響を及ぼしてしまいます。第一に、彼女は健全な夫婦を見たことがないので、男性の性と女性の性がどのようにリズムを取るのか分かりません。第二に、彼女の母親が父親と、そしておそらく男性に対して慎重であり、悪く言えば男性に対して怒りや恐怖を抱いています。第三に、彼女は父親に捨てられ、拒絶された痛みを経験しているので、男性を信頼できない、不健康な、無関心な存在として見る傾向があります。この不健全な要素が、この若い女性の交際相手の選択、特にレズビアンを容認する社会の中で、一役買っていると思いますか?きっとそうでしょう!実は、父親不在は性別の混乱を起こし、同性愛、両性愛、トランスジェンダーなどを蔓延させ、加速させているのです。父親が病気や事故のため亡くなり、どうしても母親一人で子育てをしなければならない場合があります。そのような運命的なことを今日は述べているのではありません。男性が父親としての義務と責任を果たさないために、母子家庭、シングルマザーにならざるを得ないケースを述べているのです。子どもを置いて家を出る男性が、そもそもの問題なのです。私は男性ですが、男性の一人として、女性方にお詫びしたいと思います。父親が不在のために、母親と子どもたちが泣いている現代です。これが世の終わりの1つの現象なのです。世の中は狂っています。そもそもの原因は家庭において父親が不在だからです、

2.エリヤの命令

 前のポイントでは父親不在による弊害のいくつかを学びました。後半はその解決法について学びたいと思います。マラキ4:5,6「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである。」このところに、マラキの預言が記されています。それは、エリヤ的存在が「父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる」ということです。言い換えると、世の終わり、父親の役目を回復しなければならないということです。

 創世記2:24「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」このみことばは、イエス様も引用しています。このところに、「男は父と母を離れ」とありますが、これは男が精神的にも経済的にも独り立ちしているということです。言い換えると親の世話になっていないということです。現代は結婚しないで、一緒に生活しているカップルがたくさんいます。同棲はいわばお試し期間であり、とても無責任な生活です。そのとき、子どもが生まれたら、どうするのでしょうか?同棲は、中絶をしたり、男が去ってシングルマザーになる確率がぐっと高くなります。もし、男性が経済的に不安であれば、安定するまで結婚を待つしかありません。結婚は契約であり、契約のない結婚はありません。籍を入れれば良いというのでもありません。「神と人の前で、死ぬまで愛します」という契約が必要なのです。私の家内が、二番目の息子が「一緒に住む」と言ったとき、「結婚するためには覚悟が必要です」と言いました。それで、教会で結婚式を挙げ、ささやかな披露宴を持ちました。家内も私と結婚するとき、「覚悟したんだなー」と思い感動しました。覚悟は私たちで言うと「信仰」です。覚悟しないで、結婚するので、簡単に離婚してしまうのです。ヴァロットン師は、「夫は妻と子供のために命を捨てなければならない」と言っておりました。アーメンです。私もそうしています。私は家庭ではしもべです。

結婚は神が創造したものであり、家庭こそが社会の基本です。子どもは家庭において、社会のことを学ぶのです。現代は男と男の結婚、女と女の結婚が認められていますが、それは結婚ではありません。なぜなら、子どもがそこから生まれないからです。それでもアメリカでは同性婚の人たちが、養子にした子どもを育てています。同性婚はヨーロッパ諸国でもアメリカでも認められるようになりました。日本でも「そうすべきだ」という意見が増えているようです。これは平等という問題ではなく、神の定めを破ることです。家庭には「父親がいて、母親がいて、子どもがいる」これが、神が定めた結婚観なのです。ところが、現代は父親が家庭に不在なので、さまざまな問題が浮上しています。男の子は父親を見て育つことにより、男になり、父親になることができるのです。女の子は母親を見て育つことにより、女になり、母親になることができるのです。もちろん、男の子にも異性の代表として母親が必要であり、女の子にも異性の代表として父親が必要なのです。家庭での経験が社会生活の基盤となるのです。なぜなら、家庭は小さな社会だからです。

 クリス・ヴァロットン師は「父親のいない家庭で育った男性は、社会で劇的に暴力的になるだけでなく、青少年の自殺率にも多大な影響を及ぼす」と言っています。ある動物園で象が増えすぎたので、半分を他の動物園に移すことにしたそうです。ヘリコプターで象を運ぶのですが、大人の象は重過ぎるので、若い象だけを他の動物園に移したそうです。まもなく、その動物園で不思議なことが起こりました。多数の白サイが殺されて死んでいました。最初は密漁かと思いましたが、角がちゃんと残っていました。原因が分からないので、ビデオカメラを設置しておきました。驚くべきことに、若い象たちが徒党を組んで、白サイを殺していたことが分かりました。ある動物学者に聞いて、若い象を指導する大人の象が必要なことがわかりました。今度はヘリコプターで大人の象を何頭か運び入れました。そうすると、若い象がぴったり乱暴するのをやめたそうです。おそらく、大人の象が、本能丸出しの若い象を黙らせたのだと思います。そうです。男の子も、父親から訓練されないと、暴力的で無軌道な青年になってしまうのです。クリス・ヴァロットン師は「ホームレスや家出した子どもの90%が父親のいない家庭の子どもであり、平均の32倍という驚異的な数字をただきたしている」と述べています。比ゆ的に言えば、三本足の腰掛のように、母親、父親、子どもが必要です。母親がいない家庭、父親がいない家庭は、二本足の腰掛のような家庭環境となり、不安定になりやすいのです。実際、深刻な行動障害を持つ子供の85%が父親なしで育てられ、米国平均の20倍という驚異的な数字です。問題は深刻ですが、解決策は簡単です。「お父さんたち、お家に帰ってください!」しかし、ただ帰って来れば良いというのではありません。そこには聖書的な悔い改めが必要です。男として、父親として考えを改める必要があります。その時に必要なのが、聖書のみことばなのです。世の終わり、混乱と破滅を突き進み、家庭もないし、男も女も存在していません。基準である聖書のみことばが必要なのです。

クリス・ヴァロットン師著『父親不在による反抗』のイントロダクションです。私が3才のとき、父が海で溺死してしまいました。自分の最初の子供が4歳になったときにわかったことがあります。私は4歳からの私の人生には笑いがなく、ただ孤独と混乱があっただけなのです。この本を書いている私は現在、66歳ですが、父を恋しく思わない日はありません。人生の危機が訪れるたびに、「父がここにいてくれたら」と思ったものです。父ならどうすればよいのか分かるだろう。私のオフィスには、これまで行った場所や書いた本、達成した記念品がたくさん飾られています。オフィスの入口の壁には、父の写真が飾られています。もし父が私の成長した姿を見たら、きっと誇りに思ってくれるだろうと思い、戦略的にそこに飾っているのです。

 私はクリス・ヴァロットン師の本を10冊くらい読みましたので、彼の生い立ちをよく知っています。三歳で実のお父さんを亡くしましたが、その後、母親は二度結婚し、二度離婚しました。二人の継父はとても残忍であり、子どものヴァロットンを徹底的に虐待しました。彼が寝ているとき、バケツで冷水をかけられたときもありました。ほめられたことは一度もなく、ゴミのように扱われました。ですから、彼の中に、自分に価値のない、奴隷のようなものの考え方が育ってしまいました。それでも、男として生きることを訓練してくれた人が二人いました。一人は、おじいちゃんであり、一緒にトラクターに乗せて農作業をさせてくれました。もう一人はクリスチャンになったあと、母教会から遠く離れた修理工場で働いていた時です。前の教会では4歳上の男性が信じたばかりの彼を、世話をしてくれました。ところが、もう彼はそばにいません。「どうか、私を指導してくれる霊的な父を与えてください」と祈りました。するとイエス様の声があり、「そのジープの持ち主がお前の霊的な父だ」と言われました。まもなく、頭のはげた中年男性が、修理を終えたジープを引き取りに来ました。彼がジープに乗って去ろうとしたとき、ヴァロットン青年は「もう一生会えないのではないか」と思い、ドアミラーを掴んで、引き留めました。ヴァロットン青年は羊のような声で「私の霊的父になってくださいますか?」と尋ねました。すると、彼は「ああ、良いよ」と言ってくれました。それから、40年、彼はずっとヴァロットン師を指導して、現在は80歳後半になりました。今では、逆に自分が彼の面倒を見るようになったそうです。クリス・ヴァロットン師は父親が不在だったので、一人前の男性になることができませんでした。しかし、おじいちゃんとジムという霊的な父のおかげで、足りないところを補ってもらいました。でも、ヴァロットン師の本を読むと、依然として弱さがあり、その弱さの中にイエスさまの恵みがあるように思えました。いつしか、先生の中に「父の心」が与えられ、青少年や神学校の生徒(2,000名)たちを指導できるようになったのです。現在、クリス・ヴァロットン師と息子のジェーソンが、『マラキの命令』と題して、男性と父親像の回復のために活動しています。 

 結論として言えることですが、男になるのは男としての性別で生まれたからではありません。ある時、「私は男である」と自覚し、男として生きることを決心したときからであるということです。きょうは男性向けのメッセージになってしまいましたが、父親不在が様々な問題を生み出していることを学びました。男が嫌いな姉妹方はいるでしょうか?不思議なことに、神さまも男性です、なぜなら「父なる神」だからです。イエス様も男性です。だから、男性を嫌いだと思わないでください。たとい世の男性が全部がまともでなくても、父なる神とイエス様だけは、大丈夫です。言い憎いことですが、最初、男性から女性が造られました。これは男性がかしらとして、責任があるという根拠です。アダムの脇腹からエバが造られたからです。でも、それ以降の人類、男性も女性もすべて、女性から生まれるようになりました。そういう意味で、神の前では男性も女性も平等なのです。でも、それぞれの機能と使命が違うということを理解する必要があります。マラキ書は「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる」と言いました。これはマラキが与えた命令でもあります。父の心をもって、家庭を回復するという使命を果たすことが急務になっています。そこで基準になるのが、聖書です。この世の倫理道徳は変わります。しかし、聖書のみことばは永遠に変わることはありません。すべてには基準が必要であり、基準から逸れると不幸になります。聖書が教える男性と女性、結婚と家庭に立ち返るべきです。