2026.1.1元旦礼拝「夢と幻 使徒2:17-21」

ペテロは「終わりの日に・・・青年は幻を見、老人は夢を見る」とヨエル書のみことばを引用して説教しました。「終わりの日」の「日」は複数形になっています。つまり、ペンテコステの日から、「終わりの日」がはじまり、キリストの再臨が最終的な「終わりの日」なのです。それまでは、「終わりの日」が続いており、私たちの時代も含まれています。つまり、預言や幻や夢があるということです。きょうは「夢と幻」について学びたいと思います。

1.夢と幻は啓示の1つ

 私は夢と幻については、あまり関心がありませんでした。神の啓示である聖書が主であり、夢や幻はあってもなくても良いと思っていたのです。おそらく、現代のキリスト教会、特に福音派は「預言や幻や夢は聖書が完成してから、そういうものはなくなった」と言うでしょう。ところが、2020年以降、洋書を翻訳していたとき、夢や幻に関する本がたくさんあることに驚きました。それまで、あまり関心がなかったのですが、聖書の中にたくさん記されており、現代もそれが有効であるということに気づきました。ベテル教会のビル・ジョンソン師は自分が見た夢をノートに記録しているということを知って驚きました。また、クリス・バロットン師は預言者ですが、ご自分が見た、たくさんの幻を本に書いています。私は慢性硬膜下出血の手術を二度受けました。二度目の退院の早朝、キーンという音とともに、ベッドのまま天に引き上げられました。光輝く裁判所のような大ホールを見ました。ガヤガヤと人の声がしており、私は「何人くらいいるのですか?」と聞きました。人は見えませんでしたが、「5000人くらいかな」という返事がありました。あとから、ロバート・ヘンダーソンが書いた、『天の法廷』シリーズを読みました。その本を読んで、私は「ああ、あれは天の法廷だったんだな」と分かりました。他にも幻を見ましたが、確かに終わりの時代には「幻」があると確信しました。夢はどうでしょう?私は夢には全く無関心でした。学校で靴がないとか、教室がとこか分からないというひどい夢ばかりでした。ところが、夢に集中するようになると、はっきりとした映像として残る夢を見るようになりました。

 聖書にもたくさん夢や幻の記述があります。あとで項目別に分けたいと思いますが、思いつくままざっとあげたいと思います。ヨセフは17才のとき、不思議な夢を見ました。彼はやがて、ファラオの夢を解き明かすことになり、奴隷から宰相になることができました。また、ヤコブは生まれた家を逃げ出し、荒野で石を枕にして眠りました。とのとき、天からはしごが降りてきて、天使が上り降りしている夢を見ました。ダニエルはバビロンの王様の夢を解き明かしました。また、ダニエルは世の終わりの幻を書いています。エゼキエル書は幻のオンパレードです。新約聖書にはいると、ヨセフが夢を見て、天使からマリアと結婚するように言われました。また、生まれてまもないイエス様をエジプトに連れて逃れるようにということを夢でお告げを受けました。ペテロは天から大きなシーツが降りて来て、その中に汚れた動物が入っている幻を見ました。パウロはマケドニア人がこちらに来てくださいと懇願する幻を見ました。ヨハネの黙示録は、預言と幻に満ちていています。使徒たちが召されて、教会教父の時代に入りますとどうでしょう。2世紀初頭にローマの教会に宛てられた啓発的な著作『ヘルマスの羊飼い』があります。物語は、著者が眠りにつく際に霊に導かれて体験する「睡眠の幻」から始まります。アレクサンドリアのクレメンスは、夢は霊的な現実であり、魂と神との交わりを明らかにすると主張しました。オリゲネスは夢を物理的な知覚ではなく、非物理的な世界の性質を明らかにする象徴の提示と見なしました。テルトゥリアヌスは夢の原因を分析し、悪魔、神、自分の魂、無意識と4つあると言いました。312年、コンスタンティヌスは、「あの十字架を旗印にすれば敵に勝つ」という夢を見ました。翌日、太陽に輝く十字架を見て勝利を確信しました。アウグスティヌスとヒエロニムスは、夢と幻が、神が人間に啓示を与える方法の一つであると教えました。中世末期、トマス・アクィナスは、夢や幻を否定しました。彼はアリストテレスの「夢には神聖な意味はない」という考えに従いました。ジョン・ウェスレーは、夢には理屈では説明できない価値があることに気づきました。彼は「神が時折、夢や夜の幻を通じて自身を現す」と言いました。現代において、心理学者たちが貢献しています。ユングは「夢は無意識の象徴的なコミュニケーションである」と言いました。話は戻りますが、夢や幻について書かれた本がたくさん出るようになりました。最も有名なのはモートン・ケルセイーの “God, Dreams, and Revelation”『神、夢、そして啓示』です。300ページぐらいある本でした。他に、ジョン・サンフォードが『夢、忘れさられた神の言葉』という本を書いています。バービー・ブレスヒトは、夢の解き明かしの本を何冊も書いています。

 少し、夢の方に傾きましたが、幻についての本もたくさんあります。クリス・バロットンもそうですが、歴代のリバイバリストたちのほとんどは、幻を見て、立ち上がりました。エレミヤもアーモンドの花を見て、預言者の召命を受けました。モーセも燃える柴から、天の御使いが語るという幻を見ました。ハバククは「幻を板の上に書き記して、確認せよ」と言われました。イザヤもそうですが、預言者のほとんどは、幻を見て神の召命に答えました。パウロもそうでしたが、幻でも見せられない限り、神さまのために立ち上がろうとしないのが普通です。周りの人たちは、「やめろ、気が狂ったのか」と言うでしょう。ところが、当の本人は、神からの幻を見たので、普通の生活に戻れなくなってしまうのです。すべての奉仕者が劇的な体験があるわけではないかもしれませんが、疑い深くて、頑固な人ほど、幻を見せられています。聖書にはたくさんの夢や幻があります。また、使徒たちの後の教会の歴史の中でも続いて起こりました。トマス・アクィナスは夢と幻の価値を認めませんでした。残念ですが、現代のキリスト教会も聖書の啓示は認めますが、夢と幻に対してはかなり消極的です。さらには「そういうものに頼ってはならない」と警告するでしょう。でも、ペテロがヨエル書を引用していることばは、霊感されたものです。使徒2:16-17「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』」アーメン。夢と幻は啓示の一つであり、無視することはできません。

2.夢と幻の意義

 第二は聖書から、著名な人物をあげながら夢と幻の意義について学びたいと思います。ヨセフは17才のとき、2つの夢を見ました。1つは11の麦の束が自分を拝むと言う夢です。もう一つは11の星、そして月と太陽が自分を拝むという夢です。これに対して、他の兄弟たちは妬みと怒りを燃やし、ヨセフを捕らえ、エジプトに奴隷として売り飛ばしました。ヨセフは神の祝福を受けて、主人からすべてのものを任されていました。ところが、主人の妻がヨセフを度々誘惑しました。ヨセフは神を恐れていたので、彼女から逃れました。しかし、あらぬ嫌疑をかけられて、牢獄にぶちこまれました。ヨセフは獄長から信頼を受けて、他の囚人たちを管理しました。ある時、ファラオの高官二人が獄に投げ込まれました。ヨセフは彼らの夢を解き明かしてあげました。一人は夢のとおり釈放されましたが、ヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。それから2年後、ファラオは不思議な夢を見ました。エジプト中の呪法師も魔術師たちも王の夢を解き明かすことができませんでした。そのとき、かの高官がヨセフのことを思い出しました。ヨセフは牢獄から連れて来られ、ファラオの夢を解き明かしました。夢の解き明かしは、今後7年は大豊作が続き、その後、それらを飲み込むひどいききんが襲うということでした。ファラオはヨセフの神的な能力に関心し、彼を宰相にして、穀物の管理を任せました。これまでのヨセフの生活が、すべてを管理する能力を与えたのです。そのことにより、エジプトばかりか、自分の家族や兄弟たちを救うことになりました。ヨセフの夢は、これから起こる危機的な状況を察知する、預言的な夢です。それに、備えるようにと、神さまが夢とその解き明かしを与えるということです。エイブラハム・リンカーンの話がその例です。暗殺される1週間前、リンカーンは夢を見ました。ホワイトハウスに自分の遺体が安置されているのを見たのです。言うまでもなく、リンカーンはかなりショックを受けました。彼は夢の重要性について何かを発見するために、聖書のページをめくってさまざまな箇所を研究し始めました。しかし、彼が撃たれた夜、彼はボディーガードなしで劇場に行くことを選んだのです。リンカーンが夢にもっと注意を払い、身を守る手段を講じていれば、アメリカの歴史は変わっていたかもしれません。

 二番目はヤコブであり、天からの梯子の夢です。ヤコブがこの夢を見たのは、エサウから逃れ、父の家を後にしたときでした。夢の中で彼は、天使たちが天へのはしごを上り下りするのを見ました。彼は、自分が眠っているこの場所は神の家に違いないと思い、この夢に感動して、自分の財産の10パーセントを神に捧げると約束しました。この夢は、動揺していたヤコブに、自分が神から遠く離れているわけではないことを告げ、神が彼とともにおられることを安心させました。ヤコブのもう一つの非常に印象的な経験は、夜、ヤボク川で天使と格闘したことです。ここでヤコブは神と対決し、傷を負いました。この時から彼はもはやヤコブではなく、イスラエルと呼ばれるようになりました。ヤコブの夢と幻は彼の人生をひっくり返すほどの事件でした。普通だったら、神から捨てられるようなひどい人物です。しかし、品性よりも信仰のある人を神は喜ばれるようです。私もヤコブのように神に仕える人としては問題があるかもしれません。口が悪く、がさつで、衝動的です。家内が私のことを一番、よく知っています。大川牧師からも教会が成長しないのは、そういうことだと暗に諭されています。私は洗礼を受けた日に躓きました。なぜなら、プレゼントの封筒の中に、献金袋が二つも入っていたからです。月定献金と会堂献金袋でした。洗礼準備会は受けていましたが、献金のことは伝えられていませんでした。近所の店から、ビールの大びん二本買ってきて、飲みました。一本飲んだ後、眠くなり、畳の上に大の字になって寝ました。突然、足元から津波が襲ってきて、雷のような轟が聞こえてきました。全身震えが止まらず、私は畳の上に平伏しました。そして、「お言葉をください」と言いました。その日の、礼拝メッセージが「お言葉をください」だったからです。私はその幻を通して、神を恐れるということを学びました。私はヤコブのように砕かれ、信仰の道を真っすぐ歩むようになったのです。

 第三番目はダニエルでしょう。彼は若い時、エルサレムから捕囚として連れてこられました。あるとき、バビロンの王、ネブカドネツァアルが不思議な夢を見ました。無慈悲にも、王は、自分が見た夢とその意味を示せと命じました。呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼んで、自分の夢の意味を告げるように命じました。彼らは「無理です。神々以外に、それを示す人はありません」と言いました。王は大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じました。そのとき、ダニエルと三人の同僚が、天の神にあわれみを乞いました。その後、ダニエルは王の前に出て、王が見た夢とその解き明かしをしました。その夢は今後、世界を支配する国々の夢でした。王はダニエルが拝んでいる神を認め、彼を高い位に就けました。その後、ダニエルはベルシャツァル王が見た幻の意味を解き明かしてあげました。王「はダニエルの上に神々の霊が宿り、才気と聡明さとすぐれた知恵があると分かった」と告げ、彼に高い位をあげました。ダニエル書の後半には、終末の出来事は、黙示のように書かれています。彼が見た幻と預言は、ヨハネ黙示録と一致しています。ダニエルの夢とその解き明かしの意義は何でしょう?ダニエルはバビロンに捕囚として連れて来られ、宦官として王宮に仕えました。しかし、彼の上には神の霊が宿り、だれも解き明かすことのできない夢を解き明かしました。そのため、バビロンの王は彼が拝む神が神々の神であることを認めました。ダニエルは4人の王に仕え、敵国の中にありながら、最も高い地位を与えられました。夢とその解き明かしは、学歴や知性や能力よりも勝るということです。

 私が座間キリスト教会にいたころ、沖縄で牧会しておられた松森牧師に会ったことがあります。ホーリネスのリバイバルを体験した先生であり、「私は夢を解き明かす能力がある」とおっしゃっていました。半分、信じられませんでしたが、政治や経済界の人たちの助言者であったということです。おそらく、彼らの夢を解き明かすことによって、彼らに行くべき道を示したのだと思います。まるで、旧約聖書のヨセフやダニエルのようです。

第四番目は新約聖書のヨセフでしょう。彼のことは、マタイ福音書に書かれています。ヨセフはマリアがみごもったことを知り、密かに離縁しようと思っていました。その時、主の使いが夢に現れて「マリアを妻として迎えなさい」と、言いました。イエス様が生まれた直後、主の使いがヨセフに現れて「幼子とその母を連れてエジプトに逃げなさい」と告げました。ヘロデが死ぬと、再び、主の使いが夢に現れ、「幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい」と告げました。ヨセフは主の御使いの命令にことごとく従いました。どうして、主の使いは夢の中でしか、現れなかったのでしょう?これは今日の私たちにとっても同じかもしれません。私たちは日中、目に見える世界や人々に支配されています。自分の考えやこの世の情報に動かされて生活しています。ですから、主の語り掛けや幻を見ることができません。ところが、人が眠ると、理性がストップし、意識も低下します。脳は働いているのですが、意識という門番がいない状態です。すると、夢を通して主が語り掛けやすいということなのでしょう。おそらく、御使いも登場しやすいのかもしれません。ルカによる福音書1章には、ザカリヤのことが記されています。彼はヨセフやマリアと違って、疑り深い人でした。彼は神殿で奉仕していると、主の使いが幻のうちに現れました。「あなたの妻、エリザベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい」と命じました。ところが、ザカリヤは「どうしてそんなことが起こりるのでしょう?私も妻も年をとっていますし」と疑いました。彼はその時から、子どもが生まれるまで、口がきけなくなりました。彼がもし、口をきいていたら、その出来事を人に言いふらしてしまうでしょう。それは彼にとっては呪いであり、同時に恵みであったのです。このように、幻を見て、素直に従う人と疑う人がいるということです。

箴言に「幻のない民は滅びる」と書かれています。しかし、それは欽定訳を訳したものです。箴言29:18欽定訳Where there is no vision, the people perish. 日本語聖書と合わせ、この幻がないならば、「民はほしいままにふるまう」。つまり自分勝手に、自分のしたいことをめいめいが行ってしまうのです。多くの場合、幻をビジョンというふうに言い換えます。しかし、両者には微妙な違いがあります。ビジョンは将来への展望や目標、理想というふうなニュアンスがあります。私もセルチャーチをはじめたころ、練馬教会の小笠原牧師から「ビジョンを持たなければならない」とさんざん言われました。小笠原牧師はゼカリヤ書から「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とメッセージされました。しかし、小笠原牧師が力説しているわりには、ビジョンがピンときませんでした。当時、教会成長が流行っており、ビジョン、ビジョンと良く言われました。でも、それは企業で良く使われることばではなかったかと思います。聖書で言うビジョンは、幻であり、神さまから一方的的に与えられるものです。こっちが野望を抱いて、「神さま、なんとかビジョンをください」と願うものでもありません。もちろん、飢え渇きが必要ですが、幻は神さまの方から一方的にやってくるものです。力んで求めると、人間的になり、作為的になってしまいます。神の霊、聖霊からくるのが本当の幻であると思います。

第五番目はペテロとパウロです。彼らは使徒であり、聖書を書いた、信頼に値する人たちでもあります。ペテロは使徒の働き10章で、夢心地になって天からの幻を見ました。夢心地というのは、ギリシャ語ではe;kstasijであり、エクスタシー(恍惚状態)の語源となった単語です。欽定訳はtranceとなっており、通常は、驚愕、混乱、または極度の恐怖の感覚を伴います。ペテロは大きな布の中に、いろんな動物が入っているのを見ました。主が「それらを食べなさい」と言いましたが、ペテロはきよくない物や汚れた物を食べたことがありません」と断りました。しかし、その幻が3回あり、それは「異邦人コルネリウスと会いなさい」というメッセージでした。これを境に、ペテロはローマ人にも福音を伝えることになりました。パウロも幻を見ました。使徒の働き16章にありますが、小アジアで福音を語ることを聖霊によって禁じられました。パウロは夜、幻のうちに一人のマケドニア人が立ちました。「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのでした。パウロはこの幻を見て、マケドニアに渡る決心をしました。パウロによって初めてヨーロッパに福音が伝えられる契機となりました。ペテロとパウロの例から、幻はある重要なことを決断させるための神の方法であるということです。逆に言うと、幻でも見させられない限り、人は常識や慣習に囚われて、新しいことに挑戦しないということです。 

モートンケルシーは『夢、神に聞く1つの方法』でこう結論しています。1.神は常に存在する。物理的な世界だけでなく、霊的な世界にも存在し、それは夢や幻を通して絶えず私たちの意識に侵入してくる。2.神は、それに心を開く者に指示を与える。3.私たちはこの霊的世界と直接向き合い、体験することができる。4.神は、私たちが耳を傾けるよりも、私たちとコミュニケーションをとることをずっと望んでおられる。

キリスト教会は、聖書は最も確かで重要な神からの啓示であることを認めます。ところが、現代の教会は、その聖書に言われている、夢や幻による語り掛けを否定しています。その悲しい答えは、過去300年のキリスト教哲学が、神と私たちが接触することのできる事実を見落としてきたからです。現代においても、夢や幻を通して、発明や発見を見出している例はたくさんあります。ケクレという化学者は、有機結合がどのように起こるか考えていました。ある日、彼は南フランスをバスで旅していました。半分眠りながら、目の前に6匹の蛇がいました。それぞれが別のヘビの尻尾を持ち、輪を作っていました。この幻から、亀の甲羅のような「ベンゼン環の基本理論」が生まれたのです。ミシンの開発をしていたエリアス・ハウは、針の穴の位置をどこにすべきか頭を悩ませていました。悩みに悩んで3年が経ち、ある日ハウは疲れて眠り、夢を見ました。その夢は槍を持った野蛮な人たちから追い掛けられて刺されてしまうものでした。その連中が上下に激しく振っていた槍の先には穴が開いていました。ここで目が覚めたハウ氏は早速針の穴を夢に出てきた槍の穴のイメージと合わせて設計し、新たな形のミシンが発明されました。私たちは天地を作られたまことの神と聖霊によって交わることができます。私たちは聖書を通して神の語り掛けを聞くことができます。しかし、決定的なことのために、夢や幻、天使の来訪によって、神からのメッセージを聞くこともあるのです。神からの夢と幻が与えられますように。