2025.12.28「健全な目を持つ マタイ6:22-23」

マタイ6:22,23「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。」目は、ものの見方であり、目が悪ければ生活全体も暗くなるということです。きょうは三種類の目、マインド、ハート、霊の目について学びたいと思います。

1.マインドの目

 マインドとは知性のことです。マインドの目が暗いとは、無知や偏見があるということです。

心、マインドの目がが、くもっていたり、ゆがんでいると、生活が乏しくなります。文明前の人類は、ジンクスを信じ暗闇の中に生きていました。自然の猛威にさらされて生きていました。伝染病で早死をしていました。知性の父は、ギリシャのアリストテレスでしょう。彼はイディアを主張し、それが今のアイディアになっています。18世紀、産業革命が起こりましたが、それはキリスト教のおかげです。仏教やイスラム教からはそういうものは起こりませんでした。産業革命は内燃機関の発明であり、爆発的に生産が伸びました。学者たちは、「サイバネティックが産業発展の基礎になっている」と言います。やがて、コンピーターやロボットが作られるようになりました。化石燃料に替わる原子力が生まれました。ところが、戦争のため原子爆弾が作られ、広島と長崎に落とされました。科学万能と言われましたが、世界は核の脅威にさらされています。また、AIが重宝されていますが、「獣が口を利く」という黙示録の世界に向かっています。

 マインドは知性、IQとも言えます。 Intelligence Quotientは個人の知的能力を数値化したものです。産業革命と当時に、学校教育の義務化が叫ばれました。それまでは家庭教師から学びました。日本でも江戸時代から明治にかけて、文明文化が飛躍しました。西洋にならって義務教育化が進められました。今、知識偏重の時代になっていますが、どうして5教科が大切なのかご存じでしょうか?理由は、産業革命で工場での多数の労働者が急務となりました。それで、すぐ働けるように、学校で5教科を教えたのであります。そこにはダンスの科目はありませんでした。工場ではダンスが不要だからです。しかし、テレビを見ると歌よりもダンスが目立ちます。いいのか、悪いのか分かりませんが、学校の知識だけでは無理なのかもしれません。しかし、学校教育は文明社会で生きるために必要とされていることは確かです。しかし、人は知識を増すと高慢になり、バベルの塔を築いてしまいます。原子力やAIはまさしくそうであり、人類を滅ぼしてしまうかもしれません。本当のIQを得るために、私たちは、知識や知恵はどこから来るのか、知る必要があります。箴言には「主を恐れることは知識の初めである」と書かれています。よく考えてみると、発明や発見がどうしてあるのでしょうか?それは、創造主なる神が、一定の法則を与えて、この世界を造られたからです。私たちは神さまが造られた法則を発見しているのに過ぎないのです。私たちはへりくだって、神を恐れつつ、神のことば聖書から学んでいくしかありません、真理は神さまからやってくるからです。

 聖書でマインドのことを語っている有名な聖句があります。ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」パウロが言う「心」とは、マインドであり、知性とか思いのことです、ローマ12章は信仰者の適用の部分です。12章の前に何が書いてあったのでしょうか?ローマ3章では、罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて義とされることが書かれています。ローマ6章では、古い人がキリストとともに十字架につけられ、新しい人になったことが書かれています。ローマ8章には律法から解放され聖霊によって歩むことが書かれています。そして、ローマ12章では、「マインドを新たにしなさい」と言われています。つまり、クリスチャンは罪赦されて、霊的に変わっただけでは不十分だということです。私たちのマインド、思いが新しく変えられる必要があるのです。なぜなら、私たちはこの世と調子を合わせ生きる傾向があるからです。J.B.フリップスは「この世の鋳型にはめられるな」と訳しています。「自分を変えていただく」とは、メタモルフォ―であり、蝶々が青虫から蝶に変わることを意味しています。そうです。私たちはマインドを新しく変えていただく必要があるのです。

 私たちは聖霊によって、霊的に生まれ変わった存在です。さらには、聖書を読みつつ、この世の価値観を入れ替える必要があります。私たちは受けてきた学校教育は神がいない、進化論を学んできました。戦争を容認するような弱肉強食を学んできたのです。創造主なる神を信じ、一人ひとりに固有の価値があることを知る必要があります。また、イエス・キリストは道であり、真理、いのちです。真理に従えば力があります。このお方に従えば、運命に翻弄されることはありません。むしろ、神さまが与えた運命を全うし、意味のある生き方ができるのです。私は長女と長兄が、非常に頭が良くて、両親がよく自慢していました。どういう訳か、下の兄弟たちは勉強ができませんでした。私は負けず嫌いで、知能指数が低いわりには人一倍努力してきました。どういう訳かテストや作文や図画は時間内にできませんでした。なぜなら、頭の中に混乱があったからです。たとえて言うとアクセルとブレーキを両方踏んでいる状態でした。ところがクリスチャンになり、心も頭も癒されました。それまで分裂し、戦っていた自分が一つになったのです。融合というか、統合したのです。統合は英語でintegrationと言います。学校では微分積分がさっぱり分かりませんでしたが、聖霊によってマインドがintegrate(統合)されたのです。私はそれまで混乱していましたが、とても集中力が付きました。考えがまとまっているので、説教も3年分近くできています。

 ユダヤ人はとても頭が良くて、金持ちで有名です。彼らは神を恐れ、律法を学んでいるからでしょう。私たちも創造主を覚え、真理に従うなら力があります。真理の御霊が私たちに教えてくださいます。私たちはこの世のIQとは違う、知性を超えた信仰が与えられています。不可能を可能にするキリストの信仰が与えられていることを感謝します。

2.ハートの目

 ハートの目とは、感情の目です。多くの人は感情の目が傷ついて、生きづらい生活を余儀なくされています。ハートの目が傷ついていると、何でも否定的に見えてしまいます。ちょっとしたことで感情的になり怒ってしまいます。人と協力することができず、孤立してしまいます。怒りや憤りは病気の原因になると医学でも言われています。一方、心の豊かな人は、親切で、思いやりがあり、協調性があり、寛容です。少し前から、EQということが言われています。EQとは、Emotional Quotient は自分や他人の感情を理解し、管理し、活用する能力を指すそうであります。私はこのように語っていますが、人格的には問題があるように思われているかもしれません。心の傷ついているは、忠告で言われたことが、非難として捉えてしまいます。ちょっとしたことで、かっとなり、恨みを抱いて生きてしまいます。多くの人は、人間関係で苦しんでいるのではないでしょうか?不登校になり、ひきこもる子どももいます。会社に出勤できず、心療内科に通っている人もいます。IQだけではダメで、EQの必要性が高まっているのではないかと思います。

 感情、心の問題を最初に扱った人は、フロイトではないかと思います。彼は心理学の父と言えるでしょう。フロイトが最初に取り組んだのはヒステリーの問題でした。なぜ、ヒステリーになるのか考えたのです。それから、性的欲望が生命活動の根源的なエネルギーであると言いました。そして、最も有名なのは潜在意識の発見でしょう。彼から精神分析によるカウンセリングが行われ、それがだんだん発展していきました。現代では、心の病気に対して国際的な基準が設けられています。前は60位でしたが、現在は100位になっているかもしれません。彼らは病名はつけられますが、治療法はなかなか進んでいません。薬で散らし、自然治癒を待つしかないのです。私も昔だったら、注意欠如・多動症か、パーソナリティ障害に入っていたでしょう。しかし、私は個性として認めています。落ち着きがなく、しゃべり過ぎというのはまだ残っています。でも、神さまは私を説教者にしてくださいました。ハレルヤ!

 キリスト教会は心の問題をあまり扱ってきませんでした。心理学者が幅をきかせ、世の人たちも彼らの考えに賛同してきました。しかし、心理学者のほとんどは無神論者です。心理の存在は認めていますが、霊の存在は認めていません、アメリカで学んだ心理学者たちは、魂であるsoulをspiritと混同しています。私たちはパウロが言うように、肉体、魂、霊の3つからなっていることを知る必要があります。魂の中に、知性、感情、意志があるのです。では、聖書で魂のことを全く語っていないかというとそうではありません。聖書は感情や人格的なこともちゃんと教えています。まず、私たちが信じている神さまはどうでしょうか?神さまの属性というのがありますが、神さまは聖であり、愛であり、善なるお方です。聖とはヘブル語でカーディシュ、「隔絶された」と言う意味です。隔絶されたお方が、へりくだった者たちと交わってくださるとイザヤ書に書いてあります。また、愛はギリシャ語でアガペーであり、無条件の愛です。この愛は、神さましか持っていません。しかし、神は聖霊によってアガペーの愛を注いでくださいます。善は英語でgoodnessです。福音書にありますが、青年役員がイエス様に「良い先生」と言って近づきました。イエス様は「良い方は神おひとりのほか、だれもいません」(マルコ10:18)と言われました。そうです。父なる神は、良いお方、善なるお方なのです。まとめて言いますと、神さまは聖なるお方、愛なるお方、そして善なるお方です。ビル・ジョンソンは「人は礼拝している神と似た者になる」と言いました。偶像礼拝をしている人は、その偶像と同じようになります。もし、私たちが聖で、愛で、善なるお方を礼拝するならどうでしょう?神さまが持っておられる、聖と愛と善が与えられるのではないでしょうか?パウロはⅡコリント3章で「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます」と言ったとおりです。

 しかし、私たちにはこれまで生きて来たときに受けた心の傷があります。心の傷が癒されないと過剰反応を繰り返して生きるしかありません。エリアハウスで学びましたが、その最も大きな原因は両親との関係が原因していると教えられました。箴言20:20「自分の父や母をののしる者、そのともしびは、闇が近づくと消える」とあります。イエス様が「からだのともしび」と言いました。私たちはかつて、アダムの子孫だったので、両親のことを正しくとらえていませんでした。怒ったり、のろったり、さばいたりしていました。それが、大きくなるとと何倍にもなって帰ってきます。人間関係に支障をきたしていまいます。エリアハウスで学びましたが、自分の罪を悔い改め、両親を赦すのです。そして、新しい心をいただくなら癒されます。また、学校や会社でもたくさんの傷を受けました。辱めや虐待も受けたでしょう。どうしても赦せないので、怨念晴らしの世界で生きてしまいます。イザヤ書53章はイエス様のことを預言しています。「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった」。イエス様ほど、いやな目を合わされたお方はいません。そのイエス様が私たちに同情し、私たちの痛みや苦しみを担ってくださいました。だから、私たちを傷つけた人たちを赦すことができます。赦すことが最も大きな心の癒しになります。

 コロサイ3章では、古い人を脱ぎ捨て、新しい衣服を着なさいと言われています。私たちは救われていても、ありのままでは生きていけません。アダムとエバは裸でしたが、神の栄光が彼らを覆っていました。私たちは天国に行くまで、神さまがくださる新しい衣服を着なければなりません。みなさんもここに来られましたが、寝間着のまま来た人はいません。顔にも仮面(ペルソナ)をかぶってきたのではないでしょうか?家庭では素顔でも、会社での仮面、教会での仮面があります。私たちは、人の間ではありのままでは生きていけないのです。コロサイ3:13「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。」神さまは私たちの人格に、このようなキリストの品性を着させてくださいます。このように神さまを礼拝していると、神さまの聖さ、神さまの愛、神さまの善が私たちに自然と与えられているのです。私たちはだんだんと、キリストと似た者になるのです。

3.霊の目

 福音派の教会では、よく「霊性が大事だ」と言います。それは、ヘンリー・ナウエンの影響をうけた人たちが言う「日常生活における霊的な生活」です。しかし、私が言いたいのは、パウロが言う啓示の世界を理解することです。エペソ1:17-18「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか・・・知ることができますように」とあります。パウロの願いは、霊の目が開かれて、神さまからの啓示が分かるようにということです。今まで、IQ,EQについてお話ししましたが、第三番目はSQであります。SQは、Spiritual Quotientです。啓示は英語でrevelation と言い、ベールがはがされるという意味です。私たちは神さまの方から、開いてくれなければ、分からない真理がたくさんあります。申命記29:29「隠されていることは、私たちの神、【主】のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」とあります。父なる神は、私たち子供に、ご自身が隠しておられることを教えたいのです。でも、それは私たちが求めないと開かれません。箴言25:2「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」とあるからです。パウロは「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか・・・知ることができますように」と願っています。これは、私たちの霊的な目が開かれるようにという願いです。

 しかし、霊だからと言って、どれもが神さまからのものではありません。モーセはエジプトの魔術師たちと戦いました。彼らも同じような奇跡をいくつか行いました。また、ジプシーたちは星占いやタロット占いをして、その人の未来をあてようとします。インドには数えきれない神々がいます。日本は精霊崇拝の国であり、ある人たちはパワースポットを巡り歩いています。サタンは神さまの真似をして、さまざまな奇跡を行います。霊は霊でも、悪霊からくるものもありますので、見極める必要があります。ヨハネは「イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です」(Ⅰヨハネ4:3)と言っています。そういう訳で、神からの霊を信頼し、神からの啓示を知る必要があります。旧約聖書では神さまは預言者を通して語りました。新約聖書では使徒たちをとおして語りました。それが現在では聖書にまとめられています。聖霊は真理の御霊として遣わされており、私たちが聖書を読むとき理解させてくださいます。保守的な教会は聖書が完成してから、夢や幻は不要になったと言います。そうではありません。神さまは必要であれば、夢や幻を通しても語られます。使徒2:17「終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る」とあるからです。パウロは幻を見て、マケドニアに渡りました。ペテロは夢心地になって、天から風呂敷につつまれた動物を見て、それを食べろと言われました。それは、異邦人を受け入れるということでした。元旦礼拝では「夢と幻」について語りますので、ご期待ください。

 ちょっとだけ紹介させていただきます。ケクレという化学者は、有機結合がどのように起こるか考えていました。ある日、彼は南フランスをバスで旅していました。半分眠りながら、目の前に6匹の蛇がいました。それぞれが別のヘビの尻尾を持ち、輪を作っていました。この幻から、ケクレのベンゼン環の基本理論が生まれました。あの亀のこうらみたいな、分子構造です。もう一つは、ミシンの針です。ミシンの開発をしていたエリアス・ハウは、針の穴の位置をどこにすべきか頭を悩ませていました。悩みに悩んで3年が経ち、ある日ハウ氏は疲れて眠り、夢を見ました。その夢は槍を持った野蛮な人たちから追い掛けられて刺されてしまうものでした。その連中が上下に激しく振っていた槍の先は穴が開いていました。ここで目が覚めたハウ氏は早速針の穴を夢に出てきた槍の穴のイメージと合わせて設計が進み、この新たな形のミシンは特許を取ったということです。箴言に「幻のない民は滅びる」と書かれています。現在も夢、幻、そして啓示は私たちを生かすためにあるのです。

ヨハネ9章には生まれつき盲人の癒しが記されています。彼は生まれた時から、肉体的に盲目でした。しかし、イエス様から目に泥を塗られ、シロアムの池で洗うと目が見えるようになりました。彼はパリサイ人たちから「お前は、あの人についてどう思うか」と聞かれました。彼は「あの方は預言者です」と答えました。おそらく、彼はマインド(知性)の目が開かれたのだと思います。さらに追及されると彼は「あの方が罪人かどうか私は知りません。一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えると言うことです」と証しました。このことばは、アメイジング・グレイスにも出てくることばです。恥や外聞を捨てて、自分の証をするというのは、ハート(感情)の目が開かれたからではないでしょうか?クリスチャンでも自分の過去のことを言えない人がいますが、感情が癒されていないからではないでしょうか?その後、彼は会堂の外に追い出されてしまいました。その後、イエス様が彼に出会って「あなたは人の子を信じますか」と尋ねました。彼は「主よ、信じます」と言って、イエス様を礼拝しました。これは彼の霊の目が開かれたという証拠です。誰でも、聖霊によらなければ、イエスを主と告白できないからです(Ⅰコリント12:3)。パリサイ人や律法学者たちは、目の前にメシアがいるのに、分かりませんでした。イエス様は「『見える』と言っているあなたがたの罪は残る」と言われました。

霊の目が閉ざされている人は、困難に満ちた現実にうちのめされて、希望を見いだすことができません。ところが、霊の目が開かれると、現実がどうであるか関係なく、一筋の光が雲間から見えてくるのです。パウロの祈りを聞いてください。ローマ15:13「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」私たちの神様は希望の神様です。希望の神さまが聖霊の力によって私たちを希望にあふれさせてくださるのです。医学的に困難な病気の癒し、多大な負債の返却、壊れた家族の回復、破れた夢をもう一度抱くこと…これらはすべて希望の神様から来るものです。