亀有教会副牧師 毛利佐保
◆聖書箇所: エレミヤ書42章-43章(聖書引用:新改訳2017)
- 本日の中心聖句
<エレミヤ42:4-6 >
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42:4
そこで、預言者エレミヤは彼らに言った。「承知しました。見よ。私は、あなたがたのことばのとおり、あなたがたの神、主に祈り、主があなたがたにお答えになることはみな、あなたがたに告げましょう。あなたがたには何事も隠しません。」
42:5
彼らはエレミヤに言った。「主が、私たちの間で真実で確かな証人であられますように。私たちは必ず、あなたの神、主が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います。
42:6
それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。
私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」
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前回は41章-42章にかけてお話しました。
南ユダ王国がバビロニア王国によって滅ぼされ、南ユダの民たちは、バビロンに捕囚されましたが、一部の指導者と民はユダの地に残されました。
主の約束の通り、バビロンに捕囚された民たちには安全が保障されましたが、南ユダに残された指導者や民たちには過酷な未来が待っていました。
総督ゲダルヤ(ユダヤ人)は、バビロンの王によって、残された民の統治を任命されました。
彼は、民からの信望も厚く、優れた指導者でした。
預言者エレミヤはバビロンの親衛隊長から、「どこにでも行きなさい」と自由が与えられましたので、バビロンには行かず、総督ゲダルヤが統治するミツパに行って住んでいました。
そこで総督ゲダルヤの事件が起こりました。
総督ゲダルヤは、王の一族ではなかったので、王族のイシュマエルに妬まれて暗殺されてしまいました。
イシュマエルは、アモン人の王バアリスと組んでいました。
イシュマエルはゲダルヤと共にミツパにいたユダヤ人をすべて殺し、カルデヤ人(バビロンの民)も殺し、ゲダルヤが殺されたことを知らずに訪問してきた人々も殺し、残った民を人質にして、アモン人の地に行こうとしました。
アモン人の地とは、ユダ王国から見て、ヨルダン川を挟んだ東、今のヨルダンにある地域です。
ヨルダンの首都はアンマンなので、アモン人と関係のある地であることがわかります。
王族であったイシュマエルは、自分がユダ王国を立て直すとか考えたわけではなく、ただただ邪魔者を消して、財産を奪って、人質を取って、アモン人の王のところに、逃げようとしました。
◆揺れ動くユダの民
① 主を信頼できなかった
今日は、エレミヤの42章-43章を読んで、教訓にするだけではなく、少し違った視点から聖書の神様を見ていきたいと思います。
まず、あらすじを追っていきましょう。
41章の終わりには、殺された総督ゲダルヤの協力者であった、カレアハの子ヨハナンが、逃亡するイシュマエルからすべて取り戻し、イシュマエルは8人の者とともに、アモン人の地へ逃げたと記されています。
そして、イシュマエルを追い詰めたヨハナンたちには、また別の恐れがありました。
<エレミヤ41:16-18 >
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41:16
ネタンヤの子イシュマエルがアヒカムの子ゲダルヤを打ち殺した後、カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての高官たちは、ネタンヤの子イシュマエルから取り返したすべての残りの民、すなわちギブオンから連れ帰った勇士たち、戦士たち、女たち、子どもたち、および宦官たちを連れて、ミツパから
41:17
エジプトに行こうとして、ベツレヘムの傍らにあるゲルテ・キムハムへ行き、そこにとどまった。
41:18
バビロンの王がこの地の総督としたアヒカムの子ゲダルヤを、ネタンヤの子イシュマエルが打ち殺したため、カルデア人を恐れたからである。
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考えてみれば、総督ゲダルヤを殺したのは、イシュマエルです。
カレアハの子ヨハナンたちは、そのイシュマエルをユダの地から追い出したのだから、エジプトに逃げなくても良かったのかもしれません。
しかし、彼らは、とにかくバビロン(カルデア人)の報復が恐ろしかったのです。
彼らは、預言者エレミヤに「自分たちはどこに行けばよいのでしょうか?」と尋ねました。
<エレミヤ42:5-6 >
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42:5
彼らはエレミヤに言った。「主が、私たちの間で真実で確かな証人であられますように。私たちは必ず、あなたの神、主が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います。
42:6
それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」
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10日の後、エレミヤに主のことばがありました。
それは、バビロンの王を恐れるな。この国に留まっていれば、「わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出すからだ。」
また、「エジプトに行ってはならない。そこに寄留しようとした者は、剣と飢饉と疫病で死に、生き残る者はいない。」という御言葉でした。
ところが、カレアハの子ヨハナンたちはこう答えました。
<エレミヤ43:1-3 >
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43:1
エレミヤが民全体に、彼らの神、主のことばを語り終えたときのこと。彼らの神、主はこのすべてのことばをもって、エレミヤを彼らに遣わされたのであるが、
43:2
ホシャヤの子アザルヤ、カレアハの子ヨハナン、および高ぶった人たちはみな、エレミヤにこう告げた。「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行ってそこに寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。
43:3
ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデア人の手に渡して、私たちを死なせるか、あるいは、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」
43:4
カレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちと、民のすべては、「ユダの地にとどまれ」という主の御声に聞き従わなかった。
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えー!?確か、
「それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。(42:6)」
と、言いましたよね?嘘つきー!と、思ってしまいますよね。
なぜ、こういうことが起こるのでしょうか。
容易に想像できるのは、以下の理由でしょうか。
①恐れが信仰を上回った。
バビロンという強い国への恐怖、繰り返し迫る身の危険に、毎日恐れおののいていた。
②エジプト亡命を先に自分たちで決めていた。
神には、それを後押ししてもらいたかっただけ。彼らは自分の望む答えだけを求めていた。
毎日平和に暮らしている私たちが、この箇所を読むと、「どうして主の御声に従えなかったのかな。」
「エレミヤがこれほどはっきり主のことばを語っているのに・・・」と、簡単に思ってしまいます。
しかし、ユダの民たちの置かれた状況を考えると、「とても正気ではいられないだろう」と想像できます。
- 彼らは長い間、バビロンの属国の民として暮らし、ついには国が滅んでしまいました。
- 同胞たちはバビロンに捕囚されてしまいました。
- ユダの地に残された民たちは、総督ゲダルヤのもとで暮らしを立て直そうと頑張りました。
- その総督ゲダルヤが、イシュマエルによって暗殺されてしまいました。
- 民たちはイシュマエルに略奪され、アモン人の地に連れて行かれそうになりました。
- カレアハの子ヨハナンが助けてくれたけれど、この先どうなるのか・・・。
残された民たちは、「とにかく安全なところで暮らしたい!」・・・の一心だったことでしょう。
もし私たちが同じような境遇に置かれたらどうでしょうか。
きっとユダの民と同じように、心が揺れ動いて正しい判断が出来なかったのではないでしょうか。
先ほど、「今日は、少し違った視点で聖書の神様を見ていきたいと思います。」と言いました。
神様の御言葉をもう一度じっくり見てみましょう。
◆揺れ動くユダの民
② 誤った決断をしがちな状態
ユダの民たちがエレミヤに言った、「それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。」の言葉は、強い信仰からではなく、疲れ切っていた心から出た言葉でした。
将来がまったく見えず、どこに行けば安全なのか、もう何を信じていいのか分からない。
不安と恐れで、正直もう心はズタズタで全く余裕がありませんでした。
主は、そのように追い込まれた民たちを憐み、寄り添ってくださいました。
ここでの主は、怒りをもって語られてはいません、
静かに、しかしはっきりとした言葉で、民たちを憐み、励まし、元気づけてくださっています。
<エレミヤ42:10-11 >
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42:10
『もし、あなたがたがこの地にとどまるのであれば、わたしはあなたがたを建て直して、壊すことなく、あなたがたを植えて、引き抜くことはない。わたしは、あなたがたに下したあのわざわいを悔やんでいるからだ。
42:11
あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼を恐れるな──主のことば──。
わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出すからだ。
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主は、「わたしは、あなたがたに下したあのわざわいを悔やんでいるからだ。」
「悔やんでいる」とまで、語ってくださっています。
バビロンを恐れずにユダの地に留まるならば、「わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出す」と語ってくださる、この神の深い愛と憐みの心が、ユダの民たちに届かなかったのは、本当に残念です。
そして彼らはついに、エジプトに逃げるという、誤った決断を下してしまいました。
私たちにも同じように、主の静かな語りかけを聞き逃してしまうことがあるのではないでしょうか。
ここまで命の危険に迫られる状況ではないにしても、疲れ切って、心に余裕がない時があると思います。
主がすぐそばで寄り添って静かに語ってくださっているのに、気が付かないことがあると思います。
大切なのは、そういう時は、焦って決断をすべきではないということです。
なぜならユダの民のように、混乱して誤った決断をしてしまうからです。
決断は先延ばしにしてもいいのです。それよりも、まず、心と身体を休ませることが大事です。
「もう、キャパオーバー」「もう限界」と感じるならまだましです。
疲れすぎて“どこが限界か”も分からなくなってくると、ほんとにヤバい状態です。
人は、そういう時に、誤った判断をしがちです。
人生の方向転換は、心がガス欠のときにやってはいけません。まずは給油です。
<Ⅱコリント10:13>パウロはこう言いました。
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私たちは限度を超えて誇りません。神が私たちに割り当ててくださった限度の内で、あなたがたのところにまで行ったことについて、私たちは誇るのです。
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パウロは「自分の働きを大きく見せない。」「他人の畑に踏みこまない。」「背伸びせず、他人と比較しない。」
というスタンスです。
パウロはこうして、“主から与えられた限度内”で主に委ねて安心して福音伝道を実行しました。
つまり、私たちも主に与えられた限度内で働けば良いのです。
スマホでも、容量100ギガくらいの機種に、1テラ分のデータは入らないですよね。
もし、キャパを広げる必要があるのなら、神様がそうしてくださるのです。本質は主への信頼です。
そんなあなたに向けても、主は語っておられるはずです。
「わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出すからだ。」
旧約聖書に記されている主のことばは、厳しいものも多いですが、今日のエレミヤ42章は、ボロボロの民たちに、とても優しい言葉で語ってくださっています。
◆揺れ動くユダの民
③ 主の御手の中で深呼吸する
疲れ切ると、ユダの民たちのように、物事を俯瞰できなくなって、視野が狭くなります。
本でも、スマホでも、近すぎるとよく見えませんよね。まあ、老眼のせいでもありますが(笑)
こう、遠くにして見てみると、「おや?」と思うほど、違って見えるものです。
そんな時は、まず、主の御手の中で深呼吸しましょう。
あなたにとっての深呼吸の場所はどこでしょうか。
聖書を読む時でしょうか。祈りでしょうか。賛美でしょうか。人との会話とか交わりでしょうか。
私が担当している聖書の学び会で、最近ユダヤ教徒の「安息日」について学びました。
敬虔なユダヤ教徒は、旧約聖書に記されている通り、毎週安息日をもっています
金曜日の日没から、土曜日の日没までで、その間は、神や家族と交わる時間となります。
安息日には労働をしてはいけません。半径1キロ以上(2,000キュビト)の移動もダメです。
電気も自分でスイッチを押してはいけないし、火を使ってもいけません。当然スマホも禁止です。
あるユダヤ教の指導者(ラビ)の話によると、彼には毎日100件以上の連絡がスマホに来るそうですが、安息日の一日は、スマホから解放されて、神との交わりを深く持てると語っています。
まさに、安息の日ですね。
安息の日を作る。それも、主の御手の中で深呼吸するひとつの方法でしょう。
主との深い交わりがどれだけ、心の不安を取り除くか、ということについては、2010年にチリ北部の鉱山での落盤事故が良い例となります。
2010年、チリ北部の鉱山で落盤事故が起こり、33人の作業員が地下700メートルに閉じ込められました。
東京スカイツリーが、確か634メートルですので、それ以上の地下奥深くです。
光もなく、食料もほとんどなく、救助隊が到達できるかどうかも分からないという完全な絶望状態でした。
そこで、奇蹟の救出劇がありました。
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2010年8月22日、チリ北部のサンホセ鉱山での落盤事故で生存が絶望視されていた33人の作業員全員が、事故から17日、地下700メートルの避難所で生きている事が明らかになりました。
彼らは励まし合いながら事故から69日間生き抜き、33人全員が無事に救出されました。
リーダーとしての采配を振るったのは現場監督のルイス・ウルスア氏、当時54歳。
彼は次の3つのことを行いました。
①食糧の配分。
避難所に備蓄されていた食料は3日分のみ。それを長期戦に備え、33人で等分にし、1日おきに缶詰のツナを2サジ、クラッカーを半分、牛乳を半カップ、缶詰の桃1切れのみを食べるよう分配し、生存確認されるまでの17日間をしのぎました。
②限られた空間の有効活用。
40㎡(畳24畳)程の避難所と、人が移動出来る坑道約2キロの空間を、「寝る場所」、「食べる場所」、「その他必要な場所」と3つに分けました。
③ルールを設ける。
祈りの時間を持ったり、新たな落盤に備え交代で寝ずの番をしたり、飲料水を確保するための穴を掘るなど、33人に生きるための役割を与えることでパニックと絶望に陥ることを防ぎました。
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この事故ではあまりフォーカスされてはいませんが、この奇蹟は祈りによる主の奇蹟です。
チリは以前スペイン領でしたので、彼らのほとんどがカトリック信者でした。
33人の中にはカトリックの宗教的指導者、またプロテスタントの牧師もいたそうです。
彼らは祈りの場所を作り、毎晩聖書の学びや祈りの時間を設けて、作業員たちの心理支援や、精神的ケアを行いました。
リーダーのウルスアはそのとき仲間にこう言ったと記録されています。
「焦りは俺たちを殺す。まず、神の前で心を落ち着けよう。」
すると、極限状態にもかかわらず、全員が冷静さを保て、希望をもつことができたそうです。
ウルスアは、「状況の残酷さが、人の心を決めるのではない。ものの見方が、それを変える。目の前の状況は変わらない。でも、視点が変わると、心の中に少しスペースが生まれる。」と語りました。
彼らの視点を変えてくださったのは主であり、ウルスアの指導力、作業員の一致もすべて、主から来るものであったことが解ります。彼らは主の御手の中で深呼吸することができました。
私たちも、疲れている時こそ、冷静な判断が出来るように、まずは心と身体を休ませましょう。
私たちは弱いですが、神は強い御方です。
主の御手の中で、 あなたを掴み、あなたを離さず、あなたを守り、導き、支えてくださいます。
たとえ問題がすぐに消えなくても、あなたの心の中に“静かな力”を生み出してくださるのが主なる神です。
恐れは、ユダの民のように、混乱を招き、思考を停止させ、盲目にします。
だからこそ、主の御手の中で深呼吸をして、主の導きを知り、信頼して委ねていきましょう。