◆聖書箇所: エレミヤ書40章(聖書引用:新改訳2017)
亀有教会副牧師 毛利佐保
- 本日の中心聖句
<エレミヤ40:1-7 >
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40:1
主からエレミヤにあったことば。バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の間で鎖につながれていたエレミヤを、親衛隊の長ネブザルアダンがラマから釈放した後のことである。
40:2
親衛隊の長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神主は、この場所にこのわざわいを下すと語られた。
40:3
そして主はこれを下し、語ったとおりに行われた。あなたがたが主の前に罪ある者となり、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。
40:4
そこで今、見よ、私は今日、あなたの手にある鎖を解いて、あなたを釈放する。もし私とともにバビロンへ行くのがよいと思うなら、行きなさい。私があなたの世話をしよう。しかし、もし私と一緒にバビロンへ行くのが気に入らないなら、やめなさい。見なさい。全地はあなたの前に広がっている。あなたが行ってよいと思う、気に入ったところへ行きなさい。」
40:5
しかしエレミヤがまだ帰ろうとしないので、「では、バビロンの王がユダの町々を委ねた、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ帰り、彼とともに民のうちに住みなさい。でなければ、あなたが行くのによいと思うところへ、どこへでも行きなさい。」こうして親衛隊の長は、食糧と品物を与えて、彼を去らせた。
40:6
そこでエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのところに行って、彼とともに、その地に残された民の間に住んだ。
40:7
野にいた軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地の総督にして、バビロンに捕らえ移されなかった男、女、子どもたち、その地の貧しい民たちを彼に委ねたことを聞いた。
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いよいよエレミヤ書も40章、終盤に差し掛かってきました。
前回は39章から、「エルサレム陥落」について学びました。
「今も昔も相変わらず、人は主の御声に従わず、愚かな争いを繰り返していますが、平和を作るための思いが与えられたなら、神の御声を第一にして決断し、行動しましょう。」というお話をしました。
続く40章-44章はエレミヤの晩年が記されています。
エレミヤは、エルサレムが陥落した時に、バビロンに連れて行かれそうになりましたが、先ほど読んでいただいた箇所に出て来たように、バビロンの親衛隊長から、「どこにでも行きなさい」と自由が与えられました。
エレミヤはバビロンには行かず、総督ゲダルヤが統治するミツパに行って住みました。
そこで、「総督ゲダルヤの事件」が起こります。
「事件」というのは、ゲダルヤが「暗殺」されることです。
本当は今日の説教題を、「総督ゲダルヤの暗殺」にしたかったのですが、教会の表の掲示板に、「暗殺」とか書いていると、読んだ人が「物騒だなー」と嫌な気分になるかもしれないし、岩本さんに書いていただくのも申し訳ないので、「事件」にしました。
◆総督ゲダルヤの事件
① 人を信じすぎることの危うさ
現代社会に生きていると、「この人を信用していいのかどうか・・・。」と迷う時があります。
大きな決断の時は慎重になって、まず主に祈って、そしていろんな人に相談して結論を出すでしょう。
しかし、日常の小さなことなどは、よく確かめずに失敗することも多々ありますね。
たとえば日常ですが、ネットショッピングなどで騙されることっていっぱいありますよね。
私も数々の失敗を繰り返しています。いかにも効き目がありそうなダイエットの器具とか、TVタレントの巧みな話術にハマって、つい注文してしまって後悔したこととか・・・。
Amazonのレビューに、「最高です!」とかのコメントや、「星5つ」とか付いていたからと、迂闊にポチッと押して買ったショルダーバッグが、実際は、重くて、デカくて、おまけに変な臭いがして使えなかったり・・・。
あと、人の愛や善意につけこんだ、「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」なども悪質ですね。
人を信じる優しさは大切ですが、そこに知恵がなければ大きな被害に遭います。
総督ゲダルヤもまさに、「人を信じすぎて失敗した人」でした。
彼はバビロンに捕囚されなかった民や、なにも持たない貧しい民たちを統治するように、バビロンの王から任命されました。
任命はされましたが、彼はダビデの血を引く王族ではありませんでした。
彼は、代々ユダの王の側近として仕えていた家系の人です。
ゲダルヤの祖父にあたる、シャファンは、宗教改革を行ったヨシヤ王時代の書記で、『律法の書』が発見された時に、ヨシヤ王の前でそれを読み上げた人です。(Ⅱ列王記22:8-10)
ゲダルヤの父にあたる、アヒカムは、ヨシヤ王の息子、エホヤキム王に殺されそうになったエレミヤを助けました。(エレミヤ26:24)
彼は、ダビデの家系ではありませんでしたが、ユダの地を統治するにはふさわしい人物でした。
ミツパという場所を残留者たちの中心地とし、荒廃したユダの平和の維持に努めました。
ミツパは、エルサレムの北方12㎞ほどの所にあって、昔から政治的、宗教的に重要な町でした。
ゲダルヤは、バビロンに従いながらも、国家再建を目指して、みんなで働くようにと民に訴えました。
周辺諸国に散っていたユダヤ人も、ゲダルヤが統治していると聞いて戻ってきて協力しました。
このようにゲダルヤは、誠実で、民からの信頼もあつく、エレミヤを預言者として敬う、とても良い人でした。
しかし、事件は起こります。
<エレミヤ40:12-16>
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40:12
そこで、ユダヤ人はみな、散らされていたすべての場所からユダの地に帰って来て、ミツパのゲダルヤのもとに行き、非常に多くのぶどう酒と夏の果物を収穫した。
40:13
さて、野にいたカレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちは、ミツパのゲダルヤのもとに来て、
40:14
彼に言った。「あなたは、アンモン人の王バアリスがネタンヤの子イシュマエルを送って、あなたを打ち殺そうとしているのをご存じですか。」しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、彼らの言うことを信じなかった。
40:15
カレアハの子ヨハナンは、ミツパでひそかにゲダルヤに話して言った。「では、私が行って、ネタンヤの子イシュマエルを、だれにも分からないように打ち殺しましょう。どうして、彼があなたを打ち殺し、あなたのもとに集められた全ユダヤ人が散らされ、ユダの残りの者が滅びてよいでしょうか。」
40:16
しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、カレアハの子ヨハナンに言った。「そんなことをしてはならない。あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っているからだ。」
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ネタンヤの子イシュマエルというのは、ダビデの子孫で王族でした。
王族でもないゲダルヤが、ユダの地を統治して、民からも信頼されているのを見て、彼は妬んだのでしょう。
アンモン人の王バアリスと結託して、ゲダルヤを暗殺しようとしていたようです。
しかし、ゲダルヤは、ヨハナンの忠告を受け入れませんでした。そして・・・
<エレミヤ41:1-2>
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41:1
ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、王の高官と十人の部下とともに、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに来て、ミツパで食事をともにした。
41:2
ネタンヤの子イシュマエルと、彼とともにいた十人の部下は立ち上がって、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを剣で打ち殺した。イシュマエルは、バビロンの王がこの地の総督にした者を殺した。
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総督ゲダルヤは、王族のイシュマエルによって撃ち殺されました。
まさに、これからみんなでユダの地を立て直そうという時に・・・。物語で言えばまだ「序盤」です。
これは、よくアニメやドラマなどに出てくる、「正義感が強くて誠実で優しいリーダー的な人」が、信頼していた人の裏切りに遭って、物語の序盤に殺されるというパターンですね。
「進撃の巨人」のマルコとか、「鬼滅の刃」の煉獄さんとか、そんな感じですよね。
あ、煉獄さんは裏切りには遭ってないか。自分の信念で敵に立ち向かって死んだんですよね・・・。序盤に。
人を信じたいと思う心は尊いものではありますが、悲しいかな、とても危うさがあります。
特に責任のある立場の人、ゲダルヤのような立場の人、現代で言えば、国や社会や企業のリーダー、エンタメ、スポーツ、教育現場のリーダー、身近なところでは家族、友人、また、守るべき大切な人がいる人など。
そういった人たちが、簡単に人に騙されていては、守っている人たちが総崩れになります。
実際、総督ゲダルヤが暗殺された後、巡礼のためにミツパに集まっていたユダヤ人たちも殺されて、預言者エレミヤと書記バルクも巻き込まれて捕虜となりました。
ユダに残された民は、国の再建どころか、散り散りになって逃げ惑うことになりました。
ゲダルヤは、ヨハナンの忠告を受け入れて、イシュマエルを疑うべきでした。
ゲダルヤは、育ちが良すぎて人を疑うことができなかったのでしょうか?
それとも慢心から来る油断だったのでしょうか。
近くに預言者エレミヤがいたのだから、神の判断を仰げばよかったのではないでしょうか。
いずれにしても、ユダに地に残された民たちには、悲惨な結末が待っていました。
◆総督ゲダルヤの事件
② 蛇のように賢く、鳩のように素直に
主は、人を疑うことを禁じてはいません。
イエス様は、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えるために、12弟子たちをイスラエルの家々に遣わした時に、こう言われました。
<マタイ10:16-17>
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10:16
いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。
ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
10:17
人々には用心しなさい。
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以前の新改訳では、「蛇のようにさとく」と書かれていましたが、新改訳2017では、「賢く」に変更してますね。
このゲダルヤの事件から学べることは、どのような時も、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」のイエス様の教えを実践して生きるべき・・・ということではないでしょうか。
鳩のように素直に、信頼と純粋さを持つ事も大切ですが、悪意を持って近づいて来る人は、いつの時代にもいます。ですから、蛇のような知恵深さが必要になってくるのです。
私たちの日常生活でも、いろんな問題や、決断を迫られる場面があります。
- 人間関係(職場、学校、友人、他)の問題
- お金に関係する問題
- 各種契約などの問題
- ネットの情報(SNS)に関する問題
「信じる」「愛する」だけではなく、「人々には用心しなさい。」とイエス様は教えてくださっています。
何かを決断する時は、まず、主に祈りましょう。
そして、確信が得られなければ、信頼できる助け手に相談しましょう。
また、身近な人より、その道の専門家に尋ねる方が的確なアドバイスをもらえる場合もあります。
自分が守るべき大切な人たちを、また自分自身を危険から遠ざけるためにも、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」、物事を見極める目を持って歩みましょう。
◆総督ゲダルヤの事件
③ 報いてくださる神
では、ゲダルヤのような人は、「あーやっちまったねー。殺されちゃったねー。」で終わるのでしょうか。
彼は、確かに迂闊でしたが、神に対して罪を犯したわけではありません。
むしろ、代々ダビデの血筋の王に仕え、ヨシヤ王の宗教改革をサポートし、預言者エレミヤの預言を信じてエレミヤを助けて生きてきた家系です。
総督ゲダルヤは地上では悲劇の最期を遂げましたが、神がその後の彼をどのように扱われたかは、気になるところです。聖書から答えを頂きましょう。
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<マタイ5:10>
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
<黙示録22:12>
「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。
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ゲダルヤは、国のため、人々の平和のために忠実に仕えようとしていました。
イシュマエルを疑わなかったのも、「愛と信頼の心」からだったのかもしれません。
主は彼の心と行いを義と認められ、主の御もとで報いを受けるのではないでしょうか。
旧約聖書に出てくる預言者の最期についてですが、幸せな記述はすごく少ないです。
預言者エレミヤは最終的にはエジプトに連れて行かれました。
ユダヤの伝承によると、石打ちにされて死んだとされています。
預言者イザヤは、ユダヤの伝承によると、マナセ王に追われて木の中に隠れていたところを、マナセ王の命令でノコギリで真っ二つに引き裂かれて殺されたそうです。
新約聖書に出てくるペテロもパウロも、この地上では迫害を受け続け、ペテロの最期は十字架刑、しかも自ら「逆さ十字架」を望んで殉教したようです。
パウロの場合はローマ市民権を持っていたので、十字架刑ではなく剣による斬首刑で殉教したようです。
しかし、彼らには天での報い、希望がありました。
<へブル11:13,16>
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11:13
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
11:16
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
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では、この地上は試練だらけで、生きている間は我慢ばかりで、報われることはないのでしょうか。
いえ、そんなことはありません。
主は忠実なしもべを、この地上でも報いてくださろうとしています。
ヨブは試練を受けましたが、最後には地上で倍の祝福を受けました。(ヨブ記42:10)
また、イエス様はこのように言われました。
<マルコ10:29-30>
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10:29
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、
10:30
今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます。
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預言者の中でも、ダニエルや、捕囚されてペルシャで暮らしていたエステルのように、地上においても大きな恵みと勝利を与えられた人もいます。
主は、「地上においても」「天においても」報いてくださる御方だということです。
誠実に生きることは、時には損をしているように感じるかもしれませんが、神は必ず見ておられ、地上でも、天でも、最善の時に最善の形で報いてくださいます。
みなさん、エリザベス・エリオット(1926年-2015年)という方をご存知でしょうか?
最近までご存命だったようですが、この方はアメリカの宣教師で作家、講演家です。
エリザベス・エリオットと、夫のジム・エリオットの人生は、まさに、主が「地上においても」「天においても」報いてくださる御方だということを証ししています。
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1956年、ジム・エリオットと4人の宣教師仲間は、命がけで南米エクアドルの奥地に住むワオラニ族に近づきました。当時、この部族は外部の人間を激しく拒絶し、殺傷事件も多発していたため、接触は非常に危険とされていました。
最初は食べ物や贈り物を空から投下し、笑顔での交流が少しずつ生まれました。
しかし、ある日、誤解と恐怖が重なり、彼らは部族の戦士たちに襲われ、全員が殺されてしまいました。
ジムは29歳。娘はまだ生まれて10ヶ月でした。ジムは生前の日記にこう記していました。
「永遠に失われないものを得るために、失うことのできるものを手放す者こそ、本当の知恵者だ」。
妻ならこんな目に遭えば、「二度とこんな所に関わりたくない」と思うところですが、エリザベスの歩みはここから奇跡的な展開をします。
夫を奪われたエリザベスは、憎しみではなく、愛と赦しと希望を選びました。
なんと夫の死から2年後、娘を連れて再びワオラニ族の村に移り住み、現地で生活を共にしながら言葉を学び、愛と忍耐をもって彼らに仕えたのです。
驚くべきことに、やがてワオラニ族の人々の心が開かれ、多くがイエス・キリストを信じるようになりました。
さらに、夫ジムを殺した当事者の一人までが悔い改めて信仰を持ち、夫を刺し殺した槍を持っていた者が、今度はその手で聖書を持ち、賛美をささげる者にと変えられていったのです。
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その後エリザベスはアメリカに帰国し、多くの著書を残し、各国を巡って講演活動を続けました。
ジムの死はけっして無駄ではありませんでした。
彼の宣教のスピリットをエリザベスが受け継ぎ、ワオラニ族の人々へと受け継がれて行きました。
まさに、地上においても、天においても、彼の命は報われ、実を結びました。
私たちは、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」とイエス様が教えてくださったように、この地上でも賢く、誠実に生きて行きましょう。
そしてたとえ人に裏切られたとしても、私たちの誠実さは、主がご覧になっています。
もし、地上で報われないように思えても、天では必ず報われると信じて、日々主に従って歩んでいきましょう。