2025.3.9「熱心であること イザヤ9:7」

イザヤ9:7「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」このみことばは、イザヤ書におけるメシア預言の一部です。万軍というのは、戦いの神様を連想させます。どんな妨げや邪魔者があっても、万軍の主の熱心が王国を治め、これを堅く立て、これを支えるということです。もし、私たちが信じる神様が熱心なお方であるなら、この神様を信じる者も当然、熱心であるべきではないでしょうか?

1.熱意の重要性

 熱心あるいは熱意は、英語でenthusiasmと言います。enthusiasmは2つのことばから成り立っています。1つはギリシャ語でエンであり、「内に」という意味です。もう1つのセオスは「神」です。熱心あるいは熱意とは、「神が内にある」「神がかった」という意味です。ノーマン・ピール博士が“Enthusiasm makes the difference”『熱意は違いをもたらす』という本を書いています。少し引用させていただきます。スコットランドの物理学者エドワード・V・アップルトン卿は、科学的発見によって世界規模の放送を可能にし、ノーベル賞を受賞しましたが、彼の驚くべき業績の秘訣を尋ねられ、「熱意だ」と答えました。彼は「私は専門的な技術よりも熱意を高く評価している、なぜなら、熱意がなければ、専門的な技術を身につけるために必要な自己鍛錬と果てしない労苦に耐えることはほとんどできない。熱意は、目標に向かって粘り強く努力し続ける原動力となる」と言いました。ノーマン・ピール博士は、昔、アメリカの産業構造を築いた豪傑の一人、チャールズ・M・シュワブの言葉に出会いました。シュワブ氏は、「人間は、無限の熱意があれば、ほとんどどんなことでも成功することができる」と言ったそうです。ほとんどの優れた業績は、大きな困難を乗り越えて達成されるものであることは事実です。どんな事業にも必ず否定論者がいて、「そんなことはできるはずがない」と暗に主張します。そして、成功に反対する論拠を探すことに、熱心になります。悲観論者は、「だから言ったじゃないか」と言いたくなるのが常です。『エボニー』などの定期刊行物で大成功を収めた編集者兼発行人のロバート・ジョンソンは、最初は、アイディアはあっても資金が全く不足していました。人々は「忘れなさい」と彼を説得しました。ところが、現在、奥さんとなっている女性だけがそのプロジェクトに熱意を持っていた唯一の人物でした。ジョンソンは、シュワブ氏の「人は無限の熱意があれば、どんなことでも成功する」を信じて、そのプロジェクトを成し遂げました。

 新聞のコラムニスト有名なジョージ・マシュー・アダムスは「熱意とは、火をつけられた信仰のようなものだ」と言いました。言い換えると、熱意と信仰は相性が良いということです。福音書に、熱意をもってイエス様に近づいて、癒しと解放をいただいた人たちがたくさん出てきます。その筆頭が盲人のバルテマイでしょう。マルコ10章に書かれていますが、イエス様がちょうどエリコの町を通過しようとしていました。彼は目が見えなかったので、できることと言えば、大声をあげてイエス様の足を引き留めることです。人々が「うるさい、だまれ」と言っても聞かず。

「ダビデの子よ、私をあわれんでください」とますます、叫びました。イエス様は立ち止まって、「あの人を呼んできなさい」と言われました。彼は上着を脱ぎ捨てて、躍り上がってイエス様のところに来ました。彼が来ていた上着は、「これを着ていれば、どこでもものごいができる」という許可証のようなものでした。しかし、彼はそれを脱ぎ捨てて、イエスさまのところに来ました。イエス様が「何をしてほしいのですか」と聞くと、「先生、目がみえるようになることです」と言いました。イエス様は「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました」と言われました。イエス様が彼の目を開けたというのが、真実でしょう。ところが、イエス様は彼の内にあった、熱意と信仰が彼の目を開けたという風に解釈しています。バルテマイは、マタイ7章の「求めなさい、そうすれば、与えられます」を実践したのです。ヤコブは「自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです」(ヤコブ3:2)と言っています。昔、山中湖のバイブルキャンプに3人の中学生を車で送ったことがあります。帰りぎわに、売店があったので、ソフトクリームを3人におごりました。(飯島)結実ちゃんの番に来ると、彼女はこう言いました。「おじさん、おまけして」。そのおじさんは、もう一巻きコーンに載せて彼女に渡しました。そばで、見ていた私は「よく、できるもんだなー」と驚きました。大阪のおばちゃんだったら平気かもしれませんが、将来、きっと大物になるなと思いました。

 かなり前に、伝道者の福沢満雄師が「お隣の韓国にリバイバルが起きて、日本にどうして起こらないのか」というその理由について語っておられました。韓国の教会は1970年代からリバイバルがはじまり、ソウルのクリスチャン人口は30%に達しました。2010年くらいになって、おさまったようですが、今でも大教会がたくさんあります。福沢満雄先生がおっしゃるのには、韓国のクリスチャンはとても熱心であるということです。朝早くから祈り、断食して祈り、徹夜して祈ります。「チューよ、チューよ、チューよ」と三回叫び、その後、ガンガン祈ります。それに比べ、日本の教会はとても上品です。たとえば、水でおぼれている二人を救助隊が救助するとします。一人は、「助けてくれ!死にそうだ!」と大声で叫び求めています。もう一人は、「どうか、お手すきでしたら、助けてください」と言っています。一人は「溺れ死んじゃうよ。早く助けてくれ!」、もう一人は「ちょっとダメかも。沈んでしまいます、かぷっつ」。救助隊はどちらを最初に助けるでしょう。おそらく、大声で助けを呼んでいる人の方でしょう。なぜなら、必死にもがいて、叫んでいるからです。「神様も同じで、熱心にリバイバルを求める韓国の教会に、まず先に聖霊を与えようとする」ということです。

 熱心さ、熱意はとても重要な要素です。なぜなら、人と神様を動かす力があるからです。否定的で悲観的な人には、働くはずの神の運命も去っていきます。「人は無限の熱意があれば、どんなことでも成功する」「熱意とは、火をつけられた信仰のようなものだ」という格言どおり、熱意はものごとを成功に導く原動力になります。

2.熱意の源

 熱意の源、熱心さの源について学びたいと思います。第一のenthusiasmは、もともと「神が内にある」「神がかった」という意味であるということをお話しました。ということは、本当の熱意は神様から供給される必要があるということです。それに比べ、人為的な熱意もあるということです。松岡修造というタレントは、「君ならできる!」と熱く語る人です。彼は人為的に見えます。本当の励ましは、気合だけではなく、その人に与える材料が本物でなければなりません。英語にkindleということばがあります。kindleは、「燃やす」「…に火をつける」という意味です。また、人や情熱などを「燃え立たせる」「あおる」という意味もあります。パウロがテモテにこのように忠告しています。Ⅱテモテ1:6「そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」欽定訳聖書はstir up「あおいで、燃え立たせる」という言葉が用いられています。昔は、薪ストーブとか、七輪を使っていました。それらは、時間がたつと、灰が表面を覆うので、火が弱くなります。そのとき、火箸を使ってかきまぜると、空気が送られ、再び火の勢いが強くなります。おそらく、テモテは長老たちから按手を受けて、聖霊の賜物をいただいたのでしょう?聖霊自体が賜物でありますが、聖霊が与える特別な能力もあるでしょう。長年、厳しい奉仕に携わっていると、どうしても火が弱くなってきます。でも、どうしたらその火が強くなるのでしょうか?最も効果的なのは、impartationです。impartationは日本語で訳すと「分与」「伝授」みたいになります。旧約聖書に書いてありますが、預言者エリシャがエリヤに求めました。Ⅱ列王記2:9渡り終えると、エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。エリシャはエリヤから決して離れませんでした。エリヤが天に引き上げられたとき、エリヤの外套が落ちてきました。エリシャはその外套を拾い上げ、自分がまといました。まさしく、エリシャは文字通り、エリヤの二倍の奇跡を行うことができました。

しかし、このimpartationはランディ・クラークによって頻繁に言われるようになりました。彼はイリノイ州の小さな教会の牧師でした。彼は聖霊の力を欲しくてたまりませんでした。聖霊の注ぎ受けるために、あちこちの教会に行って、祈ってもらいました。最も顕著だったのは、ヴィンヤードのチームから祈ってもらったときです。彼は「体中に電気が流れているような気がして、体が震え始めたのです。あまりの強さに、翌日には関節が痛くなりました。「神の油注ぎは、私の体にも同じような効果をもたらし、電気が強すぎて痛みを抑えることができませんでした」と言っています。それから、ランディ・クラークが自分の教会で祈ると、信徒たちにも同じようなことが起こりました。彼はトロントのエアーポート・チャーチに講師に招かれました。彼は不安だったので、その直前にフロリダに行って、ロドニー・ハワード・ブラウンから祈ってもらいました。ランディは床に倒れ込みました。しかし、立ち上がろうとすると、30分以上も動けませんでした。トロントの教会は4日間の奉仕の予定でしたが、40日も続いてしまいました。トロント教会の牧師は「私たちの教会の80パーセントは、床一面に広がり、笑い転げ、完全に神の霊に覆われました」と回想しています。彼らは月曜日を除いて毎晩集会を開き(この習慣は12年以上続きました)、その6ヶ月の間に3万人以上の人々が集会に参加し、総参加者は7万人に上りました。この刷新運動は、初年度に55,000以上の教会に広がりました。運動の最初の数年間で、300万人以上の人々がトロントでの注ぎを受けるために訪れました。多くの人々が、その訪問中に著しく癒され、神によって触れられました。そして、彼らが帰国すると、リバイバルの火が広がっていったのです。ある時、アフリカのモザンビークで奉仕していたハイディ・ベイカー師が、トロントの集会に訪れました。彼女はたくさんの病気を抱え、霊的にも枯渇した状態でした。彼女は、ランディ・クラークが、まだメッセージをし終えていないのに、講壇の前に叫んで走って行きました。ランディは、説教をやめ、彼女に手を置いて、モザンビークでのリバイバルを預言しました。ハイディ・ベイカーは聖霊に打たれ、1週間立ち上がれず、主人の助けがなければトイレにも行けませんでした。しかし、その間、体が全く癒され、聖霊に満たされモザンビークに戻りました。ランディ・クラークが預言したように、盲人は見え、足の不自由な人は歩き、死人はよみがえり、貧しい人は良い知らせを聞くようになりました。ランディ・クラークは、インパーティションを与えるため、世界中を飛び回っています。

私も20世紀教会で開かれた集会で、講師からインパーティションをしてもらいました。その集会で「インパーティションとは、ガソリンを車に入れることだ」と教えられました。いくら大きくて性能の良い車でも、ガソリンが切れたら動くことはできません。それと同じで、私たちは霊的に枯れるときがどうしてもあります。もし、完全に燃え尽きてしまったら、回復するまで数年はかかるでしょう。ひどい場合は、二度と復帰できないかもしれません。だから、ゼロになる前に、聖霊の油注ぎを受ける必要があるということです。熱意、熱心さ、情熱は、自分の意思で出てくるものではありません。自然に湧き上がってくるものです。パウロがテモテに私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください」と勧めています。ということは、消えた神の賜物を、何度も燃え立たせる必要があるということです。奉仕をすると知らず知らずのうちに、注ぎ過ぎて、自分のものがなくなってしまう場合があります。本来なら自分が管となり、神さまの無尽蔵の蔵から、注げば良いのです。ところが、自分が何とかしなければならないと力んでしまい、神さまではなく、自分のものを与えてしまう時があるのです。私たちは人に与える前に、自分が神様から受けていなければなりません。自分が受けたもの以外は、他者に手渡すことができないからです。そういう意味でも、自分の魂の管理を何よりも優先しなければなりません。この世にいると、どうしても、熱意、熱心さ、情熱は冷めていきます。熱力学第二の法則です。そのため、私たちはたえず力の源にアクセスして、熱意、熱心さ、情熱をいただきたいと思います。

3.熱意の効力

 熱心さ、あるいは熱意があるということはすばらしいことです。シュワブ氏の「人は無限の熱意があれば、どんなことでも成功する」と言ったとおりです。私は神様がそれぞれの人に賜物と召命を与えていると信じます。では、どのようにしてそれが神様から与えられたものなのか分かるのでしょうか?その人がそれを行うことに対して、熱心さがあるか、熱意があるかがヒントになると思います。賜物と召命と熱意は三位一体ではないかと思います。昔から「好きこそものの上手なれ」ということわざがあります。好き、ということはそれを行っていると楽しい、疲れない、いつまでもそれをし続けたいということです。それは、熱心さ、熱意がいつまでも消えないということです。だれでも、子どものときは、熱心に何かを研究し、追求したものがあるはずです。ところが、大人になるにつれ、それでは食べていけないので、無難な職業についたりします。でも、心の中に情熱がありません。仕方なく、生活のためにやっているからです。それでも、趣味の世界で自分の好きなことをやり続けている人もいます。でも、ほとんどの時間は生きるために好きでもないことをやり続けるしかありません。ウェブに「看護師が語った、死の直前に誰もが口にする『後悔のことば』」というのが載っていました。第一位は、「もっと自分らしく生きればよかった」でした。

私は4人の子どもたちを育てましたが、大切にしていた考えがあります。それは、「子どもが好きな事、情熱をもってあたるものがあれば、それを伸ばしてあげたいこと」です。ある親たちは、子どものためと思って、生活が安定するような道を進むように強制します。当人は別のことをしたかったのに、途中でドロップアウトする人もいます。最も良いのは、神様がその子に与えた賜物を伸ばしてあげることだと思います。私は、工業高校は入りましたが、「私がしたいのは、これじゃない」と思いました。60歳くらいになったときです。「弟子訓練もうまくいかなかった」「セルチャーチもうまくいかなかった」と挫折し、情熱が消え失せました。そのとき、1つだけ残っていたものがあります。それはpreacherでした。preacherというのは「説教者」という意味です。私は小学校から高校まで、先生から最も多く叱られました。それは、授業中であっても、よくしゃべるからです。でも、神様は私の口を用いて、福音を語らせようとしたのです。そのことを発見してから、どんどん説教を作るようになりました。普通は1週間1つだけ作れば十分なのに、ある週は、3つも4つも作りました。今、68歳(現在71歳)になって説教原稿を数えたら2年先の分まで作っていました。ローマ12章には7つ資質の賜物が記されています。私はその中の「勧め」であります。人々のためになるものを勧めるということです。同時に、そこには注意点も書かれています。ローマ12:11,12「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」そこには、「霊に燃え…望みを抱いて喜び」とありますので、ぴったりだなーと思いました。自分を励ましつつ、人々を励ますということです。

ノーマン・ピール著の“Stay alive all your life“『生涯現役を貫け』にこのような事が書かれていました。「悲観と憂鬱を捨て、楽観と熱意の態度を養うとき、あなたの人生には驚くべき結果が示される。たとえ自分の能力、訓練、経験が人より劣っていても、行動的な熱意でほとんど不足を補うことができる。」あなたは熱意ある人ですか?あなたは毎日を熱心に待ち望んでいますか?人生についてワクワクしていますか?もしそうでないなら、何としても本当の熱意をあなたの人格に取り込んでください。熱意はあなたのために奇跡を起こすことができるからです。ノーマン・ピールは4つの実践的なプログラムを提唱しています。1.冷静さと静寂を実践する。2.毎日、誰かのために何かをする。3.感謝して祈る。4.ネガティブなことは、熱意と楽観主義をもって、頭から追い出す。毎日繰り返すとよい聖書の言葉は、「主に感謝せよ」(詩編106:1)。熱意の創造力があなたのために奇跡を起こすことを決して疑わないでください。それは、生涯にわたってダイナミックに生きていく術の強力な要素です。熱意はまた、幸福にも強力な影響を与えます。ニューヨーク州のある著名な医師は、「人は熱意を失うことによって、実際に死ぬことがある。肉体というものは、役に立たないという精神的な態度に対応できないのだ 」と言いました。さらに、この医師はこう言いました。「楽観主義、真の信念、熱意が一緒になれば、感染を焼き払う強力な要因となる。自信に満ちた態度でいる人は、病気や疾患を前にしたとき、より大きな治癒力を発揮することに気づいた。熱意は健康の最大の源の一つである。」アーメン。簡単に言うと、熱意は肉体の健康のためにも良いということです。

 ローマ12:11,12「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」このみことばは、私だけではなく、みなさんにも言えることばではないでしょうか?私の欠点は、飛び込みのセールスマンが来たとき、簡単に買ってしまうということです。電話機、コピー機、変電ブレーカー、エコキュート、Wi-Fi…きりがありません。なぜでしょう?セールスマンがとても熱心だからです。「どうして、あのような熱意があるのだろう?」と感心して、術中にはまるのです。この間も、役員さんからもきつく叱られました。本来、私たちクリスチャンは熱心であるべきです。どういう訳か、キリスト教の異端や新興宗教の方々の方が熱心です。こちらは本物を偽物であるかのように売っています。あちらは、偽物を本物であるかのように売っています。どこが問題なのでしょうか?熱心さ、熱意の効力です。ノーマン・ピールが「熱意はあなたのために奇跡を起こすことができるからです」と言ったとおりです。彼らの熱意は偽物を本物のように売る力があります。でも、その熱意は神様からではなく、人間的なものです。もし、私たちが本物を神からの熱意で売るなら、どういうことが起こるでしょう。パウロはローマ1章でこう言いました。ローマ1:16「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。」アーメン。まさか、福音を恥と思っている人はいないと思います。キリストの福音は私たちを変えてくださいました。弟子たちが聖霊の注ぎを受けて、生まれ変わったように熱心になりました。私たちも聖霊の注ぎを受けて、自分も生かし、人も生かしてくれるキリストの福音を熱心に宣べ伝えていきましょう。