2024.11.10「神の運命 ルツ1:1-5」

 ジョエル・オースチンのメッセージを久しぶりに聞きました。最初は「ああ、まゆつばものだ。そんな簡単にいくはずがない」と反発して心に入ってきませんでした。彼は「いと高きところにおられる神が、前もって備えていてくださるので、必死にがんばらなくて良い。健康回復も、昇進も、借金返済も、良い人との出会いも、全能の神がワンタッチで奇跡を起こしてくださる」と言っていました。同じようなメッセージを17回も聞いたので、最後はアーメンと同意しました。きょうは、彼のメッセージが本当かどうか、聖書のルツ記から調べたいと思います。

1.ナオミの運命

 ルツ記1章を見ますと、ナオミの人生がいかに悲惨な運命であったかを知ることができます。ナオミと夫と二人の息子は、ベツレヘムに住んでいました。ところが、その地に飢饉が起こったので、4人でモアブに移り住みました。モアブはロトの子孫が住む地であり、人身御供をする偶像崇拝で知られていました。では、どんな悲惨な運命がナオミを襲ったのでしょうか?原因はわかりませんが、彼女の夫が死にました。残された二人の息子たちは、モアブの女性を妻として迎えました。本来なら結婚してはいけない人たちでした。10年後、戦争なのか病気なのかわかりませんが、二人の息子が死にました。息子たちのそれぞれの名前は彼らの運命を象徴しています。マフロンは「病める者」という意味です。また、キルヨンは「消え失せる者」という意味です。「そんな意味の名前を父親が付けるだろうか?」と疑問に思ってしまいます。聖書に出てくる人たちの名前はその人の性格とか運命を象徴しています。ナオミと共に残ったのは、二人の嫁でした。一人はオルパです。オルパは「髪の豊かな女性」あるいは「雌じか」の意味です。もう一人はルツですが、「友情」という意味です。彼女らの悲惨な人生に転機がやってきました。ルツ1:6,7「ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。【主】がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。彼女は二人の嫁と一緒に、今まで住んでいた場所を出て、ユダの地に戻るため帰途についた。」

 そうです。ベツレヘムに飢饉が去ったので、三人で行く決心をしました。途中、ナオミが二人の嫁に言いました。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、【主】があなたたちに恵みを施してくださいますように。」と。最初は二人とも、「私たちは、あなたの民のところに一緒に戻ります」と言いました。でも、ナオミが一緒に行っても何の希望もないというと、泣きながらオルパは別れの口づけをしました。一方、ルツは何度説得されても、引き下がりませんでした。ナオミとルツの二人は旅をして、ベツレヘムにつきました。人々が「ナオミが帰ってきた」と騒ぎ出しました。女性たちは「まあ、ナオミではありませんか」と言いました。しかし、ナオミは「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから」と告げました。ナオミは「快い」という意味です。そして、「マラ」は「苦しみ」です。ナオミは「主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせた」とさらに言っています。このところから見ると、ナオミは神様に対して、苦々しい思いを持っているような感じがします。彼女は「神様はひどい」と恨んでいるのでしょうか?いのちのことば社の『新聖書注解』には、「卑しくする」は、「砕く」という意味であり、謙遜にするという意味でもある。イスラエル人にとって「謙遜」は、倫理的な徳ではなく、神が苦しみを通して人の心を砕くところに生じる結果である、と書かれていました。そういえば、ヨブは「神を呪って死になさい」と妻から言われたとき、このように言いました。ヨブ2:10「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」つまりは、すべてのことは主の御手あるという信仰です。確かに、神様は私たちを砕いて謙遜にするため、災難を通過させることはあります。でも、それは私たちを滅ぼすためではないということは確かです。

 第一のポイントではナオミの運命でありますが、これはdoomであり、「悪い運命、凶運」ということができます。ナオミ自身がそこまで思っていたかどうかわかりませんが、夫をなくし、二人の息子をなくし、帰ってきても自分の土地もないのですから、doomであります。本来、ナオミの名前は「快い」ですから、sweetであります。Sweetは「甘い」「きれいな」「魅力的な」という意味もあります。おそらく、彼女はその名前のように快活に暮らしていたのかもしれません。でも、今はどうでしょう?「マラ」苦しみです。苦しみは、painですが、英語の聖書にはbitterとありました。Bitterは「苦い」「つらい」「悲痛な」という意味があります。つまり、Sweetとは全く逆の状態です。ナオミは「全能者が私を大きな苦しみにあわせた」と言っていますので、少なからず神様に対して苦々しさを持っていたのではないでしょうか?日本人は「しょうがない」と言います。「しょうがない」とは「始末におえない」というあきらめです。言い換えると、ナオミの気持ちは「神様にかかったならしょうがない。あきらめるしかない」ということではないでしょうか?ナオミに、信仰がないわけではありません。しかし、神様に対するイメージがとても否定的であるということは確かです。「ヨブのように苦しみをも受けるべきです」という人がいます。「ナオミも謙遜にさせられるため、そのようなことが起きたのです」と言えるかもしれません。あなたはヨブの弟子でしょうか?あなたはナオミの弟子でしょうか?私たちはイエス・キリストの弟子です。私たちはイエス・キリストを通して神様を見るなら、doomであり、「悪い運命、凶運」では終わりません。私たちの神様は「良き神様」です。しかし、たとえ旧約聖書であっても、全く福音がないかというとそうではありません。私たちはルツ記が1章で終わらないことを知っています。物語の最後を読むのは、ルール違反ですが、ちょっとだけ見たいと思います。ナオミの結末はどうなったのでしょうか?ルツ4:15,16「その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。」ナオミはその子を取り、胸に抱いて、養い育てた。…ナオミの運命はdoomで終わらなかったということです。sweetを取り戻したのです。

 

2.ルツの運命

 ルツは、もし、ナオミ一家が引っ越して来なければ、そのままモアブ人として生きて、モアブ人として死ぬ運命でした。モアブ人の先祖は、ロトの姉娘が父ロトによって産んだ子モアブでありました。モアブの名は、「父によって」という意味であり、近親相姦を強調する表現です。モアブ人の主神はケモシュであり、人身犠牲で知られています。ヨシヤ王は「忌むべきケモシュ」と言って、ユダ王国から一掃しました。しかし、どうしてモアブの女、ルツが、ナオミが崇拝しているイスラエルの神を慕うようになったのでしょうか?この世的に考えるなら、ナオミの神様は全くご利益がありません。ご利益がないどころか、災いを下す神様のように思えます。なぜなら、ナオミの夫が死に、自分の夫も、妹の夫も死んだわけです。しかし、義母のナオミが、ベツレヘムに帰ると言ったとき、ルツは離れようとしませんでした。ルツ1:16-17ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」このような信仰は一体どこからやってきたのでしょう?ルツは約10年間ナオミと彼女の息子と暮らしました。おそらく、彼らの生活を見て、彼らの神は自分たちの神とは違うと思ったのではないでしょうか?特に、義母のナオミがルツに影響を与えたのでしょう。だから、「あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます」と言わせたのです。

 改宗した経緯は定かではありませんが、これこそ彼女の信仰告白であります。そして、この時から彼女の運命の歯車が好転したことは確かです。つまり、ルツはナオミが信じる神様とイスラエルの民の中に加えられることになったのです。ですから、ルツの運命は英語でいうなら、divine destiny「神の運命」であります。神学的に言うなら、神の摂理であります。ルツはナオミに食べさせるために、落穂を拾いに行きます。当時、律法では「落ちた穂を集めてはならない。それらは在留異国人のためのものであるから」とありました。それでも、モアブの女性がイスラエルの麦畑に入るなら、冷たい目で見られるのが普通です。しかし、神の摂理を表している表現がこのところにあります。ルツ2:3「ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。」日本語では、「はからずも」となっていますが、「思いもかけず。意外にも」という意味です。キングジェームス訳はhappenedですから、「たまたま、偶然に」という意味です。エリメレクはナオミの夫の名前です。つまり、ボアズはエリメレクの親族であり、一度失った畑を買い戻す権利のある人でした。しかも、どういう訳か、ボアズは一生懸命働いているルツに好意を持ちました。ルツ28,9「ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません。ここから移ってもいけません。私のところの若い女たちのそばを離れず、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけたら、彼女たちの後について行きなさい。私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲みなさい。」後からわかりますが、ボアズは若い者たちに「彼女のために束からわざと穂を抜き落として、拾い集めさせなさい」とまで言いました。

 聖書の記者は「はからずも」と言っていますが、これは偶然ではないと思います。言い換えると、主の御手があったということです。主は彼女がボアズの畑に行くように仕向けたのです。また、主はルツに対して、好意を持つように仕向けたのです。普通だったら、「モアブの女が勝手に人の畑に入って来て、ちょっと意地悪してやろうか」と思われるでしょう。なぜなら、ボアズは彼女に「ほかの畑に落穂を拾いに行ってはいけません」と言っているからです。ボアズは彼女を守りたい、良くしてやりたいと思ったわけです。ルツ自身、どうしてこんなにたくさんの落穂が集められたのか全くの謎でした。ルツは夕方まで畑で落穂を拾い集めましたが、大麦1エパほどあったと書かれています。1エパは23リットルですから、お米ですと約20キログラムです。もちろん、麦の殻を取るともっと減りますが、大した量であります。ナオミはそれを見て驚いたことでしょう。もっと驚いたのは、ボアズが自分たちの親戚であったことです。ルツ記3章には、不思議なことが書かれています。なんとナオミはルツに「プロポーズするために、麦の番をしているボアズのところに行きなさい」と言いました。ルツは彼女の言いつけに従い、麦の傍らに寝ているボアズの足もとをまくに、そこに寝ました。ボアズは夜中に、一人の女性が足元に寝ているのを知ってびっくりたまげました。あなたはだれだと聞くと、「私はあなたのはしためルツです。あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買い戻しのある親類です」と言いました。

もう一度、言いたいのはルツの運命です。一見、ルツは何もせず、神様が全部やっているような感じがします。神様があらかじめ、全部を備えておられるという考えも成り立つかもしれません。一般に、クリスチャンは「神のみこころがなりますように」と何もしない場合があります。しかし、神の運命に対して、人がなすべき分もあるということです。ルツは故郷を捨ててナオミとベツレヘムにやってきました。恐れず、ナオミのために人の畑に行って落穂を拾いました。「はからずも」その畑はボアズの畑でした。でも、ルツが自分の身を悲しんで、座り込んでいたなら、このような事は起こらなかったのです。さらに、ナオミに言いつけられて、夜、ボアズが寝ているところに行って、彼の裾をまくって寝るとは、なんと大胆なのでしょう?ルツは義母思いだけではなく、信仰の人であり、活動家であります。ローマ8:28「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」別の訳は、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ということです。つまり、ルツが行ったことに対して、神様が働いて益としてくださったのです。重要なことは、ただ指を加えて待つだけではなく、私たちも神の運命に参加するということです。

3.ボアズの運命

 ボアズの運命というのは少し奇異な感じがします。ボアズは、ルツ記の主役ではないからです。でも、彼のように善良で、裕福で、思いやりのある人が果たしているのか不思議に思います。もし、「ボアズの運命」というならば、ボアズは主の御腕として、用いられることではなかったかと思います。言い換えるなら、主はナオミとルツのために、ボアズを備えていてくださったということです。聖書には、主があらかじめ備えてくださった人物の例がたくさんあります。たとえば、イサクのお嫁さんになる人です。創世記24章にイサクの嫁取り物語が記されています。アブラハムは息子の嫁を見るけるため、もといた自分の父の家にしもべを遣わしました。アブラハムはしもべに、「主があなたの前に、御使いを遣わされる」と告げました。実際、しもべがアブラハムがもといた国に行ってみると、町の女性たちが井戸に水を汲みに来ようとする時刻でした。しもべは、主に祈り求めました。私が娘に、「どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください」と言い、その娘が「お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう」と言ったなら、その娘こそ、主がイサクのために定めた人です」と預言のような注文をしまいた。彼が言い終わらないうちに、リベカが水がめを肩に載せて来ました。リベカはアブラハムの親戚の娘でした。しもべが「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください」といいました。すると彼女は、「どうぞお飲みください」と水がめをとり彼に飲ませました。さらに彼女は「あなたのらくだにも、水を汲みましょう」と言いました。しもべは、主が自分の旅を成功させてくださったことを知りました。つまり、リベカは主がイサクのために備えた人だったのです。しもべは、超自然的な導きによって、イサクの嫁取りのミッションを全うすることができました。

 同じようにルツの婿になる人は、ベツレヘムに備えられていたということです。しかも、彼はナオミの親戚、エリメレクの一族であったということです。でも、どうしてボアズがエリメレクの一族でなければならなかったのでしょうか?それは、ナオミが失った畑を買い戻すためには、エリメレクの親族でなければならなかったからです。しかし、ボアズよりも近い、買い戻しの権利のある人物がいました。ルツ記4章に、ボアズとその人が競り合うシーンが書かれています。当時、町の門というのは公の場であり、人々が集まって裁判のようなことがなされました。よく考えると、ボアズはナオミの土地を買い戻しても、自分の土地にはなりません。エリメレクの土地になります。しかも、ルツと結婚しなければなりません。彼は「私が買い戻しましょう」と言いました。でも、彼がモアブの女ルツを引き受けることと、土地を買うために財産を損なうことを知って断念しました。その当時の習慣で、自分の履物を脱いで、「あなたがお買いなさい」とボアズに言いました。ルツ4:9,10「ボアズは、長老たちとすべての民に言った。『あなたがたは、今日、私がナオミの手から、エリメレクのものすべて、キルヨンとマフロンのものすべてを買い取ったことの証人です。また、死んだ人の名を相続地に存続させるために、私は、マフロンの妻であったモアブの女ルツも買って、私の妻としました。死んだ人の名を、その身内の者たちの間から、またその町の門から絶えさせないためです。今日、あなたがたはその証人です。』」

 このところに、ボアズの覚悟と言いましょうか、信仰を見ることができます。彼は自分の財産を払ってエリメレクの土地を買い戻しました。でも、よく見ると「エリメレクのものすべて、キルヨンとマフロンのものすべてを買い取ったことの証人です」と言っています。モアブで死んだ、エリメレクの二人の息子の分までも買い戻したということです。さらには、「死んだ人の名を相続地に存続させるために、私は、マフロンの妻であったモアブの女ルツも買って、私の妻としました」と言っています。どういうことでしょうか?ボアズとナオミの間で生まれた子どもは、ナオミの孫になるということです。言い換えると、ボアズは婿養子ということになります。ボアズの財産すべてがナオミとルツのものになり、共同相続人になるということです。その後、ナオミは彼らの子を取り、胸に抱いて、養い育てました。男の子の名はオベデであり、オベデはダビデの父であるエッサイの父となったと系図で締めくくられています。モアブの女性ルツは、ダビデのひいおばあちゃんということです。ボアズの運命は、ルツによって、ダビデが生まれるための大事な存在であったということです。

 私たちはボアズという人は深く物事を考えない、受け身的な人物のような感じを持つかもしれません。しかし、ボアズは自分の財産を使って、エリメレクの土地を買い戻し、さらにはエリメレクの名を残すためにモアブの女ルツと結婚しました。自分が二番目の権利であったのに、進んでそれを勝ち取りました。やはりボアズも自分の運命を全うするために、自分がすべきことをしました。この世には運命に対していつくかの考えがあるでしょう。1つは運命とは宿命であり、どんなにあらがっても無理なんだという受け身的なもの。2つは「運命は自分の力で切り開くものなんだ」と自分の才能やがんばりだけを信じる悲壮的なもの。3つ目は「善なる神が、神を愛する者と共にいて、前もって備えてくださり、そこへ行くように導いて下さる」という摂理の信仰です。世の人たちは生まれたのも偶然、死ぬのも偶然、配偶者も偶然と考えています。なんとか、悪い目に合わないように、占いをしたり、厄払いをして、恐る恐る生活しています。確かにこの世では困難があり、信仰者も避けられない場合があります。でも、私たちを愛しておられる、全能の神様が私たちを導いておられることを知るなら何と幸いでしょう。そして、私たちが運命を全うできるように、必要なもの、必要な人物、必要な賜物を与えてくださるのです。私はordainという言葉が大好きです。Ordainは、「神・運命などがあらかじめ定める」という意味です。

 私は高校一年のとき、強さにあこがれボクシング部にはいりました。あの頃、「タイガーマスク」流行っていました。ところが、その年の暮れのデビュー戦でT.K.Oで負けました。私はボクシングで負けましたが、牧師になりました。中学一年の時、トランペットが吹きたくてブラスバンド部に入部。ところが、空がなくてトロンボーンに回されました。1週間で退部。初めての給与でトランペットを購入。下手の横好き、人の迷惑省みず…。28歳のとき質屋、結婚指輪に化けました。私たちの父なる神は、ご計画に従って、すべてのことが益になるように働いてくださいます。