パウロは、人間は3つのものでできていると言いました。内側から言うと、霊、魂、肉体です。きょうは魂の分野について言います。魂はギリシャ語でプシュケーと言いますが、そこからサイコロジー、心理学が生まれました。この世の心理学者は神様とか霊の存在を認めません。ただ、心の中だけに集中しています。彼らは潜在意識があることを発見しました。心をちょうど氷山のようにたとえています。水中にもぐっている90%が潜在意識です。そして、10%の顕在意識が表面にあるというのです。私たちは自分の意識で生きているつもりですが、ほとんど潜在意識で動かされて、決断しているということです。きょうは、潜在意識ということばは用いませんが、深いところに意識の塊があるということをあとで申し上げたいと思います。
1.心の一新
ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」ローマ人への手紙は、1章から8章までは教理的なことが書かれています。罪からの救いと罪からの解放について書かれています。そして、後半の12章から16章までは、倫理的なことが書かれています。12章のはじめの部分に、「心の一新によって自分を変えなさい」とあります。つまり、これがないと、「倫理的な生活は無理ですよ」ということです。では、「心の一新によって自分を変えなさい」とはどういう意味でしょうか?「心」はギリシャ語でヌースになっています。これは、英語ではmindと訳されており、思いとか考えという意味です。「変える」とは英語ではtransformで、映画のトランスフォーマー(乗り物が生き物に変形する)と同じ言葉です。また、ギリシャ語ではメタモルフォウ「姿を変える」であり、青虫がチョウに変わるような変化を意味しています。もっと別の角度で話しますと、1章から8章までは霊的な救いについて書かれています。そして、12章からは心理的な救いについて書かれています。心理学者の丸屋真也先生は「キリスト教会は長い間、霊的な生まれ変わりのことは語ってきたけれど、心理的な生まれ変わりには触れてこなかった」と言います。つまり、教会は霊的なことは一生懸命教えてきたけど、心の問題は取り扱って来なかったということです。そのため、神様を信じない心理学者が幅をきかせ、そちらの方に多くの人たちが行ってしまったということです。
では、そのことが聖書的にはどういうことなのか、エペソ人への手紙4章から見ていきたいと思います。エペソ4:22-23「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ」とあります。ここからわかることは、私たちが救われるために、第一に、心の霊において新しくされる必要があるということです。霊は心の内側にありますが、まず、私たちの霊が新しく生まれ変わる必要があります。第二に、どうすべきなのでしょうか?「人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てる」ということです。霊は生まれ変わったけれど、古い人を着ているということです。古い人とは何でしょう?エペソ4:31「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」とあります。そのような古い性質を脱ぐということです。第三に、どうしたら良いのでしょうか?エペソ4:24「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」新しく生まれ変わった霊の上に新しい人を着なさいということです。新しい人とはどんな人なのでしょう?それは神にかたどり造り出された心です。エペソ人への手紙の姉妹である、コロサイ人への手紙にはこのように書いてあります。コロサイ3:12,14「あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。…これらすべての上に、愛を着けなさい。」とあります。新しく生まれ変わった霊の外側に、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、愛などの新しい人を着るということです。最初に戻って、心の変革とは何でしょう?あるいは、「心の一新によって自分を変えなさい」とはどういう意味でしょう?簡単に言うと、心の古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着るということです。ポイントは、改善するとか治すのではなく、取り換えるということです。ここに、ぼろぼろの雑巾があるとします。その雑巾を洗って、アイロンをかけてすばらしい生地になるでしょうか?ダメです。エレミヤ17:9「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」生まれながらの心には何の希望もありません。私たちが新しい人生を歩むためには3つのことが必要です。第一は私たちの霊が生まれ変わるということです。第二は私たちの古い心を脱ぎ捨てるということです。第三は、造り主に似た新しい人を着るということです。
2.心の核(コア)
古い心を脱ぎ捨て、新しい人を着るということを、心理学的な手法を借りてやったらどうなるでしょう。ローマ12章の「心」は、マインドであり、思いとか考えという意味です。私たちの思いとか考えは、中立でありそうですが、そうではありません。人それぞれ、もののとらえ方が違います。新聞でも各社によって記事の書き方が違うように、私たちもそれぞれものの見方が違います。その国の文化とか、その人の生まれ育った環境、教えられた価値感が影響を与えています。また、その人が幼い時に受けた傷によってものすごいダメージを受けています。なぜなら、人は6歳になるまで、人格の土台の骨組がほとんど完成するからです。その人のものの見方を心理学者は、認知とか世界観と呼んでいます。認知とか世界観というのは、心のメガネのようなものです。ある人のメガネは明るくて澄んでいます。だから、ものごとを肯定的に見ることができます。人から嫌なことを言われても、「そういうこともあるよね」と受け流すことができます。しかし、ある人のメガネは曇っていて、しかも歪んでいます。人から嫌なことを言われると、「あんたこそ何よ!」と恨みと憎しみが出てきます。周りの人たちがみな敵に見えて、信用できません。どうでしょうか?私はこういうつもりで言ったのに、曲げて解釈されてしまったということはないでしょうか?物事をいつでも、悲観的に、批判的に捉える人が周りにいないでしょうか?原因は、かけている心のメガネが問題なのです。つまりは、認知もしくは世界観がゆがんでいるということです。曇っていたり、ゆがんでいるメガネはどうしたら良いでしょうか?レンズをなおした方が良いでしょうか?それとも、新しい良いレンズと取り換えた方が良いでしょうか?古いレンズを捨てて、新しい良いレンズと取り換えた方が得策ではないでしょうか。
そのためには、認知もしくは世界観の核となっているものは何かということを知る必要があります。丸屋先生は「コア信念」core beliefと呼んでいます。信念のコア、核と言う意味です。李光雨先生は「コア世界観」と呼んでいます。私たちの心には潜在意識があって小さい頃の記憶が全部詰め込まれています。6歳くらいまでに刻み込まれた信念が、その後の人生に影響を与えてしまいます。四街道の大塚先生は、ミニストリーを受けているとき、自分が幼稚園にいた時のことを思い出しました。その日、灰色の空から雪が降っていました。空をじっと見上げていて、「人生とは空しいものだ」と思ったそうです。幼稚園生です!船堀の若木先生は小さいとき艀(はしけ)に住んでいたそうです。艀(はしけ)は水の上に浮いているのでどうしても不安定です。そういう子どもは、不安定な世界観を持つのではないでしょうか?でも、大人になると子供のときに何を考えたかは全く覚えていません。ほとんどのことが、潜在意識の中に沈んでいます。私たちの心の奥底にある、「コア信念」から、いろんな考えが自動的に生まれてきます。また、心の奥底にある、「コア世界観」が、歪んだ考え方を生み出しているのです。いくら自分の意識で、「このようにしてはならない、こうしよう」と思っていても、できないのです。私たちは心のコア、核の部分が意識に影響を与えているからです。つまり、心の変革とは心のコア、核の部分を新しいものに取り換える作業なんだということです。心のコア、核が古いままでは、いくら新しい考えや聖書のみことばを詰め込んだとしても、はじき返されてしまうでしょう。心の深い部分で「私は標準に達していない」と確信しているならどうでしょう。何か、大きな課題が与えられると「ああ、自分にはできないなー」と否定するでしょう。心の深い部分で「この世界は何が起こるか分からない。恐ろしい世界だ」と思っていたらどうでしょう?何か、思いがけないことが起こると、不安と恐れに支配されるでしょう?では、どうしたら古い心のコアを捨てて、新しいコアに入れ替えることができるのでしょう?
3.自分のコア世界観
まずそのためには自分の「コア信念」あるいは「コア世界観」を知るべきです。丸屋先生は適合、脅迫、支配と3つの種類があるといいます。李光雨師は傷ついたセルフイメージ、怒り、恐れの3つの種類があるといいます。たしかに、いくつかの代表的なカテゴリーに入れることは重要です。でも、人それぞれ、生まれ育った環境が違いますので、それぞれの「コア世界観」を持っています。もし、「コア世界観」というふうにとらえるならどうするでしょう?それは、「自分の世界観はこうである」と、短い文章でまとめ上げることが重要です。たとえば、私は父親が家庭を正しく治めていませんでした。酒を飲んでは母を殴り、子供たちを殴っていました。母も経済的に大変で、そのため長兄や長女を頼っていました。さらに、兄弟たちは互いに争って、下の私はいじめられ、味噌っかすにされていました。すると幼い私は世界をどのように見るでしょうか?つまり、どのような「コア世界観」を形成するでしょうか?おそらく「この世界はとても危険であって、小さな私にはとても太刀打ちできない」という世界観を持つでしょう。幼いときに、父親が亡くなったり、あるいは家を出て行った場合はどうなるでしょう?おそらく、その子は母親で育てられることになります。おそらく「私がしっかりして母を守るんだ。この世界が壊れないように私が頑張るしかない」と思うでしょう。ある子供はお母さんから無視されたり、不可能なことを強制された場合どうなるでしょう?おそらく「私は自分の心をだれにも委ねない。要塞を築いて自分を守るしかない」と思うでしょう。でも、これらは第三者がその人から生育史を聞いて、想像するものです。でも、本人が「私の世界はこうです」というのは、ものすごく困難です。なぜなら、「コア世界観」は潜在意識に潜り込んで、簡単には姿を現わさないからです。
その人の「コア世界観」を知るためにはどうしたら良いのでしょうか?それは、日常の生活において、過剰反応が起きたときに分かります。過剰反応とは常軌を逸した感情の爆発や行動です。いわゆる、だれか地雷を踏んだ場合です。地雷を踏まれると「どかーん」と爆発します。怒りの場合もあれば、ひどい落ち込み、恐れという過剰反応もあります。さらに体が反応すると、パニックが起きたり、眠れなくなったりします。つまり、過剰反応が起きた時、潜在意識にうずもれていた「コア世界観」が顔を出すということです。同時にその人は何かを叫びます。李光雨師は「心の叫び」と呼んでいます。「心の叫び」を聞くと「コア世界観」が分かります。私たちは極限の状態に置かれたとき、何事かを叫んでいます。たとえば、身勝手な親が責任を果たさなかったために、自分の世界が壊れた場合はどうでしょう?「ちゃんとやれ!」という怒りです。私も牧師として、そういう風に言われることがよくあります。私がちゃんとしていないからということもあるでしょう?でも、本当の原因は、その人の親が責任を果たさなかったので怒っているのです。1か月、自分の心の日記を書いたら良くわかります。そこには、3つのことを書きます。第一はその時の状況です。いつ、だれが、何をしたか?何が起こったのか、客観的に書きます。第二は感情です。怒った、でもどのくらい怒ったのでしょう?80%ぐらい怒った。鬱ぽくなった。でも、どのくらいでしょう?自殺が100%だとしたら、70%くらいかもしれません。他に恐れや無気力も感情に入ります。第三は考え(思考)です。そのとき何を考えたかです。これが一番難しいポイントです。自動的に考えていますので、捉えにくいのです。でも、これはコア世界観と結びついています。たとえば「私は馬鹿にされた、価値のないものだと思われた」とします。その人はセルフイメージに傷があります。あるいは「この人が私を訴えて、罪に定めようとしている」とします。その人は理不尽な扱いを受けたために、何らかの恐れがあります。このように、自分の世界観を知るということはとても重要です。
4.新しいコア世界観
きょうは「心の古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着る」ということを学んでいます。これにはいろいろな方法がありますので、「これしかない」とは申しません。これからは、「古いコア世界観を新しいコア世界観に取り換える」ということでメッセージを進めさせていただきます。では、どのようにしたら、古いものを捨てて、新しいコア世界観に取り換えることができるのでしょうか?残念ながら、古いものには執着があって簡単には捨てられません。イエス様も「だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みません。『古い物は良い』というのです」(ルカ5:39)とおっしゃいました。ある人たちは助けを求めてカウンセラーや牧師のもとを訪れます。ところが、彼らは「私は変わりたくありません。ただ、私のこの部分を助けてください」と言います。「あの人を赦して、怒りを手放しなさい」と言われても、「それだけはできません」と言います。「自己憐憫を捨てて、前に進みましょう」と言われても、「いやです、ここに留まりたい」と言います。彼らは怒りや自己憐憫をエネルギーにして生きているのです。「もし、それを手放したら、自分は生きてゆけない」とまで思っているのです。だから、変わるのを拒否します。ただ、困っている所だけを助けてほしいのです。残念ながら、そういう人にはこのような手法は役に立ちません。でも、本当に変わりたいと願うならば、お助けできます。でも、選択と決断はご本人です。
では、どうしたら良いのでしょうか?それは、幼い時、自分の世界が壊されたところに、イエス様をお迎えするということです。私も父から火箸で突かれましたが、その家に、間違いなくイエス様がおられました。機能不全の家庭でしたが、死ななかったのはイエス様が守ってくれたからです。たとえお母さんがあなたを捨てたとしても、神様はこのように言われます。「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ」(イザヤ書49:15-16)。あなたがあの状況で死なないで、生き延びることができたのは、神様の助けがあったからです。イエス様はあなたの心の叫びをご存じです。なぜなら、イエス様は人となって、死の苦しみを味わってくれたからです。イエス様は「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」とあなたの代わりに叫ばれました。あなたが拒絶されたとしても、イエス様だけはあなたを捨てません。これまで握っていた訴状を十字架のもとに置きましょう。父もしくは母、あるいはきょうだいを、叔父や叔母を赦しましょう。イエス様があなたの心の叫びを全うしてくださいます。「もう十分ですね」とおっしゃってくださいます。「はい」と自分を苦しめた人を赦すのです。これは感情ではなくて、意志であり決断です。
今までの古いコア世界観はどのようなものだったでしょうか?「理不尽さによって、潰される弱いコア世界観」だったでしょうか?あるいは「だれも守ってくれない、不安定で弱いコア世界観」だったでしょうか?あるいは「存在価値が乏しくて、恥に満ちた世界観」だったでしょうか?あるいは「すべてが滅びてなくなる、虚無的なコア世界観」だったでしょうか?その古いコア世界観から間違った考え、世界観が浮かんできたのです。ゆがんだ世界観で見るので、まわりの人が信用できず、敵対者に思うのです。ゆがんだ世界観で見るので、守りがなくて、不安になるのです。ですから、古い世界観を捨てて、新しい世界観に取り換えましょう。これは神様がくださる新しいコア世界観です。古いものがAであるなら、新しいものはBです。では、新しいコア世界観Bとはどのようなものなのでしょうか?「たとえ理不尽さによる、圧迫を受けても壊れないコア世界観」です。根雪の下の笹竹のように、一時的に押しつぶされても跳ね返すのです。あるいは、鷲のように逆境を乗り越えるコア世界観です。ときどき、サーファーを見ますが、彼らはあえて大きな波を待っています。波が来たら、それを捕まえて乗るのです。また、「神様が永遠の御腕で守ってくれるので、壊れないコア世界観」を持つのです。それはまるで、スーパーボールという高弾性ゴムボールのようです。また、「神様があなたは高価で尊いと言ってくれるので、エクセレントなコア世界観」を持つのです。excellentとは、「優れた、一流の、優秀な」という意味です。また、「いのちと喜びにあふれた、希望のコア世界観」を持つのです。
一度、コア世界観Bに取り換えたならば、途中で、コア世界観Aにはなりません。逆に、世界観Aの人が、途中で、コア世界観Bになることもできません。どうでしょう、今までの古いコア世界観を捨てて、神様が下さる新しいコア世界観に取り換えましょう。そのあと、どうしたら良いでしょうか?いろんな考えを聖書のみことばに取り換えるのです。積極的で明るい考え方に取り換えるのです。これまでは、古いコア世界観で生きていたので、間違った考えが出てきました。そして、いろんな悪感情で苦しめられてきました。でも、これから一つひとつ、聖書のみことばに取り換えるのです。聖書の価値観をくっつけていくのです。「あの人は私の存在を否定しているのではない、ただコピーの取り方が悪いと言っているだけなのだ」となります。「あの人は私に食ってかかっているが、それは私に問題があるのではなく、あの人自身が怒りを持っているからだ」となります。「今、私の心は沈んでいるけど、神様の御手の中で休めば、また新しい力がでてくる」となります。いつものような感情を信じないで、正しい考えに置き換えるのです。すると、あとで正しい感情が追い付いてきます。私は生まれも育ちも悪くて、世界観が粉々に壊れていました。しかし、そのことのゆえにこういう心の問題に興味を持ちました。私も天国に行くまでは完全ではありません。でも、たとえ不完全であっても、神様が私を愛して、私に価値を与えてくださいます。この世は生きるに値しないと思っている方もおられるかもしれません。しかし、イエス様が御国の喜びをあなたの人生にも与えてくださいます。昔のテレビは白黒でした。まもなくカラーテレビが出ましたが、色がにじんでいました。しかし、今の液晶テレビはなんときれいでしょうか?あなたの人生もそのような色つきの人生になることを期待します。