2010.11.28 過去から未来へ ローマ12:1-2

カウンセリングは西洋では病院と同じような市民権があります。日本では免許がいらないので、オカルト系も含めていろんなものが出てきました。少し前まで、キリスト教会はカウンセリングを拒絶していました。何故なら、この世のカウンセリングは神さま抜きのものが多いからです。しかし、キリスト教会は霊的な問題はよく扱ってきましたが、感情とか思考という心の面をおろそかにしてきたところがあります。人はイエス様を信じて新しく生まれ変わります。そして、みことばと聖霊によってきよめられるでしょう。しかし、心のある部分が相変わらず手つかずという場合があります。ですから、最近はキリスト教会においてキリスト教的なカウンセリングが数多く導入されるようになりました。一方、コーチングはビジネスや様々な訓練の場でも用いられるようになりました。時間に限りはありますが、きょうは「過去から未来へ」と題して、カウンセリングとコーチングについて学びたいと思います

1.カウンセリング

 何故、カウンセリングが必要なのでしょうか?カウンセリングが一番、効果を発揮する分野があります。それは「関係の癒し」です。まず、自分自身との関係があります。自分はだれか?自分とは何なのか?ニューキングジェームスの箴言23:7にはこう書いてあります。For as he thinks in his heart.「なぜなら、彼は、心の中で考えるとおりの人間であるからだ」という意味になります。「その人の考えを全部合計したものがその人自身である」という訳もあります。つまり、「その人の考えがゆがんでいるなら、その人の人格や生活もゆがむ」ということです。多くの人は自分を低く見積もっています。セルフイメージが低いわけです。もし、そうであるなら、自分の生活もそうなるということです。なぜなら、人は自分で考えるとおりに生きているからです。第二番目の分野は家族関係です。両親、伴侶、子どもとの関係です。独身のときはそうでなくても、結婚してから問題がばっと湧き出ることがあります。それは多くの場合、自分の両親との関係が未解決なままだからです。何故、子どもの虐待があるのでしょう?多くの場合、自分も虐待されて育ったからです。第三番目の分野は社会的な関係です。学校、職場、教会、地域社会…私たちは多くの人たちと会っています。この世では合う人と合わない人がいます。そして、ある人たちは途中から学校や会社に行けなくなります。今は、うつ病、パニック障害、人格障害が多い時代です。「仕事自体はあまり苦ではないけど、人との関係が難しい。」こういう人が多いのではないでしょうか?人間は関係の生き物です。猫とか犬は食べて寝られれば幸福です。しかし、人間は人間関係が良くなければ幸せになれません。人に認められ、愛され、尊敬される。そのように人間関係がうまく行けば、幸せなのではないでしょうか?そういう訳で、関係を癒し、関係を修復するためには、カウンセリングが有効だということです。

世の中にも、キリスト教界にもいろんなカウンセリングがありますが、ざっくり全体像を見ていきたいと思います。第一に、心が癒されるために必要なのは「気付き」であります。自分の心がどういう状態なのか、自分では分からない人がほとんどではないでしょうか。しかし、カウンセラーの助けを借りると、「何故、怒るのか」「何故、落ち込むのか」、自分のパターンを知ることができます。そして、その原因を遡ると、幼少期の問題が未解決であることが多いのです。原体験というものがあり、それが何度も、何度も繰り返していることに気付きます。多くの人たちは、今の生活や感情を変えようと努力します。「怒ってはいけない優しくなろう」「落ち込まないで積極的に生きよう」と努力します。しかし、ほとんど長続きしません。また、同じことを繰り返していまいます。何故でしょう?それは、心の深いところが癒されていないからです。「気付き」で重要なのは、今起こっている問題から、その根っこを探り出すことです。怒りとか自己中心、うつ、いろんな実がなっているかもしれません。実を取るのではなく、根っこをさぐっていくことが重要です。その根っこというのが、幼少期の父や母との関係、衝撃的な出来事、トラウマ体験があることが分かります。そこが膿んでいるために、今の生活に影響を与えていると考えるべきです。

 第二は「癒し」です。根っこの部分に遡るとき、幼少時代の何かエピソードがあります。父からこういう扱いを受けた。母からこう言われた。自分のきょうだいが自分にこういうことをした。ある人からこんなことをされた。多くの人たちは、そういう辛い出来事に蓋をして、まるでなかったことのように生きています。それも、自分が生き延びるための手段であり、知恵なのかもしれません。でも、現在の自分に影響を及ぼしているならば向き合う必要があります。エペソ5章には「実を結ばない暗やみのわざを、明るみに出しなさい」とあります。結構、ショックかもしれません。なぜなら、もう一度、辛い体験をしなければならないからです。でも、その痛みは手術の痛みであり、回復のためのものです。すばらしいことに、イエス様があなたの過去に遡って、子どものあなたと出会ってくださいます。一緒にお祈りしながら、「どうですか?そこにイエス様はいないでしょうか?イエス様を捜してください」と言います。すると突然「イエス様がおられました。イエス様は私にこう言われました」など、いろんなことが起こります。李光雨先生がおっしゃるには「心の叫びの完了」であります。幼いあなたは「○○してくれ!」「本当はこうなんだこうしてもらいたかったんだ!」と叫んでいるというのです。その叫びをイエス様にぶつけて、イエス様から完了してもらう。イエス様が「分かっているよ、私がそうしてあげるよ」「残念だったね、私が弁償してあげるよ」「怖かったね、私が守ってあげるよ」と現れてくださるのです。イエス様は神さまですから、過去、現在、未来もありません。過去の事実は変えられないかもしれませんが、過去の感情や考え、トラウマを変えてくださいます。イエス様に励まされて、赦すべき人を赦すのです。とりかえしのつかないような悲しい出来事を神さまにゆだねるのです。きっと、イエス様があなたに弁償してくださいます。そこから、希望がわきあがってきます。

 第三は「新しい生活」です。聖書で言う「悔い改め」とは過去を悲しむことではありません。Cheng of mind.心の方向を変えるという意味があります。私たちは生活を変えるためには、まず考えを変える必要があります。ローマ122「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」とあります。ここで言う、こころとはマインド、思いとか考えという意味です。私たちは感情を変えることはできません。感情というのは車のメーターのように中立的なものです。車にはいくつかメーターがついています。速度、エンジンの回転、ガソリンの量、水温…いろいろあります。「やけに水温が上がっているなー。じゃ、メーターを下げよう」とやっても無駄です。ラジエーターの水がないためにエンジンが焼け付きを起こしているのです。メーターのせいではありません。しかし、多くの場合、私たちは感情をどうにかしようとします。お医者さんは「あなたが鬱的なのは、脳の分泌物が足りないのでしょう。これを飲んでください」と言うかもしれません。そういう場合もないわけではありません。でも、多くの場合、感情ではなく、考えが歪んでいるのです。考え方を変えるならば、感情が変わり、生活が変わります。あるときは、考えを変え、生活を変えると、やっと感情が変わる場合もあります。あなたはもう何十年も思考のパターンができてしまっています。つぶやいたり、不平を言うのが、性格の一部分になっているのかもしれません。そういう悪いものを十字架につけて、新しい命をいだだきましょう。自分のコアの部分が癒されると積極的な考えやみことばがどんどん入ってきます。そして、新しい考えで生活をしていくと、どんどん新しい性質が身についていきます。神さまはあなたに新しいライフ・スタイルで生きることを望んでいらっしゃいます。箴言1515「悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。箴言17:22 「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」

2.コーチング

皆さんは、コーチということばをよく聞いたことがあると思います。バレーボールとか、野球、すべてのスポーツにはコーチがいます。しかし、コーチということばがどこから来たのかご存知でしょうか?元来、コーチとは馬車という意味です。馬車は、人を目的地まで運びます。それが、転じて、人を目標達成まで導く人をコーチというようになりました。馬車に比べて列車はどうでしょう?列車は大勢の人を駅から駅まで運ぶことができます。しかし、乗客は自分で駅まで行き列車に乗ります。そして、駅を降りたら自分の足で目的地に行くしかありません。一方、馬車(コーチ)はその人の家から、最終の目的地まで運んでくれます。つまり、コーチとは個人に集中し、その個人が発展していくことを目標にしています。では、カウンセリングとコーチングの違いとは何でしょう?一般的にカウンセリングは個人の問題を取り扱います。問題がなければ人はカウンセラーのもとに行きません。そして、カウンセリングは過去から現在までを取り扱います。どちらかと言うと過去の問題を探ることが多いかもしれません。一方、コーチングはどうでしょう?コーチングは過去のことも扱わないわけではありません。でも、どちらかと言うと現在から未来にかけての事柄を取り扱います。つまり、こういうことです。「あなたはどこへ行きたいのですか?ああ、そうですか。私がそこまで連れて行ってあげましょう」ということなのです。それがコーチ、コーチングです。でも、その人の目的地が間違っていたらどうでしょう?自分勝手で神さまのみこころとずれていたらどうしたら良いのでしょう?それでも、その人の言いなりになるのでしょうか?この世のコーチは営業のために、そうするかもしれません。でも、クリスチャンのコーチはそうではありません。ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」そうです。何が神のみこころなのか?何が良いことで神さまに受け入れられるのか?それを一緒に見出すのです。ある場合は、目的地を修正しなければならないときもあるでしょう。神さまがその人に計画している、目的地にお連れする、これがクリスチャンのコーチです。この世のコーチングは、その人自身の中に答えがあると思っています。しかし、私たちの場合は神さまが答えを持っていると信じます。また、この世のコーチングは、その人自身に無限の可能性があると思っています。しかし、私たちは神さまがその力を与えると信じています。

 前半ではカウンセリングについての概要を学びました。カウンセリングの場合は心の傷を癒し、考え方を修正するということに集中しました。簡単に言うとマイナスからプラスマイナスゼロ地点までです。私たちは、ゼロ地点で満足するわけにはいきません。もっと上のプラスの時点まで行くべきです。カウンセリングとか癒しをばかりやっていますと、後ろ向きになり、行くべき方向がわからなくなります。その点、コーチングは将来のこと、未来のことに焦点を合わせます。でも、みなさん、私たちの人生というのは過去、現在、未来と連続した時間の流れの中に生きていることを忘れてはいけません。ある人たちは過去の忌まわしい出来事を全部忘れて、未来にだけ生きようとしています。ときどき、ある人たちは「何もかもリセットして、新しくやり直す」と言います。お気持ちは分かりますが、私たちは機械ではありません。過去のことを全部忘れて、新しく生きることなど不可能です。神さまは私たちの過去の失敗、過去の傷を益に変えてくださるお方です。あなたの不幸な歴史は無駄ではなかったのです。神さまはそれらを逆手にとって、今後、神さまのご栄光のために用いてくださるのです。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」あなたの失敗や傷は無駄ではないのです。なぜなら、神さまはすべてのことを働かせて益としてくださるからです。神さまはあなたがイエス様を信じていないとき、あの親から生まれ、あのような環境の中で育ったあなたの人生を益に変えてくださるのです。ということは、あなたの資源は、親から受け継いだ生来のもの、あなたが努力して得たもの、そして神さまが新たに与える賜物と3つの分野から得ることができるのです。

 では、将来に向かって最も大切なテーマとは何でしょうか?李光雨先生はこのように言われます。新しいライフ・ステージに入っていくために、新しいエネルギーが必要です。これまでは恨みとか、怒りとか、悲しみとかがエネルギーになってきました。ライフ・スタイル・チェンジを通して、ライフ・スタイルに変えていく、その新しいエネルギーは、賜物と召命に気付くことです。神から与えられた賜物、新しいエネルギーである賜物に気づくことです。それがどうしても次のライフ・ステージに上っていくために必要です。そして、最終的には「これが自分のミッションなんだ」ということを再確認することです。ちょっと横文字が多くて、途中から理解できなかったかもしれません。簡単に言うと、自分は何をするように召されているのか賜物と召命に気付くことです。そして、それが神さまから与えられた使命になっていくということです。私は小学校のとき切手を集めていました。小学校5年生の頃、オリンピックの記念切手が発売されました。遅刻覚悟で郵便局に並びました。記念シートの枚数が少なかったため、じゃんけんとなり、私が勝って、それを手にすることができました。あるとき、兄がそのオリンピックの記念シートを「俺によこせ」と言いました。私は「これは大事なものだからだめだ」と言いました。取り合いになって、兄がそのシートを手でぐちゃぐちゃにしました。私は「何をするんだ!」と大声で泣きました。実は、私たち兄弟がやりあっているところに、父が黙って座っていました。私たちが大声で喧嘩をしているのを見て、父はその切手を私たちから取り上げ、「こんなものがあるからだ」とか言って、蒔きストーブの中にくべてしまったのです。私はその時から、ぴったり記念切手を集めることをやめました。全部、どこかにやってしまいました。それが、私の大きな傷でした。家庭を治めるべき父がちゃんと治めない。また、兄が私のものを取ったので、私は不当な扱いを受けました。「治めるべき人が治めない」そして「不当な扱い」が私の傷でした。

 しかし、私が癒されて、解放されてからどうなったのでしょうか?私の趣味であった切手収集はどうなったのでしょうか?私は、コレクションらしいコレクションはしていませんでした。しかし、インドネシアのエディ・レオ師に出会ってから、先生のメッセージを一字一句書いて、パソコンに蓄えるようになったのです。丸屋先生、ベン・ウォン師、さまざまなセミナー、そして自分の説教、すばらしいコレクションになりました。私は「テープお越しなんて、時間の無駄だ。やめよう」と何度も思いました。でも、パソコンの前でパチパチやってしまいます。10年以上なるので、今ではものすごい量になりました。李光雨先生は私にこういうのです。「先生は、資料を集めて、必要な先生方にそれを提供するセンターのような賜物と召命がある」と言われました。そういえば、私の趣味はテキスト作りであす。そして、できたものを無料で先生方に差し上げることだったのです。中には、差し上げても「いらないよ」という先生もいます。それはそれで良いのです。求める人は与えられるけれど、求めない人は与えられないからです。10年前に「すずめの学校」というものをやりました。亀有付属神学校です。でも、名前が可愛すぎたと反省しています。これからはコーチングに力を入れて、後継者やリーダーたちを育てていきたいと思います。

 では、コーチングの概念で最も重要なこととは何でしょう?それは終わりから始めるということです。普通、私たちが将来のことを考える場合、今の時点からスタートします。そして、「いつか、こうなったら良いなー」と思ってがんばります。悪いことではありません。でも、本当は完成図である青写真を最初に描き、そこから逆算していくべきであります。つまり、終わりから始めるということです。この近くで修徳高校が新校舎を建築中です。白い防護壁の脇からチラッと見ることができます。「あ、今、杭打ちをしているなー」とわかります。その次に、生コン車とポンプ車が来ます。「あ、今、基礎のコンクリートかなー」と分かります。そのうち、1階、2階、3階と建物が高くなっていくでしょう。私たちは彼らが「この先はどうしようか」と考えながら少しずつ工事をしていると思います。しかし、そうではありません。彼らのもとには既に完成図があるのです。配管や配線図ばかりか、机やイス、黒板の位置まで決まっているのです。そのつど、そのつど考えているのではありません。青写真(完成図)があって、そこから逆算しているのです。つまり、終わりから始めているのです。ですから、今から10年後、あるいは20年後の青写真を描きましょう。青写真とはあなたが主にあって成し遂げたいミッション(使命)です。10年後、私の生活はこうなっていることを望む。10年後、教会はこうなっていることを望む。そういう青写真ができたなら、では、5年後はどこまで進んでいるべきだろうかが分かります。3年後はこのくらい、1年後はこのくらいだろう。すると、「1ヶ月ではこのくらい進んでいなければならない」と言うことが分かります。ある人たちはビジョンや夢を描きます。しかし、それでおしまいになっている人もいます。その次が問題です。はっきりとした青写真を描き、終わりから始めるのです。マルコ11:24「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

 そのとき、コーチはコーチを受ける人に質問します。「この1ヶ月間、あなたの目標はどうでしたか?」「目標の助け(順風)になるものは何ですか?」「目標の妨げ(逆風)になっているものは何ですか?」「妨げを乗り越えるための資源(リーソース)はありますか?」「この先、1ヶ月間、何を達成したいですか?」時々、コーチはアドバイスや資源を与えることはできます。しかし、当人自身が「ああ、こうすれば良い」と気付かされることが多いのです。聖書にバルナバという人物がいました。彼は初代教会において「慰めの子」と呼ばれるほど、人をよく励ました人です。やがてバルナバは、サウロ、のちのパウロをコーチしました。パウロは最も用いられた使徒の一人です。でも、パウロの背後にはバルナバがいたのです。音楽においても、スポーツにおいても我流でやっていると必ず行き詰ります。信仰生活においても自分をカウンセリングしてくれる人、あるいは自分をコーチしてくれる人が必要なのではないでしょうか?