イエス・キリストがエルサレムに入城するのは日曜日です。そして、その週、十字架にかけられ、次の週の日曜日復活します。そのことが、マルコ11章から16章まで書かれています。マルコによる福音書は16章までですから、全体の三分の一が、一週間に起こった出来事であります。ということは、マルコ福音書は十字架が中心と言っても過言ではありません。ところで、イエス様はろばの子に乗って、エルサレムに入城したわけですが、そのことが一体どういう意味があるのでしょうか。2つのポイントで学びたいと思います。
1.ろばの子に乗って
ニュースでは、総理大臣の支持率というのがよく取り上げられています。就任したときが一番高くて、数年たつと、低迷していくようです。イエス様の支持率は群衆にパンを与えたときがピークでしたが、だんだん落ちてきました。なぜなら、相変わらず、ローマがイスラエルを支配しており、政治的にも経済的にも全く変化がなかったからです。しかも、「人の子は捕らえられ殺され、三日の後によみがえる」などと、訳のわからないことを言っています。メシヤが死んでしまったら、元も子もありません。しかし、この日曜日、もう一度、支持率が高まり、人々は「ホサナ、ホサナ」とイエス様を歓迎しました。彼らの心の中に、「もしかしたら、イエスがエルサレムで革命を起してくれるんじゃないか」というわずかばかりの期待があったのでしょう。でも、その期待は見事に裏切られ、同じ群衆が今度は「十字架につけろ!十字架につけろ!」と暴徒と化すのであります。人々の支持率というか、群集の心というものは、まことにいい加減なものであります。それでも、イエス様は人々の歓迎を受けて、エルサレムに入城しました。しかし、そのスタイルと言いましょうか、方法が、まことに奇妙であり暗示的でした。普通、王様が入城する場合は、二頭立ての馬車もしくは着飾った軍馬が当たり前であります。ところが、イエス様の場合は、あえてろばをしかも、子どものろばを用いたのであります。どうでしょう、王様がろばの子どもにまたがって、入城するというのは少し滑稽ではないでしょうか?
まず、11章のはじめを見て、不思議に思いませんでしょうか?イエス様はオリーブ山のふもとにいるのに、「向こうの村にろばの子がつないである」ということを超自然的に知っていました。そして、飼い主が「なぜ、そんなことをするのか」と言ったら、「主がお入用なのです」と答えなさいと言いました。二人の弟子が向こうの村に出かけると、ことばどおり、ろばの子がつないでありました。それで、飼い主に「主がお入用なのです」と言うと、「ああ、そうですか」と許してくれました。イエス様が申し送ったことばに、その人は従わざるを得なかったのであります。なぜなら、イエス様のことばは、生きており、力があったからです。それはともかく、なぜ、イエス様はロバ、しかも子ろばにまたがったかであります。マルコ福音書ではわかりませんが、マタイの福音書には、旧約の預言の成就であると書いてあります。ゼカリヤ書に、その預言があります。ゼカリヤ9:9「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」メサイヤでは、ソプラノのソロが、このところを Rejoice, rejoice greatly と美しく歌います。ゼカリヤ書には、メシヤの預言がありますが、大きく分けて二段階あります。第一段階は、初臨のメシヤであり、とても謙遜なメシヤであります。クリスマスで地上に生まれ、人間として成長し、十字架にかかって死ぬメシヤです。もう一段階は、世の終りに現れる再臨のメシヤです。再臨のメシヤは、恐るべき王であります。黙示録19章にはこのように書かれています。「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実。』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。」世の終り、メシヤは馬に乗って来られ、しかも、世をさばくために来られる王の王であります。「メシヤは二段階で、来られる」とはどういう意味でしょうか?ろばの子に乗られるメシヤは、神との和解をもたらす平和の君であります。イスラエルの人たちは、世をさばくメシヤが来られると期待しましたが、その前に、イエス様にはなすべきことがありました。それは、メシヤ自身が罪の贖いとなり、神との和解の道を開くということです。神様は、神の国を完成する前に、神の国に入る人々を招きたいのです。だれであれ、イエスを救い主として信じたなら、神の国に入ることができるのです。今は恵みの時、今は救いの日です。でも、それはいつまでも続くわけではありません。やがて、裁き主としてメシヤがこの地上に再び来られるまでであります。
ヨブ記にすばらしいみことばがあります。これは、テマン人エリファズが言ったことばですが、このことばは真理であると思います。ヨブ22:21,22「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。」
「神と和らげ」とは、神様と仲良くせよ、和解せよという意味です。そうしたら、平和と幸いが来るのです。ローマ人への1章から3章の半ばまで、神様が人類に対して怒っているということが書かれています。「被造物を見て、神様がおられるということを知りながら、感謝もせず、あがめもしない。かえってその思いは空しくなり、滅ぶべき人間や動物を拝んでいる。神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡された。義人はいない、ひとりもいない。神を求める人はいない」と書いてあります。しかし、3章の半ばで、イエス・キリストがその血によるなだめの供え物となってからはどうでしょう。神の罪人に対する怒りがおさまり、信仰による者を義と認めるようになりました。そしてローマ5:1にこう書いてあります。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ハレルヤ!義と認められた私たちは、神との平和を持っているのです。なぜなら、主イエス・キリストによる贖いのゆえです。あなたも、私もイエス様を信じた結果、平和がやって来たのです。なぜなら、神様と和らいだからです。神様と和解したからです。よく、写真を撮るときに、「ピース、ピース」と言います。本来、ピースとは、イエス様を信じて得たことの平和であります。「私は、神様と和解して、平和を得ました。私は世の終りが来ても、裁かれないのです。本当に感謝です。ピース、ピース。」これが、本当のピースであります。
皆さん、二頭立ての馬車や着飾った軍馬だったら、近づくことはできません。でも、子どものロバに乗っているメシヤだったら背丈が低いですから、「ホサナ、ホサナ」と容易に近づくことができるでしょう。ホサナとは「今、救ってください」という意味のことばです。最初に来られたメシヤが、柔和で謙遜であられたから、良かったのです。いきなり、目が火で燃えている、恐ろしいメシヤだったら、もうだめでした。思えば、イエス様はこの世に生まれたときから謙遜でした。宮殿ではなく、きたない馬小屋でした。育ったところは、「ナザレから何の良いものが出ようか」という片田舎でした。しかも、最初の追従者と言えば、教育のないガリラヤの漁師たちです。エルサレム大学を出た人たちではありませんでした。日本のプロテスタントはインテリ層への伝道が主流でした。明治には全国にキリスト教を土台とする大学がたくさんできました。あれから120年たちましたが、人口の1%満たないのです。その代わり、民衆に向けて布教した新興宗教が圧倒的に広まりました。天理教、立正佼成会、創価学会。共産党は無神論という1つの宗教です。そういう新興宗教が下町と言われる足立区、葛飾区には多いのであります。情報の乏しかった地方は、明治前の神道と仏教がそのまま残りました。イエス様は民衆に、庶民から先に伝道しました。初代教会もそうでした。おかしくなったのは、ローマにおいて国教会になってからであります。聖職者と言われる人たちが、教会を支配し、一般の人たちを教会の外に出したのです。そして、哲学と神学を学ぶための大学を建てました。キリスト教はますますアカデミックになりました。学問が悪いといっているわけではありません。でも、私たちはロバの子にまたがり、柔和で謙遜であられたイエス様を忘れてはいけません。私たちは、初臨と再臨の間に生きています。教会は、イエス様がこの地上で成された和解を一人でも多くの人たちに、受け入れてもらうためにあるのです。「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう」「私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。
2.主がお入用なのです
イエス様を乗せた、ろばはきっと有頂天になっていたでしょう。人々が道端にやしの木のはっぱを敷いたり、上着を敷いています。前を行く人も、あとに従う人も、「ホサナ、祝福あれ」と叫んでいます。ろばに私たちと同じ心があったら、「いやー、俺ってたいしたもんだ」と思ったのではないでしょうか。これは、私たち奉仕者にもよくある勘違いです。特に、人の前で立って奉仕をしている牧師や伝道者たちです。まるで、自分が人々からあがめられているようにいい気分になります。本当は自分がお乗せしているイエス様をあがめているのに、「ああ、勘違い」であります。私は牧師や伝道者は身分とかスティータスでも何でもなく、神様がくれた奉仕職だと思います。使徒パウロは自分のことを「キリストのしもべ」と言いましたが、全くそれと同じです。でも、牧師職よりももっと大事なことは、自分はクリスチャンであるということです。クリスチャンとはキリストに属する者という意味であります。牧師職は一時的でありますが、クリスチャンは永遠であります。昭和1桁かそれくらいの先輩たちは、牧師職を誇りにしてます。誇りにするのは良いのですが、身分とかスティータスにしています。レバレントや博士号をとても大事にしています。そういった人たちは、神学校の卒業式とか按手礼、何かの儀式のときは、みたことのないようなガウンを着ます。黒のガウンに赤い線が型や腕に何本も入っているものもあります。あの服は聖公会とか、ケンブリッジやオクスフォード大学のなごりであります。なんで、あんな権威をまとわなければならないのかがっかりします。みなさん、牧師や伝道者もすばらしいですが、それはこの地上の時だけであります。自分はクリスチャンであることこそが、一番大事であり、死ぬまで続くものであります。牧師や伝道者に引退はありますが、クリスチャンには引退がありません。
皆さんは「ちいろば」ということばを聞いたことがおありでしょうか。もう、天に召されましたが、四国に榎本保郎という牧師がおられました。『旧約聖書一日一章』はベストセラーで、私も10年以上、ディボーションの本として学ばせていただきました。三浦綾子先生が、『ちいろば先生物語』という、榎本先生の伝記を書いておられます。榎本先生が同志社の神学生の頃、同僚の林とこのような会話をしています。「な、林、ぼくは学校は出ても出えへんでも、ええんや。只信仰があれば、伝道者になれると思っとんのや」。「ぼくもおんなじや、榎本。神が共にいましてくださるなら、この世の牧師だの、伝道師などの資格などのうても、教会は成り立っていくと思う」。…この会話の後、子ろばの話になります。二人の会話です。「ぼくがな、もし何かに乗ろうと思ったら、ろばなんぞには乗らん。馬に乗るやろな。嘘かほんとか知らんが、ろばはな愚図な、魯鈍な動物やと聞いとる。ぼくなら、ろばには乗らん」「ぼくもそうやな」「ところがイエス様は、一度も人をの乗せたことのない子ろばに乗ろうとされた。ぼくなら、せめて何度も何度も人を乗せたことのある親ろばを使うわ。一度も人を乗せたことのないいう以上、ほんとの子ろばや、ろばの赤ん坊や。乗り物としては下の下や。そう思ったとき、林な、あ、ぼくも人間の中の下の下やと思ったんや。人を乗せたら、何歩でも参るかわからへん。そんな力なしや思ったんや。けどな、イエス様はな、小さな子ろばに乗って、エルサレムに入城なさった。ぼくもな、主の用なりと言われたら、愚図やけど、イエス様を乗せてどこへでも行こ、そう思って眠れへんかったんや」。…ちょっと関西弁が微妙ですが…。ここに林さんが登場していましたね。当教会の林兄は、榎本先生直系の家庭集会の出身です。
榎本先生は「主の用なりと言われたら、愚図だけど、イエス様を乗せてどこへでも行こう」と思いました。私は洗礼を受けて、数ヵ月後に同じようなことを思いました。1979年の11月頃だったと思いますが、当時の座間教会の神学生から「こんど神学校の文化祭があるので来たら」と誘われました。その当時、座間には3人のうら若き神学生がおりました。その中に遠藤京子姉もおりましたが、誘ってくれたのは湯田民子姉でした。彼女は「救われた方のユダです」と自分で言っていました。私は「学校の文化祭」という軽い気持ちで、小田急線に乗りました。すると電車の網棚に、少年マガジンがあり「ラッキー」と思って見ました。しかし、読みきれなかったので、少年マガジンをかかえながら、会場とおぼしき新宿の教会に行きました。ところが、様子がだいぶ違っていました。みんな、聖書と聖歌を持っていました。私は、漫画雑誌!とにかく、前の方の席に座りました。すると、ペテロ建設の小林金太郎さんご夫妻の間に座り、聖書と聖歌を見せていただきました。後から分かるのですが、この方は、元亀有教会の役員さんで、隣の亀有福音教会に移った人でした。その集会は、若い献身者を募るための聖会で、文化祭でも何でもありませんでした。メッセージが始まり、亀有福音教会の高木先生でした。先生は、頭の上から出るような甲高い声で「主がお入用なのです」とこの箇所からお話しなさいました。私はそのとき、「主がお入用なんて、自分は物じゃないぞ、馬鹿にすんな!」と思いました。最後に先生はご自分の失敗談を語ってくれました。駆け出しの頃、ある伝道集会を準備し、ここが満席になると自信たっぷりに待っていました。自分は大伝道者になれると自負していたわけです。ところが、時間になっても、だれ一人としてやって来ない。そのとき「猫でもいいから、来てくれ」と思ったそうです。ま、先生は砕かれた訳です。どうつながったか忘れましたが、最後に、「主がお入用なのです。ご自分を主の前に献げたい方は、お祈りしますので、前に出てきて下さい。主がお入用なのです」と招かれました。「それにしても甲高い声だなー」と思いましたが、すくっーと席を立って、恵みの座に出て、ひざまずいて祈りました。いわゆる献身の招きに応じてしまったわけです、何も知らないで。その1ヶ月後の12月、私は大川牧師に、フルタイムの献身の告白をすることになります。「主がお入用なのです」ということばを聞くと、28年前のことを思い出します。
私は「自分は主に自分自身をささげます」と恵みの座に、何度も出ています。でも、最近は、自分は牧師なんだし、ささげているつもりだと思っていました。恵みの座なんか、10数年、出ることもありませんでした。「今さら、こっぱずかしー」という感じです。ところが、この間の、台湾で開かれた東アジアサミットのことです。たくさんの宣教師が一粒の麦となって死んでいった話を聞きました。韓国の最初の宣教師はロバート・トーマスであり、本と聖書を持ってきました。当時は鎖国が敷かれており、人々は船を焼きました。彼は泳いで上陸するのですが、捕らえられてしまいました。そして、殺される前にパク・チュンガンに聖書を渡しました。その人は家に帰ってクリスチャンになったそうです。サムエル・モフィットも聖書を持ってきましたが、それを渡すことができませんでした。一人の人が川に浮かんでいたバラバラの聖書を拾って、家の壁にはりました。その人が救われ、ピョンヤンの最初の教会になったそうです。ある人がそれを拾って、家の壁一面にはっておいたそうです。その人は、それを読んでイエス様を信じました。その家族が救われ、ピョンヤンの最初の教会になったそうです。ルビー・ケンドリック(女性)は、医療宣教のため韓国に渡ってきました。しかし、病気のため10ヶ月後に死んでしまいました。たった25歳だったそうです。彼女は死ぬ前に、ある宣教師のことばを用いてこう言いました。「私が1000の命を持つことができたら、韓国は1000の命を受け取るべきです」。他に、中国、台湾の初期の頃の宣教師の話しを聞きました。ベン・ウォン師は、みんなにメッセージしました。宣教に行きたくないところは2つあります。1つ目は貧しいこところ、2つ目はイスラム圏です。ところが、世界地図を見ると、貧しいこところはアジア、そしてイスラムがいるのもアジアです。これからはアジアが出て行く時代です。でも、私たちはいつも「準備ができていない」と言います。ネビル宣教師は中国に伝道に行きました。彼を送り出したニュージーランドの教会は80人の教会でした。私たちはいつになったら準備ができるのか。今こそ、私たちの順番ではないだろうか。そして、ベン・ウォン師は、そのために祈ってもらいたい方は立ちなさいと言いました。四国から来られた牧師は立ちましたが、私は「宣教師などという召命はないし、もう私はすでに献身している」と立ちませんでした。集会が終わって、少し恥ずかしい思いがありました。
次の日は、小学校の体育館で台湾スペシャルがありました。その夜は、私たちだけではなく一般の信徒も体育館の中に集まりました。この間来たジェームスの生徒たちのブレイクダンス、賛美、そしてカナダから渡って来たマカイ宣教師の劇がありました。彼は台湾の人たちから「野蛮人」と言われ、肥を頭からかけられたりしました。それでもマカイはめげず、教会設立だけではく、医療、農業、教育にも従事しました。1200本の虫歯を抜いてあげたそうです。彼は死ぬ前に、「私は、錆びるよりは、燃え尽きて死にたい」と言いました。また、劇の後で、ベン・ウォン師とテモテ師が招きをしました。「あなたがたは安全なところに身を置いていないだろうか。主の招きに答えたい人は前に出なさい」と言う声に、私は従いました。久しぶりに、恵みの座に出ました。きょうのメッセージは「主がお入用なのです」であります。福音宣教のために、あなたを、あなたを主がお入用なのです。人々に福音を語るのは私たちですが、人々を救うのはイエス様です。イエス様は人を乗せたこともないような「ちいろば」初心者をも用いられるのです。主の福音を運ぶ、「ちいろば」になって、主が行きなさいという所ならどこへでも行きましょう。