3週間メッセージがなかった。安息年?いろんなタイプがあるんだなーと分かった。最初の丸屋先生とこの間のベン・ウォン師とは「静と動」。神様はいろんな人を用いられる。共通して言えることは(中嶋先生もそうだったが)、みんな説教が長かった。私は30-35分。
1.人を汚すもの
15節はたとえであるが、1-5節の手を洗う儀式と関係している。
パリサイ人たちは外から入る汚れを心配していた(食べ物、手、食器)・・・宗教的汚れ
しかし、イエス様は人(心)の中にあるものが人を汚すと言われた。
イエス様は外から口に入るものは問題にしていない。19節「かわや」に出されてしまう。
何を食べるか、器はきよめてあるか、手をきよめているか問題ではない・
問題のなのは人から出るもの、心の中から出てくるもの・・・これが人を汚す。
心の中に、人を汚すものが本当にあるのだろうか?
人から言われたひとことで、眠れなかったり、一週間くらいイヤな思いが離れないことがある。
日本人は、よく「口は悪いが心は良い」と言う。
エレミヤ17:9「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう」。
ベン・ウォンは隣の人と互いに「あなたの心は何よりも陰険ですと言いましょう」。
口語訳「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている」。
これは修復不可能、改善不可能という意味。ボロ雑巾のようなもの。
私たちは汚れたことばを受けて育ってきた(親、兄弟、学校で)。
さらに、相手を傷つけることばを出して、仕返ししてきた。
今も、汚れ(悪いことば)が、頭にこびりついたり、心に蓄積しているのかもしれない。
悪いことばがトラウマ、洗脳・・・私たちを支配
三日ぼうずね、役立たず、落ち着きがない、くさい、
こっちも負けずに言い返してきた。
外から入る、食べ物ではなく。私たちの心から出るものが人を汚しているのだ!
イエス様は「悟りなさい」と言われた。病識が大事なように、まず、「認識、気付き」が必要。
「口は悪いが心は良い」と言ってては、いつまでも治らない。
「ああ、心の中が汚れているなー。私には神様が必要だなー
イエス様はマタイ5:3「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」と言われた。
2.悪(罪)のリスト
体の中を診るのはレントゲン、心の中を診るのは「神のことば」である。
ヘブル4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」。
神のことばはよく切れる剣である。この剣を互いに人に向けるなら教会は「戦場」になる。
だから、みことばの剣、聖書を自分にあてはめる。
詩篇119「みおしえ、さとし、おきて、戒め、仰せ、定め」守る、愛する、従う、離れない。
私たちも神のことばを愛する必要がある。
人を汚すとは、人間関係(共同体)を破壊する罪のことをさす。
たとえば、姦淫や不品行は当人同士の罪ではない。家庭や教会、社会を破壊する。
悪いことば(うわさ、陰口、嘲笑)も、共同体を破壊する罪である。エペソ4:29
うわさや陰口は、羽のように広がって、後で取り戻すことができない。
今は新しい形でなされている・・・ブログというインターネットの日記・・・韓国の女優が自殺
殺人も盗みもまわりがひどく苦しむ・・・共同体を破壊する。
イエス様は罪を神学的、概念的なものにしていない。非常に実際的である。
盗み、殺人、姦淫は心から始まり、心の中で最初に犯すのである。
神のことばのレントゲンによって、心の中にこれらの罪がないかチェックする必要がある。
レントゲン検診で癌がわかったらどうするだろうか?軟膏を塗るだろうか?死に至る。
みことばによって罪があると分かった。そのままにしていると外に表れる。死に至る。
癌は初期であればあるほど良い。罪もそうである。根を張ると引き抜くのが大変。
道徳を教えたり、刑を重くしても罪を防ぐことはできない。発端である心を変えるしかない。
①霊的に生まれ神の愛を受ける
罪のあがないを受ける。イエス様は十字架ですべての罪をあがなわれた。前金。
②きよめと癒しを受ける
傷の癒しも必要だが、罪は悔い改めるしかない!構造を十字架につける。
悔い改めとは方向転換!クリスチャンになっても一生涯続く!
③共同体の中で訓練を受ける
新しいライフスタイルを身に着ける。盗みから与える人。悪いことば人の徳を高める。
教会は共同体であり、「どのくらいで人を傷つけるものなのか?」程度がわかる。
私たちは主を見上げ、栄光から栄光へと変えられている。プロセスをだとっている。