2007.1.28 自然に成長する教会 マルコ4:26-32

イエス様は神の国について説明するために、しばしば鳥や花、作物のたとえを用いておられます。先週は「種まきのたとえ」でしたが、本日の箇所は「種の成長」と「からし種」のたとえであります。聖書学者は、「イエス様がこのようなたとえを用いられたのは、当時の人々が農業で生活していたからである。もし、今日、主がおられたならコンピューターのたとえを用いるだろう」と言うかもしれません。でも、そうではなく、イエス様は生物からでなければ語れない真理があるので、あえてこのようなたとえを用いられたのであります。生物は本当に不思議です。コーヒー・メーカーはコーヒーを作ることができますが、もう1つのコーヒー・メーカーを作ることはできません。でも、コーヒーの木はコーヒー豆を生産し、また新しいコーヒーの木を生産することができます。生物には神秘性があります。なぜなら、神様がそのように造られたからです。

1.人手によらず

 26-28節「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」28節の「人手によらず」はギリシヤ語では「オートマテ」であり、英語のオートマチックのもとになった言葉です。ですから、この部分を「自動的に」とか「それ自身によって」「おのずから」と訳すことができます。確かに人間が地に種を蒔きます。でも、芽が出て、苗になり、穂ができて、穂の中に実が入るのは、作物自身がやることです。人間は、水をやったり、雑草を抜いたり、害虫を駆除したりはするでしょう。でも、作物の成長に関してはノータッチであります。「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに」作物は育つのであります。そして、最後、人間が鎌を入れ、収穫をします。これらのことと、神の国とが何か関連があるということです。福音の種をまく、つまり、伝道することは私たちがすべきことがらであります。しかし、人を救うのは神様であり、人間ではありません。また、人を成長させるのも、神様であり、人間ではありません。確かに、生まれたばかりのクリスチャンに対して、教え、戒め、訓練、愛情を注ぐことは必要です。使徒パウロは、Ⅰコリント3:7,8でこのように言っています。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」魂の成長すらも、人間の分野ではなく、神様がなさることであります。なぜ、私のような者に牧師が務まるのでしょうか?それは、イエス様ご自身が教会を建てるとおっしゃったからであります。

 福音は旧約聖書の中にもあります。でも、厳密に神の国の福音を伝えたのは、イエス・キリストであります。そして、全世界に福音を宣べ伝えたのは、弟子たちであり、教会であります。神の国はローマ帝国に比べたら、からし種のように吹けば飛ぶような存在でした。イエス様は弟子たちに「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」(ルカ12:32)と言われました。神の国はこの世にまかれましたが、見えないところで広がり、やがては全世界にまで及びました。国境を越え、時代を越え、肌の色を越え、広がっていったのであります。イエス様の時から、2000年もたっていますので、総人数は、何十兆かになっているのではないでしょうか。イエス様はマルコ4:30-32でこのように言われました。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」ハレルヤ!であります。ここに集まっておられる、皆さんも神の国に宿る者となったのです。私は毎朝、散歩しますが、ときどき嗚咽するときがあります。朝は、まだ暗いのでだれも見ていません。聖歌451に「神なく、望みなく、さまよいしわれもー」という賛美があります。まさしく、秋田の片田舎で生まれ、神なく、望みもなく、死の世界でさまよっていた者です。それが、イエス様にあがなわれ、永遠の命が与えました。福音の種は、こんな者にまで届いたということであります。そして、こんな者にも、神の国が与えられたということです。これが感動しないでおれましょうか!

使徒パウロはイエス様の福音を小アジアやヨーロッパまで運んだ人であります。もちろん、パウロがひとりでやったわけではありません。しかし、パウロは福音の影響力を信じていました。ローマ1:16で「福音は、救いを得させる神の力、ダイナマイトである」と言いました。鳥インフルエンザも怖いですが、福音の力はもっとすごいのです。あのローマ帝国も、西暦300年にはキリスト教国になりました。ゲルマン民族もキリスト教化されました。福音はヨーロッパから南北のアメリカ大陸に移りました。その次に福音はアジア大陸に、そしてアフリカに移りました。そろそろ、地球を一周しようとしています。「おお、日本をお忘れなく!」と言いたいです。でも、私たちは福音の広がりに目を向けるべきであります。パウロはまだ、福音を宣べ伝えて間もない頃、このように言いました。コロサイ1:6「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです」。福音は世界中で、実を結び広がり続けています。そして「あなたがたに届いた」と言っています。あなたがたとは、極東の日本であります。聖書の世界から一番、遠い国は東の果て、日本であります。日本は「日の出る国」と言われています。私たちが生き証人です。数ではありません。このように、私たちのところに福音が届き、私たちが救われてクリスチャンになっていることを喜びたいと思います。私がこの教会に赴任した頃、ある人がこう言いました。「亀有は、創価学会と共産党がさかんなのに、よく教会がありますねー」と言われました。ハレルヤ!「亀有に、キリスト教会がある」このこと自体が奇跡なのです。しかも、1時間以上もかけて来られる方もおられます。柏、荒川区、墨田区、それから足立区の保木間などはちょっと遠いです。この間は、石垣島から来られましたね。「失ったものを悲しむのではなく、今、あるものを喜べ」という言葉があります。同じように、来なくなった人を悲しむのではなく、今、来ている人を喜ぶ。神の国は、私たちの知らないところで成長し続けています。やがて世の終わり、収穫の時がやって来ます。実は倉に入れられて、殻は火で焼かれます。一方にとっては救いであり、他方にとっては滅びです。それは、まことに厳粛なときです。まだ、世の終わりが来ていないのは、神の国の席に、じゃっかん余裕があるからです。神様は「まだ、御国の席には、じゃっかん余裕があります」と、私たちのために終わりの時を伸ばしておられるのです。

2.自然に成長する教会

 この本はドイツのクリスチャン・スワルツが世界32カ国の教会に関わり、420万もの回答を分析処理したものです。彼は「文化や神学的教理に左右されない正しい教会成長の原則とは何か」という答えを出しました。その鍵になったみことばは、マルコ4章の「人手によらず」あるいは「おのずと」であります。つまり、教会の成長は作物の成長に共通しているということです。人の手によるものが人為的方策であるならば、「おのずと」は、神様が与えた生物的可能性であります。彼は「成長は造り出したり、無理強いしたりはできない。成長のための最上の条件作りに大切なのは、環境の抵抗力を最小限に抑えることである」と言っています。また、彼は成長している教会には、成長していない教会にはない独特な資質特徴があると主張し、以下の8つの項目をあげています。つまり、彼はたくさんの教会を調査して、8つの原則を抽出したわけです。

①他を激励するリーダーシップ

 これを別な言い方では「権威分与的なリーダーシップ」と言います。しかし、権威を与えるというのは、誤解を招く表現のように思えます。「励まして人に任せる」という方が良いかもしれません。成長する大教会の牧師は、何でもできるスーパースターにならなければならないと言うことではありません。神様は、教会員一人ひとりに、既にビジョンと可能性を与えておられます。つまり、指導者は、自分のビジョンを達成するために、教会員を「助手」として用いるのではなく、神様が教会員に望んでいる姿になるように下から支え、整え、指導することであります。つまりそれは、ピラミッド型のリーダーシップではなく、サーバントリーダーシップと言えます。私は8人兄弟の7番目で育ったので強いリーダーシップはもともとありません。韓国式の牧会を試みたこともありましたが、うまくいきませんでした。ですから、自分がしもべになる、サーバントリーダーシップの方が性に合っているように思います。残念なことに、私は人をリクルートするのが苦手です。ですから、皆さん自身が、神様が「これをやりなさい」と言っているなー思ったら、どんなセルグループを作っても良いですから始めてください。ゴスペルだけではなく、最近はフラワーアレンジメントクラスとか、ヨシュアの祈り会、すずめのライトコースが開かれています。サドルバック教会のリック・ウォレンは、100のセルを始めて、1つでも残れば儲けものだと言っています。失敗を恐れずに、やってください。

②賜物重視のミニストリー(働き)

 賜物重視の対極は、使命感重視であります。聖書学院に行ったとき、賜物よりも使命がやたら強調されていました。あるとき姉妹方全員がピアノを弾く発表会がありました。私たち男性は会衆席で高みの見物です。ある姉妹のときは、ドレスの袖や裾まで小刻みに震えていました。何遍も弾きなおして、可愛そうになりました。昔は、牧師夫人はオルガンが弾けなければならないと考えられていたたのでしょう。でも、使命感だけでやっていると、疲れて、いつかは燃え尽きます。しかし、神様が与えてくださった賜物で奉仕すると疲れないし、幸福感があります。「自分は神の国の中で何をするように召されているのかなー」と知ることはとても重要です。賜物と召命の間には、緊密な関係があるように思います。料理とかお掃除とか、自分の賜物でなくても、やらなければならないものもあります。でも、教会の奉仕で苦手なものを長くやる必要はありません。自分の賜物と召命の範囲内で、機能的に活動する、これが一番です。

③情熱的な霊性

 この意味は、カリスマ的かカリスマ的でないかではなく、「この教会のクリスチャンは燃えているか」です。アントニオ猪木が「元気ですか!」と言っているようなことです。律法主義・形式主義的な教会は、たいていの場合、霊的な熱心さは平均以下です。成長する教会の人たちは、イエス様と教会を愛しています。また、熱心さと関係があるのが祈りです。それは、ひとりのクリスチャンが祈りに費やす時間の量とは関係なく、祈りが生き生きとした経験となっているどうかです。私がインドネシアのアバラブ教会に行ってわかったのは、彼らはイエス様との交わりを喜んでいることです。さらに彼らは共に祈り合うことを喜んでいます。これまでは、祈りと言うと祈祷山にこもって、何日間も断食するような悲壮感がありました。でも、24時間、共におられるイエス様と交わることによって、聖霊が自然な情熱を与えてくれます。その上に、兄弟姉妹が共に祈るとき、「薪は1本よりも、数本集まった方が良く燃える」という相乗効果が起こります。当教会では、公の祈祷会というものはありません。でも、兄弟姉妹が、何かあると、いや、何かなくても共に祈っています。これが大事なんです。

④機能的組織構造

 人為方策的な教会は、「役員会」や「委員会」を設けて、「ああではない、こうではない」と議論します。議決機関はあっても、実行する人たちがいないのです「役員会で決めましたので誰か、奉仕をお願いします」と言うのはあまり効果がありません。世の中の構造は、お金とか権力ゆえに、上部には、いやでも従うしかありません。でも、教会はボランティアですから、「役員が決めたからやる」いうのは、情熱がわかないでしょう。クリスチャン・スワルツは「伝統主義は機能的組織と正反対なものである」と言っています。そして、「部門リーダーの原則」を説いています。つまり、「教会には、それぞれのミニストリー部門における個々のリーダーがいる」ということです。考えると人と実行する人が一緒であるなら、そのミニストリーは継続し、発展していくでしょう。私は役員会で「教会はこういうことをした方が良いと、アイディアを出すだけならお断りします。自分が率先して行うならどんなアイディアを出しても結構です」と言っています。

⑤霊的に鼓舞し、活気を与える礼拝

 これは礼拝が未信者を対象にしているかどうかとは関係ありません。さらには礼拝が、典礼的か、自由な形式かも関係ありません。礼拝が参加者にとって「霊的に鼓舞し、活気を与える経験であるかどうか」です。英語では、inspiring experienceと言います。インスパイアーとは「霊感」という意味ですが、礼拝とは、聖霊が真に働かれる場所であります。聖霊の臨在は頭で考えるものではなく、霊で感じるものであります。真に生き生きとした礼拝に出席している人は、口をそろえて「教会に行くことが楽しい」と言うでしょう。私たちは訓練されたアッシャーや有能な司会者、あるいは音楽のテクニックと考えます。それも大切ですが、もっと大切なのは、私たちが聖霊様を認め、聖霊様を歓迎し、聖霊様に対して従順であることだと思います。聖霊様が豊かに働いている礼拝は、インスパイアーされた礼拝です。

⑥ホーリスティック(全人的)小グループ

 ホーリスティックとは、霊、心、体、物質、社会を包括した、「全人的な」という意味です。ホーリスティック小グループが教会にあると、聖書のみことばを分かち合うだけではなく、身近な事柄や疑問を分かち合うことができます。伝統的な教会は、家庭集会を開いても、それは礼拝を小さくしたものです。先生が語ったあと、お茶を飲んで、少し交わって帰ります。交わりがおまけになっています。私たちはセル(細胞)と呼んでいますが、この小グループは集会だけではなく、生活を分かち合っているのです。自然に成長している教会は「私たちの教会には、個人的に自分の問題を話し合えるグループがある」「私たちの教会は小グループの増殖を意識的に進めている」というアンケート結果が出ています。セル(細胞)は、一個、一個が生きていて、増殖をめざしています。

⑦ニーズ指向的伝道

 ニーズとは人々の必要です。教会はこれまで、「神・罪・救い」を伝道という名で押し付けてきました。相手の必要よりも、「あなたは、まず、救われなければならない」と、こちら側の主張を押し付けてきたのです。緊急の場合は、それも必要でしょう。でも、イエス様のところに霊的な必要を求めてきたのは、ニコデモくらいです。多くの人は、病気を癒してほしいとか、目を開けてくれとか、お腹がすいたという理由で近づいてきました。彼らは具体的な必要を満たされた後、自ら霊的な必要に気づいたのであります。ですから、私たちの隣人が何を必要としているかということに気づき、愛して仕えていくということです。その人がイエス様を信じなくても、であります。紐付きの愛ではなく、与えるだけの愛です。中野兄弟は銀行員で営業がトップでした。彼はお客さんやお年寄りの必要を満たしてあげることに努力しました。すると、自然と彼らは預金をしてくれたそうです。ここにヒントがありそうです。

⑧互いに愛する関係

 「愛の測定値」というものがあって、12の項目があります。例えば、教会員が教会の行事以外で、どれくらいお互いに時間を過ごしているか。どれくらいお互いに食事やお茶に接待し合っているか。教会がどれほど心を開いて祝福の挨拶をしているか。牧師は教会員の個人的な問題を知っているか。でも、教会に笑い声があふれているかどうかという質問は、その教会の質と成長に深くかかわっています。当教会のように、笑い声がある教会は、良い教会なのであります。教会に怖い人がいたり、プレッシャーを与える人がいると笑い声はとだえます。また、教会がミニストリー(働き)中心になると、愛がなおざりにされます。何をするかも大切ですが、円滑な人間関係を築くことはもっと大切です。無駄なーと思う時間が、かえって良い場合があるのです。イエス様は弟子たちとよく食事をしていました。イーティング、ミーティング、イーティング、ミーティング。食べながら、教え、教えながら食べていました。おそらく、イエス様のまわりには笑い声がいつもあふれていたと思います。

 大切なのは、これらの8つが、バランスがとれていることです。8つの資質は桶の8枚の板みたいなものです。水は一番低い板のところまでしか、満たされないからであります。ですから、8つの中で、どれが不足しているかをチェックして、そこに力を注ぐ。それを1年か、数年ごとに行うなら、自然に教会が成長していくのではないかと思います。イエス様は教会を愛しておられます。聖霊様は神の教会をあがなったと言われています。イエス様を愛している人は、教会をも愛すべきであります。教会とは建物や組織ではなく生き物です。なぜなら、教会とはクリスチャン一人ひとりだからです。