2006.5.7 キリストにある家族 マラキ2:14-16

長続きできない多くの結婚生活は、結婚についての正しい理解を持っていないことです。また、神のみことばに合わないこの世の結婚観を持っているからです。人々は、幸福になるために結婚しようとします。そして、幸福でないからと言って離婚します。幸福は、結婚の目的ではありません。神様のみこころに従うとき、ボーナスとして与えられるものです。また、多くの人たちは、結婚式の準備はしますが、結婚生活に関しては準備しません。結婚式はたった1日ですが、結婚生活はその先、一生の問題であります。しかし、だれも正しい結婚について教えてくれません。みんなぶっつけ本番で結婚してしまうので、失敗するのです。きょう来られていらっしゃる皆さん全員が、結婚しているわけではありません。これからの人は準備のため、「もう卒業した」と、思っている方は、次の世代に伝えるために、共に学びたいと思います。

1.結婚とは、神との契約です

アメリカで、ある数のご夫婦にアンケートをしました。「あなたがたは結婚に対して満足していますか」という問いに対して、「95%の人たちが満足していない」と答えたそうです。アンケートの対象は、なんと、クリスチャンであったということです。アメリカは、そういう意味で、もはやキリスト教国ではありません。50%近くも離婚しているからです。神様のみこころは何でしょうか?マラキ書2章には、「神様は離婚を憎む」と書いてあります。つまり、離婚は神様のみこころではないということです。さらに、マラキ書は「あなたがたの霊に注意せよ」と言っています。これはどういうことかと言いますと、結婚とは霊と霊の結び付きだということです。結婚して、肉体関係を持ちますと、お互いの霊と霊を交換することになります。それは神様が一致のために与えた恵みなのであります。もし、そのカップルが離婚するとどうなるでしょうか。接着剤でつけた2枚の板を剥がすとどうなるでしょうか?板がきれいにはがれて、もとの2枚の板になると思いますか。そうではありません。一方の板に片方の木切れがくっつき、もう一方の板に片方の木切れがくっついています。離婚したカップルもそうなのです。同じことが、結婚する前に肉体関係を持った人にも起こります。A子さんの霊の一部が、B男さんの霊にくっついています。そして、B男さんの霊の一部が、A子さんの霊にくっついています。複数の異性と肉体関係を持ちますと、たくさんの人の霊が、自分にくっついてしまって混乱状態に陥ります。ですから、そういう罪を犯した人は悔い改めましょう。そして、御霊の剣によって、自分にくっついた霊の一部を切り離して、相手に返します。そして、相手に行ってしまった霊の一部を取り返します。そういう作業をしない限り、あなたはずーっと、別れた人を忘れることはできません。

本題に戻ります。結婚とは、神が定めたものであり、人間が考え出したものではありません。契約には2種類あります。1つは人間との契約です。英語では、contractと言いますが、この契約は一時的であり、条件付きで、部分的です。人間の契約は、ある一定期間、ある条件を満たした時だけ有効なのであります。一方、神との契約は、covenantと言いますが、これは全生涯に渡るものです。だから、夫婦はいかなるときにも死が二人を分かつ時まで、忠誠を誓い合うのです。さらに、神との契約は、無条件であり、全体的であります。図を見て、分かると思いますが、左側が人との契約です。これは売買契約とか保険などの契約です。人との契約は、一時的です。一方、神様との契約は全生涯にわたるものです。また、人との契約は条件付きです。多くのカップルは「性格が合わない」とか「暴力をふるう」「家にお金を入れない」「性的満足を与えない」と言ってすぐ離婚します。でも、神様との契約は無条件であります。また、人との契約は部分的、パーシャル・マリッジです。「パーシャルデント」、部分入れ歯の洗浄剤で聞いたことがあります。でも、神様との契約は全体的です。全体的とは何かということは、第二のポイントで学びたいと思います。

2.結婚とは全体的なものです

マタイ19:5,6「『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」。聖書は「神様の前に夫婦が一体となる」という約束を与えておられます。でも、ただ結婚したからと言って、自動的に一体になることはできません。では、どのように夫婦は一体になれるのでしょうか。また、それはどのような分野でなされるのでしょうか?

①1つの霊

 夫婦は霊的に1つになることが何よりも大切です。そのためには、お互いが祈り合うことです。祈り合うと、お互いの霊と霊が交わり、霊的一致が与えられます。韓国に熱心なクリスチャンのカップルがいました。それぞれ早天祈祷会に出席し、一日に、2時間も祈ります。でも、お互い一致なく、いつも争っていました。彼らは、一人で祈りますが、一緒に心を合わせて祈ったことがなかったのです。このことに気付いて、二人でお祈りするようにしました。すると、内側からすばらしい一致が与えられたということです。

②1つの心

 心と心が1つになるために、何をしたら良いでしょうか?それは会話です。正直に何でも話し合うことによって、魂と魂が交わることができるのです。結婚前のカップルは良く話し合います。でも、一旦、結婚したらどうでしょうか。お互いの会話がなくなります。レストランに行って、周りを見渡してみると、結婚しているカップルかそうでないカップルすぐわかります。お互いに目を見つめ合って、べらべら、ぺらぺらしゃべっているカップルは、結婚前です。そして、むっつりしてマガジンや新聞を見ているカップルは、既婚者です。ある調査によりますと、男性は一日、2万語を話すそうですが、女性は一日5万語を話さないと満足しないそうです。夫は会社で、営業とか何かで、その2万語を全部使い果たしてしまいます。お家にいる奥さんは、ほとんど使っていません。夫が帰って来たら、5万語をなんとか消化したいのです。「きょう、会社で何があったの」「どんなことがあったの」と聞いても、夫は「飯」「風呂」「寝る」しか答えません。会話に関しては、男性が弱いんです。だから、夫は、心から妻の声に耳を傾ける必要があります。また、夫は「それは、こうだろう!」と、教えてはいけません。ただ、ひたすら耳を傾け、理解しましょう。そうすると、妻は愛されていると感じるわけです。このことに関しては、私も勉強中です。

③1つの体

 これは、肉体の交わり、セックスです。男性の性的な欲求は、すべての中でNo.1です。しかし、女性の場合は、No.3かNo.5くらいなんです。ここで大きな違いが生じてきます。夫は、「喜んで協力しろ!」と妻に言いたくなるのですが、そうはいきません。日本では、こういう話題はタブーになっています。お悩みの方は、もうすぐ、銀婚式を迎える、私と家内に個人的に聞いてください。

④1つのビジョン

 たとえ召命や賜物が違っても、同じビジョンを持つということが大切です。クリスチャン同士でも、考え方や性格が違うことがよくあります。「お前がこっちに来い」、「あなたこそ、こっちに来てよ」とお互いに主張します。でも、相手に合わせることは屈辱的であります。夫婦が共通して持つべき最も大切なビジョンとは何でしょうか。それはお互いがキリストに似た者になるということです。夫と妻が「キリストに似た者になりたい」と願って、神様に近づくのです。こちらに夫、こちらに妻がいます。二人が神様に近づけば、近づくほど、二人の距離が縮まって行きます。

⑤1つの会計

 これは、お金を夫婦で別々にしないということです。財布はそれぞれ、持って良いのです。でも、会計は1つです。ある夫婦は、それぞれ貸し借りをしています。お互いにいくら持っているかは秘密です。イエス様は「宝のあるところにあなたの心もあるからです」とおっしゃいました。お金が別々であるなら、もう既に、心が別々になっているのです。夫婦、どちらが大蔵省になるかは自由ですが、1つの会計にしましょう。

⑥1つの親

 日本では舅、姑の問題が大きいです。「お前の親父はヘンだなー」「いいえ、あなたのお母さんこそヘンよー」などと、お互いの両親を悪く言うことはないでしょうか。そうではありません。結婚したら、義理の父も義理の母もありません。「あなたの父であり、あなたの母」なんです。つまり、自分のお母さんが二人、自分のお父さんが二人になったわけです。

 一致を体験するために6つの知恵を分かち合いました。結婚は部分的ではなく、全体的であることを理解しましょう。

3.結婚とは責任の拡大です

エペソ5:23-25「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」。エペソ5:33「それはそうとして(無条件に)、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい」。

夫にとって一番大切なこととは何でしょうか。それは、かしらとしてリーダーシップを取り、妻を愛することです。聖書は、「夫は妻のかしらである」と言っています。「かしら」だからと言って、何も偉いわけではありません。それは、機能、「働き」の問題です。夫は「かしら」として造られているので、リーダーシップを取るようになっているのです。リーダーシップとは、家庭において、最終的な決断をすることです。では、妻にとって一番大切なことは何でしょうか。それは、かしらである夫を敬って従うことです。「従う」と言っても、「何でもかんでも奴隷のように従え」ということではありません。「主にあって」ですから、神様が禁止していることに対して、従う必要はありません。でも、家庭において夫がリーダーシップを取り、妻がそれに従うというのが、神が与えた秩序です。しかし、戦後、靴下と女性が強くなり、夫に従わない妻が増えてきました。ある妻は子どもの前でも、夫を馬鹿にます。そして、自分で何でも決めて、夫に「このように決めたので、良いわね」と言います。しかし、それは愚かなことです。男性は、かしらとして造られているのです。もし、妻が全部決めたら、夫は「お前が決めたんだから好きにしろ!」と言って、責任を放棄するでしょう。どういうわけか、妻がリーダーシップを取ってしまうと、夫はなめくじのようにヘナヘナと弱くなってしまうのです。賢い妻はどうでしょうか。色んなことを調べ、材料を提供します。95%くらいまでは自分でやるかもしれませんが、あとの5%、おいしいところを夫に残します。「あなたがかしらなんですから、あなたがお決めください」。夫が決断したなら、最後まで、夫が責任を取るのです。賢い妻は「あなたは頼もしいわー」と褒めて、尊敬します。そうするとどうなるでしょう。夫は木に登るかもしれません。でも、夫はない力を振り絞ってでもがんばります。自分を尊敬してくれる妻には、命まであげるでしょう。それがオトコなんです。悲しいサガです。

夫はかしらだと申し上げましたが、「かしら」には、源と言う意味があります。源が清ければ、下流には清い水が流れます。逆に、源である夫が汚れるなら、妻や子供に悪影響が及ぶでしょう。それは、傘にたとえることができます。夫が妻のかしらであるということは、このように傘が上を向いている状態です。すると、妻や子供たちが雨にぬれなくても良いわけです。しかし、夫が夫の役目を果たさない場合はどうでしょうか。働かなくなったり、浮気をしたり、暴力を振るったりする場合です。傘に穴が開いた状態になります。雨が下にいる妻や子供たちに落ちてきます。それでは、逆に妻がかしらになったらどうなるのでしょうか。それは、傘をさかさまにした状態になります。さかさまになった傘は、雨を防ぐことは出来ません。子供は一体どこに隠れるのでしょうか。でも、傘を立てて歩くなら、前に進むことができます。それは、夫がかしらとして、リーダーシップを取るということです。では、なぜ、聖書は夫に「妻を愛しなさい」とだけ言って、妻に「愛しなさい」と言っていないのでしょうか。妻は夫を愛さなくても良いのでしょうか。いいえ、妻も夫を愛さなければなりません。ここで、夫が妻を愛するように命じられているのは、夫がかしらであるからです。悪いかしらは横暴になって、妻を苦しめる恐れがあるからです。だから、「かしらにとって忘れてならないのは、妻を愛することだよ」と言っているのです。

4.キリストにある家族の4つの倫理

 これは夫婦が平和にくらすための大憲章、マグナカルタのようなものです。本来なら、婚約中にこういう決め事をしたほうが良いと思います。すでに結婚している方は、これからでも遅くはありません。「今の私には関係がない」と思っている方は、これから結婚する人に教えてください。

①たとえ衝突が起きても、済んでしまったことを持ち出さない

 「あなたはいつも、このことをしている」「あなたは決して、気にかけない」はさばきのことばです。一般に、男性よりも女性の方が過去に関する記憶力が良いです。頭の中のノートにしっかり記録している方もいらっしゃいます。たとえ、衝突が起きたとしても、済んでしまったことは持ち出さないようにしましょう。

②たとえ怒っても、離婚話を持ち出さないということです。

 「私たちは別れた方が良い」は、無用な言葉、ナンセンスな言葉です。なぜなら、神様の前で「死が二人を別つまで」と、契約を交わしたからです。「神様の前で結婚したなら、離婚という二文字はないんだ」と、覚悟することです。私も結婚して、もうすぐ25年になりますが、「花も嵐も踏み越えてー」でありました。クリスチャンでなかったなら離婚していたかもしれません。でも、神様が与えてくれた妻なので、お取替えは不可能です。私が決めたんだったら、間違いがあります。でも、大川先生と神様が決めたんだから、諦めるしかないんです。でも、それは恵みであり、祝福であります。世の中は、浮気や不倫が横行しています。しかし、それは神様の律法を飛び越えてしまう大きな罪です。箴言5:15-18「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ」。

③たとえ喧嘩しても、相手を叩いてはならないということです。

 多くの夫は口で負けるので、妻を平手で叩くが、それは心の深い傷になります。妻は機関銃デババババババと打ちまくります。夫は打たれてしまいますが、最後に手榴弾を投げつけます。今日、DVがかなりの%で起きています。とても悲しい出来事です。

④たとえ言い争ったとしても、怒りを次の日まで持ち越さないということです。

 エペソ4:26,27「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」。「機会」はギリシヤ語では「トポス(場所)」と言う意味があります。つまり、怒ったままでいると、そこに悪魔が足場を設けてしまいます。赦さないために、「怒り」の奴隷になっている人が大勢います。夫婦は、「怒りを次の日まで持ち越さないんだ」と言う約束をしましょう。

 世界で一番離婚率の高い国はロシアです。インドネシアのエディ・レオは、二年前、ウラジオストックに招かれて行ったことがあるそうです。ウラジオストックの教会はとても貧しいので、旅費も出せません。教会に行くと、ほとんどが女性。ギターを弾いて、賛美する人も女性。司会者も女性です。なぜかと言うと、夫が酒を飲んで、暴力を振るうので離婚するしかないんです。そこへ行って、エディが「父の愛」を語ると、みんな「ワーワー」泣いて、力強い癒しのわざが起こるそうです。家庭が壊れているため、みんなが傷ついています。そういうことが代々、続いているのです。今年も、エディは亀有に来る前に、ウラジオストックを経由してから来られます。日本でも、家庭が崩壊しています。私の家は父が酒乱で暴力をふるい、母はいつも別れたいと言っていました。私を含め8人の子どもたちがいたので、死ぬまで縛られていました。家内の家は、お父さんが出稼ぎで、父親がいなかったんです。そのため、ちょっとネクラです。私たち自身、そして身近な人たちも、家庭の崩壊の呪いを受けています。どうぞ、家系から来る呪いを、私たちの代でストップしましょう。私たちも主の癒しをいただきましょう。そして、聖書的から来る、正しい結婚観を立て上げましょう。