2018.12.16「へんぴな所から マタイ4:12-17」

 イエス様は果たしてどんなところから宣教活動をされたのでしょうか?もし、現代のようにリサーチやマーケティング、あるいは戦略的に宣教を考えるならどうするでしょう?おそらく、都のあるエルサレムから始めるべきでしょう。なぜなら、そこは宗教の中心地であり、有力な人たちが大勢いるからです。エルサレムをキリスト教化したら、イスラエル全体にすばやく影響を及ぼすことができるからです。しかし、イエス様は私たちが考えるような道を取られませんでした。イエス様はへんぴな所から始め、名もない人たちを弟子に召し、底辺の人達を救われました。

1.へんぴな所から

マタイ4:15,16 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」このみことばは、イザヤ書9章からの引用であり、イエス・キリストの預言が記されています。イザヤ9:6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」本来なら、このところからクリスマスのメッセージをお届けすべきなのですが、あえて周辺的な事柄を取り上げたいと思います。イエス様が宣教を開始されたゼブルンの地とナフタリの地はどういうところだったのでしょうか?イザヤ9:1「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」この後に、マタイ4章15節に引用されたみことばが続きます。ゼブルンの地とナフタリの地はイスラエルの北部にあります。ヨシュアたちがカナンの地を占領した後、どの地に定住するか12部族がくじを引きました。そして、この2部族がガリラヤ湖の西側に住むことになりました。ところが、紀元前783年アッシリヤによって北の10部族が滅ぼされました。なんと、住んでいた人たちのほとんどが国外に連れ去られ、5つの外国の部族が代わりに入れられました。このように民族を根絶やしにするのがアッシリヤの戦法でした。イザヤ書の「さきにはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けた」とはこのことであります。イエス様の時代はサマリヤと同じで混血で混合宗教でありました。だから、ユダヤ人は「ナザレから何の良いものがでるだろう」と馬鹿にしていました。いわゆる吹き溜まりのような場所だったのです。しかし、イエス様はこのような場所から宣教を開始しました。だから、イザヤは「後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」と預言しているのです。

私は秋田の出身です。ちなみに家内は岩手です。両方とも東北の田舎の出です。「秋田から何のよいものが出るだろう」と言ったら、秋田出身の人たちから叱られるでしょう。岩手もそうですが、かつては蝦夷地でした。中学校のとき国語の先生から教えられました。秋田は京都の人たちが流れて来たらしくて、京都弁がなまって、秋田の方言になったということです。性格もとてもよく似ていて、表向きは愛想が良いのですが、決して本心はあかさないそうです。そのため、秋田はうつ病と自殺率が全国のトップになっています。もっとも、裏日本で雨が多く、日光が照らないせいもあります。もし、私が秋田に住んでいたなら決してクリスチャンにはならなかっただろうと思います。家内も同じようなことを言っています。なぜなら、教会が近所に全くないからです。私は4男なので、家には住めないので、関東にやってきました。昔は「集団就職」というのがありました。私の人生観は「夢を追って、楽しいことをやって生きることでした。」しかし、クリスチャンになって振り返ると、「生き延びるために生きていたなー」と思います。このような者が、講壇に立って、みなさんに説教を垂れるなんて、ありえないことです。まさしく、「はずかしめを受けたが、後には…光栄を受けた。」であります。私のことはともかく、みなさんはいかがでしょうか?もちろん、「私はあなたと比べて生まれも育ちも良いですよ。そんなに下品じゃないですよ」とおっしゃるかもしれません。でも、このところに、マタイ4章に「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」と書いてあります。これは、私だけではなく、みなさんのことではないかと思います。私たちは生まれたときから、死の地と死の陰にすわっていたといっても過言ではありません。パウロはエペソ2章でこのように言っています。2:1,2「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」私たちはかつて、霊的には死んでいた状態でした。しかし、神の大きな愛のゆえに、恵みによって救われたのです。「あの時は確かに死んでいたなー」と、救われてから分かるのです。

 イエス様は最も困難なところから始めました。カペナウムは自分が生まれ育った場所です。イエス様が最も大きな奇跡を行ったのはカペナウムです。でも、彼らはイエス様を信じようとしませんでした。なぜなら、ナザレのイエスとその家族を良く知っていたからです。イエス様はこのように嘆いておられます。マタイ11:23「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」はっきり言って、イエス様の宣教は失敗だったかもしれません。なぜなら、多くの人が躓いたからです。滋賀県に止揚学園という知能に重い障がいを持つ人たちの支援施設があります。その場所に施設を作るとき「馬鹿が移る」と大反対されたそうです。その施設の福井達雨先生の座右の銘は「負け戦に賭ける」だそうです。キリスト教会も大勢救われるようなところで伝道して、大きな教会を建てたいと思うかもしれません。しかし、目先の人数を追い求めて、神様が召しておられる場所を軽視するところがあります。私も亀有31年もいます。日本中の牧師が共通して言うことがあります。「私のところが一番、伝道が難しい」。暗い場所こそ、最も、福音の光が輝くところだと信じます。

2.名もない人たち

 イエス様は福音宣教を開始した直後、弟子たちを集めました。その目的は、ご自分のわざを継承させ、拡大させるためです。天にお帰りになる直前、弟子たちにこう命じられました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」よく見ると、ここには「教会を成長させなさい」とか、「教会を数多く建てなさい」とは書かれていません。「キリストの弟子を作りなさい」と命じているだけです。なのに、私は30年以上、的外れな奉仕をしてきました。日本の福音派の教会がこぞって「教会成長」「教会開拓」をスローガンに掲げてきました。現在も、そのようなセミナーや牧師の養成コースがあります。私も大川牧師から「どうして100名ならないの?」とか「1,2つ教会を開拓しないと」と良く言われます。来年の7月、当教会の70周年創立記念礼拝にメッセンジャーとして既にお願いしています。もし、「教会は人数じゃないよ」と言ったなら、「大きくなってから言えよ」と言われるでしょう。とても言えませんけど…。また、日本の教会で牧師同士が挨拶するとき、必ず尋ねることばがあります。「お宅の教会は礼拝、何名来ているの?」であります。自分よりもずっと大きいと、へりくだらざるをえません。でも、「お宅の教会にキリストの弟子は何人いるの?」とは聞きません。純粋に、聖書を見ると、教会を建てるのは私たちではありません。マタイ16:18「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と書いてあるからです。英語の聖書もI will build My church,となっています。これまで、教会の組織とか、運営方法、たくさん学んできましたが、よけいなことをしてきたのではないかと反省しています。

 でも、聖書を読めば、読むほど、「イエス様の命令、イエス様のやり方とは違うことをやっているなー」と気づかされます。イエス様が召した12人の弟子たちというのは一体どういう人たちだったでしょう?ほとんどがガリラヤの漁師です。ギリシャ語は理解できたかもしれませんが、書くことはできなかったでしょう。他に取税人、政治結社の一員、ご自分を裏切るであろう人物も加わっていました。一般の企業がプロジェクト・チームを立ち上げるとしたらどうするでしょう?イスラエル大学で専門に聖書を勉強した人たちの中から選ぶでしょう。学位を持っているか、だれに師事したのか、弁論術はすぐれているだろうか?ローマの市民権は持っているだろうか?人格的にはどうだろうか?過去にスキャンダルを起こしたことはないだろうか?しかし、イエス様の場合は、そういう資格試験は全くありませんでした。いきなり、「私に従って来なさい」と言っただけです。当てずっぽうと言って良いくらい、その場で決めたような感じがします。人格的にもみんな問題があります。ペテロはおしゃべりでいい加減、ヨハネとヤコブは激しやすいタイプ、トマスは懐疑論者です。イスカリオテのユダは会計をごまかしていました。イエス様が十字架に捕らえられたとき、ヨハネを除いて、みんな逃げました。リーダー格のペテロはイエス様を「知らない」と三度も言いました。何かの間違いではないでしょうか?しかし、イエス様はヨハネ15章でのこのようにおっしゃっています。ヨハネ15:16「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」イエス様は、たまたまではなく、ちゃんとお考えがあって、あの弟子たちを選び、任命したのです。ちゃんと、前もってご計画があったということです。イエス様は「神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです」(マタイ3:9)と言われたことがあります。有能な人を起用するなら、だれでもできます。しかし、イエス様は全く役に立ちそうもない普通の人を選びました。だからこそ、そこに栄光が現れるのです。パウロもこう言っています。Ⅰコリント1:27-29「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」

 既に天に召されましたが、韓国のS教会にO牧師がおられました。1990年代、弟子訓練で、日本から多くの牧師たちが研修に出かけました。日本にも先生を何度もお招きしました。O先生は、アメリカの大学で学ばれた有能な牧師を後継者におたてになられました。その先生によって早天祈祷会は毎朝、1万人集まっていました。しかし、まもなく、その先生は学歴詐称で訴えられ失墜しました。S教会で長老をしておられた方がこう言っていたそうです。「O牧師は、優秀な大学生に高い信仰書をプレゼントしていたけど、私には何もくれなかった。しかし、かつての優秀な大学生は一人も教会に残っていない。O牧師は人を見る目がない」と。こういう話題は、礼拝では不謹慎だったかもしれません。私は大川牧師の弟子ですが、高校出で全く優秀でありませんでした。私よりも学歴があり優秀な人たちはたくさんいました。でも、あの頃、座間キリスト教会で献身して、残っている牧師は私だけです。私が言いたいのは、神様の選びは人間とは違うということです。神様はあえて、この世の取るに足りない者や見下されている者、無に等しいものを選ばれるのです。旧約聖書からも、ヨセフも、ダビデも、ギデオンも取るに足りない人が選ばれたことがわかります。もし、「自分が取るに足りない者」だと思ったなら、キリストの弟子になる資格が十分にあります。でも、私を含め、教会の指導者が心からそう思っているか?であります。やっぱり、学歴、素養、賜物、能力…を見てしまうでしょう。何度か失敗してみて、「ああ、やっぱりそうなのか?」と学ぶのです。本当にそのことを悟るまでは40年くらいかかるかもしれません。イエス様は「私についてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と言われました。英語の聖書は”Follow Me, and I willmake you become fishers of men.”です。イエス様が私たちを弟子にしてくださるのです。私たちに必要なのは、イエス様についていく、イエス様に従って行くことです。アーメン。

3.底辺の人たち

マタイ4:16「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」当時、イスラエルには、アム・ハーレツと呼ばれる、「地の民」がいました。パリサイ人たちが、律法を知らない人たちを軽蔑して言ったことばです。聖書では「群衆」ということば出てきます。パリサイ人や律法学者もイエス様のところに来ましたが、学識が邪魔してイエス様を信じようとしませんでした。なんと、一番、先に神の国に入ったのは、当時、見下げられていた、取税人や罪びと、遊女たちだったのです。イエス様が当時の宗教的指導者にこう言っておられます。マタイ21:31-32「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」彼らは聖書をだれよりもよく勉強し、律法を守り行おうとしていた人たちです。しかし、彼らが神の国に入らないで、いわゆる律法を守れない「地の民」のほうが神の国に入ったのです。何という皮肉でしょう。私たちも道徳的で立派な人が救いを受けるのではないかと思います。しかし、そういう人に限って、高慢であり、神様に頼ろうとしません。イエス様は「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)と言われました。

しかし、教会はどうでしょう?町の有力者や金持ち、あるいは芸能人が救われたら、後から大勢の人が救われるだろうと思っています。よく、伝道のときに引用される聖書箇所があります。それは「平安の子」です。ルカ10:6,7「もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。」「平安の子」というのはキーパースンです。「平安の子」が救われたら、芋ずる式に他の人たちが救われるという宣教の戦略です。確かに、聖書にはそういう人がいます。パウロがピリピに伝道に行ったとき、紫商人のルデアという一人の婦人がいました。使徒16章に「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」と書いてあります。そのあと、どうなったでしょう?彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実なものとお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊りください」と言って頼み、しいてそうさせました。神様はピリピにルデアとその家族を初穂として備えてくださいました。確かに、主が備えてくださっている魂というのがおられます。でも、それは人間的に考えた戦略ではありません。多くの場合、私たちの考えとは違う方法で導かれます。つまり、多くの場合、「平安の子」キーパースンは、私たちが考えもよらない人であるということです。

松戸の岡野牧師夫妻が「生活伝道」について話されたことがあります。開拓当時はチラシ配布をして、伝道集会や音楽集会も開きました。他に、英会話伝道、映画伝道、何でもやりました。そのせいもあってか、数年で30名くらい集まりました。しかし、伝道に疲れ果てて教会にだれもいなくなりました。岡野牧師は「私は教会をつぶしました」とよく証しておられました。しかし、あるとき、牧師夫人がイザヤ書58章から知らされたそうです。「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。」(イザヤ58:6,7)。二人は悔い改め、これまでの人を集める伝道をやめました。子どもが幼稚園に行っていましたが、そのとき、あるお母さんを助けてあげました。雨の日に子どもを一緒に送ってあげたり、子どもを預かってあげました。そのお母さんはイエス様を信じませんでしたが、それを見ていた他のお母さんが興味を持ち始めました。「なぜ、あんな親子を世話するんだろう?」とびっくりしたからです。つまり、世話した困っている人ではなく、他の人が「平安の子」だったのです。神さまは私たちの動機を見ておられます。「あなたが教会に来るなら愛します」では本当の愛ではありません。

ハイディ・ベーカー夫妻は最も貧しい国、アフリカのモザンビークに片道切符で伝道に行きました。今では、1万以上の教会が生み出され、1万人の子どもたちが集まり、まさしく火のようなリバイバルが起こっています。しかし、最初は何もないところからスタートしました。2日後にお金が尽きてしまいました。道路の脇に座りながら、何をしたら良いか考えていました。神さまが語りかけました。「私があなたをここに送った。あなたはここでリバイバルを見るだろう。私があなたに望むすべてのことは、あなたが一人のために立ち止まってすることだ」。私は2000何年まで、どのようにこの都市で伝道すべきか、という戦略的な計画を持ちませんでした。私が知っていたすべてのことは、神さまが一人のために立ち止まるということだけでした。私は、貧しくて小さな子どもを愛するために一緒に座ることから始めました。ある日、私はギトーという男の子を拾いました。小さくて痩せ細ったその子は、打ちたたかれ、レイプされ、道端で死にかかっていました。私はハエがたかって死にかかっているその子を腕に抱き愛しました。彼はエイズにかかっていました。私は彼を抱えながら「ギトー、私と一緒に家に行こう」と言いました。彼がリバイバルの顔だったのです。そこには快適な計画も、滑らかなパンフレットもありません。まもなく、神さまはギトーのエイズを完全に癒して下さいました。イエス様は「最も小さい者にしたことは私にしたことだ」と言われました。私は道端の子どもたちの顔にイエス様の顔を見ました。ギトーのような一人に神の愛を注ぎ、養子になるように伝えました。多くの人たちが、血を流し、絶望して死にかかっていました。しかし、今はドレスを着て、銀行や会社で働いたり、大学に通っています。彼女のように、富んでいる人や有力な人ではなく、底辺の人たちに仕える事が、伝道の鍵なのです。教会はこの世の方法ではなく、イエス様の方法を学ぶべきだと思います。