2023.3.5「地の果てまで 使徒16:6-10」

 きょうはパウロの第二、第三伝道旅行、そしてローマ伝道について学びたいと思います。聖書の巻末にその絵が描いてありますが、ご覧になったことはあるでしょうか?舞台は小アジア、ギリシャ、そしてローマです。現代は簡単に旅をすることはできますが、当時は陸地は徒歩、海は貿易船でありました。パウロはⅡコリント11章で「難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい」と自分のことを述べています。

1.ヨーロッパ伝道

パウロは、エルサレム会議が終わると再び伝道旅行に行こうとバルナバに声をかけました。しかし、パウロは「前回、一行から離れたヨハネ・マルコは一緒に連れて行かない」と主張しました。そのことで激しい反目が起り、互いに別行動をとることになり、パウロはシラスを選んで出発しました。これがパウロの第二伝道旅行です。使徒16章からそのことが書かれていますが、ここで際立ったことが3つ起ります。第一はルステラでテモテを弟子にしたことです。第二は聖霊によってアジアに行くことを禁じられ、初めてヨーロッパに渡ったことです。使徒16:6-10「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。それでミシアを通って、トロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」新改訳2017年訳は原文に忠実であろうとして固有名詞まで変えてしまいました。それはともかく、福音宣教を聖霊が禁じるということは解せません。私たちも正しいことなのに、神さまが「それは違う」と言うことがあるかもしれません。神さまは私たちに正しいことではなく、みこころを行なうことを願っておられるのです。ところで、どのようなことがあったのでしょう?何度も御霊に禁じられた後、夜、パウロは幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願していました。この幻によって、パウロはマケドニアに渡る決意をしました。第三は、使徒16章10節以降から「私たち」という言い方が出てくることです。これは、「使徒の働き」の著者のルカが加わったという証拠です。

マケドニアとはギリシアであり、ヨーロッパ伝道の始まりです。使徒16章後半からはピリピの伝道のことが記されています。ルデアと言う紫商人が最初に救われました。その町に、占いの霊につかれた女性がおり、パウロにつきまといました。パウロが悪霊を追い出すと、彼女は占いができなくなり。彼女を通してもうけていた主人たちは、パウロたちを長官に訴えました。理不尽にもパウロたちは鞭打たれ、牢獄に入れられてしまいました。真夜中、パウロとシラスが賛美していると、大地震が起り、獄舎のとびらが全部空いて、鎖も解かれました。看守は囚人たちが逃げたものと思い、剣を抜いて自害しようとしました。そのとき、パウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫びました。看守は二人を外に連れ出し、「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と聞きました。二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と答えました。看守は二人を引き取り、その傷を洗ってあげました。なんと、看守とその家の者全部がバプテスマを受けました。牢を出たふたりは、ルデアの家に行きました。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行きました。これが、ピリピ伝道の概要です。イエス様が72人の弟子を伝道旅行に遣わしたとき、このように言われました。ルカ10:6,7「そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。」ルデアが「平安の子」であったことは間違いありません。なぜなら、最初に出会ったとき「主が彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」からです。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせました(使徒16:15)。宣教地には、神さまがそのような「平安の子」を備えてくださいます。多くの場合、そこから宣教が広がっていくようであります。

私たちの結婚の仲人をしてくださったのは、座間キリスト教会の青木さんご夫妻です。今から50年前、大川先生がサンフランシスコ教会から、座間に赴任して間もない頃です。先生が急に相模原の青木兄姉宅を訪ねてこられました。青木姉の自叙伝から少し引用します。アメリカから来られたばかりの若い先生を戦後のバラックのような家に…」。一番見せたくない台所まで覗かれ、突然「青木さん、ここで家庭集会を開きましょう!」と言われたのです。「この家は終戦後の残骸のようなもので、テーブルの上の卵はどこまでも転がっていくし…」と私が言いだそうとしたとき、先生は足をトントンと床を踏みつけて、「ここさえ抜けなければ、大丈夫ですよ」と言われたのです。6帖2間の仕切りを取って、2日間もかかって掃除をしました。いくら拭いても茶色になった畳は青くなるわけでもなく、ちっとも代わり映えしません。「だめだ」と疲れ果てて、私はそこへペタリと座り込んでしまいました。その時です。「ザアカイ、急ぎ降りよ。今宵、汝の家に宿るべし」(ルカ19:5文語訳)の御言葉が心に来て、私は夢から覚めたように「イエス様がお出で下さる。この家にお出でくださる。家庭集会はイエス様が開かれるのだ!」。初めての家庭集会に国立相模原看護学生28名の学生さんたちが集まりました。26年の長きにわたって、近所の方々にも福音が伝えられました。我が家の家庭集会で70名近い方々が洗礼を受けクリスチャンになりました(京子さんも含まれる)。証集の引用は以上です。ご主人の青木兄は15年間も肺結核を患った方ですが、私がお会いした時は鉄工所を経営しており、家も新築していました。結婚する前、アルバイトもしたことがあります。青木姉は、ルデアのような「平安の子」でありました。また、ご主人の青木兄は15年間の結核の闘病生活から復活したラザロのような人で、無言の証人でした。青木兄姉宅は座間キリスト教会の初期のリバイバルのために豊かに用いられました。あなたも「平安の子」ではないでしょうか?

使徒の働き17章前半には、テサロニケ伝道が記されています。ユダヤ人の迫害のため、3回の安息日しか留まることができませんでした。たった3週間で教会が設立されたのですから、驚くべきことです。後から、彼らを励ますためにパウロはテモテを派遣しました。パウロがコリントにいたとき、テモテから喜ばしい報告を受け、テサロニケ第一の手紙、第二の手紙を書きました。この二つの手紙の中でパウロは、テサロニケの人々の信仰と愛と忍耐を喜び、マケドニヤとアカヤのすべてのキリスト者に対して良い模範を示したことを喜んでいます(Ⅰテサロニケ1章)。現代では、3年で教会を開拓できたらすばらしいと評価されます。3週間というのはまずありえません。迫害はない方が良いですが、熱心で混じりけのない信仰者を作る効果があるのではないかと思います。使徒の働き17章後半は、パウロが一人でアテネに赴いています。パウロのアテネでの伝道は2つの理由でかんばしくありませんでした。第一はアテネは偶像に満ちていました。パウロは「神を人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません」(使徒17:29)と言いましたが無駄でした。もう1つは彼らの哲学です。キリストの復活のことを話したらあざ笑う人もいました。彼らは肉体の救いには興味がなかったからです。パウロはアテネの伝道を反省し、「この世の知恵ではなく、十字架につけられたキリストを宣べ伝える」(Ⅰコリント1章)と誓っています。使徒の働き18章前半はコリント伝道のことが記されています。アクラとプリスキラとの出会いがありました。シラスとテモテも合流したので、パウロは教えと宣教に集中することができました。コリントは商業都市でしたが、とても不道徳な町でした。それでも大勢の人が救われました。有名なみことばは、「「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。…この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:9,10)です。

使徒の働き18章18節以降は、パウロの第三次伝道旅行が記されています。エペソ伝道の事が記されています。エペソにはアルテミス神殿があり、偶像礼拝の町でした。パウロは最初、会堂内で神の国について論じましたが拒絶されました。そこで、パウロたちはツラノの講堂で昼休みの間、毎日話しました。これが2年間続いたので、アジアに住む者は、みな主のことばを聞きました。リバイバルが起り、人々は魔術の本を持ってきて焼き捨てました。霊的な戦いのことはエペソ人への手紙に書かれています。このように「使徒の働き」から、パウロが書いたたくさんの書簡の背景を知ることができます。今どき「伝道旅行」もないと思いますが、教会のないところに福音を伝えに行くというスピリットは学ぶべきであろうと思います。一番重要なことは、「出て行って福音を宣べ伝えよ」というイエス様のご命令です。出かけた先には、主によって備えられた魂が必ずいるからです。そこには反対も生じるでしょうが、収穫もあるということです。

2.ローマ行き

使徒の働きにおける最後の段階は、パウロがエルサレム経由ローマ行きの道を選んだことです。まず、パウロがいつ、どうしてローマ行きを願ったかであります。そのことが使徒19章に記されています。パウロの第三次伝道旅行が一段落した時、つまりエペソ伝道が軌道に乗った後です。使徒19:21「これらのことがあった後、パウロは御霊に示され、マケドニアとアカイアを通ってエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。」このところから、エルサレムに行くことは御霊の示しであり、ローマに行くことはパウロの願いであることが分かります。パウロはエペソを去って、ギリシアのコリントに来ました。使徒20:3「そこで三か月を過ごした。そして、シリアに向けて船出しようとしていたときに、パウロに対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニアを通って帰ることにした。」聖書学者たちは、コリントのガイオの家で三か月滞在していたとき、ローマ人へ手紙を書いた」と理解しています。ローマ人への手紙第1章をみると、パウロのローマ行きの願いが記されています。第一は霊的な賜物の付与のためです。ローマ1:11「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。」このところからも分かることは、ローマにはすでにキリスト者の群れがあったと言うことです。ローマ16章には、「よろしく」「よろしく」と書かれていますが、30名くらい実名があげられています。パウロがいう「御霊の賜物」とは何なのでしょうか?パウロはテモテに「そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」(Ⅱテモテ1:6)と言っています。おそらく、個々の御霊の賜物と聖霊の油注ぎの分与impartationではないかと思います。なぜなら、奉仕をしているとどうしても、油注ぎが弱くなってしまうからでしょう。第二は福音をローマの人たちに伝えたいということです。ローマ1:14,15「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」パウロは福音宣教を返さなければならない負債として考えています。

パウロはコリントから手紙を書いていますが、そのまま行けば、すぐローマに行くことができます。でも、パウロは一度エルサレムに上り、それからローマに行くという経路を計画しました。さらにパウロはローマからイスパニヤに行きたいと願っていました。ローマ15:25-26「しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。」エルサレム教会は貧しかったようです。パウロは献金を携えて、エルサレムに行こうとしました。しかし、それはとても危険であるとカイザリヤの人たちがパウロに警告しています。使徒21:10,11「かなりの期間そこに滞在していると、アガボという名の預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。「聖霊がこう言われます。『この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる。』」おそらく、パウロにエルサレムに上るようにと言ったのも聖霊でしょう。しかし、エルサレムで縛られ、ひどい目にあうと言ったのも聖霊でしょう。だから、人々はパウロに「エルサレムには上らないように頼みました。でも、パウロの決心は固くてだれも止めることができませんでした。エルサレムではヤコブをはじめ、長老たちが喜んで迎えてくれまさした。彼らが、反対しているユダヤ人のために、神殿に行って誓願を立てなさいと提案しました。それが、裏目に出てしまい、「パウロが異邦人を宮の中に連れ込んだ」と言われてしまいました。エルサレム中が混乱状態に陥り、ローマ兵たちが鎮圧にあたりました。預言のごとく、パウロは捕えられてしまいました。しかし、これから度々裁判にかけられ、ユダヤ人や総督、王様の前で弁明することになります。数え上げてみますと、まずユダヤ人のサンヒドリン議会で(使徒22:30-)、続いて、総督ペリクスの前で(使徒24:1-)、その後継者フェストの前で(使徒25:1-)、それからアグリッパ王とその妻ベルニケの真で裁判を受けました(使徒25:13-)。もし、パウロがこのように捕えられて裁判にかけられなければ、ユダヤ人議会、ローマ総督、王の前で福音を語ることができなかったでしょう。すばらしい神の知恵であります。イエス様がパウロにこのように励ましておられます。使徒23:11「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた。」でも、どうしてパウロはローマに行くことになったのでしょう?まず、パウロは自分がローマ市民であり、皇帝の前で裁判を受ける権利があると主張しました(使徒22:25)。そのため、ローマの千人隊長がパウロを護衛することになりました。しかし、ユダヤ人たちはパウロをエルサレムに戻して、自分たちの裁判にかけて死刑にしたいと願っていました。このままでは危ないので、パウロはカイザルに上訴しました(使徒25:11)。そのため、ローマの千人隊長は何としてでも、パウロをカイザルの法廷に立たせる責任が生じたのです。パウロはこのように奥の手を使いましたが、自由の身になることはできませんでした。

3.大暴風

使徒の働き27章から最後の28章まで、ローマへの旅が記されています。これは旅というよりも、九死に一生を得た危険極まる冒険でした。まるでインディジョーンズの映画を見ているようであります。クライマックスは地中海上で、大暴風に巻き込まれ遭難したことでしょう。パウロは断食の季節も過ぎているので、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言いました。ところが、百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用しました。最初は穏やかな風が吹いていましたが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て船はそれに巻き込まれて進むことができなくなりました。浅瀬に乗り上げないように、船具や積荷を捨てるしかありませんでした。使徒27:20「太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。」「私たち」とありますので、ルカも一緒に乗っていたのでしょう。だれも長い間、食事を取れない状況でした。そのとき、パウロはまるで船長のように、みんなの前に立ってこう言いました。「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。」(使徒27:22-25)。船はやがてマルタ島に打ち上げられ、彼らはみな無事に陸に上がることができました。パウロがローマのカイサルの前に立つ使命があるので、一緒に乗っていた260人が助かったのです。使徒の働きの最後の部分です。使徒28:30,31「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」パウロはこの期間、口で証をしただけではありません。彼はいろいろな教会に手紙を書きました。これがいわゆるパウロの「獄中書簡」であり、この時期に書かれたものは「エペソ人への手紙」、「コロサイ人への手紙」、「ピレモンへの手紙」、「ピリピ人への手紙」です。パウロはその後、釈放され1,2年旅を続けたようです。その期間、「テトスへの手紙」「テモテの手紙第一」を書きました。ところが、再び捕えられ、今度は暗い地下牢に閉じ込められました。パウロはそのとき「テモテの手紙第二」を書きました。パウロは最後にこう述べています。Ⅱテモテ4:7,8「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」伝承によれば、AD.65年、パウロは皇帝ネロによって首を切られました。ネロはローマの大火災の責任をキリスト者になすりつけようとしたのです。

教会の歴史を見ると分かりますが、AD.331年にキリスト教はローマの国教になりました。ローマ・カトリックを経て、1517年プロテスタント教会が誕生しました。福音はヨーロッパから、南北アメリカ、オセアニア、アジア、アフリカに到達しています。「使徒の働き」は28章で終わっていますが、この地上に教会がある限り文章は続いています。聖書の使徒たちは天に召されましたが、今もイエス様は生きて働いておられます。だから、今も福音を宣べ伝えるとき、しるしと奇跡が伴うと確信します。そして、イエス様ご自身が人々の心を開いて、信じるように助けてくださいます。しかし、私たちがすべきことは福音を宣べ伝えることです。これだけは御使いもできません。贖われた私たちだけの務めです。聖霊は使徒たちだけでなく、ステパノやピリポ、名もない人たちを用いてくださいました。世の終わりが近い今、ますます聖霊が働いてくださると信じます。繰り返して言いますが、福音を宣べ伝え、キリストを証するのは今の私たちです。