2023.2.12「教会のはじまり 使徒1:8」

「使徒の働き」の鍵のことばは、使徒1章8節だと言われています。このみことばは、このように福音が地理的に広がって行くことを預言しています。ここで言われている使徒たちとは、ペテロ、バルナバ、パウロでしょう。しかし、執事であるピリポやステパノ、また、アンテオキア教会の土台となった名もない人たちも活躍しています。「聖霊の降臨」は、ルカによる福音書の「聖霊のバプテスマ」で既に語ってしまったので、その後のことをお語りしたいと思います。きょうはエルサレムにおける教会のはじまりについて学びたいと思います。

1.ペテロの説教   

 五旬節の日、つまりペンテコステの日、120人の上に聖霊が注がれました。天から激しい風が吹いて来るような響きが起り、その物音を聞いて大勢の人々が集まって来ました。なんと彼らの上に聖霊が炎のように留まり、めいめいが外国のことばで話しているではありませんか。人々は驚きまどって、「これはどうしたことか?」と言ったり、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」とあざけったりしました。そのとき、ペテロが集まって来た人たちに説教しました。第一声、ヨエル書の「終わりの日に霊を注ぐ」ということが成就したのだと弁明しました。その次に、十字架で殺されたイエスが、詩篇16篇の成就であると言いました。説教のまとめの部分がこれです。使徒2:32-33「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」今後、使徒たちが宣べ伝えた福音は「神がイエスをよみがえらせた」というのが中心でした。彼らが迫害を受けたのは、罪のために十字架で死なれたイエスを神がよみがえらせたと宣べ伝えたからです。使徒パウロもアグリッパ王たちの前でこう言いました。使徒26:23「すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」このときは、残念ながらアグリッパ王は信じませんでした。キリストの死と復活はギリシャ語でケリュグマと言って、「布告、告知、告げる言葉」という意味があります。英語ではproclamation「宣言」です。つまり、ケリュグマは、神の使者が告げる言葉であり、自分の考えとか、感想ではありません。だから、私も「キリストは十字架で死んで、三日目によみがえられたと思います」とは言いません。「キリストはよみがえられました」と宣言する形で言います。

ペテロの説教の最後の部分が気になります。使徒2:36-38「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」多くの教会は、この箇所から、「信じるだけではダメで、罪の悔い改めが必要なんだ」と言います。あるいは、「悔い改めと信仰が必要だ」とも言います。『信じるだけで救われるか』の著者、高木慶太師はその本でこのように述べています。ペテロがこのことばを語った群衆は、その何日か前に、熱狂して「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ人たちであった。彼らは、キリストを単なる人間であって、人騒がせな冒瀆者としてしか考えていなかった。しかし、それに続く何日かの出来事は、彼が神の御子であり、世界の救い主であることを証明した。その群衆に対してペテロは「この方こそ神の御子であり、救い主である。その証拠として神はこの方を死からよみがえらせたのだ」と説教した。キリストに関してとんでもない大間違いをしていたことを指摘されたユダヤ人は、心を刺され、ペテロや他の人たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたら良いでしょうか」と尋ねた。それに答えてペテロはただちに、「悔い改めなさい」と言ったのである。つまり、ペテロが言った意味は、「この方についての間違った考えをきっぱり捨て、この方こそ神であり、約束のメシヤであることに目覚め、この方を信ぜよ」であった。アーメン。現代の辞典で「悔い改め」ということばを引くと、「悪事を後悔し、悲しむこと。悪い生き方を変えること」と定義されています。しかし、ギリシャ語では「メタノイア」であり、「考え方を変える」という意味です。ペテロは罪を悲しむことを要求していたのではありません。イエスが主であり、メシヤであるという真理に対して、考え方を変えることを要求していたのです。

ペテロのこの説教で3000人ほどがバプテスマを受け、仲間に加えられました(使徒2:41)。使徒2章の後半には、生まれたばかりの麗しい教会の様子が書かれています。2:43-47「すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」彼らの多くは祭りのために地方から出てきていた人たちもいたでしょう。そのため、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて分配したのだと思います。このところで「毎日」と2回書かれています。1週毎ではありません。彼らは毎日、宮(神殿)で集まり礼拝していました。そればかりか、「家々でパンを裂き、神を賛美し」とありますが、食事と聖餐式を一緒に行っていたようです。そして、「主は毎日、救われる人々を加えてくださった」とあります。毎日です。日本における教会はどうでしょう?毎月、どのくらい加えられているでしょうか?いや、一年にどのくらい加えられているでしょうか?初代教会は「毎日」ですから、驚きであります。私たちは「リバイバル」を望んでいますが、聖霊がこのように注がれ、多くの人達が救われ、奇跡も数多く起ることです。そして、人々の心に信仰と愛と一致がありました。ペンテコステは「初穂」という意味があります。ペテロの説教を通して、3000人が救われ、教会が誕生しました。まさしく、教会の初穂という記念すべき日でした。

2.ステパノの説教 

使徒の働き8章にはステパノの説教が記されていますが、それは旧約聖書が大パノラマ的に要約されています。ステパノの説教がユダヤ教との決別を招くことになり、とても重要なターニングポイントになります。では、ステパノはどういう人だったのでしょうか?使徒の働き6章に、エルサレムの教会に問題が起り、ステパノを加えて6人の執事が選ばれたことが記されています。どういう問題かと言うと、「やもめたちへの配給のことで、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た」と書かれています。ギリシア語を使うユダヤ人たちというのは、合理的で律法や習慣には無頓着です。この人たちを「ヘレニスト」と呼んでいます。一方、ヘブル語を使うユダヤ人たちは旧約聖書の律法や習慣を重んじる人たちです。ペテロをはじめ使徒たちは後者の中に入りました。実はステパノはギリシア語を使うユダヤ人でヘレニストでありました。彼は食事の世話をする7人の執事に選ばれたのですが、他にも賜物がありました。使徒6:8-10「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。」ステパノは信徒でありましたが、大いなる不思議としるしを行っていました。さらには、議論においてもすぐており、キリスト教信仰を反対者にも弁明することできました。ところが、議論に負けた人たちが、ある人たちをそそのかして、「ステパノがモーセと神を冒涜することばを語っていた」とユダヤ教指導者たちに訴えさせました。そのためステパノは捕えられ、サンヒドリンの最高法院に引かれていきました。

使徒7章にはステパノの説教が、法廷における弁明というかたちで記されています。彼の説教はアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの族長物語、エジプトの奴隷から解放したモーセのこと、ダビデ、ソロモンのことまで語りました。ステパノはどこから知識を得て、このような聖書の大パノラマ説教ができたのでしょうか?そして、説教の結論の部分が、列席しているユダヤ人たちに向けられました。使徒7:51「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」それまで、彼らは「ふんふん」と聞いていましたが、矛先が自分たちに向けられて憤慨しました。何故なら、ステパノが「あなたたがたが正しい方、イエス・キリストを裏切る者、殺す者となった」と言ったからです。人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていました。さらに、ステパノが「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言ったので大変です。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到しました。そして彼を町の外に引き出して、石を投げつけました。彼らは青年サウロに上着を預けて、ステパノに石を投げ続けました。ステパノは「主イエスよ、私の霊をお受けください。主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と言って、殉教しました。彼の祈りは、イエス様の祈りと全く同じです。その理由はルカ福音書の筆者であるルカが、強調したかったからでしょう。

 使徒8:1「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた」と書いてあります。どういうことかと言うと、ユダヤ教徒たちは、ステパノの説教によって彼らの信仰を自分たちとは違うということが分かったのです。彼は「イエスをキリストと言っている人たちは、自分たちの信仰とは違う。彼らは異端である」という烙印を押して、激しい迫害を加えました。散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩きましたが、彼らはヘレニストたちです。使徒たちは律法や習慣を重んじるヘブライストだったのでエルサレムに留まっていることできました。かつて、イエス様が「あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」と言っていました。しかし、使徒たちは頭では分かっていましたが、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで行こうとはしませんでした。ユダヤ人たちの迫害が起ったので、仕方なく人々は出て行って福音を宣べ伝えたのです。しかも、その人たちは使徒ではなく、名もない人たちでした。福音はサマリヤに届けられますが、それだけではありません。使徒11:19-20「さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。」つまり、迫害によって散らされた人たちによって福音が宣べ伝えられましたある人たちはギリシア語を話す人たちにも語りかけました。おそらく、彼らはヘレニストであって、ユダヤ人以外の人にも福音を伝えたのでしょう。しかし、そのことによってアンティオキアが設立され、やがてそこが異邦人の宣教基地になりました。

すべてはステパノの迫害から起ったことです。ステパノの説教によって、ユダヤ教と決別することになりました。その結果、大迫害が起りました。でも、迫害が起らないと人々はずっとエルサレムに留まっていたかもしれません。「ここが良い。ここが気持ち良い。いつまでもここにいたい」。しかし、それは間違いでした。キリスト教会は保守的になりやすく、変わったことをすると「急進的だ!」と非難されます。しかし、ギリシャ語を話すヘレニストたちによって、福音がユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで届けられるようになるとは、神の知恵であります。使徒の働きは「使徒たち」だけではありません。ステパノ、これから続くピリポ、そして散らされた先でも福音を宣べ伝えた名もない人たちが主役です。ステパノのように自分を小さな枠に閉じ込めてはいけません。知恵と御霊に満たされて、神が召して下さるところまで行きましょう。

3.ピリポの宣教  

 ピリポはエルサレム教会において、ステパノと一緒に選ばれた執事の一人でした。彼もステパノと同じで、信徒の一人です。彼はやもめたちに対する毎日の配給が公平になされるように仕えていました。しかし、ステパノのことで起った迫害のために、エルサレムからサマリヤに逃げてきました。使徒8:5-8「ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。その町には、大きな喜びがあった。」イエス様が「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」と言われたことが使徒たちではなく、信徒ピリポによって実現されたということです。ピリポがしていたことは、福音書においてイエス様の弟子たちがしていたことと全く同じです。キリストを宣べ伝え、汚れた霊を追い出し、体の不自由な人や病気の人を癒しました。彼の力の源は何でしょう?使徒6章に「彼らは信仰と聖霊に満ちた人」と書かれています。また、「人々がしるしを見て、ピリポの語ることに耳を傾けた」とあります。使徒8章に御霊、もしくは聖霊ということばが、7回記されています。ということは、ピリポは聖霊によってこのような奉仕をしていたということです。ピリポの聖霊による働きが顕著だったので、シモンという魔術師が「私にも聖霊を下さい」と願っています。使徒パウロはⅠコリント2章で「そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした」と言っていますが、福音宣教において、聖霊によるみわざが起るのを期待して良いということです。ただ、ことばだけでは、人々の心は開かれません。サマリヤの人たちは「彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった」からです。

 キリスト教会では「奇跡やしるし」は邪道であり不要であると言います。あるいは、「使徒たちが地上から去ってしまった今は、奇跡やしるしは止んだ」とまで言います。どう思っていても自由ですが、聖書に記されている宣教方式を見ると、そうではありません。使徒3章においてペテロが、美しの門に座っている生まれつきの足なえを癒しました。もちろん、それはペテロ自身の力ではなく、イエスの御名を信じる信仰によってでありました。その奇跡を見て、集まった大勢の人たちに向かってペテロが説教をしました。それで、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになりました。その後、迫害も起りましたが、教会の人たちはこう祈っています。「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」(使徒4:29,30)。彼らは、みことばを大胆に語ることと、癒しとしるしと不思議を行なうことの2つのことを祈っています。はっきり分かることは、福音を語ることだけではなく、しるしや奇跡を来なうことも必要だということです。そして、その方が効果があるということです。サマリヤの町に大きな喜びが起りました。それはピリポがキリストを宣べ伝え、そしてしるしを行ない、悪霊が追い出され障害や病が癒されたからです。福音を信じて救われた喜びと障害や病が癒された喜びが重なっていたということです。

 もう1つおどろくべきことは、信徒ピリポがバプテスマを授けたということです。ピリポは聖霊に豊かに用いられた人です。走っている馬車に並走しながら、伝道しています。伝えた相手というのが、エチオピヤの高官、カンダケです。彼はエルサレムの帰りであり、いわば求道者です。馬車の上でイザヤ書を読んでいました。ピリポが「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と聞きました。すると、カンダケは「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えました。ピリポは馬車に乗り、その聖句からイエス様のことを宣べ伝えてあげました。彼は信じたのでしょう。水のある所に来たので、「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と聞きました。馬車を止め、ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けました。このところに、現代の教会が不可解に思うことが少なくとも2つ書かれています。1つは信徒であるピリポがバプテスマを授けたということです。現代の多くの教会は、按手礼を受けた牧師だけがバプテスマを授けることが許されています。しかし、聖書にはそのことは書かれていません。マタイ28章では「弟子たちがバプテスマを授けるように」と命じられています。これは使徒たちに限定されているのではなく、キリストを信じた弟子がバプテスマを授けるということです。もう1つは、洗礼準備会がなされていないということです。受ける人が長老たちの前で証をして、許可されたらバプテスマを受けられるという教会もあるようです。使徒10章にコルネリオの一家が聖霊を受けたので、バプテスマが直ちにほどこされています。また、使徒16章では看守がパウロとシラスを家に招き、彼らの傷を洗ってあげました。そして、そのあとすぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた(使徒16:33)とあります。ここでも、洗礼準備会と諮問会議もありません。

説教は牧師の考えを述べる場ではありません。しかし、聖書こそが私たちの模範であることは確かです。教会は一度、ローマの国教になり、1200年間くらいローマ・カトリックのもとにありました。マルチン・ルターによって宗教改革がなされましたが、彼は元修道士でした。「万人祭司」と言いながらも、従来の考えや風習、制度がプロテスタント教会に残っていることは確かです。最初のエルサレム教会はユダヤ教的なものがたくさん残っていました。迫害を受けて散らされた人たちというのは、ギリシャ語を話す人たち、ヘレニストでした。彼らがユダヤ人以外にも伝道した宣教のパイオニアでした。初代教会の頃はステパノもピリポも信徒でありながら豊かに用いられました。私はすべての制度が不要であると言っているのではありません。教会は当時のユダヤ教のように、聖書に書かれていないことを作り上げ、保守的になる傾向があるということです。聖霊が教会を生み出したのです。その聖霊は今も自由に働いておられます。教会は聖霊に「こうしてくれ」と注文するのではなく、「どうすべきでしょう」と聖霊に導かれて進むべきです。