きょうは平安な心を持つということがいかに重要なことなのか、また、どのようにしたら平安な心を持つことが出来るのか、ということを共に学びたいと思います。本日の聖書箇所には、平安ということばはありません。でも、これらの3つのことを実行したなら、心が平安になり、ベストを尽くしながら生きることができます。なぜなら、現代はあまりにもテンポが速くて、多くの人たちがイライラして、心が乱れ、正しい歩みを見失っているからです。
1.あなたの道を主にゆだねよ
5節「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」。なんというすばらしい約束でしょう。多くの人たちは、このような神さまがおられることを知りません。そのため、自分の考えや自分の力でなんとかやろうとします。そうするとどうなるでしょう?たえず、恐れと不安がつきまといます。なぜなら、この先、どうなるか分からないからです。うまくいくかもしれないし、途中で挫折するかもしれません。従業員は、「社長は、毎日、ゴルフにでかけられて良いなー」と思うでしょう。しかし、経営者には経営者の悩みがあります。うまく行っている時は良いのですが、赤字が重なると倒産しかねません。そうなると、自分の家や土地も手放さなければならなくなります。社長に比べると従業員は失うものがそんなにありません。次の新しいところを捜せば良いからです。もし、「会社の社長が神さまで、自分たちはその下で働いているのだ」と考えたら何とすばらしいでしょう。なぜなら、すべての資源やアイディアは神さまからやってくるからです。たとえ、失敗しても、神さまが責任を取って下さると考えたなら、夜もぐっすり休むことができます。日本は戦後、お菓子や化粧品、製パン、お薬、クリーニング店など、多くのクリスチャン企業ができました。第一代目は熱心な信仰者ですが、二代目、三代目になると信仰がなくなります。信仰がなくても、自分たちはやっていけると考えるからです。そして、この世の経営方針を取り入れ、神さまに頼ることをしません。もし、主にゆだねることを知らないなら、心の平安をなくしてしまうでしょう。
クリスチャンであっても、「主にゆだねる」ということの意味が分からないかもしれません。口では「主にゆだねます」と祈りながら、目を開けると自分の考えや力でやろうとします。ある人たちは、「できることは全部、自分たちでやって、できないことを主にゆだねる」と考えます。またある人たちは、「50%は自分たちの力で、50%は神さまの力で」と分担します。楽なものはこっちがやり、難しいものは神さまにゆだねると考えるかもしれません。しかし、これらは、神さまにゆだねるという本当の意味ではありません。神さまにゆだねるとは、文字通り、全部、ゆだねるということです。20%でもなく、50%でもなく、100%です。神さまは全部ゆだねてくれないと、ご自分の働きを十分に果たすことが出来ないからです。製作者に、「これは私の好みに合いません。ここをこう変えて下さい」とちょくちょく注文を付ける人は困った存在でしょう。全部、ゆだねるとはどういう意味でしょう?たとえていうなら、神さまが私の雇い主であり、私の社長であり、私の人生の主人だということです。そうすると、私は神さまの手の上で、働くことになります。神さまに動かされ、神さまと共に働く人になります。私を支えている基盤は神さまであり、私がその上で働いたり、休んだり、考えたりします。責任は神さまがとってくださるので、何かあっても思い煩ったり、パニックになる必要はありません。昔は、「親方日の丸」という会社がたくさんありました。国鉄、郵便、電信電話、電力、銀行、道路、放送…。良い点は、赤字になっても国が補償してくれるということです。悪い点は、民間のように営利を第一にしないので、努力や工夫もせず、保身だけを考えます。私たちも、間違ったゆだね方をする可能性もあるということです。クリスチャンには独特の甘えがあるかもしれません。「主のみこころならば」「主の導きならば」「主が何とかしてくださる」と新しいことにチャレンジしないならば、「親方日の丸」と同じになります。
マタイ25章にタラントのたとえがあります。主人はしもべたちに、能力に応じて、一人には5タラント、一人には2タラント、一人には1タラントを渡して旅に出ました。昔は、主人の財産を預かってそれで商売するという奴隷がたくさんいました。私たちもある意味では、主のしもべです。預かった財産は、主人である神さまのものです。私たちはそれを預かって、運用する必要があります。聖書を読むと分かりますが、五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントもうけました。同じように、二タラント預かった者もほかに二タラントもうけました。「商売をする」とは、英語でtradeとなっています。当時のtradeは物々交換です。生産者のところへ行って品物を仕入れ、それを町で売ると言うことです。当然、そこにはいくらかの儲けが含まれています。農産物、海産物、手工業製品…いろいろあったと思います。でも、tradeには危険も伴います。せっかく仕入れた品物が売れなかったり、売れても赤字になる場合もあります。人々はどのようなものを求めているのだろうか?どこで売ったら良いのだろうか?今で言う、マーケティングやリサーチが必要です。また、誠実さと同時に、人にだまされない心眼も必要です。五タラントと二タラントを預けられたしもべたちには、「主人は私を忠実なものとして認めてくれたのだから、それに答えよう」という姿勢がありました。実際、あとでもうけたタラントを主人に渡したとき、「良い忠実なしもべだ」とほめられました。そればかりではありません。「お前はわずかな物に忠実だったから、多くの者を任せよう」とまで言われました。つまり、前のtradeは忠実さを試すための試験であったということです。
タラントのたとえは、この世の人生のことです。タラントの清算は、この世が終わり、千年王国を受け継ぐときです。つまり、この世での私たちのすべての仕事や活動は、「主の前で忠実であるかどうかの試験である」ということです。私たちの命も、健康も、能力も、財産もすべて神さまから預かったものです。主にゆだねるという意味はこうであると思います。「これらすべては私のものではなく、神さまのものであることを認めて、あなたに一旦お返しします。今度は、あなたからの知恵と力をいだだきながら、あなたのものを運用させていただきます。」
2.主の前に静まり、耐え忍んで主を待て
7節「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て」。英語の聖書はRest in the Lord, and wait patiently for Him。となっています。ヘブル語で「静まる」はダーマムであり「やめる」「黙る」「休む」という意味があります。どういう状況で、この人は黙るべきなのでしょうか?7節後半に「その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな」ということです。テレビには、ニュースのコメンティターという人たちがいます。「あれやこれや」と自分の意見を述べます。ときには、被害者の立場になって怒ったり、さばいたりします。新型コロナウィルスのときは、いろんなお医者さんがコメントをしていました。町の人たちは、政府の対応に対して、いろんな不満をぶちまけていました。それを見る私たちも、「ああだ、こうだ」と言いたくなりました。私たちのまわりに、事件や事故が起る度に、反応しがちになります。これが近所ではなく、世界規模になると、平和なニュースはほとんど入って来ません。そのままでは、情報の海に漂流してしまいます。心に平安を持つ2番目のことは、主の前に静まるということです。言い換えると、すべての作業をやめて、口を閉ざして黙るということです。私の口は絶えず何かをしゃべり、私の手足は絶えず動いているので、じっとするということが結構苦手です。家内からよく注意されますが、テレビに向かって、絶えず文句を言っているようであります。家内が刑事ドラマを見ていると、私が内容も知らないのに「こいつが犯人だ」と言ってしまいます。「あなたは黙って見てられないのね!」と注意されます。そう言うわけで、「主の前に静まり、耐え忍んで主を待つ」ということがとても苦手な者であります。
しかし、説教者になってから、主の前に静まることが、とても重要なことであることが分かりました。私の場合は、朝起きてから8時半くらいまでが、静まる時です。聖書を読み、英語の本を読み、黙想し、散歩します。散歩のときも黙想したり、祈ったりします。また、説教準備のときは、聖書を読んだあと、じっくり瞑想します。瞑想して神さまからメッセージをいただくようにしています。結構、落ち着きのない私ですが、「静まる時」を持っていることをこの場を借りて申し上げたいと思います。つまり、こういう私の性分だからこそ、「黙って、何もしないで、静まる」ことの重要さを知っているということです。私たちの脳は起きていても、寝ているときも、絶えず何かを考えています。一時も休まることはありません。しかし、脳に一番悪いことは、あれをしながら、これをやる」あるいは「自分で考えていることと別なことを言ったり、やったりする」ことです。このことは、脳神経学者のキャロライン・リーフ博士から学びました。彼女の一番新しい本は“Cleaning up your mental mess”です。「精神的な混乱を掃除する」という意味です。散らかっている部屋をmessと言います。心が混乱している、めちゃくちゃな状態が、messであります。その本はまだ、全部読んでいないので、お分かちできませんが、彼女の本は4冊位すでに読んでいるので、何を言いたいか大体分かります。精神を掃除するために、5つのステップがあります。その第一は「gather収集です。」自分の頭にメスを入れ、毒性の考え、悪習慣、トラウマを探り当て、それを集めるということです。その作業をするためには、どうしても静まる必要があります。私は何を感じているのだろうか?私は何を考えているのだろうか?私は何を悩んでいるのだろうか?少し離れて、自分を観察するということです。そうしていくうちに、混乱の糸がほぐされていきます。問題の核心が見えてきます。「私はこういうことで悩んでいるんだ」「私はこういうことをこだわっているんだ」と分かってきます。
多くの人たちは、静まる時を持っていません。耳にイヤホーンをつけ、何かの音楽を聞いています。だれかと連絡を交換したり、何かのサイトを見ています。あるいはゲームをしています。目と耳が完全に奪われています。言い換えると、考えも感情も知性も奪われているということです。頭の中にいろんな情報が飛び交っているので、まさしく、mess、散らかっている状態です。ですから、外界との交信を断ち切って、主の前に静まることが必要です。必要というよりも、そういうことをしないと精神も肉体も病んでしまうでしょう。頭に一番良くないのは、「あれをしながら、これをやる」あるいは「自分で考えていることと別なことを言ったり、やったりする」ことだと申し上げました。私たちの大脳の前頭葉が司令塔です。ここにマインドがあり、考えたり、選択しています。また、大脳の辺縁系と内臓は感情を司っています。つまり、私たちは頭と体で感じているのです。統合された考えと選択と感情に応答して、行動するようになっています。もし、これらのものがバラバラに勝手に動いているなら、正しい行いができないばかりか、エネルギーをロスして、疲れ果ててしまいます。頭の中の考えや感情が統合され、集中して行動するなら、疲れないばかりか、とても効率が上がり、失敗することもありません。日本ではキリスト教でなくても、精神集中を重んじる文化です。剣道、書道、華道、茶道、いろいろありますが、おそらく、静まって精神を整えることがすべての基本ではないかと思います。
ヘブル語のダーマムは、「休む」という意味もありました。英語の聖書は、Rest in the Lordとなっています。Restは「休息する、休憩する、横になって休む、眠る」という意味があります。休むことを罪のように思ったり、怠けることだと思っている人もいるかもしれません。脳は寝ているときに、シナプスを取り囲んでいるグリア細胞が掃除の役目をするそうです。また、グリア細胞は栄養を神経に与えます。さらに、寝ているとき夢を見ますが、眠りの浅いレム睡眠のときです。夢を見ているとき、脳だけではなく、体中の細胞に記憶されている感情の分子がリセットしているのだそうです。潜在意識からのものもあれば、神さまが夢の中で語ってくださるときもあるでしょう。旧約聖書のヤコブは夢で、天使たちが階段を上り下りしているのを見ました。休むと頭も体もリフレッシュされるので、夜の睡眠をしっかり取り、お昼寝も良いです。聖書では週、一日は休みなさいと命じています。クリスチャンは日曜日の礼拝を守りつつ、心と体をリフレッシュしていただく時です。この世の情報をシャットアウトし、聖書のみことばから、神さまの情報を知ることは本当に重要だと思います。聖霊は絶えず私たちに語っておられます。多くの場合、聖霊の声は細くて小さな声です。そのために、私たちは静まる必要があります。
3.怒ることをやめ、憤りを捨てよ
8節「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはたた悪への道だ。」また、37篇の1節にも似ているみことばが書かれています「悪を行なう者に腹を立てるな。不正を行う者に妬みを起こすな」と書かれています。このところでは、怒ること、憤ること、腹を立てること、妬みを起こすことをやめるように命じられています。ノーマン・ピール博士が『積極的考えの力』という本でこのように述べています。多くの人は、「あせり」や「いらいら」によってパワーやエネルギーを消耗し、自分の人生を不必要に困難なものにしています。あなたは「あせり」や「いらいら」を感じることがありますか?原書は、Do you ever fume and fret?と書かれています。ノーマン・ピール博士はそのことをこのよう説明しています。fumeという言葉には、「沸騰する」「吹き出す」「蒸気を出す」「動揺する」「取り乱す」「煮えたぎる」という意味があります。fretという言葉も同じ意味です。夜中に病気の子供が泣き叫ぶように、半分泣き言のように、小言を言うことです。一旦収まっても、また始まる、イライラするような、腹立たしいような、突き刺さるような性質を持っています。fretというのは子どもじみた言葉ですが、多くの大人の感情的な反応を表しています。詩篇37:1 Fret not thyself「自分を悩ますな」とアドバイスしています。これは、現代に生きる人々にとって適切なアドバイスです。私たちが効果的に愛する力を持つためには、あせらず、悩まず、穏やかに過ごす必要があります。では、どうすればいいのでしょうか?…さらに、ノーマン・ピール博士の本を引用します。
第一に、自分のペースを減らすこと、少なくともペースのテンポを減らすことです。私たちは、人生の速度がどれほど加速しているか、あるいは自分自身が運転している速度がどれほど速いかを理解していません。多くの人がこのペースによって肉体を破壊していますが、さらに悲劇的なのは、心や魂もズタズタにしていることです。ハイペースは結果的に軽率に近い状態になります。衰弱させるほどの過剰な刺激と超興奮に深く悩まされないためには、現代生活のペースを下げなければならない。この過剰な刺激は、体内に有害な毒物を発生させ、心の病を引き起こします。個人的な問題から国や世界の状況まで、あらゆることに頭を悩ませて、疲労感やフラストレーションを感じてしまうでしょう。このような感情の乱れが肉体的に顕著に現れるのであれば、魂と呼ばれる人格の深い内側の本質にはどのような影響があるでしょうか。猛烈に加速していては、魂の平安を得ることはできません。神はそんなスピードで、あなたに追いつこうとはしません。「あなたが今、ペースを落とさない限りは、私はあなたの人生を豊かにすることはできない。私の中で生き、動き、存在したいならペースを落としなさい」と言っています。神は静かに、ゆっくりと、そして完璧な組織で動いておられます。愛するための賢明な速度は、神の速度だけです。神は物事を成し遂げ、戦い、そして急ぐことなくそれを実行します。慌てることもなく、焦ることもありません。神は平和であり、それゆえに効率的です。この同じ平和が私たちにも提供されています。
イエス様はヨハネ14章で「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」と言われました。この世に生きている限り、争いや問題が絶えることはありません。イエス様が与える平安は、内なる平安であり、神さまが与えるものです。どんなに私たちの回りに争いや問題があったとしても、それらに翻弄されない神からの平安があります。なぜなら、私たちの神さまはこの世界を創造し、保持しておられるお方だからです。神さまは歴史を支配しておられ、悪の世に終わりを与え、新しい御国をもたらして下さいます。私たちの回りには、常識を疑うようなことがたくさん起こります。その度ごとに、「この人はおかしい」「この人は変わっている」とさばいていたなら、平安な気持ちにはなれません。究極的な裁判官は神さまであって、私たちではないからです。それよりも、私たちは自分が生かされている世界で、神さまの守りを受けながら、できるだけ平安に過ごして、人生を全うする責任があります。
ノーマン・ピール博士の本に、テンションの高いビジネスマンの事が書かれていました。彼は毎朝、ベッドから飛び起きて、自分に気合を入れます。朝食は半熟卵を喉に流し込み、会社に行きます。その結果、彼は疲れ果て、毎晩、ベッドに沈んでいました。たまたま彼の家は木立の中にありました。ある日の早朝、彼は眠れずに起きて窓際に座っていました。そのとき、鳥が寝床から出てくるのを見て興味を持ちました。彼は、鳥が頭を翼の下に入れ、羽毛を自分の周りに引き寄せて寝ていることに気づきました。目を覚ました鳥は、羽根の下からくちばしを出し、寝ぼけ眼で周りを見回し、片足をいっぱいに伸ばし、その足の上に翼を扇のように広がるまで伸ばしました。脚と翼を戻し、もう片方の脚と翼で同じ作業を繰り返すと、再び頭を羽毛の中に入れて眠りました。まもなく、再び頭を出しました。今度は熱心に辺りを見回し、頭を後ろに投げ出し、翼と脚をさらに2回大きく伸ばすと、スリリングでメロディアスな日を讃える歌声を響かせ、それと同時に枝から飛び降りて冷たい水を飲み、餌を探し始めました。テンションの高い友人は、「鳥がそうやってゆっくりと起き上がるのなら、自分もそうやって一日を始めるのがいいのではないか」と考えました。実際に歌いながら同じパフォーマンスをしてみたところ、歌が特に有益な要素であり、解放のメカニズムであることに気づきました。静かに椅子に座って賛美歌や楽しい歌を歌っていました。彼が歌っている姿を見た妻は、気が変になったと思いました。その後、鳥と同じように食べ物が欲しくなり、ベーコンと卵の美味しい朝食を食べたくなりました。そして、ゆっくりと時間をかけて食ました。その後、彼は解放された気持ちで仕事に向かいました。緊張感のない一日をスタートさせることができ、穏やかでリラックスした状態で一日を過ごすことができたそうです。詩篇37篇8節「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな」。怒りや憤り、イライラはパワーやエネルギーを消耗し、自分の人生を不必要に困難なものにしています。それよりも、イエス様の平安をいただき、自分が生かされている世界で、毎日、感謝しつつ、自分の人生を全うさせていただきましょう。